>Ⅱ
別に眠る時間でもないのに、遠藤家の一軒家の中で割り当てられた自分の部屋でベッドに仰向けになっている日曜の夜。
両親は共に芸能界で働いていてそれぞれ馬鹿みたいに多忙故、全員が揃うことなんてなかなかないレアイベントである我が家に、家族団欒なんていう文化は根付いていない。せいぜい突発的なイベント程度の扱いになっている。
というわけで、日曜の20時を過ぎて、あとは風呂に入るぐらいかというところまで生活が済んだので、部屋で一休みしていた。普段なら、というか、一ヶ月くらい前ならこんなだらけていることはなかった。
僕を、ある意味で怠けさせているのは、およそ春頃から抱えているとある悩みのせいだ。
そしてそれが、得も言われない形だったところから、悩みというものなのだと自覚したのがここ一ヶ月なのだ。誰かに相談することに踏ん切りがつかないのも甘く見て看過して欲しい。
しかし。
いい加減、誰かに頼りたくなってきてしまって。そういうときに真っ先に思い浮かぶのが二つ下の妹、というのは、世間的にどうなのだろう?おかしいのだろうか。それが分からないからなんとも言えないけれど、僕にとっては最高の相談相手であることは間違い無いのだ。
過去いくつかの相談実績はあるものの個人情報流出の痕跡は僅かにもない。結果も伴っているし、他人に対して口は硬い。僕に対して言いたいことはあっけらかんとした上から目線でこれ以上ないくらいズタズタに言ってくれる。そこは一切気を使ってくれない。それ故に傷つくこともあるけれども、総合結果としてスッキリするから、思わず頼ってしまうのが、こういう時は頼りになる存在でもあった。
それを、いよいよ今夜繰り出すかどうか迷っていいるのだ。
どうするかなぁ。今日妹は仕事にも出ておらず部屋にいるし、時間も早いし、ということは話す時間はあるのでその意味ではチャンスであるんだけど、正直いい加減羞恥心を覚えなくもない。こんなことがばれたら、なに一丁前にプライド持ってるんだ、とか言われそうだな。だからなぁ。
と、そんなことで迷っていたら、部屋の扉がノックされた。
ん?父か母が帰ってきたのか?と思ったら、違った。なぜならそのままドアノブが動き、僕の部屋のドアが開いたからだ。両親は開ける前に声をかけてくれる。無言なのは、彼女しかいない。
「お?
「あのさ、
こういうとき、本当にこいつはいい女だと思う。あと同じくらい怖い女だと思う。
「…はい」
「従順でよろしい。ほら、早く。一緒行こ」
「……うーん」
「玲ちゃん?」
怖い。
「はい!」
二人揃ってリビングに降りてきた。妹の茗はソファにドスッと腰を下ろしてクッションを抱える。
僕は一路キッチンに行って冷蔵庫の扉を開く。
「さすが。牛乳買ってきてたんだ」
「茗これしか飲まないじゃん。ゆっくりやるから、ちょっと待っててな」
お湯を沸かして粉ココアを溶かしても納得しない。ホットミルクでないと飲まないのだ。
「なら作りながら話そうよ。あ、そういえばクッキーあった!玲ちゃんはコーヒー?」
「んー。いや、同じココアにしよう」
「イェーイ。で?なにがあったの?誰か好きになったんでしょ?付き合ってないでしょ?どんな関係?可愛い?私知らないよね?大学?バイト先?幾つ?どんな人?」
「いつも通りだからいつも通りのこと言うけど、好きにはなったはずなんだけど、付き合ってなんているわけないし、ただの同期だし、可愛いのは認めるし、茗は知らないし、大学だし、同い年のはずだし、どんな人かは図りかねてる!これでいいか!」
浅い鍋に牛乳をゆっくり泡が立たないように入れて、弱火のコンロにかけた頃には言い終わっていた。
「はいま添削ー。まず、好きになったはず、ってなに?そんなに考えてるなら好きになってるんでしょ?もう動かぬ証拠じゃん」
「あーまぁなぁ。そうなのかなぁ」
固まらないように、鍋の中で暖まっていくミルクを木のヘラでくゆらせながらぼんやり答える。
「玲ちゃんは他人のことばっかりすぎるんだよ。いつも言うけどさ。もう少しわがままになっていいと思うっていうレベルじゃない。少しくらいわがままにならないと不幸になる。そんなの絶対許さないからね」
「へいへい」
「おいこら」
「はいすみません」
「よし。で、わかってる範囲でいいからどんな人なの?」
「どんな人…むぅ」
「ゆっくりでいいからなるべく正確にプリーズ」
「お、おけ」
そう言われて、変わらずミルクを混ぜながら改めて考える。
こういうとき、妹の茗の手にはスマホがない。雑誌もない。何か、しながらで聞くつもりがないのだろう。なぜなのかはわからない。
揺蕩うミルクを見ながら思考を揉んでみる。
「んー…」
「お?」
「…素敵な人」
「それで私がわかると思ってるの?」
「いやすまん。えーと、あえて言うならば……うーんと」
「あ、いいや。要はろくにコミュニケーション取れてないんでしょう?ならばなぜ惚れたのかそのきっかけをプリーズ」
…恥ずかしすぎる質問をよくもこの妹はなんの臆面もなく実の兄に聞いてくるなんて、どんな妹だ全くちくしょういっそのこと
「いいから。ほら」
え?テレパシー?
