第8話 蕩然・2

 ポルトがもたもたと木を降りるのを心配そうに見守った後、ラバスは身軽に飛び降りた。身体能力に優れたレダの体はさらに能力を上げたように感じた。治癒力も人間離れしていたが、地竜の魂が入ることで身体能力もアップするのだろうか。怪我の影響もほとんどなくなり、その体を自在に操っている。元の体とはサイズも構造もまるで違うというのに、よくもこんな上手に対応できるものだと少し感心する。ポルトがかつて目にしたもののように、獣のように四つ足で暴れ回る方が自然であると思うのだ。ラバスというこの地竜はきっとかなりの規格外なのだろう。


 さてどちらへ向かおうかと、ブラドにもらった地図を広げた。

 ここから西の方へ進むと当初商隊と一緒に向かうはずだった隣町ウェルムがある。ちなみにブラドの足では3日ほどの道程のようだが、おそらくポルトの足では5、6日はかかるのではないかと思われる。

 もう少し遠いが北東の方角には別の町もある。町の名は読めないのでよくわからないが、ブラドは何と言っていたか。エラルド、だっただろうか。

 選択肢としてはこの二つになるだろう。ウェルムに向かうにはこれまでと同様に森の端を進めばいいが、途中から森のない平原になる。この地図の距離感が正確なのであれば、これからの道程のおよそ三分の一が平原だ。平原ゾーンに入ってしまえば身を隠す場所がない。

 一方、エラルドに向かうには、森の深部に入らなければいけない。何かわからない妙な動物の絵が書いてある箇所もある。どちらがより危険だろうか。


「ねえ、ラバス。地竜は森の中に棲んでいるんだろう?この辺りのことはどれぐらい知ってる?」

「この辺りも通ったことはあると思うが、100年ぐらいはずっとポルトのいた町が見える丘の上からほとんど移動しなかったから、よくわからない」

「ちょっと待って、ラバスって何歳?」

「124」

「おじいちゃん?」

「いや、地竜の寿命は長い。俺はまだ若い方だ」

「そうなんだ。地竜の生態なんてきっと誰も調べたことがないんだな。どんな本にも載ってなかった」


 地竜は人の魂を食らうものとして恐れられるばかりで、それが一体どういう生き物であるのか解き明かされることはなかった。天竜に関しては、狩りのために研究されている部分も多いが、地竜は謎のままだ。森に棲み、人の魂を食らう、天竜よりは小さく空を飛ぶこともない竜である、というぐらいの知識しか人間は持ち合わせていない。


「100年ぐらい、俺はあの丘の上から人間を見ていた。だからあまり外の世界には詳しくない。役に立てなくてすまない」

「それでも森っていうのは君のフィールドなんだよね。使い勝手というか、生活の仕方がわかっているだろう?やっぱ平原に出るよりは森の中かなあ」

「平原に出るのは危険だ。俺でも天竜は倒せない」

 森の中だって危険に変わりはないと思うが、平原とは違って身を隠す場所がある。頭を使えば逃れることも可能である。戦うより逃れることに重点を置いて動きたいポルトにとって、そこが大きな違いだ。


「少し遠くはなるけど北東に向かおう」

 コンパスを見て、目的の方向を指し示した。森の奥は薄暗い。きっと陽が落ちて辺りが暗くなるのも早いだろう。なるべく早めに動いて、早い段階で寝床を探すべきだなと自分に言い聞かせて歩き出す。ラバスは黙って隣を歩き、オージはいつも通りポルトの右肩の上だ。


「ねえ、どうして人間を見ていたの?100年もずっと?」

 歩きながらポルトは気になったことを尋ねる。まずはラバスの事を知らなければ何も判断できないと思うからだ。

「人間は面白いから好きだ。人間関係というのが興味深い。地竜はひとりだ。他と関わりを持たない。人間の世界は毎日いろんなことが起こって刺激的で楽しい」

「見てるだけで100年も楽しめるもの?」

 夢中になる気持ちはポルトにもわからなくはない。何日も夢中で本を読んでいる時なんかは、きっとポルトもそんなふうに思われていたのかもしれない。しかし100年はあまりにも長い。時間の感覚が人間とは違うのだろうが、それでも1日の長さは同じはずなのだ。

「地竜は耳がいいから話もちゃんと聞こえる。自然と言葉も覚えた。一人一人の人生を追っていくと自分にも感情があるような気がした」

「感情はないの?」

「地竜にはあまりない。平坦で、つまらない」


 なるほど、彼は自分の世界が好きではなく、人の世界に憧れたのだ。地竜が人間に憧れることがあるなんて、想像したこともなかった。

 だからラバスは人のように振る舞い、会話にも困らず、レダのふりをすることすら可能だったのだ。狂人のようになるのが本来の地竜の振る舞いで、ラバスがそうならないのは人とはどんなものなのか知識があるからだ。人に興味があったからだ。


 地竜は獣のようで知性がない生き物だと思っていたがそうではなかった。ただ人の世界を知らないだけ。人の世界を学べば同じレベルで交流可能な生き物なのだと知った。

 もしかすると天竜もそうなのかもしれないと肩の上のちびっこにも思いを馳せる。


(僕は何もわかっていない)


