第9話 冀求・3
オージは大きな肉片を両手で抱えて齧り付いていた。普段地竜の肉を主に食べている天竜にとってはきっとこの世で最も美味しいと感じる食べ物であるのだろう。他の動物の肉も何でも食べるが、食い付きが違う。明かに一番の好物といった食べっぷりである。
「天竜が地竜の天敵だってこと初めて実感したかも」
「自然の摂理だ、仕方ない」
ラバスは他人事みたいに言いながら、良い具合に焼けた肉をひとかけら口に放り込んだ。
「初めて食べたが、なかなか旨い」
「人間の味覚だからかもよ?」
「なるほど」
地竜の肉は天竜の肉とよく似ていた。天竜の肉より少し硬く、少し臭みがあり味が濃いが、天竜を食べ慣れているポルトにとって、レダの味覚にとっても、わりと食べやすいタイプの肉である。
「焼いたものもオージは食べるだろうか」
ラバスが自分の食べた残りをオージに差し出すと、オージは嬉しそうにそれを受け取って食べた。
「旨いと言ってる」
ラバスはオージの言葉を通訳してくれる。ポルトにはわからないが、あれから少しずつ何かを喋っているようなのだ。時々、ラバスにその言葉が理解できた時は事細かに報告をしてくれた。いつかオージとも意思疎通できるようになるといい。
「さっきからしきりに何か伝えようとしているみたいなんだが、ちょっとわからないんだ。もっとしっかり天竜の言葉を学んでおけばよかった」
ラバスは申し訳なさそうに呟きながらオージの頭を撫でた。人間の言葉は完璧に扱えるほどにマスターしているが、天竜の言葉は簡単なものしかわからないのだという。天竜に対しては興味がさほどなかったのだ。言葉を知り、想いを知りたいと思ったのは人間に対してだけだったらしい。
言葉が少し操れるようになり、多少の意思疎通も可能になって少し興奮気味だったオージは、自分の言いたいことがうまく通じていないとわかり少し意気消沈する。けれどしばらくすると辺りをうろうろと歩き始め、やがて落ちていた短い木の枝を持って戻ってきた。小さな手には少し太いそれを両手で掴み、地面に擦り付ける。
「何をしてるんだ?絵でも描いているのか?」
ラバスが興味深そうに見つめるそれが、何であるのかポルトにはわかってしまった。
(まさか…)
天竜の手は人間のように器用には動かない。だからそれはとんでもなく不格好である。でも、オージが懸命に自分の体と同じぐらいのサイズで地面に描いたそれは、ポルトには見慣れたものだった。
「ねえラバス、君、文字は読めない?」
「わからない。言葉は耳で覚えた」
「オージが描いているのは人間の使う文字だよ」
「え?」
ラバスにはわからなかったようだが、それは間違いなく文字である。しかも、とても見慣れた配列。
「へたくそだけど、書いてあるんだ。レダって」
ポルトの上擦った呟きを聞くとオージは枝を放り投げて、正解だと言わんばかりに嬉しそうにその文字の周りを駆け回る。
「ねえ、これはどういうことなのかな…?」
なぜオージが文字を知っているのか。言葉ならばこれまでの会話で覚えたのかもしれない。だがこの冒険の中で文字を目にする機会などほぼないに等しかったはずだ。本の類は何も持ってきてはいない。荷物にならぬよう全て頭に叩き込んできたのだ。いくらオージの知能が高くとも、見たことのないものを学習できるはずがないのだ。
「オージ、君はいったい…」
問いかけるとオージは立ち上がり、小さな手で自分の胸をトントンと叩いた。そして屈んで地面を、先程書いた文字のところをパンパンと叩いてみせる。
「もしかして、自分はレダだと言ってる?え?どういうこと?そんな事があるの?」
だがそれならば、オージが文字を書けることの説明がつく。
ポルトはラバスを見つめた。レダの体にラバスの魂が入っている。それと同じようにオージの体にレダの魂が入っているというのか。
「そんな事があり得るの?魂が移動するとか地竜だけの能力じゃないの?」
少なくともポルトはそんな話を聞いた事がない。そもそも地竜の魂が人の体に入ることすら知らなかったのだ。人間にとって、体と魂が別物で移動したりするなんていうことは、はなから常識外の話なのだ。
「ラバスには何かわかる事がある?」
実際に魂の移動を実践しているラバスならばわかることもあるかもしれないと期待を込めて見つめるが、ラバスは首を傾げて考え込む。
「天竜のことはあまりよく知らない。だが地竜と近しい生物であるのなら不可能ではないかもしれない」
「だけどこの場合、移動したのはレダなんだよね。人間にそんな事ができるとは思えない。少なくともそんな例を僕は見たことも聞いたこともないよ」
知っている事が全てではないということはこの旅で嫌というほど実感しているけれど、にわかには信じがたい。レダが生きていたらいいという願望からの錯覚だという可能性だってあると思うのだ。
「そういえば」
ラバスがふと何かを思いついたように顔を上げポルトを見た。
「天竜の赤ん坊には死んだ天竜の魂が入るのだと聞いた事がある。だから子どもだと思って侮ってはいけないのだと」
「なんだって!?」
ならば死んだ天竜の魂の代わりに、死んだレダの魂がオージに入ったということなのだろうか。
「赤ん坊の方に魂を引き込む能力があるとすれば、不可能な話じゃないよね。それが天竜の魂ではなく、すぐ近くにあったレダの魂であったとしたら…」
「なるほど、そういうことはあるかもしれない」
目の前の事象を説明するならば、それが一番納得の行く流れだ。これ以上考えたところで確かな正解が出るわけでもなく、何か現状が変わるわけでもない。わからないことだらけでも目の前の現実を受け入れる以外にない。仕組みなんて分からなくとも、俺がレダだと目の前で主張しているのだ。オージの悪戯でもポルトの錯覚でもないレベルで、どうしたら自分が自分であると伝えられるか必死になっているのだ。
ポルトはオージを抱き上げる。
「レダなの?本当に?」
腕の中のオージは、人間のようにこくりと頷いて、そして少し笑ったような気がした。竜の表情なんてわからないけれど。
(ああ、レダだ)
胸の奥から溢れ出す想いが氾濫した川のように激しすぎて言葉にならない。ただぎゅっと強くその体を抱きしめた。小さな、ポルトの腕にすっぽり収まってしまう天竜を、ただただ愛おしく抱きしめる。
失ってしまったと思った親友はこんなに近くにいたのだ。
生きていてよかった、と言える状態なのか微妙だけれど、それでも彼の魂が、意識が、すぐ近くにあるというだけで、心が震える。
「レダ」
その名を呼べば、腕の中の小さな竜は頬をすり寄せてくる。
「ずいぶん小さくなっちゃって」
くすりと笑えばギャーと言い返してくる。きっと『可愛いだろ?』なんてことを言っているに違いない。
言葉は通じなくとも、伝わるものはある。14年間も隣にいる事が当たり前だった友なのだ。
(だけどいったいいつから?)
