第5話 初陣・2
「ポルトーっ!どこにいる、ポルトーっっ!」
負傷者や遺体が集められる中、慌てた様子で走り回るレダがいた。血相を変えるのも無理はない、ポルトとレダが先刻まで休憩していたその場所は完全に天竜の下敷きになっていたのだ。もたれていた大きな木は根元の方から無残に折れ曲がっている。あのままあそこにいたら、あるいはあの近辺に逃げ込んでいたら、ポルトの命はなかったかもしれない。
「ここだよ、レダ」
逃げ込んだ場所から動けずにいたポルトだったが、レダの声を聞くと不思議と体が動いた。穴から這い出て森から抜け出る。上空を眺めて天竜がいないことを確認すると拓けた道へ飛び出しレダの元へ駆け寄った。
「レダ、無事?」
「ああ、俺は何ともない。ポルトは?」
「僕も平気」
「俺の荷物も持ってってくれたのか」
「ああ、うん。荷物も無事でよかった」
「ポルトのリュックの中身も元気そうで何よりだ」
外の騒動が気になるのかリュックの中からオージのくぐもった声がする。幸いにも周りはバタついており、誰もそんな音を気に留めなかった。
「兄ちゃんいい腕してんなあ」
通りがかりの屈強な男がレダの背中を叩く。ポルトはオージの声を少しでも遠くへやろうという気持ちから、慌てて2、3歩後ずさりをした。その程度の距離で何が変わるわけでもないだろうが、人の心情とはそういうものだ。
「即戦力で十分いけるぜ。今いくつだ?」
けれど男の耳には届かなかったようで、ほっと胸をなでおろす。
「14です」
「それでまだ14か!?4年後どこまで成長してんのか楽しみだなあ」
がははと豪快に笑った男はちらりとポルトを見やる。今の今までご機嫌そうに笑っていたのとは別人のように冷たい目だった。
「そっちのチビは一人で逃げて隠れてたのか」
「身を守って何が悪いんですか」
レダは突き刺さる視線からポルトを守るように、その間に体を滑り込ませた。
「俺たちは一緒に行動させてもらってはいるけど商隊の人間じゃない。一緒に戦う義務はないし、荷馬車へ逃げ込める権利もない。死傷者を一人増やすより安全なところに身を隠した方が商隊に迷惑かからないだろうという判断です。非難を受けるいわれはありません」
レダの突きつけるど正論に、バチバチと二人の間で見えない火花が飛び散る。ポルトはたまらずレダを押し留めた。立ちはだかるレダを押しのけ、自ら男性の方へひょいと体を出す。
「僕、戦えないんで、ごめんなさい。でも治療はできます。手伝ってきます」
にっこりとよそ行きの笑顔を見せると、自分のリュックをレダに押し付けた。
「これお願いね。くれぐれも」
そして負傷者が集まる場所へと駆け寄っていく。
医療の経験などないけれど、旅に出ると決まってから数日、死ぬほど勉強をした。自分が生き抜くために一番必要なのはこれだと思ったのだ。戦うことで回避できないのなら、怪我を負っても逃げ延びさえすれば生きられるよう、回復の手段を持っておくべきだと考えた。最低限の道具で自分でもできそうなことは全て頭に叩き込んで一通り練習もしてきた。これならば人の役にも立てるはずだ。
専門的な医者は隊にはいない。皆が知識を持ち寄って応急処置をするだけだ。ポルトの付け焼き刃でもないよりはマシだろう。経験も積める。
手伝いますと飛び込んで一瞬後悔した。凄惨な現場だった。天竜に咥えられていたあの女性は、その体こそ取り返したものの、命はなかった。牙や爪であちこちを引き裂かれ、血にまみれたその体はもはや人の形をとどめていなかった。
それでも後悔したのは一瞬だけだった。まだ生きている人もいる。その命を救えるかもしれない。
頭をフル回転させろ。詰め込んだ知識を絞り出せ。
