実験開始/四月一日 02
あたたかい陽射しを注ぐ太陽が、青空の真ん中に近づいてきていた。
高校の正門にたどり着いたわたしは、美術室へ続く廊下を早足で進む。制服の赤いネクタイも、歩き方に合わせて揺れた。
「すみません、遅れましたっ!」
息を整えながら謝ると、そろっていた部員たちが振り向く。
今月から三年生になる女子の一人が、困ったように微笑んだ。
「
「部長……はい、その通りです」
「ナンパもされた?」
「うん、ちょっとね」
同学年の友達も愉しそうに聞いてきて、わたしは苦笑いしてしまう。
いつものことだけど、道を聞くだけならともかく、ナンパは遠慮してほしい。どうにか逃げきれてよかった。
ここへ着くまでに、もう何回嘘をついちゃったんだろう、わたし。
きっちり数えるつもりなんて最初からないけど、想像するとちょっとへこむ。
「よし。じゃあ全員そろったことだし、始めるよー」
部長の言葉を合図に、わたしたちは美術室から自分の作品をそれぞれ運び出す。
美術部が毎年やっている学内展示のひとつ。入学式に列席していただく新入生や保護者の目や心を楽しませよう、っていう目的らしい。
わたしも自分の入学式当時は、絵を見ながら体育館に出入りできるのが幸せだった。
校舎自体も建て替えや塗装工事を頻繁にする予算がないらしくて、古傷や汚れの付いた壁や天井一面に、美術部員をはじめ一部の生徒たちが絵を描いて華やかにした過去もある。もともと芸術系に力を入れている校風だからこそ、実現できたことなんだろう。
わたしがこの展示用に描いたのは、水彩の風景画。家の近くにある公園で、桃の木が何本か植えられているところをスケッチして、家や美術室で色を足しながら完成させた。両親やちぃ
――新入生も、この絵を見てなにか感じてくれたらいいな。
そうして、展示作業はスムーズに進んで、予定より十五分くらい早く終わった。顧問の先生の指示で、その場で解散。部員たちは、すっきりした表情で美術室へ戻っていく。
わたしの隣を歩く友達が、ふと聞いてきた。
「百音、このあとはどうすんの」
「んー、どっかのお店でお昼食べようかな。手紙も書きたいし」
「そっか。あたしは用事あるから一緒には行けないんだけど、いいとこ知ってるよ」
「ほんと?」
「駅前の裏通りにある、『ジョアンズカフェ』っていうアンティークっぽい雰囲気のとこ。ドリンクとか料理とかもおいしいんだけど、名物はよく当たる占い師なんだよ」
「占い師?」
占いって聞いてすぐ思い浮かぶのは、雑誌やテレビの星占い、路上でたまに見かける手相占いくらいだ。
占い師に運勢とかを見てもらうことにも、そんなに興味はないけど。
「よく当たるって、その人に占ってもらったの?」
「うん。悩み事とか家族のこととかまで全部当たってて、すごかったよ。丁寧なアドバイスもくれたし」
「でも、そういう料金ってそれなりに高いんじゃないの」
「それがさ、初回はなんと税込五〇〇円」
「ごひゃ……っ!?」
――それはさすがにサービスしすぎなんじゃ……占いにも学割ってあるのかな……?
