第9話 冀求・1
目を覚ますと辺りは薄く闇が明けていく頃だった。小さくなった火のそばで座っていたラバスにおはようと声をかけると、彼はチラリとこちらを見て薄く笑った。
ラバスの睡眠時間はレダの時よりも短い。身体能力や回復能力が上がるのと同じように、睡眠も少なくて済む体に変化しているらしい。もともと地竜は人ほど長く睡眠を必要としないのだという。野生の生き物というのはそういうものなのかもしれない。
おかげで、夜は交代で番をするのだが、ポルトの方が長く睡眠を取れるようになった。体力の少ないポルトにとっては非常にありがたいことだ。
野生の生き物とはいえ、まだ赤ん坊であるオージはよく眠る。一番早くに眠りにつき一番遅くまで眠っている。昼寝もする。どんな生き物であれ、幼い頃はそうして成長するものだ。
「オージ、そろそろ起きて」
起こしてみてふと気付く。
「ねえラバス、なんかオージ大きくなってない?」
拾った時は両手の上にちょこんと乗る程度の大きさだったオージは、旅に出てからちょっとずつ大きくなっているなあとは思っていたが、今見るとウサギか痩せたネコかぐらいのサイズになっている。
「子どもの成長は早いからな。ゆっくりなのは人間ぐらいだ」
「にしても、昨日までは肩にちょこんと乗っかるぐらいだったのに今朝はもう自分で歩いて欲しいぐらいの感じじゃない?」
「地竜だって生まれて半年もすれば大人に近いような体格になる。天竜は最終形がもっと大きいのだから早く大きくなってもおかしくない」
「それもそうか…」
オージを拾ってからもう10日は経つ。そう考えれば成長は遅いぐらいかもしれない。このままどれぐらいのスピードで大きくなるのだろう。一緒にいられる期間はどれ程なのだろう。
目覚めたオージはポルトの顔を見てギャと小さく鳴いた。いつまでも赤ちゃんではない。きっとすぐにポルトを追い越してしまうのだろう。
今はまだ想像もできないけれど、いつか大きくなったら、ポルトたちを食らおうとすることもあるのだろうか。そんな気はなくとも、気付かぬうちに踏み潰されてしまうかもしれない。大人になればそれぐらいの体格差ができてしまうのだ。
やはりいつかは仲間のもとへ帰さなければいけないのだろうか。
昨夜の残り物の朝食を摂りながらもう一度地図を広げた。
「この川は渡れるところがあるのかなあ」
相変わらず川のせせらぎが近くから聞こえている。地図を見る限りこの川を渡らなければ目的の町にはたどり着けない。川の印である線はかなり長く伸びており、ちょこっと迂回すればいいようなものでもなさそうなのだ。渡れそうなポイントが書いてあるわけでもない。渡れる場所を探してこのまま川沿いに進むと一体どれだけの距離を余分に進まねばならないのだろうかと不安になる。
「このコースでブラドさんが移動した時間が書いてあるって事は行けないことはないはずなんだけど、あの人の事だからこの程度の川は普通に泳いで渡れちゃったりするのかもしれないよね」
水が嫌いで泳げないラバスと、泳げるけれど体力のないポルトと、飛ぶことのできない赤ちゃん天竜オージの3人では川を渡るなど到底無理な話だ。相当な浅瀬になるまで川を遡らなければいけないかもしれない。川の上流へ行くということはつまり山を登るということだ。ひょっとするとかなりの時間と体力を必要とすることになりかねない。
「ああ、多分だけど、そう遠くない場所に渡れるところがあると思うぞ」
ラバスが酸っぱそうな匂いのする果物をかじりながらぽつりと言う。ポルトは知らない果実であったが、ラバスの好物らしい。昨日自分で見つけていくつか採取していた。どうやら彼は肉よりも植物の方を好むようだ。
「なんでわかるの?偵察にでも行ってた?」
ポルトが寝ている間に辺りの様子を窺ってきたのだろうかと思ったが、ラバスは首を横に振る。
「あの人も俺と同じ元地竜だと思う。水が苦手なのは地竜の本能的なものだから、多分あの人だって同じだろう」
「え?ブラドさんが?そうなの!?」
「地竜の体でいた時に、仲間と遭遇すると感じる感覚があったんだが、それと似たような感覚がするんだ。だから多分そうだと思う」
驚いた。どう見てもブラドは普通の人間だった。ちょっと変わった人だという印象はあったものの、人間であることを疑う要素はひとつもなかった。目の前のラバスを見れば不可能なことではないのだろうが、ラバスみたいに人間のことを勉強する地竜が他にもいるとは思わなかったのだ。
しかし確かに、地竜だと思って考えれば、あの並外れた身体能力や睡眠の短さなども納得がいくし、町に寄り付かず森の中で暮らしているのもうなずける。
「なんで教えてくれなかったんだよ」
そうと知っていれば、彼から聞ける情報も違っていただろうに。
「あの時はまだ俺の正体を隠していたから」
そうだ、あの時はまだレダだと思っていた。ブラドが人の体を乗っ取った地竜だなどと、ラバスが言えるわけがない。なぜわかるのか理由が言えないし、ともすれば自分の正体もバレてしまうことになりかねない。