ふと湧き起こる素朴な疑問。
魂の移動ということを考えると、レダが死んで体を離れたその時だと考えるのが妥当だろう。オージは近くにいたはずだ。
だがオージが積極的に意思表示をするようになったのはほんの少し前、体が急に大きくなったと感じた頃からだ。レダが自由に天竜の体を動かせるようになるまでに時間がかかったのか、あるいはそれまではオージだったのか。入れ替わったのはいったいいつなのだろう。
「そうしたらオージはどこへ行ってしまったの?」
レダの体にはラバスが、オージの体にはレダが入っているということは、オージの魂はどこへ行ってしまったのだろうか。幼いとはいえ、確かにオージの意思はあったはずなのだ。レダが生きている時点で、ちゃんと心を通わせていたはずなのだ。
「死んだ天竜の魂が入ったら、赤ん坊の魂はどうなってしまうの?」
「それはわからない。小さいから消えて無くなってしまうのか、あるいは大人の魂に取り込まれてしまうのか、大人が食らってしまうのか。詳しいことは俺は知らない」
「一つの体に二つの魂が宿ることもあったりするのかな」
「おそらくそれはないと思う。共存できないから地竜は人間の魂を食らって消してしまうんだ」
レダの魂がここにあるのは嬉しい。けれど、代わりにオージを失ってしまったのなら、それは悲しいことでもある。
「オージが…いや、レダと言ったほうがいいか、レダが言ってる。オージは一緒にいた。けど、もういない」
「どういうこと?」
「ごめん、あまりうまく聞き取れない。けどそんな意味のことを言っている」
歯痒い。レダと直接話がしたい。けれど、ポルトには天竜の言葉がわからない。そもそも言葉として認識できないのだ。勉強するとかしないとか以前に聞き取る事ができない。元々同じような声帯を持ちその音を言葉として使っていたラバスには人間の耳でもちゃんと聞き取れるらしいが、ポルトには到底無理だ。
「レダが人間の言葉で喋ってくれたらなあ」
「それは多分無理だ。俺も地竜の体では人間の言葉を話せなかった。天竜もおそらく一緒だ」
聞くことはできても話すことはできない。それはそれで、もどかしい思いをしていることだろう。
「天竜の言葉はオージの体が覚えてるっていう感じなのかな」
「もらったと言ってる」
「知識の共有的なものがあるのかな?」
「俺の時はなかった」
「一緒にいたとさっき言っただろう?ラバスの時とは違う。一緒にいる時間があったのなら何かしらの情報交換ができた可能性もあるんじゃないかな」
「なるほど。その知識をもとに発声練習中といったところか。まだ舌足らずでなかなか聞き取りづらい」
申し訳なさそうにラバスは言うが、あかちゃん言葉のレダを想像したら可愛くて和む。どうして自分には聞き取れないのかと悔やむほどだ。
「オージの知識では言葉も少ないだろうな。どうせ一から学習するなら俺が地竜の言葉を教えられればよかったが、今の俺は地竜の言葉を発声できないからな」
「難しいね。もういろいろと頭がこんがらがるよ」
体と中身が違うということは、こんなにもいろいろな弊害が出るものなのだ。
「何にしても、オージの魂はもうここにないってことか」
かわいそうなことになってしまった。守ってやると誓ったのに。一人前になるまで面倒を見ようと思っていたのに。ポルトにどうこうできたものではないけれど、それでも小さな命を守ってやりたかった。
「きっとレダが一番そう思ってるよね。オージを守りたかったのに、逆に守られてしまったね」
レダを、そしてオージを抱きしめる。レダは小さな手を伸ばしてポルトの頬に触れた。
『オージの体を借りて、俺はポルトを守るよ』
なんとなく、そんなことを言っているような気がした。
(僕だって守りたいよ)
オージに救われたレダの魂を、大切にしたい。オージの思いも、レダの思いも、ラバスの思いも。
(全部大事な宝物だ)
「改めて、よろしくね、レダ」
小さな手を指先で握り、握手を交わす。
「ラバスもね」
もう片方の手をラバスに差し出すと、ラバスは少し驚いてそれを握り返し、そしてレダの手も握った。
「いつかこの体をレダに返せるといい」
そう呟いたラバスの顔を、レダは黙って見つめていた。
———もう二度と、君を失いたくない。
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