 先入観で世界を縮めていたかもしれない。ポルトの知らない世界はまだまだたくさんある。これまでの常識なんて、人が勝手に作っただけのものだ。世界は広い。生きているのは人だけじゃない。人の世界だけで推し量っていいわけがない。


「地竜同士でも話をする?」

「あまり関わることがないからほとんどしないが可能ではある。通りすがりに言葉を交わすことぐらいはあった」

「言語はあるんだね」

「人間とは体の構造が違うから、人間が思う言葉の概念とは全然違うかもしれないが、音として自分の意思を伝え相手の意思を聞き取るというコミュニケーションの取り方は同じだ」

「そうなのかあ」


 面白い、と思い始めていた。途端に足元が疎かになる。

 飛び出した木の根に引っかかって転倒しそうになるのをラバスの腕が食い止めた。

「あ、ありがとう」

「ちゃんと足元をよく見て。森の中は障害物も多い。ほらそこ、少し崖になってるけどどうする?」


 目の前に3メートルほどの落差がある。ラバスならばぴょんと飛び降りてしまうのだろうがポルトは躊躇する。足場はありそうなので降りていくことは可能そうだが、落ちる予感しかしない。


「あの、ラバス、手を貸してくれる?」

「もちろん」

 ラバスは口元だけで笑った。あれは、嬉しいけれどなんでもないフリで格好付けるときのレダの癖だ。どうやらポルトに頼られることが嬉しいらしい。


 ラバスは自分が先に崖に取り付き、下から支えるような形でポルトを誘導してくれた。無事に降り切ると、ポルトの顔についた汚れを払ってくれる。

 ラバスは、なんというか、レダよりも過保護だ。人間は脆いものだとか思っているのかもしれない。確かに地竜は強靭そうだ。


「ポルトは地竜に興味がある?」

「知らない事を知るのは楽しい」

「そうだな」

「天竜も会話をするのかな」

 肩の上でおとなしくしているオージは時々ギャアと鳴き声を上げるが、何か喋っていたりするのだろうか。ポルトにわからないだけで、もしかしたらそれは言葉なのかもしれない。

 オージに聞いたって答えてくれるわけがなく、ただそんな想像をしてみただけだったのだけれど、思わぬところから返答がくる。

「するはずだが、この子はまだ赤ん坊だから喋らない。これは言葉ではなくただ声を出しているだけだ」

 ラバスだ。地竜は天竜の生態にも詳しいのだろうか。天竜の話まで聞けるとは思わなかった。

「天竜の言葉もわかるの?」

「同じ竜だ、体の構造はほとんど変わらない。発声方法は同じだ。ただ使う言葉は少し違う。遠くの町の人間がポルトとは少し違う言葉を話すのと似ている」

 つまり外国語みたいなものらしい。勉強すれば理解もできるし話すこともできる、そういう類のものなのだ。


 同じ竜という呼び名ではあるけれど、全然別の種族なのだと思っていた。しかし実際はかなり近しいもののようだ。


「それならちゃんとコミュニケーションを取ればいいのに、食うものと食われるものの関係なんだね。なんか気持ち的に複雑じゃない?」


 例えば人間が天竜を狩って食べる時、相手が同じ言葉を話すのだとしたら今と同じようにできるだろうか。ポルトにはとても無理だ。例えば外国人を見つけたからといって、言葉が通じないから殺してしまおうなんて思うだろうか。そんなことは絶対にない。それと同じような感覚が彼らにはないのだろうか。


「そういう事は考えたことがなかったな。ただ向こうの言葉がわかれば逃げるのに役立つかもしれないと思って注意して聞いたことはある。だから少しは天竜の言葉もわかる。俺だけかもしれないが」

「ラバスは勉強家なんだね」

「俺はおかしいだけだ。自分が食らう相手や食らわれる相手の言葉なんて覚えたって辛くなるだけだ。だから普通はしない。俺は人の魂は食らえない。俺が死んだほうがいいと思ってしまうから。生物としては失格だ」


 己を否定する言葉とは裏腹に、ラバスはどこか誇らしげに見えた。


(僕たちはとても似ているのかもしれない)


 自分の生きるべき世界ではうまく生きられず、自分のやりたいことは受け入れられず、自分なんてダメな奴だと思いながらも、自分を貫くことしかできない。そして、たった一人だけでいい、自分を認めてくれる人がいてくれれば、そんな自分を少し誇らしく思えるのだ。

 ポルトにとってそれはレダだった。ひとりきりだったというラバスにとって、今ポルトがその存在になりつつあるのかもしれない。

 ポルトにとっては憎むべき相手だというのに、知れば知るほど憎めなくなっていく。


(ああ、ラバスはレダを食ったりしていない)


 あの言葉に偽りはないのだとわかってしまうからいけない。むしろ死んで朽ちていくだけのレダの体を救ってくれたのではないかなんて思ってしまうからいけない。


 レダの体を奪いポルトを騙そうとしたことは動かしようもない事実なのだから。





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