>Ⅴ
月明かりの下の、刹那のタイムスリップ。
私と
「なら、ココア、入れてくるから待ってて」
「…うん…ありがとう、お兄ちゃん」
最後の方は、わざと、窓が閉まった後に声にした。
まだ、その時に終わって欲しくなかったから。
そうして私は窓に背を向けて、テラスのヘリに寄りかかって月を見上げる。
懐かしいことに、思いを馳せてみたくなった。
私、遠藤
物心ついたときにはすでに、玲が隣にいた。常に忙しい両親に変わって、まるで自分を殺す様にずっとそばにいてくれた。
歳は、2つしか離れていないのに、中学ぐらいまでは私なんかよりもずっと大人だった。
小学生の時。
多忙な両親が私の授業参観に来れないことが発覚したときに、兄は学校を休んだ。二年上の教室で同じ様に授業参観があるにも関わらずだ。
そして、私のクラスに保護者として来た。事情を知っている教師たちもそれを見て見ぬふりをした。嬉しかったけど、二度とやるなと忠告したら二年続けてきやがったのが私の兄だ。
その二年目にも授業参観に父兄としてきた兄がいたから、翌年には私も学校に行けなくなってやると思って小学校三年生の時にオーディション受けたら、あっさり受かって、そこからモデルをやっている。きっかけは、兄だった。そういう形で私に惨めな思いをさせない様に、という気遣いも、それゆえに父兄として参加してくれるのは明確にはっきりと、ちゃんと嬉しかったのだけれど、そうでなくて、それ以上に、自分のことを棚に上げすぎることが嫌だった。私ばっかりが、守られているのが、気に食わなかった。ただの子供の、密かに起こっている兄弟喧嘩みたいなレベルだった。けれど、甘えないといけない部分があるのも確かだったから、飲み込むことも覚えた。それが食事とか、家事。二人分とか四人分になるから、私だけのためにやってるわけじゃないって納得させていた。
そんな兄が、私の中で兄でなくなったのは、私がモデルになって一年と少しを過ぎた小学校四年生から五年生に上がる三月のことだった。
正直、軽蔑して、怒って、呆れて、悲しかった。
それを見るまでは兄だったのに。
それを見た一秒先から、玲ちゃんになった。
卒業文集の必須課題。
将来の夢の欄が、空欄だったのだ。
いくら何を考えても、全然何も書けなくて、結局そこだけ白紙で提出したんだ、とあっけらかんと言いやがった玲ちゃん。
小学五年になろうという年下の妹が、信じられなくてリビングで発狂した。手当たり次第にsの辺の物を投げつけてしまった。いろんな感情で、壊れそうだった。正直、痛めつけていた時間の記憶はないけど、疲れて止めたときに玲ちゃんが床にぐったりと倒れていて慌てて救急車を呼んだ。
結果、2週間の入院を経験した。さらにその結果、中学デビューを2週間遅らせたのは妹の茗だ。
でも、その件だけは、謝っていない。
許さない。
あんなこと、絶対に許さない。
あとで考えれば自分の所為だったのだけど、それだけは今でも、全然許していない。
何故なのかは、自分なりにわかっている。こういうことを他人の所為にできない玲ちゃんには確認なんてできないけど。
普段両親のいない家で二人で。
生活を維持するのに家の中でやることが山ほどあって、妹はあてにならない。そんな中でいろいろなことを自分一人でやりこなしていく生活に追われていて、好きなことも遊びも、覚えないままで時間が過ぎていってしまった。何かを楽しい感じることも、素敵な何かに憧れることもろくに覚えないままで中学まで行くことになってしまった結果、彼の小学校の卒業文集の将来の夢の欄は空欄なのだ。
幼かった私は、一方的に自分の所為だと思い込んだ。
結局は、特殊な家庭環境の所為なのに、だ。無知とは怖い。私はそれしか思えなくなってしまったのだ。結果、私は勝手に自分のことを、勝手に自分一人でやる様になってしまって、それまで全部を背負ってくれていた玲ちゃんを一方的に一人にした。
それに耐えたられなかった、と後で聞いたけど、結果他人を求めた玲ちゃんは、高校で最悪な女に引っかかってしまって、こっぴどい思い出を刻んでしまい、心が凍りついてしまった。
トンネルっていうのは、この時期のことだ。
その最後の日は、雨に打たれてずぶ濡れで帰ってきて、速攻で風呂にぶち込んだのを覚えている。多分、最後に一緒にお風呂に入ったのはそれが最後だろう。彼が高校一年、私が中二の時だった。
恥ずかしさも何もなかった。ただ、どんどんどんどん冷えていく玲ちゃんの体が怖くて、知恵のない私はこのまま死んでしまうのではないかと思って、それこそ本当に死ぬほど怖かった。あんな絶望は後にも先にも覚えがない。私のわがままで一人にしてしまったのに。他人に甘えようとしたきっかけを作ってしまったのは、紛れもなく私のわがままなのに。
それでも、私の最後のわがままで、玲ちゃんを失うのが怖くて怖くて仕方なかったのだ。
もちろん高熱を上げ、学校なんてガン無視で看病した。時折帰ってくる両親に病院に連れて行ってもらって、自宅での看病はアドバイスをもらいながら。今思えばずぶ濡れで帰ってきた日から数えてたった4日くらいの間だったんだけど、地獄にも等しい時間だった。
こんなことになるなら、もっとちゃんと仲良くしていればよかったって、多分今だに一番の私の後悔、だろう。
