実験開始/四月一日 01
そして迎えた四月一日、エイプリルフール。
高校の制服を着たわたしは、左胸のポケットにワイヤレスピンマイクを付けた。
天気予報士いわく、最高気温は二十五度。ブレザーは無しでいいか。
桜色の薄いパーカを羽織るけど、マイクが隠れてしまうからファスナーは上げない。
今日行く美術部の用事とはべつに、制服を着ることで少なくとも自分の立場については正直に明かしておけるよ、っていう
なんだかんだ言っても、この世の中は嘘八百。そんなことはわかりきっている。
ただ、それでも。
――今日もわたしは、自分の気持ちにはできる限り正直でいたい!
ちぃ
「いいか、変な野郎に絡まれたら、すぐお兄ちゃんを呼ぶんだぞ!」
「はいはい……行ってきまーす」
ちぃ兄の決まり文句にあきれながら、マンションを後にする。エントランスから送り出してくれるのはいいけど。
腰まで伸びたストレートの黒髪とパーカの
▼
まず向かったのは、近くの大型商店街。
アーケードを歩くと、ガラス張りの高い屋根越しに、さわやかな朝の青空が見える。カフェやファーストフードショップからは、おいしそうなにおいが漂っていた。日曜だからか、あちこち買い物客でにぎわっているみたい。
いろんなお店が並ぶ中、わたしは『
「おはようございまーす」
「おっ、ももっち。いらっしゃい」
入口からあいさつすると、奥の会計カウンターから、ちょっとこもった声が返ってくる。
外はね気味の短い黒髪を軽く掻きながら、男性店員の細貝
顔の半分くらいをマスクですっぽりと覆って、眠そうな目でわたしを見下ろしてくるけど、怖い印象は全然ない。のほほんとした低い声のおかげかも。
「
「それもありますけど、レターセットも欲しいなって」
「ナイスタイミング。ももっちが好きそうなやつをいくつか入荷しといたから、見てってよ」
「やった! ありがとうございますっ」
実験のことで下がっていたテンションが、急上昇した。
うきうきしながら、こじんまりとした店内の棚のひとつへ近づく。文則さんの言うとおり、春らしい柄のレターセットが新しく五種類も並んでいた。
「うわー、どれもかわいい。悩む……!」
「そういうのも今時百均で買えるのに、わざわざうちで買ってくれて助かるよ。いつもほんとありがとね」
「いえいえー。百均のもかわいいデザインが増えてますけど、あれだと便せんの量が足りないなって思っちゃって」
うれしそうな文則さんに、わたしも笑って答える。
「んー……じゃあ、今日はこれにしようかな」
悩みに悩んで、一組のレターセットを手に取った。
封筒も便せんも、白地の上下左右の縁を、あざやかなピンク色の桃の枝や花びらが取り囲んでいる柄。
「例の文通相手とは、今も続いてんの」
「はい。けっこうまめに返信をくれる人なので、わたしも手紙を書くのが楽しいです」
「そりゃ何よりだ。今はアプリとかSNS全盛期だけど、ももっちの手紙への愛が、おれも好きだよ」
わたしが生まれた時からパソコンや携帯電話は普通にあって、インターネットも普及していたから、連絡手段やコミュニケーションがネットメインになるのはわかる。便利だし、個人情報の問題もあるし。
それでも、わたしは手紙や
パソコンやスマートフォンで打つ文章なんて、短時間のちょっとした連絡とか、授業のレポートとかの一部の必要な書類だけで充分。
ちぃ兄から頼まれた漫画用原稿用紙やペン先も一緒に買って、文則さんに会計してもらう。
仕事用のエプロンと、黒い
「文則さん、今年も花粉症だいじょうぶですか」
「薬は飲んでるけど、まぁきついわ。職業性
「あはは……お大事に」
「うん。――はい、お釣り。領収書の宛名は、千尋のペンネームでいいんだっけ」
「はい。ありがとうございます」
「ももっちは、制服着てるってことは学校に用事あんの」
「そうなんですよ。入学式の日に、体育館までの廊下に絵を展示するので、その準備をしに」
「へー」
――よし。文則さんには、このまま嘘をつかなくて済むかも!
おつりを財布にしまいながら、こっそりにんまりと口元をゆるませる。
けど、その直後。
「そのポケットにつけてるやつ、何?」
文則さんの目が、ワイヤレスピンマイクを見つけてしまった。
――あぁー!
頭を抱えたくなる。
気づかないでほしかったです、文則さん。
横の髪を留めている桃色のヘアピンを、わたしは指でいじる。いつもこめかみくらいの位置に付けているけど、それを直すふりをして答えた。
「ええと、放送委員の友達が、新入生向けに在校生のインタビュー映像を撮りたいとかで、マイクの性能チェックを頼まれたんです」
「へー。高校生もそういうマイク使うのか。さすが私立」
あらかじめ考えておいた、実験をカモフラージュする理由のひとつ。
文則さんはすんなり信じてくれたけど、やっぱり申し訳ない。ごめんなさい。
――早速嘘ついちゃった……。でも、これもお金のため……!
割り切らないと、やっていられない。
「ももっちは美少女だし、インタビューなんか撮ったら、新入生男子がクラスに殺到すんじゃね?」
「そうならないように祈ります……」
そんな事態になったら、ちぃ兄がなにをやらかすか想像するだけで不安すぎる。
「千尋のやつも、おれが認めるくらいの本物イケメンなのになぁ。なんで過保護シスコンっつー残念属性が付いちまったのか」
「文則さんだって、マスクを外して髪も整えればかっこいいと思いますよ」
保育園時代から遊んでもらったりしてお世話になっているわたしの、嘘偽りない本心の言葉だ。
文則さんは、まんざらでもなさそうに頭を掻いた。
「ガチ正直者のももっちがそう言ってくれるだけで、おっさんはうれしいよ」
「文則さんもお若いじゃないですか」
「いやぁ、君らJKから見りゃ、三十三歳独身野郎も『おっさん』の範囲っしょ」
長い指が、領収書を差し出してくれる。
会釈して、わたしは細貝文具店を出た。
▼
駅へ歩きながら、スマホに付けておいたイヤホンを耳に当てる。マイクが拾う周りの人の話し声とか、近くのお店から流れるBGMとかもかすかに聞こえた。今のところは、正常に録音できているってことだろう。
アプリを起動しっ放しだと電池も減りやすいだろうからって、春原さんはモバイルバッテリーまで支給してくれた。
研究のためだからって、どんだけお金をかけているんだろう。すごすぎる。
彼の大学生らしくない経済力が気になりながらも、駅の改札口をくぐった。
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