番外編/この想いが錆びないように

 拳と拳が、熱く強くぶつかり合う。近づいては離れ、一進一退の攻防を繰り返す二人の少女は、互いに不敵な笑みを浮かべていた。

 足首まで覆い隠す長い紺色のスカートが、夕暮れの風になびく。高校の制服をまとった数十人の少女たちが、二人の一騎打ちタイマンを見守り、時に野次や声援を飛ばす。

 川原かわらの土手は、不良たちの闘技場コロシアムと化している。彼女たちに囲まれた輪の中心での決闘は、プロレスのリングのようだった。

「やるじゃねえか、鉛筆。『強硬芯10H』とか呼ばれてやがるだけのことはあんな」

「フッ。貴様こそ、『血塗りの錆止め』の名は伊達だてではないな、防錆ぼうさびペン」

「だが――市内最強番長の座は、今日こそこのオレがいただくぜ!」

「望むところだ。私とて、容易たやすく譲る気はないぞ!」

 堂々と啖呵たんかを切り合い、二人は地を蹴って肉薄にくはくする。

 しかし、仲間たちは知っていた。

 鉛筆と防錆ペンが、互いに実力を認め合う好敵手ライバルであると同時に、一人の女としてかれ合ってもいることを――。


   ▼


「――っていう百合ユリネタを唐突に思いついたんだが、どうだろう」

「なんで!?」

 漫画原稿作業中、ちぃにいが真顔で語り出した新ネタに、わたしは思いきり突っこんだ。

 ネタが降ってくること自体はいいけど、設定と話の流れが意味不明イミフすぎる。我が家にある道具をモチーフにしたのはわかるけど。

「いやー、擬人化百合も萌えるけど、自分じゃ一度も描いたことないなって思い出してな。あとヤンキー百合も」

「それにしたって、方向性がぶっ飛びすぎてない?」

「とりあえず、忘れんうちにメモっとこう。連載が完結したら読切で描かせてもらえないかどうか、担当さんと交渉するぞ」

「担当さんも、いきなりそんなネタ振られても困るんじゃないの……」

 ちぃ兄の発想力にあきれながらも、わたしはふと思い出す。

 鉛筆をほとんど使わなくなったのは、いつからだろう。高校に入った今でも使う機会といえば、わたしが所属する美術部での作業や、ちぃ兄の漫画原稿作業の手伝いくらいだ。

 小学四年生くらいからは、周りもだんだんシャープペンシルをメインに使うようになっていったし、わたしもそうした。

 シャーペンのノックボタンをカチカチ押して芯を出すほうが、時間的にも楽だったから。

 でも、絵を描くときには2Bの鉛筆でデッサンをするし、色鉛筆で線画を塗ることもある。わたしにとっては、今も全然いらないわけじゃない。

 現役大学生でプロ漫画家として活動するちぃ兄も、ネームや下描きでは毎回鉛筆を使っている。

 今日もいつものように、ちぃ兄がペン入れした原稿に、わたしは消しゴムをかけていた。

「八ページまで終わったよ」

「おっ、さんきゅー」

 原稿を手渡せば、兄は微笑んで受け取る。デスクトップパソコンのスキャナーで取り込んだあと、ペンタブレットでさらに細かい作業をしていく。わたしたち兄妹の、定番の流れだ。

「やっぱ、絵を描くのは鉛筆のほうがやりやすいな」

「だね」

「シャーペンは文字を書くにはいいけど、絵を描くには向かん」

「筆圧強いもんね」

「漫画描き始めたばっかの頃は、芯もバキバキ折っちまってたっけなぁ」

 パソコンのグラフィックソフトの画面と向き合いながら、ちぃ兄はなつかしむ。

 やがて、全部のページに消しゴムをかけ終えてから、わたしはちぃ兄の鉛筆を削り始めた。ほんのささやかな労いとして。

 卓上鉛筆削り器の削り穴に先っぽを挿し込んで、ハンドルをくるくると回しながら削る作業が、昔から楽しかった。自動よりも手動のほうが、削っている実感があって好き。

 削り器の中にたまる削りカスは、自分がそれだけがんばった証だとも思える。勉強だったり、絵を描くことだったり。削るたびに短くなっていって、自分の握り拳より縮んだ鉛筆を見ると、ちょっと淋しいけど。


 鉛筆で書いた線の跡は、時間が経つにつれて、ちょっとずつ掠れてしまう。

 それでも、ちぃ兄とわたしにとっては、きっと錆止めみたいなものだ。

 自分がかき残す想いが、錆びついてしまわないように。

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八重口千尋はバズりたくない 蒼樹里緒 @aokirio

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