もともと、興味を持ったことを突き詰める作業は得意だった。記憶力も良い方だと思う。ただ発揮する方向が望まれるものとは違っていただけだ。動物図鑑とか鉱物図鑑とか糞の役にも立たない本を丸暗記したり、紙工作で糞の役にも立たないけれどものすごく精密な模型を作ってみたり、発揮する場所がおかしかっただけだ。決して能力が低いわけではない。たった数日だったけれど、完璧に頭に叩き込んだはずだ。焦らずアウトプットすればいいだけだ。
初めは言われたことを言われたようにやるだけだったが、慣れてくると自分で判断ができるようになり、やがて人に指示まで出せるようになっていた。軽傷も含め、100人ほどの隊のおよそ半数が怪我人だった。戦った男性はもちろんのこと、壊された荷馬車に乗っていた女性のほとんどが怪我をしていた。一人だけ逃げたと非難されるのも仕方がないような状況だった。
全てが落ち着いた頃にはもう日が傾き始めていた。もうすぐ初めての夜が来る。ポルトとレダは商隊がテントを張った場所からちょっとだけ離れたところに自分たちで簡易的なテントを立てていた。木の枝を組んで作った空間に大きな天幕をかけただけの簡素なものだ。それでも空間が狭くなれば少しは暖かい。テントの近くには火も焚いている。
レダと二人きりの空間にいると緊張の糸がほぐれる。オージが少しぐらい暴れたって問題ない。どこかに行ってしまわぬよう簡易的な柵で囲った空間をテントの中に作り、そこに放してある。オージはその中で今日一日の鬱憤を晴らすように走り回っていた。
初日から、怒涛の1日だった。
「まだ街を出て1日しか経ってないのか」
「おつかれだったな」
ポルトの筋肉痛でパンパンになった両足をマッサージしてくれていたレダが、ポルトを労うようにふわふわした髪を撫でる。
「ポルトがあんなことできるとは知らなかった」
マッサージを終えたレダは寄り添うようにポルトの隣に座ると、ぷうと頬を膨らます。あんなこととは、治療のことだろう。先ほど商隊の治療班に混ざってテキパキとこなしていたポルトをレダは驚きの表情でずっと見ていた。
「なんで怒るの」
「だって俺知らなかったもん」
ポルトのことなら何でも知っていると思っていたのだ。それぐらい、毎日一緒に遊んでいた。兄弟みたいに育った幼馴染なのだ。
「レダと会わなかったこの三日ぐらいで詰め込んだんだ。知らなくて当然だよ」
「マジか。ポルトのそういうとこ尊敬する」
「そんなこと言ってくれるのはレダだけだよ」
「そんなことない、みんな感心してた」
「レダの戦闘力もね」
「それは当然」
二人はふふふと笑いあって拳と拳をコツンとぶつけた。
「ポルト、さっきお姉さんに『よかったら荷馬車へどうぞ』って誘われてたろ?」
「ああ、うん。治療班の人でちょっとだけ仲良くなったんだ。だけど荷馬車に乗るのは女の人だけだろ?男はみんなテントじゃん。僕が行けるわけないよね」
「ポルトなら大丈夫なんじゃない?」
「大丈夫じゃないよ。オージだっているし」
「いいよなー。俺声かけられるの、いかついおっさんばっか」
「僕は知らないお姉さんよりレダと一緒にいる方がいい」
「俺もいかついおっさんよりポルトがいいな。こんなテントだけど案外居心地がいい」
「僕もそう思ってた。秘密基地みたいで結構ワクワクする」
「今はまだ商隊と一緒だからな。けどポルト、これからどうする?」
先ほど商隊の隊長から、被害甚大のため明日街へ引き返すという説明を受けた。隣街まではまだまだ先が長い。早く街で怪我人の治療をするには戻るほうが断然近いし、肝心の売り物も随分だめになってしまった。このまま進んでも意味がないという判断だ。