声が裏返りそうになったわたしに、友達はにやつきながら言う。
「だまされたと思って、占ってもらいなよ」
「んー……考えとく」
カフェは気になるけど、その占い師は実際に見てみないとなんとも言えない。怪しい雰囲気の人だったら、やめとこう。
――あ。もしかして、こういうあいまいな答え方も、嘘のうちに入っちゃうのかな……。
またやってしまったことにこっそりへこみながら、わたしは友達の話に耳をかたむけた。
▼
そしてやってきた、ジョアンズカフェ。高校最寄り駅近くの長い裏通りには、居酒屋やスナックバーが多いけど。外れのほうの一角に、目的のお店はぽつんとあった。
占い師効果で、お店の前には長蛇の列ができているのかなって予想したけど、そんなことは全然なかった。
白いチョークで英字の店名の書かれた黒板が、入口に看板代わりに立てられている。
リースの飾られたオシャレな木製のドアを開ければ、カランカラン、とベルが鳴った。
まず目に入った光景に、うわ、とわたしは声を漏らしそうになる。
うわさの占い師がいるのは、右奥のテーブル席みたいだ。入口から見て壁沿い縦一列に並んでいるのは、全員女の人みたい。十二、三人はいるかも。その中に、うちの学校の生徒は見当たらなかった。
店内は縦長っていうか、奥行きのある造りだ。
いくつかあるテーブル席には、ほかのお客さんもちらほらいる。占い目当ての人だけじゃなさそう。
――とりあえず、なにか頼もうっと。
左側のカウンターには、エプロンをしたおじいさんが立っている。眼鏡をかけた目で、わたしに優しく笑いかけてくれた。
「いらっしゃい」
「こ、こんにちは」
この人が店長さんなのかな。
いつもは有名チェーンのカフェやファーストフードショップに行くから、こういうお店に入るのはちょっと緊張する。
カウンターテーブルに貼られたメニューを見て、ミックスサンドイッチとアイスレモンティーを前払いで注文した。個人経営のお店だからか、やっぱりちょっと値段が高めだけど、高校生が払うのはきついってほどじゃないのが安心する。ランチセットだからお得だし。
――今日はカウンター席でもいいや。
占い師の姿も確かめようと、一番奥の椅子に座る。ちらっと後ろを振り返ると、テーブルを挟んで向かい合う男女が見えた。
わたしの中の占い師って、顔をベールで覆ったり、大きい水晶玉を使ったりするイメージがあったけど。女性客を占っている最中だろうその人は、そういうのとは全然ちがっていた。
濃いグレーのスーツをかっちり着こなした、洋画に出てきそうな、落ち着いた雰囲気のおじさんだ。四十代くらいに見える。占い師っていうよりも、カウンセラーっぽい。
穏やかな笑みを浮かべて、相手に熱心にアドバイスをしているみたい。会話の内容までは、さすがに聞き取れないけど。お客さんの手を握っているから、手相を見る占い師なのかも。
――あとで占ってもらおうかな……。
友達のうれしそうな表情や声も思い出して、その気になってきてしまう。財布にもちょうど五百円玉は入っているし、今日一回だけならきっとだいじょうぶ。
視線をカウンターに戻すと、近くの小さなテレビが目に入った。
『――舞台は来週末に千秋楽を控え、共演者の
思わず、口が『ア』のかたちに開いてしまう。
――お父さん、またテレビに映ってる。
バラエティ番組のエンタメ特集コーナーなんだろう。キラキラした衣装を着た役者さんたちのお芝居が、ダイジェスト風に流れている。
今出ている舞台も、ドラマとかで引っ張りだこの人気俳優さんが主演なんだって、お父さんから聞いていた。
ちぃ
お父さんの場合は、主にマスコミ関係者の目から家族を守りたい、っていうのが極秘にする一番の理由らしい。
「千尋も俺に似て男前なんだから、どうだ、役者を目指してみないか」
「いーや! オレは、女の子たちにきゅんとしてもらえる百合漫画を描く!」
そう二人がよく言い合っていたことを、今でも思い出す。ガチ親子ゲンカみたいな険悪さは、全然なかったけど。
「おしばいって、自分じゃないだれかのふりをするなら、うそをつくってことなんじゃないの?」
小学生のころ、わたしはお父さんに聞いてみたことがある。学芸会を何度か経験していても、演技の感覚がよくわからなくて。
お父さんは、微笑んで首を横に振った。
「実は逆なんだ。芝居は『嘘をつかない』んだよ」
