第5話 初陣・1

 ゆっくり進む荷馬車の列の最後尾をポルトとレダは歩いた。商隊の人間の多くが徒歩のため、進むスピードはさほど速くはない。けれど、体力のないポルトは遅れがちだった。ポルトが足を止める度にレダが手を引っ張ったり背中を押したりと助けてくれる。

「一人だったらと思うとぞっとするよ」

 きっとみるみるうちに商隊は遠ざかり、一人途方にくれていたに違いない。隣街なんて遥か彼方、どこかでのたれ死ぬか何かの餌になるかの二択だ。いずれにせよ待っているのは死のみだ。

「俺がいて良かったろ?」

「はい、レダ君ありがとうございます、本当に…」

 ポルトの体力の無さといったらそれはもう酷いものであるが、レダはレダで相当な体力おばけだと思う。ポルトを助けながら随分余計な体力を使っていると思うのだが、まるで疲れた様子がない。

「あの少し先に見える木陰まで行ったら一度休憩らしいぜ?」

 それどころかちょくちょく隊列の前の方まで行って情報収集までしてきてくれる。多分もうポルトの倍ぐらいの体力を消費していると思うのだ。それでも楽しそうにあちこちちょろちょろと動き回っている。

「休憩…ありがたい、ほんとに…」

 ポルトはすでにヘロヘロである。おそらくまだ目的の隣街までの行程のうち、10分の1にも満たない距離しか進んでいないだろう。母に聞いた話では、5日から一週間程度の道程らしい。初日でこれでは先が思いやられる。周りを見れば商隊に参加しているのは8割がた屈強な男性だし、女性は皆荷馬車の上だ。

「やっぱり無謀だったかなあ」

 早くもそんな後悔を胸に抱き、荷馬車が停車した休憩場所に何とかたどり着いた。



 拓けた荷馬車の通り道のすぐ脇まで森の木々が迫ってきている場所だ。荷馬車の外にいる人たちは木の影に入って休憩をとった。平地と森との境界線というのが一番人間にとっては安全なのだ。木に遮られて上空の天竜からは見えにくくなるし、拓けている場所には地竜もあまり近寄らない。


 ポルトは崩れるように地面に座り込み、大きな木の幹にもたれかかる。商隊の人たちの多くは輪になるようにしておしゃべりなどをしているようだが、そこに入っていけるような度胸はポルトにはなく、一番端っこにこそっといさせてもらっているといった感じになっている。商人の人たちとも、護衛隊の人たちとも、普段の生活で接することはほとんどなく、同じ小さな街で暮らすといえども顔見知りなどまったくいないのだ。親や先生に守られた小さな世界でのみ生きてきた子供なのだと実感する。


「水飲んどけよ」

 居心地の悪さを感じていたポルトの隣にくっつくような距離でレダが腰を下ろした。それだけで急に見知らぬ場所が見知った場所のように思えるから不思議だ。

「あ、でもあんま飲みすぎんなよ?体重くなるし、次どこで水を補給できるかもわからないからな」

「うん」

 すっかりお世話する人とされる人みたいな感じになってしまっている。もともと、周りから見れば劣等生のポルトを優等生のレダが面倒見ているという構図ではあったが、二人の間の力関係はだいたい対等だった。レダがポルトを見下すことはなかったし、ポルトもレダに引け目を感じるようなことはなかった。けれどそれは守られた世界だったからなのだと知る。体力や戦闘力がものをいう外の世界では、どうやったって力のないポルトは助けられるばかりになってしまうのだ。これではいけないと思うのだけれど、何をしたらいいのか、自分に何ができるのか、わからないポルトにはどうしようもない。いつか今度は自分がレダを助けられるように、成長しようとポルトは心に誓う。


「あら、仲良しね。兄弟かしら?」

 ふと横を通り過ぎた女性が二人を見て微笑ましそうに笑った。

「いえ、友達です」

「あらそうなの。頼もしいお兄ちゃんと思ったけど、そう、ごめんなさいね」

 少しばつが悪そうに手を振り、女性は去っていく。わざわざ通りがかりに声をかけてくれたのは彼女の優しさなのだと思う。けれど、そうはっきり言われるとヘコむ。

「同い年には見えないのかなあ」

「ポルトだってそのうちデカくなるさ。まだまだ成長期だろ?」

「そうだけど、レダだってまだ成長期じゃん。追いつく気がしないどころか離される一方だよ」

「うち父ちゃんデカいからな。ポルトはあれだ、おばちゃん似なんじゃん?おばちゃん超ちっちゃくて可愛いよな」

「それ僕の成長期すぐ終わっちゃうフラグじゃん」

「大丈夫、おばちゃんちっちゃいけどすげー強いから。なんていうか、精神的に?俺うちの母ちゃんよりポルトのおばちゃんのが怖い。昔超怒られたことあんじゃん。俺あれトラウマ」

 あれは多分まだ二人が5歳ぐらいの頃の話だ。なぜあんなに怒られたんだったかあまり内容は覚えていないけれど、二人一緒にポルトの母にこってりしぼられた記憶がある。普段あまり怒る人ではないだけにとても怖かったしとても反省した。

