第9話 冀求・2
しばらく鬱蒼とした森の中を進むと、ポルトの足元にまとわりつくように歩いていたオージが突然騒ぎ出してポルトの行く手を塞ぐようにした。ポルトは先を進むラバスにも止まるよう声をかける。
「何かいるのか?」
人間よりはるかに広範囲にわたるオージの感覚に何かが引っ掛かったのだ。きっと地図に描かれている何かだ。
「問題は何がいるかだよね」
オージが慌てているので危険なもののような気がする。
「ラバスは何かわからない?」
「いや、人の体になってからは聴覚も人並みになってしまったから、オージほど感知できない」
ラバスは申し訳なさそうに目を伏せた。
ひょっとすると普通の人よりはよく聞こえるのかもしれないが、もっと聞こえていたラバスにしてみたらずいぶん不便になってしまったのかもしれない。ポルトは人間だから、ラバスを見て身体能力も治癒力も上がっていてすごいと思うけれど、地竜からすれば能力は減退するばかりに違いない。人に憧れていたラバスは喜んでいるが、本当はずいぶん窮屈だったりするのだろうか。
「ちょっと待って」
急にラバスがポルトを押し留め感覚を研ぎ澄ませるので何かを感じ取ったのかと思ったが、ラバスはオージの前に向き合ってしゃがむと「もう一度」と言った。
応じるようにオージが声を上げる。
「オージが喋ったぞ、ポルト!」
ポルトにはいつもと同じただの鳴き声にしか聞こえないそれは、ラバスには言葉に聞こえるらしい。
「オージも片言だし俺も天竜の言葉は断片的にしかわからないから言ってることの全部はわからないが、この単語は知ってる。天竜の言葉で『地竜』だ。そうだろう?」
ラバスの言葉に、オージはまるで人間のようにこくりとうなずいた。ポルトたちを見てそれが肯定の意だと覚えたのだろうか。
「さすがに地竜相手はこの体では厳しいかもしれないな」
ラバスはそう言いながらも、荷物にくくりつけてあった槍を手にする。
「オージが気付いたということは、向こうももう気付いているだろう。俺がポルトたちを追いかけている時、俺は感知しているがオージには感知されない距離というのがあった。オージの感知能力は地竜より狭い」
「襲ってくる?」
「わからない。腹が減っているか、交戦的な性格のやつなら来るだろう。おとなしいやつなら危害さえ加えなければそのまま見逃してくれるだろうが」
「それは、襲ってくる方を想定して動くべきだね」
「ああ。オージ、地竜はどの方向にいる?」
オージは後ろ足ですくっと立ち上がり、しばらくきょろきょろと周りを窺うと、やがて左手前方を指差した。
「よし、オージ、お前の感覚を信じるぞ。いいか、俺が囮になって地竜の方に近付く。オージは地竜から遠ざかる方へポルトを導いてくれ。できるか?」
ラバスは顔をぐっと近づけオージの目を見つめる。オージは先ほどと同じように頷いて意思を示した。
「待って、そしたらラバスはどうなるの?」
「あっちが向かってくるなら交戦して時間を稼ぐ。ある程度時間が稼げたら適当な所で逃げる。うまくすれば大量の食料が手に入るし、もししばらく待っても俺が来なければひとりで先に進め」
「そんな!」
「心配するな、うまくやるよ。地竜の生態は俺が一番わかってる。オージがいれば合流もできるだろう」
是非を唱える隙も与えず、ラバスは先程オージが指し示した方へ走り出す。
「ラバス!」
呼んでも足を止めることなくさっさと行ってしまう。全力を出したラバスに追いつくことなどできるわけもなく、ポルトはただ奥歯を噛み締めることしかできなかった。
「人の話を聞けよ…。こんな作戦、ラバスばっかり大変じゃないか」
一人で地竜の相手をすることがどんなに無謀なことかぐらいポルトにだってわかる。天竜ほどではないにしろ、まず体のサイズが違いすぎるのだ。それだけで圧倒的不利だ。なのにポルトを逃すためだけに躊躇いもなくラバスは飛び出していく。あるいはレダでもそうしたかもしれない。しかしレダよりもさらに輪をかけてポルトを守ることしか考えていないラバスが、ポルトは非常に心配だった。自分の身を守ることも考えてほしい。