そう考えながら、ポルトはラバスがレダのふりをしていた事実を少し忘れかけていることに気付く。レダの真似をした立ち居振る舞いをしなくなったからということもあるかもしれないが、もうポルトの中でレダの見た目であってもラバスとしてしっかり認識している。時折ふとレダであると錯覚することはあるけれど、ラバスという存在を認めるにつれ、違和感は少なくなっていく。まるで初めからラバスがその容姿であったかのように。そもそも地竜であるラバスの姿は見たことがないのだ。違和感がなくなるのにそう時間はかからない。
そうしていつかレダのことをだんだん忘れていくのかもしれないと思うと怖いけれど、2人を混同して考えることはもっと嫌なのだ。ラバスはラバス、レダはレダだ。見た目に惑わされはしない。
ブラドも元は全く別の人間だったと思うと複雑な思いがする。ポルトはその人を知らないからその顔は初めからブラドのものだとしか思えないけれど、誰かにとっては違う人なのだ。だから彼は町に寄り付かないのかもしれない。
レダだって、これからは知らない誰かにラバスとして認識されてしまうのだろう。友としてはかなり複雑だ。
「そしたら向こうもラバスの正体をわかっていたということか」
「俺と同じ感覚がするならそういうことになるな」
わかっていたならば彼はポルトたちをどう思ったのだろう。ポルトがラバスに騙されているのだと気付いていたのだろうか。あるいはただ変わった組み合わせだなと思っただけだろうか。二人の関係について突っ込まれるようなことはなかったが、心の中ではいろいろと思うところもあったのかもしれない。けれど突っ込めば自分の正体も明かすことになりかねない。ラバスと同じく、分かっていても口に出せないことだったに違いない。
「ブラドさんもなんで教えてくれなかったんだよ」
口を尖らせてそう言ってみたものの、明かすわけがないことはわかっている。
「自ら人間に正体を明かすメリットは何もないからな」
人の体をしている以上、中身が地竜であると告げることは危険を生むだけだ。ラバスだってポルトが指摘しなければ明かすことはなかったのだろう。今でもレダだと思って一緒にいたかもしれない。そう思うといろんな意味で恐ろしい。
「ラバスは、後悔してんの?」
「いや。ポルトを悲しませたことと怒らせたことは反省するが、今はこうしていられることが嬉しいから後悔はしていない。俺が俺であることをやめずに人間と交流できるなんて夢にも思わなかった。ポルトのおかげだ」
真っ直ぐにそんなことを言われると少し照れ臭い。ポルトは誤魔化すようにリュックを開け、丁寧に地図をしまった。
「それはまあ、君の人徳ってやつかな」
「じんとく?」
「さあ行くよ。早いとこ川を渡ってしまわないとね」
ラバスは言葉の意味がよく理解できなかったようだが、ポルトは無視して立ち上がり、荷物を背負う。
オージがいつものように飛び乗ってくるのを押し留め、今日からオージも自分の足で歩こうねと促した。言葉をちゃんと理解しているのか、オージはポルトの足元に寄り添うように4本足で歩き始めた。きっと体力も付くだろう。いつかちゃんと飛べるようになるかもしれない。傷ついた方の翼は今でもうまくは動かないようであるけれど、歩きながら時折バランスを取るみたいに翼をバタつかせることもある。いいリハビリになるかもしれない。
しばらく上流へ向かって歩いていくと、水深がずいぶん浅くなり、川幅はまだそこそこあるものの、大きな岩が所々に顔を出すようになってきた。そして、その岩から岩へ倒木で橋渡しして対岸に渡れるようにしてある所を見つけた。これはブラドが作った橋だ。間違いない。
そしてブラドが地竜であるということもどうやら間違いなさそうだ。あれだけの身体能力を持ちながら彼は泳げない。ラバスと非常によく似ている。
ラバスが恐る恐る先頭を行き、橋の強度を確かめる。倒木はかなり頑丈で、しっかり固定もされているようだ。
そしてラバスに続いたポルトは途中で何度かバランスを崩して肝を冷やしたが、なんとか落ちることなく渡り切った。
最後にオージがぴょんぴょんと飛ぶような身軽さで駆け抜ける。
少し回り道はしたけれど、さほど時間のロスはなく目的地に向かえそうだ。
続く問題は、この先の地図に描かれている何だかよくわからない動物の絵だ。食料になる小動物の巣とかだったら大歓迎だが、危険な生物の生息地を警告するものだったなら大変だ。
正確な位置がわかるほどの精度を持った地図でもないので、警戒して進む以外に方法がない。それでも何も知らずにのほほんと歩くよりは良いので、貴重な情報である。
彼が地竜であったとしても、何を企んでいたとしても、ブラドが自分の作った地図をくれたということは感謝すべきことであるし、信用に値することだ。
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