「僕もああなると?」

「ああいうしっかり者ともまた違うんだよなあ、ポルトは。なんだろう、わかんないけど、芯の強さみたいなのがあると思うんだ」

「それなんかの役に立つ?」

「わかんね」

「だよね」

 ポルトは大きくため息をつく。そしてふと思った。


「ところでさっきの女の人、どこへ行ったの?一人で隊から離れていったよね?大丈夫かな」

「さあ、トイレかなんかじゃねえの?一人になるなとはいうもののさすがに女が人前でできるものでもないだろ。すぐ戻ってくるさ」

「そうか…」

 それでも女性同士かたまって行けばいいのにと思いつつ、ポルトは水筒を取り出そうとリュックを開けた。

「ギャア!」

 途端、大きな声がしてポルトは慌ててリュックの蓋を閉じる。

「オージいたんだった。忘れてた」

 しかも、寝ている間にリュックに放り込まれずっと閉じ込められていたものだから随分ご機嫌ナナメのようだ。

 辛すぎてオージの事を考えるどころではなかったというのが正直なところだ。街の外へ出たとはいえ、商隊の中にいる限りはオージを自由にはできない。結局この後オージをどうしたらいいのか、何の策を練る余裕もなくここまできてしまった。とりあえずここに一緒にいさせてもらっている間は隠したままで何とかやり過ごそうと思っている。


 そっと周りを見回したが、幸い他の人からは少し離れて座っていたためその鳴き声に気付いた人はいないようだ。

「頼むよ、オージ。おとなしくしてて」

 少しだけリュックを開けて中を覗き込んでみると、ジタバタと暴れようとしている。

「外に出たい気持ちはわかるけど、今はダメなんだ。とりあえず水筒だけ取らせてよ。オージにも水あげるからさ」

 ポルトの言葉が理解できるわけはないのだけれど、小声で言いながらリュックに手を突っ込む。オージがその手を登ろうと爪を引っ掛けてきて痛い。それを何とかやり過ごして水筒を取り出したが、オージは大変不満だったらしく一際大きな声で抗議の一鳴きをした。


 さすがにこれはヤバイと思った次の瞬間、それを上回る悲鳴が辺りに響き渡った。一斉に隊がざわつき始め、男たちは武器を手に取る。

「女の声だ。もしかして、さっきの…?」

 ポルトとレダは顔を見合わせる。


 天竜だ、という声が遠くから聞こえる。

「俺も行く。ポルトはここで待ってろ」

 レダは自分のリュックをポルトに押し付けて飛び出していく。

「ねえ、武器余ってる?」

 荷馬車に避難するおばさんに声をかけたレダは予備の武器であると思われる槍を一本持って駆け出していった。ここから姿は見えないが、近くの木が不自然に揺れている場所がある。きっとあそこに天竜がいるのだろう。


 一人残されたポルトは、さっき取り出した水筒ごとオージをぎゅっとリュックの中に押し込み、背負った。

 僕も戦いに行くとは言えない現実があった。確実に足手まといにしかならないからだ。荷馬車に避難するおばさんたちと一緒だ。だけどポルトは荷馬車に入るわけにもいかない。


(状況を見極めろ)

 せめてあの人たちの迷惑にならないように。


 レダのリュックを腕にかけ、身を隠せる場所がないか辺りを見回す。

(僕の体と二人分のリュックが隠せるところ)

 木の影はたくさんある。けれどここは現場に近すぎる。戦い傷つけられた天竜が暴れたらひとたまりもない。


 少しだけ迷って、ポルトは拓けた道に飛び出した。荷馬車三台分ぐらいの幅の道を挟んだ向こう側もまた森になっている。そこに洞窟のようなものが見えたのだ。

 走りながら後ろを振り向く。木が大きく揺れ、メキメキと音を立てる。森が割れ、天竜の姿があらわになった。大きさは平均的な天竜より少し小さめだろうか。真っ黒な天竜の口には人のようなものが咥えられていた。

(さっきの女性だ)

 ふり乱されている髪の長さからしておそらく間違いないだろう。思わず目をそらし、そのまま道を走り抜けた。他の天竜に見つかる可能性もあったが、それよりもあの場で巻き込まれる可能性の方がはるかに高い。


 何とか無事に拓けた場所を走り抜け、向かいの森に入ったところで、ズシンと地を揺るがす大きな音がした。振り返れば立ち上る砂けむりの向こうに、倒れこむ黒い天竜の姿があった。

 雄叫びをあげながら武器を手に勇敢に戦う屈強な男たちの中にレダの姿がある。遠くからでもその動きでわかる。大人たちのような筋肉隆々な体格はないが、その代わりにスピードとしなやかさがある。本物の天竜と戦うのは初めてだというのに、レダはしっかりと活躍し、天竜にきっちりダメージを与えている。

 男たちの武器が天竜の体を刻むたび、大きな声をあげ、天竜はのたうちまわる。


「おい、まずいぞ、荷馬車を移動させろ!」

 怒鳴るような大きな声が聞こえた。暴れる竜の体は、先ほど隊が休憩していたまさにその場所を次々と破壊していく。

 指示を受け、すぐに荷馬車は動き出したけれど、逃げようとする天竜の翼が大きく羽ばたき、最後尾の荷馬車の幌を粉砕し吹き飛ばした。女性たちの悲鳴と馬のいななきが重なる。その破片はポルトのいるところまでバラバラと飛んできて、ポルトは慌てて目標の洞窟へと身を滑らせた。洞窟というよりは、大人二人も入ればいっぱいになってしまうぐらいの小さな岩の隙間といった感じだった。それでもくぼみになっているため降り注ぐ瓦礫からは十分身を守れる。


 戦っていた男たちの何人かが壊れた荷馬車の方に向かって走った。その隙を逃さず天竜は大きく羽ばたき空へと舞いあがる。

「くそっ、逃すか!」

「深追いはするな!それより荷馬車を早く!」

 パニック状態の馬が壊れた荷台を引きずり回している。


 天竜はあっという間に手の届かないところまで舞い上がり、傷を負った体でふらつきながら森の上空へと消えていった。


 暴走した馬車は男たちが何とか力尽くで止めて騒動は終結した。辺りが静かになり、その被害状況がまざまざと心に突き刺さる。

 これが外の世界の恐ろしさだ。生と死が常に隣り合わせにある。

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