「どうして?」
「確かに、仕事でのお父さんは、別人になりきるけどな。役になってる間に動くいろんな気持ちも、ちゃんとお父さんの中から自然に湧いてくるものなんだ。自分も昔こういう経験をしたなとか、こんな思いもしたなとか、役と似てる過去の記憶があふれてくる感じで」
その言葉も、聞いた当時は
役を表現する喜怒哀楽は、見せかけのつくりものなんかじゃなくて、ちゃんとお父さん自身の感情なんだって。
舞台の紹介が終わって、コーナーはべつの話題に切り替わった。
さて、文通相手への返信を書こう。
膝の上に置いた学生カバンを開けて、ボールペンや買ったばかりのレターセットを取り出す。
その時、注文したものをあのおじいさんが運んできてくれた。ナイスタイミング。
ミックスサンドイッチ三個はパンが厚切りで、レタスやキュウリはシャキシャキ、ベーコンはカリカリ、卵ペーストはふわふわ。
ストレートのアイスレモンティーも、サンドイッチに合ったすっきりさっぱりした冷たさと飲み心地で、友達が言ったとおりのおいしさだ。
お皿にも船着き場みたいな風景画が描かれていて、目も楽しませてくれる。
――おいしいものを食べながら、静かなお店で手紙が書けるなんて、幸せだなぁ。
財布の中身に余裕があるときは、ジョアンズカフェにもなるべく来よう。
桃の枝柄の便せんには、いつもどおりに家や学校での出来事、それについての自分の気持ちを書いていく。もちろん、授業中に取るノートよりもかなり丁寧な字を意識して。
一字一字にも書く人の想いがきちんと表れるから――っていうのは、書道教室の先生から教わったことだ。
手紙の文章で修正テープとかを使うのは嫌いだから、書きたい言葉を頭に思い浮かべて、それを心の中で復唱しながら書くようにしている。わたしなりに間違いをできる限り減らす、ささやかな努力だった。
メールやコミュニケーションアプリ『サクル』の文章よりもだいぶ時間はかかるけど、やっぱり楽しい。
サンドイッチの最後の一口を飲み込むのと同時に、キリのいいところまで書き終わった。
そろそろ、占いの列に並んでみよう。
カバンを肩にかけて、アイスレモンティーのグラスも持って席を立つ。サンドイッチのお皿は、カウンター席の回収棚にちゃんと置いた。
入店したときよりも人数は多少減っているけど、列自体が途切れることはないみたい。
とりあえず最後尾に並ぶと、前にいるOLっぽいお姉さんが、わたしに振り向いて申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい、ちょっとここ空けてもらっててもいい?」
「あ、はい」
わたしがうなずくと、お姉さんはカウンターへ歩いていく。おじいさんとやり取りをして、アイスティーのグラスを片手に戻ってきた。
「ありがとう」
「いえ」
――なるほど。待つ間に飲み物のおかわりをするのか。
占いの持ち時間が一人何分なのかは知らないけど、それ目当てのお客さんは喉も渇くだろうし、おかわりの代金をもらうお店側ももうかるし、win-winなのかも。
わたしは、パーカのポケットからスマートフォンを出した。画面に表示されたバッテリーのマークは、電池が半分くらい減ったことを示している。ここにいる間は、たぶんまだ
ストローでレモンティーをちびちび飲みながら、列が動くのを待った。やがて十分くらい経つと、前のお姉さんが占い師と向かい合う椅子に座って、お互いにしゃべり始める。一応、テーブルの前には衝立があるけど、話し声まできっちり遮られるわけじゃない。
お姉さんの相談内容を聞いてしまうのも悪い気がして、わたしはカバンから一冊の漫画を取り出した。読みながら待てば会話も耳には入らない、はず。
二か月前に発売されたばっかりの、ちぃ兄の初単行本。大手イラスト投稿SNS『
ピカリアに趣味で漫画をアップしていたら、それが閲覧者に大ウケして、ある日ネットで大盛り上がりになった。それがラッキーといえばラッキーだったのかも。今の担当編集者さんから、ちぃ兄は当時声をかけてもらっていたし。
ふと、スマホでピカリアを久々に見てみる。
――うわ、また閲覧数とブクマが増えてる。
ちぃ兄が高校時代に投稿した百合漫画のひとつは、今も根強い人気があるみたい。閲覧数はいつの間にか三〇〇万、ブックマーク数も五万を超えていた。ほかの投稿作も、すごい数字になっていそう。