しかし、このことがきっかけで、私と玲ちゃんは一気に仲を回復した。
なぜならば。
私もモロにその風邪をうつされたからだ。
玲ちゃんの看病は完璧で、朦朧とする私は、それまでの確執や意地を無視できるのは風邪の勢い、と踏んでめっちゃくちゃに甘えまくった。結果、関係性はその頃から今に至るまで、若干の形は変えつつだけれど、継続している。
だから。
夢の話は半殺しにしたから禁句だし、その話になると、私は反射的にお兄ちゃんと呼んでしまう。
それを、玲ちゃんはしっかり覚えていてくれるから、タチが悪いけど。
この一連の流れのせいで、玲ちゃんという存在は私の中で誰よりも大きくなる。
きっと、のーのちゃんの件で私が色々入れ知恵しているために、玲ちゃんは私がどんな経験をしてきたんだって思ってるかもしれないけど、正直、彼氏なんていたことは一瞬もない。なぜかといえば興味がないというのと、生まれてこのかた、好きな人がいなかった瞬間なんてなかったからだ。
誰も、玲ちゃんを超えることなんてできなかった。その想像すらできない。玲ちゃん以上に好きになる人なんて、この宇宙に存在していない。断言できる。きっと100歳になっても、玲ちゃんは、私の一番であり続ける。
恋愛は家族を作る、なんて偉そうに説教しておいておい、って感じだけど、私は玲ちゃん以上に、その家族を作る可能性が低い。近親相姦じゃ家族は作れないからだ。私が玲ちゃんに吹き込んでいる知識は、あくまで机上の空論だったり、玲ちゃんと赤の他人だった場合の妄想を経験値としているに過ぎない。のーのちゃんとうまく行ってしまえば、そのメッキはきっと剥がれてしまうけど、それでもいいやと思ってやっている。
だから。
さっきの彼の夢の話で、泣いてしまった。
かつて私が否定した彼の空白の夢ができて、空白でなくなっていたことと、その夢に、私がいたこと。
これ以上に、玲ちゃんを好きでいてよかったと思ったこともなかった。
おめでとうだね。お兄ちゃん。
「茗。ココア持ってきたよーう」
暢気な声で玲ちゃんが戻ってきた。
「あ、ありがと玲ちゃん」
「そんな出っ放しで寒いだろ。ほらこれ」
と、脇に挟んだものを顎で指してくる。
「ん?あ」
「ブランケット。まだそこいるんだろ。僕も出るけどさ」
「ありがと。さっすが玲ちゃん」
「いえいえ」
ブランケット受け取って、肩から羽織る。
「玲ちゃんも入る?」
「え、いいよ」
「いや、入ろう」
「いいって」
「入れ」
「はい」
二人並んでくるまる形になる。
落ち着いて、ココアに一口つけると、熱すぎない、いい温度だった。
「おいし」
「であろう。感謝したまえ」
「えらそー」
「淹れてきたことに関しては偉いだろよ」
「んー。まあそうかな。褒めてつかわす」
「へいへい」
そこまで話して、今度は二人揃ってココアを飲む。
「「ふー」」
揃ってため息をついた。
「玲ちゃん」
「ん?」
「一回しか言わないから、ちゃんと聞いてね」
「何」
「大好きだよ。……のーのちゃんいなくても、私がいるから大丈夫だからね」
「………うーん」
「なに」
「なんか、女の子っぽくてきもちわ」
「ごるあ」
「ごめんなさい」
「まったく」
「……ありがとう、茗。そうだな。茗もいれば、みんないるしな」
「でも、うまくいく気がしてる。あんなに絶対零度に凍っていた玲ちゃんを溶かした人が、悪い人なわけない気がするもん。もし会うことがあったら、ちゃんと紹介してよー?」
「あったらって。うまく行ったら、真っ先に会わせるよ」
「…嬉しいけどそれはそれでなんだかなぁ」
「なんでだよ」
「私も彼氏作ろうかなぁ」
「え?いないの?」
「いないよう。そんな話したことないでしょ。今まで一回もない。いたら絶対玲ちゃんには自慢してるもん」
「……確かに。え?嘘?じゃあ、ずっといないの?」
「今までできたことない。玲ちゃんで手一杯」
「うそー……」
「本当。だから、のーのちゃんと付き合えても、時々私の彼氏もやってよね」
「どういうキャスティングだよオイ」
「いいじゃん別に。何するわけじゃないんだから」
「…まあ、そうだな。そのごっこ遊びは面白そうではある」
「でしょー?」
「いや待てまじで言ってんのか」
「まじだよーん」
こんな会話ができるようになったのも玲ちゃんの成長と、山﨑さんの人柄だろう。ほんの少しだけ、私が諦めなかったことが力になってくれていると嬉しいな、と思う。
「そろそろ入んない?」
「そうだね」
「あ、明日何時に出るの?家」
「9時くらい」
「OK。風呂準備すんね」
「苦しゅうない。久しぶりに一緒入る?」
「大学生の妹と?」
「ありじゃん。禁断系」
「なくない?」
「疑問形かよ!」
「ねえわ」
「ありって言われたら軽蔑してた」
「であろうな」
こういう、どうしようもないやり取りができるだけで、勝手に幸せになっている私は、きっともうしばらく、彼に恋しているままなんだろうな。
二人で家の中に戻りながら、そんなことを考える。
満月め。やりやがって。
明日が、すごくめちゃくちゃに楽しみだ。
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