第3話 迷い子
それはもう運命としか言い様がない出会いだった。
それは、お使い途中のポルトの目の前に落ちてきたのだ。
目の前を上から下に通り抜ける影。
慌てて足を止めたポルトの目の前ほんの十数センチ程度の所に、落ちてきたそれは横たわっていた。
(天竜の、子供…?)
それはポルトの両の手の上に乗ってしまうほど小さく、けれど大人達の狩りで見るあの翼ある形とまるで同じだった。
ミニチュアみたいなそれは真っ白な体をピクピクと震わせ、小さな声でカエルみたいに鳴いた。
(どこから…?)
天を仰ぐと、はるか上空、雲に隠れるようにして一匹の天竜が旋回しているのが見えた。
あそこから落ちて来たのだと瞬時に理解する。おそらく親があそこから落としてしまったのだ。
「あれは、君のお母さん?」
多分、この子はまだ生まれたばかりの赤ん坊で、自分で飛ぶ事が出来ないのだ。
そうしてあの上空からここへ落ちて来たのだ。
それでもきっと懸命に羽ばたいたのだろう。あの高さから落ちたにしてはダメージは少ないように見受けられる。
ポルトは屈んで天竜の子を抱き上げた。後ろ足と翼の辺りに出血が見られる。けれど元気はあるようで、ポルトの手の上でじたばたと暴れた。
「僕は、敵じゃないよ」
人間の言葉なんてわからないに決まっているのだけれど、そう声をかけて背中を撫でると、彼はおとなしくなった。
ポルトの手の上から高い空を見上げ、切なく一声鳴いた。
上空で旋回していた天竜は、けれど天敵である人間の街に降りるわけにもいかず、しばらくすると諦めたようにどこかへ飛び去っていってしまった。
「行っちゃったね、お母さん」
見捨てられてしまった自分の状況をわかっているのかいないのか、天竜の子はきょろきょろと周りを見回し、それから毛繕いでもするように自分の傷を舐めた。
(手当てしてあげなきゃ)
人間の薬が効くのかどうか知らないが、とりあえず家に連れて帰って傷の手当てをしてやろうと思ったその時だった。
「何してんだ、ポルト?」
背後から声をかけられ、ポルトはぴくりと身を震わせた。
人間にとって天竜は狩るもの。食べるためなのはもちろんだが、根本的には怖いから殺すのだ。村総出で狩ることは可能だが、人数が少なければ逆に食われてしまうし、そうでなくても体のサイズがこれだけ違うのだ、踏まれでもしたら簡単に死んでしまう。だからそれは本能的に排除すべきものであるのだ。たとえこんな傷付いた赤ん坊であろうとも、見つければ殺すと言う人も多いだろう。殺さないまでも、捨てて来いと言われてしまうだろう。手当てをしようなんて考えるのは、きっと自分ぐらいしかいないだろうと、そんな自覚はある。
胸元へこっそり隠しながら後ろを振り向くと、そこにいたのは濃紺の髪をした大親友、レダだった。
ポルトは胸を撫で下ろして、手の上の白い天竜をレダに見せた。
「レダ。あのね、空から天竜が落ちてきたんだ」
覗き込むようにして、レダは小さな天竜を観察する。
「まだ赤ん坊だな。怪我をしてるのか?」
聡明なレダはすぐに状況を把握して、天竜を隠すようにポルトの前に立った。辺りを見回すが、幸い他に人影はない。
「おまえ、これどうする気だ?」
声をひそめてレダが問う。
「とりあえず、手当てしてやろうと思って」
「竜に情をかけるのは掟に反する。情が移れば狩りの妨げになる」
「そんなこと知ってる。でも見殺しにするなんて僕には出来ないよ。怪我をしたまま放り出せば、間違いなくこの子は死ぬ」
「生き延びたところでまた人に狩られるだけかもしれない」
「そうだったとしても、今ここで死ぬのと同じじゃないよ」
ポルトの強い言葉にレダは小さくため息を一つこぼし、自分の上着を脱いでポルトの手の上の竜に被せた。
「見つからないように丘の上に連れていけ。すぐに薬を持って行ってやる」
「レダ!」
ポルトは目を輝かせて大きく頷いた。
レダは優しい。誰よりも真面目に掟をきっちり守って鍛練を続けるレダは、それでもいつだってポルトの気持ちを汲んでくれる。決まりごとに添えないポルトの思いを否定しない。
正しいことは一つではないと知っているのだ。
きっと広く世界が見えているのだ。
ただひたすらに言われるがままに生きているわけではない。レダにはレダの信念があって生きているのだ。だから強く、優しい。
ポルトはそんなレダを心から信頼している。
レダに任せれば何も問題ない。