ちぃ兄の絵は、少女漫画や読者層をしっかり意識しているやわらかい
ちぃ兄は編集部から単行本の
わたしは発売日からもう何回も読み返してはいるけど、ちぃ兄にはそのことを絶対言わないって決めている。本人が無駄に調子に乗りそうだから。
それでも、ちぃ兄があきらめないで夢を叶えたことは尊敬するし、妹として誇らしい。
集中して第一話を読み進めていると、不意に低い声に呼びかけられた。
「次の方、どうぞ」
「は、はいっ!」
ついに順番が回ってきた。あわてて単行本をしまって、わたしは
占い師のおじさんが、にっこりと迎えてくれた。
「ようこそ、お嬢さん。どうぞ、座って」
「はい。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げて、わたしは椅子に深く座った。
――よかった。ほんとに優しそうな人だ。
真正面で向き合っても、相手には近寄りづらい雰囲気は全然ない。
占い師さんは、テーブルの上で手を組み合わせて、わたしを穏やかに見つめる。
「君は、リーディングを受けるのは初めてだね?」
「リーディング……占いのことですか」
「うん」
「ええと、雑誌とかテレビとかの星占いならわりと見るんですけど。こうやって占い師さんに見ていただくのは、初めてです」
「そうか。もし何か
「わかりました」
最初にお客さんの緊張をこんなふうにほぐそうとしてくれるのも、プロって感じがする。
ほっとして、わたしは背筋を伸ばした。
「じゃあ、始めようか。ペンと紙を持ってるかい」
「はい」
「まずは、君の筆跡が見たいんだ。普段使い慣れた道具のほうが、エナジーが繊細に表れやすいんだが」
「そうなんですね。ちょっと待ってください」
「うん」
わたしはカバンを膝の上に置いて、中を探る。さっき手紙を書いていたボールペンと、小さいメモパッドを引っ張り出した。
「こういうのでだいじょうぶですか」
「ああ、充分だよ。そのメモを一枚切って、名前と生年月日を書いてくれるかい。名前の漢字は振り仮名付きでね」
「わかりました」
メモパッドからベージュ色のクラフト紙を一枚切り離して、指示された項目を書いていく。
――占いだし、本名のほうがいいんだよね、たぶん。姓名判断みたいなものなのかな。
濃いピンク色の水性インクが、わたしの名前と生年月日を紙に刻んだ。
「書けました」
「ありがとう。こっちにもらえるかな」
テーブルの上をそっと滑らせるようにして、わたしは紙を差し出す。
占い師さんは、それをじっと見ながら言った。
「少しの間、筆跡に込められたエナジーに集中させてもらうよ」
「はい」
真剣な表情で、占い師さんが深く息を吐く。いよいよ本格的に占いが始まる空気になってきた。
――文字からどんなことがわかるんだろう……。
まだちょっと緊張もするけど、わくわくしてくる。
何十秒か経って、占い師さんはゆっくりと顔を上げた。
「八重口
「はい」
「将来について悩みを抱えてるね?」
「あ……そうですね」
「君の筆跡は、とても綺麗だ。輝かしい未来へまっすぐ向かう光の筋が見える。でも、その光は途中で止まってしまってるんだ。たとえば、叶えたい大きな夢へたどり着こうとするのに、壁に阻まれてるような」
「……わたし、大人になったら、郵便局員か文房具のデザイナーになろうと思ってるんです。でも、どっちが自分に向いてるのかなって考えても、答えがなかなか出なくて」
「なるほど」
本当のことだ。小学生の頃からずっと目指している
家族も友達も応援してくれているけど、まだ決まらない。
「光の先端が二手に分かれかけてるのも見えたから、きっとその二択のことを示してたんだね」
納得するように、占い師さんがうなずく。
「ご家族やお友達は、何かアドバイスをしてくれてるかい」
「わたしが決めることだから自由に選ぶといい、どっちもうまくいきそうだ、とは言われてます。反対は全然されてません」
「そうか。確かに、そういう言い方も間違いじゃない。でも、好きにしろと言われると、本人は尚更悩んでしまいがちだからね」
「そうなんですよね……ほんとどうしようって思います」
将来について悩むわたしは、他人から見れば優柔不断なんだろう。いつまでもハッキリしないのが、自分でもちょっと気持ち悪い。