「それはレダの体なんだからな!もっと大事にしろよ!」
もう聞こえはしないとわかっていたが、大声で叫んだ。
足元でオージがポルトのズボンの裾を引っ張る。
「わかってるよ。僕がいち早く安全圏へ逃げ出すことがラバスの無事につながるんだ。案内頼むよ」
身を屈め、オージの頭を撫でると、オージはついてこいとばかりにひと鳴きし、走り出す。ポルトもその後を追って急いだ。
しばらくすると、ズシンと大きな音が地響きと共に聞こえた。おそらくラバスが地竜と交戦し始めたのだろう。残念ながらおとなしいタイプのやつではなかったらしい。不安を覚えながらもポルトはオージの後を追って逃げることしかできない。
最短距離を進んでいるのか道は険しく、ずいぶん山の上へ向かって登っているような感じだ。
ラバスと地竜が戦う音は少しずつこちらに近づいているような気がする。ラバスが圧されているのだろうか。
ミシミシと嫌な音を立てて眼下の森の木が広範囲に渡ってなぎ倒されるのが見えた。地竜が暴れているのだ。
早く早くとオージが急かすけれど、思わず足が止まる。木がなぎ倒され視界が開けると、地竜の背に乗り槍を突き立てるラバスの姿が見えた。叫び声を上げて暴れる地竜からは血液がずいぶん大量に飛び散っている。
それでも地竜の勢いが止むことはなく、暴れる地竜の背からふるい落とされたラバスが人形みたいに地面を転がっていく。
「危ないっ!」
転がったラバスに食いつこうと地竜が大きな口を開けて襲い掛かる。
すぐさま立ち上がったラバスは腰に差した剣を抜き応戦した。が、勢いに圧されている。剣で受け止めた牙がじりじりと距離を詰めていく。
戦況は極めて不利だ。
「ラバス!」
ポルトは声を震わせ拳を握った。自分には何もできないのか。こんなふうに、友がやられる所を見ていることしかできないのか。
レダの時に、あんなにも後悔したのに。何もできずただ友を危険に晒すだけの自分をあんなにも悔いたのに。
また同じことを繰り返すだけなのか。
けれど戦うためのスキルがポルトにはない。知恵をどんなに働かせた所で、逃げ隠れすることは可能かもしれないが、すでに交戦中の相手を助けるなんて無理だ。
「何か…何かできないのか、僕は…」
ギャアとオージが大きな声を出す。早く来いというのだろう。だけどこのまま逃げていいのだろうか。ラバスを見捨てて先に進むことなどできない。
ごめん、オージとそう言おうと思ってオージを振り向いたのだが、オージは予想外にもポルトに向かって突進してきて、ひょいひょいとポルトの体を駆け上る。
「何?どうしたの?」
肩の上まで登ったオージはそのまま背中に回ると、ポルトのリュックをパンパンと叩いた。何かあるのかとリュックを下ろすと、オージが小さな手で引っ張っているのはリュックに括り付けていた弓だった。
「これで地竜を射るのか?こんなので役に立つ?」
とてもじゃないが地竜にダメージを負わせらるとは思えない。それでもオージは矢を引っ張り出し、やれと主張する。
「そうだね、やれることは全部やっておこう。じゃないとまた後で悔やむことになる」
視界は開けているが距離はかなりある。多少練習したとはいえポルトの腕では当たらないかもしれないし、そもそも届かないかもしれない。それでもやれることがあるならやろう。少しでもラバスの助けになればいい。ただ逃げているだけよりもずっといい。
ポルトは呼吸を整え集中する。
(思い出せ)
お手本にすべきはレダの動き。頭の中でレダの姿を再生する。何度も見た後ろ姿。あのイメージだ。
矢をつがえ目一杯弦を引く。胸を張って静止し、慎重に狙いをつける。そして、放つ。
手応えは思った以上だった。矢はきれいな軌道を描き真っ直ぐに地竜に向かっていく。そしてその横っ面に命中した。刺さりはせず硬い表皮に弾き返されたが、地竜の気を引くには十分だった。