ポルトはできるだけ急いで、けれど手の中の竜に衝撃を与えないようにそっと、レダといつも遊んでいる丘に走った。
街外れの丘の上の草原は、いつもポルト達以外に誰も寄り付かず、そこは二人だけの秘密基地のようなものだった。
草の上に腰を下ろしたポルトは、自分の膝の上に天竜の子を下ろし、じっくりと様子を窺う。
もしかしたら片方の翼は折れているのかもしれない。上手く閉じることが出来ず、ずっと中途半端に開いたままの形になっている。
足の方は爪が割れて出血しているだけで歩くのには問題なさそうだ。もっとも、赤ん坊なのでよちよち歩きではあるが、それは怪我の所為ではなく元々そんな歩き方なのだろうと思われる。
他にも擦り傷が幾つか見られたが、たいしたことはなさそうだ。
「おまえ、これからどうすんの?」
話し掛けられたのがわかるのか、金色の瞳がポルトを捉え、ギャオと小さく鳴いて答える。
一時的にはなんとでもなるが、このままずっとポルトがそばにいてやることはできないだろう。
あの親に再び出会うことが、一生のうちにあるだろうか。
「可哀相だな。まだこんなに小さいのに」
世の中の事なんて何も知らず、天敵である人の膝の上でこんなに優雅にくつろいでいる。
一人で生きていけるわけがない。
「とりあえず、名前付けてやるよ。おまえじゃ気の毒だ」
何がいいかなとあれこれ考え、そして決めた。
「オージだ。おまえは今日からオージ」
オージはその名前が気に入ったのか、それとも不満を口にしているのか、ポルトを見て一声鳴いた。
「ふぅん、オージか。天から授かった白い王子様ってわけか?そんなに高貴そうには見えねえけどな」
「レダ!」
息も切らさず丘を駆け上がってきたレダは、ポルトの隣に腰を下ろして、手にした木箱を膝の上で開いた。
「あれ?それうちの救急箱?」
「ああ、ついでにポルトが少し遅くなるって伝えておいた。お使いの途中なんだろ?」
「あ、そうだった。お使いなんてすっかり忘れてたよ」
レダは強い上によく気が回るのだ。気になることがあったらまっしぐらなポルトとは違って、いつだって周りが見えている。状況判断が的確で、ポルトはいつも助けられている。
「ありがとう、レダ」
「ポルトのおばちゃんもさすがわかってるよな。今度は何をしでかすのかって頭抱えてたぞ」
「しばらくオージをうちに置きたいって言ったら母さん怒るかな」
「さあ、どうだろう。おばちゃん、大概の事には動じなさそうだけどな」
「今までも掟やぶりはいろいろやってるからね」
傷口に薬を塗って包帯を巻いてやりながら、この後どうしようかと考えていた。
何とか生きさせてやりたい。
折れているらしい翼はどう処置したらいいものか良くわからず、固定するぐらいしか思い付かなくてぐるぐるとテーピングした。
飛べるようになるだろうか。
飛べずに生きていけるものなのだろうか。
「とりあえず母さんに話してみるよ」
「何かあったら言えよ?」
「うん、ありがとう」
手当ての終わったオージをもう一度レダの上着でくるんでポルトは家に向かった。
「上着は後で洗って返すよ。オージの血がだいぶ付いちゃったし」
「ああ、いつでもいいよ」
家の前でレダと別れ、玄関をくぐろうとしてふと思った。
(せめて買い物を済ませてからにすればよかったかな)
まだこれから店に向かう途中でオージが落ちてきたため、結局お使いは済ませられなかったのだ。
厄介ごとを持ち込んできた上に、用事も済ませていないポルトを母はどう思うだろうか。
(僕ってほんとダメだな)
自分で自分にため息をつく。
街に程近い小高い丘の上から、地竜ラバスがいつものように街を眺めていた。
「なんだ、あいつら、天竜のガキを拾ったのか」
お気に入りの少年二人の姿を見つけ、ラバスは耳を澄ませた。
上空の天竜の羽ばたく音を聞き取れるよう発達した地竜の鋭い聴覚は、ここからでも二人の会話を聞き取ることができる。長い間こうして人間を見て言葉を聞いているうちに、いつしか人の言葉も理解するようになっていた。
「人間が天竜を飼うのか?」
前代未聞の出来事に、ラバスは愉快そうに喉を鳴らした。
「やっぱり面白いな、あいつら」
親に放り出されないといいけれど、と思いつつ、少年の背中を見送った。
———運命の出会いは僕と君の未来を変える。
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