占い師さんが共感してくれるのが、今は小さな救いだった。
彼は、わたしを安心させるように微笑む。
「私のリーディングが、君の未来をより明確に指し示す手がかりになれると思う。手に触れさせてもらってもいいかな。どっちの手でも構わないよ」
「はい」
わたしがさっき見物した時と同じように、手相を見るんだろう。
左手をテーブルの上に置く。病院で点滴とか採血とかされるときみたいだな、なんてちょっと思ってしまった。
占い師さんの両手が、わたしの手をやんわりと包みこむ。骨張った感触にちょっとどきっとしたけど、あたたかい。ちぃ兄ともお父さんともちがう手。
「じゃあ、私がいいと言うまで目を
「わかりました」
「一回、深呼吸もしようか。……そう、そのままリラックスして」
わたしの手を支えるほうとは逆の手が、てのひらを繰り返しゆっくりと撫でていく。指先のひとつひとつが、てのひらに刻まれた筋を確かめていくみたいに。
――そういえば、あのときもちぃ兄に手を引いてもらって帰ったんだっけ……。
小学一年生の頃の出来事を、ふと思い出す。
近所の公園に植えられた桃の木を眺めるのも、わたしは昔から好きだった。
「満月の夜、あそこには一個だけ金色の桃の実がなるんだってさ。それを食うと、なんでも願い事がかなうとかなんとか」
楽しそうに語ったちぃ兄の言葉を、当時のわたしはすんなり信じきった。
家で夕飯を食べたあと、こっそり抜け出してひとりで公園へ歩いたのだ。
その日は朝からよく晴れて、真っ黒な空には、ちぃ兄の言った通りにまんまるの月が浮かんでいた。
街灯の光があっても、肌寒い夜道をひとりで進むのはちょっと怖かったし、いま考えても無茶なことをしたなって自分がバカらしくなるけど。冒険みたいでわくわくしたのは本当だ。
二十分くらいかかって、どうにか桃の木のところまで着いた。背伸びをしながら一本一本を回って、桃の実がなっているかどうかを確かめていったけど。
「金色のモモ、ない……」
何回見ても、細い枝には桃の花のつぼみがひっそりと付いているだけで。
だんだん、わたしの目は潤み始めた。悲しさが音になって口から飛び出る。
「おにいちゃんのうそつき!」
だれもいない公園に、自分の震える声だけがむなしく反響した。
「筆跡だけじゃない。君は本当に綺麗な手をしてるね」
占い師さんの言葉で、ハッと意識が戻った。
いけない。占いの最中なのに、すっかりべつのことを考えてしまった。
「指の長さや爪のかたち、弾力も申し分ない。肌も実になめらかだ」
でも、彼の声音はやけにうっとりした響きで。
思わず、指をこわばらせてしまう。
撫でる手の動きが、どんどん遅くなっている気がする。手相を確かめるっていうより、まるで――わたしの手そのものを触って楽しむみたいな。
――なんか、ヤバいかも……!
ぞくっと、そのとき初めて強い寒気がした。触られている腕にも、鳥肌が立つのがわかって。
逃げなきゃ、と
「あ、あの、わたし、急用を思い出したので――」
どうにかそんな苦しい言い訳を口にしても、占い師さんは解放してくれそうにない。
――だれか、助けて……ッ!
叫び出したくなっても、言葉が喉の奥に引っかかってしまう。
まぶたをさらにぎゅっと閉じた、その時。
バンッ、と。だれかがテーブルに手をつく音がした。
「――おい、おっさん。オレの大事な妹に、気安く触れるな」
聞き覚えのありすぎる、声。
おそるおそる開けたわたしの目には、横に立つ家族の姿が映りこんだ。
「ちぃ兄……?」
敵意をむき出しにして、兄は占い師さんをきつくにらんでいる。
相手も、いきなり割りこんできた背の高い男に、驚いているみたい。
「帰るぞ、百音」
背中にも手を添えて、ちぃ兄はわたしを立たせてくれる。やっと、占い師さんの手が離れた。
ちらっと目が合うと、ちぃ兄はいつも通りに優しく微笑む。もうだいじょうぶだ、って言いたげに。
なにか言おうとする占い師さんに、またちぃ兄の言葉のトゲが鋭く刺さる。
「釣りは
テーブルに叩きつけられた千円札が一枚、ひらりとはためく。
お客さんや店長さんの視線が集まるのを感じながら、わたしたちはジョアンズカフェを出た。
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