「どうするったって、そもそも街にいられないから出てきたわけだし、戻る選択肢はないんだよね。次の商隊がいつ出発するのかもわかんないし」
「王子様のために、しもべ二人はこのまま旅を続けますか」
どのみち商隊と一緒に行動できるのは隣街までだ。そこから先は二人で行動することになる。遅かれ早かれ、という話だ。怖くないと言えば嘘になるが、覚悟はある。
「ごめんね、レダ。いろいろ巻き込んで」
「今更だなあ、俺は14年間ずっとポルトに巻き込まれて生きてるのに」
「え、僕何かした?」
「してるしてる。ほら、さっき話したポルトのおばちゃんに超怒られた時だって、ポルトが地竜に食われたおっちゃんをどうしても見に行きたいとか言ってさ」
「そうだっけ?」
ポルトは忘れていたが、レダはその理由までしっかり覚えていたらしい。トラウマだというぐらいだからきっとものすごく心に刻まれているのだろう。申し訳ないことをした。
「そうだよ。近寄っちゃいけないって言われてるところに行きたがるのはたいていポルトだ。最終的にはなんかいつも俺がそそのかしたみたいな空気になるけどさ、言い出しっぺはだいたいポルトだし」
「そっかあ」
全く無自覚だったが、言われてみればそうかもしれない。ポルトは好奇心を抑えられない。話せばいつもレダはついてきてくれるし、それがポルトは嬉しかった。レダは決してポルトをバカにしない。ポルトの言うことがどんなに馬鹿げていたって、真剣に付き合ってくれる。一緒に楽しんでくれる。だから大好きだ。
「でもさ、俺はそれが楽しいんだ。今度はどんなとんでもないこと言い出すかなっていつも期待してる。今だって楽しくて仕方がない」
レダも同じ思いでいてくれることが、何よりも嬉しい。
「明日命があるかどうかもわかんないのに?」
「だから楽しいのさ」
「うわ、変態…」
あんなに簡単に人は死んでしまうのだと目の当たりにした。天竜の怖さも知った。
「生きてるって感じがするだろ?」
だけど同時に生きている喜びも実感した。
怖いから進む。
怖いから生きる。
「守るものがあると男の子は強くなるよって母さんに言われたんだ。だからオージを連れて行きなって。僕はレダも守るよ。強くなりたいから」
「俺も、ポルトとオージを守る。商隊が帰ることになったからっておっさんたちが武器をくれたんだ。狩りの最前線で使ってるすげーいいやつ、持ってっていいって。剣と槍と、あと弓も」
「それはまた随分気に入られたね」
「ムキムキのおっさんにばっかりモテるんだよなあ、俺」
「そんなことないよ、お姉さんたちの噂の的にも十分なってたよ」
「ほんと?え?どのお姉さん?」
「そんなことよりさ、弓ぐらい僕でも使えたりしないかな」
「そんなことじゃないよ。俺真剣よ?」
「だって、明日の朝にはお別れだよ」
「だよなー。じゃあポルトで我慢する」
ぎゅーっときつく抱きしめられる。そのまま絞め殺されそうな勢いで、息が詰まり咽せる。だけどポルトは甘んじてそれを受けた。レダの体が震えているのがわかったからだ。強がっているけれど、レダだって怖いのだ。初めての実戦で今までにない恐怖と興奮を味わっただろう。
自分の死の恐怖と、それから友を失う恐怖も。
何もかもが街の中とは違う。緊張感も桁違いだ。こんな風に落ち着いて気を抜くと途端に体が震え出す。そんな感覚はポルトだって同じだ。
それでもこうして抱きしめ合える相手がいればそのうち震えは止まる。穏やかな眠りにつける。互いの存在が救いになる。
初めての夜、二人は一枚の布にくるまって眠った。
———せめて君に穏やかな眠りを。
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