地竜の気が逸れた一瞬の隙をラバスは見逃さない。剣で目を切りつけ地竜の視界を奪うとそのまま懐へ滑り込み、心臓をひと突きした。
一際大きな声を上げた地竜は、やがて土煙を上げて地面に崩れ落ちた。
「…やった…」
地竜を倒してしまった。
「すごいよ、ラバス」
あんなに大きな地竜をたった一人で倒してしまった。ポルトはその手助けをできたことが嬉しかった。
(僕なんかにもできることがある)
弓を握った手がカタカタと震えて止まらない。
「ラバスのところに戻ろう、オージ」
震える手で弓をリュックに括り付けようとする。あまりにもうまくいかないので途中でオージが震えるポルトの手をペロペロと舐め始めた。そのくすぐったさと生暖かさにしだいに指先に感覚が戻り、なんとか元通りに弓を括る。
リュックを背負って、登ってきた山道をオージと一緒に下った。
「ラバス、大丈夫?」
ラバスのところへ駆けつけると、彼は地竜に刺さったままだった槍を回収し、肉の解体を始めていた。擦り傷はあちこちに見られるものの、どうやら大きな怪我はないようだ。
「問題ない。ポルトに助けられた。ありがとう」
「うまくいってよかったよ」
「練習したと言っていたな」
「そうだよ。ラバスは必要ないと言ったけどね」
「…悪かった」
ちょっとだけ厭味をぶつけてみたら素直に謝られたのでポルトの方が少しバツが悪い感じになる。
「その肉どうするの?」
ラバスが豪快に解体していた地竜は、肩から腰にかけての半身がバラされて肉片となっていた。それだけでもかなりの量である。何しろ体長は優に3メートルは超えている。地竜の中でも大きい方だ。
「こんなにたくさんは食えないし持っていけないな」
「だね」
「持てる分だけ取ってあとは置いていこう。放っておけば何かが食べるだろう」
ラバスはリュックから麻袋を出し、その中に肉片を放り込んでいく。まさか地竜を食料にする日がくるとは思わなかった。
「地竜の肉って美味しいのかな」
「人間は天竜を食べるのだろう?多分似たようなものだ」
「共食いになっちゃうけどいいの?」
「これといって地竜に思い入れはない」
平然と言うラバスに少しぎょっとした。ポルトだったら人間の肉は食べられないと思うのだ。地竜である自分のことがあまり好きではないのだろうとは感じていたけれど、それとこれとはまた別の感情なのではないかと思うのだ。こういうのは仲間意識の強い人間独特の感情なのだろうか。
「それじゃ休憩がてら火を焚いて肉を焼いて食べようか」
「もう少し進まなくていいか?」
「食べたら日が暮れるまでもう少し進めばいい。ずいぶん体を酷使しただろう?少し休もう。無理をすると体の方が君の動きに耐えられなくなりそうだ」
鍛えられた体とはいえ、鍛えた以上の動きをすれば大きな負荷がかかるはずだ。レダを見てきたポルトだからわかる。レダの体はかなり無理をしている。少し休ませた方がいい。
「もう少しレダの体を大事に使ってくれ」
「わかった。そうだな、大事にしよう。傷をつけてしまって悪かった」
「その擦り傷も手当てするよ」
ラバスは素直に頷いた。突っ走ってしまうところもあるけれど、ちゃんと話せばわかってくれる。ポルトの気持ちを理解しようとしてくれる。
一緒にいる時間が増えるほどに、ラバスはいいやつだという印象しかなくなる。実際、一生懸命で素直でいつでもポルトを思いやってくれるいいやつなのだ。
目の前で倒れて解体されている巨体とラバスが同じ生き物なのだと考えると混乱する。ラバスも元の体はこのようなものなのだろう。こんな姿形もサイズ感も生態も全く異なる生き物と、言葉を、心を交わし合うことができるなどと誰が思うだろうか。
そう考えるとラバスとのこの出会いはとても奇跡的なものなのかもしれない。
世の中には知らないことや一方的に思い込んでいることがたくさんある。ちゃんと事実を自分の手で掴み取りたい、正しい事を知りたいとポルトはそう思う。
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