「えーっと、あれだ。なんの話ししてたかは、あまりのインパクトで忘れたんだけど」
「うん」
「話の流れだと思うんだけど、その人が、あたしは好きだけどなぁ、って言ったんだよね」
「…うん?で?」
「それ」
「は?なにそれ?」
「今のところ自覚してる、惚れたきっかけ」
「その一言ってこと?」
「そう」
「…ならそれを聞いた玲ちゃんの感想は?」
相変わらず鋭い自分の妹に少しだけ恨みの念を抱く。なんでそんなに兄を辱しめるのだ。楽しいのか!?
「えーと」
「はやく!私にめったにない楽しみを提供して!」
やっぱりか。
「……あの人に、そんなこと言われたら嬉しいなぁ、と思ってしまったんだよ」
「えーっと、中学生?」
「うるさいな」
「あはは。っても、今のは冗談。ごめんごめん。でも、いいんじゃない?回復回復。そういう繊細な部分が、戻ってきてるんだ」
知った風な口を訊く。まったくだから頼り甲斐しかない妹だ。
「で?どうするの?」
「どうするって?」
程よく気泡を放ち始めたミルクの入った鍋のコンロの火を消して、二つのマグカップに粉ココアを適量注ぎながら問い返す。
「その人と。あーもう。面倒くさいから名前教えて。特定とかできないから」
「まず名前は、山﨑乃々希さんっていう」
まずは茗のマグカップにミルクを注いで、かき混ぜながら本人のところへ持っていく。
「へー。なんか名前変わってるねのーのちゃん。あ、ありがとう」
「いえいえ。ってか、こら。仮にも先輩だぞ」
「玲ちゃんと会えるってことは、芸能科じゃないでしょ?」
「日本文学科」
「交わることないもーん」
「まあ、そうだけど」
言いながら、自分のカップにも注いで、かき混ぜながら茗の隣に着席した。
「あ、クッキー持ってくる。玲ちゃんも食べる?」
「少しもらっていい?」
「もち」
そう言ってとてとてとキッチンに入って、戸棚からそのクッキーを取り出して持ってきた。
「どぞ」
「ども」
一欠けいただいて、ココアをすすると、なかなかいい感じだった。茗は元の位置に座り、カップを手に取る。パーカーの袖を指先まで引っ張ってその布越しに熱をもらおうとする様に両手で包みこむ。滑るぞ、と思う。
「…ふむ。その感じだといくつか講義被ってる感じか。まずはノート借りよう作戦だな」
「なんだそれ」
「のーのちゃんは頭いいの?」
「その呼び方コラ。でも僕より成績はいいよ」
「なら借りよう。お昼とかは?」
「結構グループでいる」
「別の?」
「いや、一緒の。共通の知り合」
「なんでソロで誘わないかなバカじゃないのこの木偶の坊!!」
キーン。と耳が講義してくる。急に大きい茗の声に、混乱したらしい。
「あ…あのね、そんなこと、今のこの僕ができると思ってるの?」
「前やってた!」
「だから、今の」
「あ、ああ……ごめん」
「いいよ。悪気ないのは知ってるから。でもそう簡単には無理だなぁ」
「…そ、そうだよね」
急にしおらしくなる茗。どうしたのだろう。
「気にしなくていいって。もうとっくに、終わった話なんだから。引きずってる、僕が不甲斐ないんだよ」
「ん……じゃ、じゃあ!」
「ん?そのグループでもいいから、一緒に会話作る機会を作ろう。できればノート作戦からソロプレイだけど」
「んー。でもなぁ」
「なに?」
「別に、付き合いたいとか思ってないんだよなぁ」
と、虚空に向かって言い放つ。
すると、コトリ、と、抱えていたマグカップをテーブルに置いた茗が深呼吸を一つ。
「すー……はー……すー……」
「なに?」
「この……バカ兄貴があああああああああああああ!!!」
その後、茗によるご高説が、夜遅くまでしばらく終わらなかった。
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