第7話 カミングアウト
F.
飲み物やオードブルを買い込んできた、お父さんの琢磨さん、袋をテーブルにドサリと置きました。
室内の飾り付けに余念のない、娘の遥さんに鋭く睨まれました。静かにしろというのです。
「奏太の奴は?」
「何か、あちこち拭き掃除してるみたい。部屋でじっとしててくれればいいのに」
唇を尖らせる癖といい口調といい、遥さんは若い頃の佳澄さんによく似てきました。佳澄さんに言わせると奏太くんは奏太くんで琢磨さんそっくりなのだそうですが、琢磨さん、自分の目線からはよく分かりません。悪い所が似ませんように、と祈るばかりです。
無口で無愛想。人付き合いが苦手な臆病者。そんなろくでもない自分がいつの間にか人の親。
人生は分からないものだ、と琢磨さんはしみじみ思います。何かが一つ違っていただけでも今の幸せはなかった。そう考えると怖いような気もします。
襖に手をかけました。ぎょっとする遥さんに口パクで『大丈夫』。
聞いていた通り、座敷では佳澄さんが座布団を枕に昼寝の最中でした。
開け放された縁側を穏やかに吹き抜ける風。夏の空はそろそろ茜色です。
側に寄って膝をつき、まじまじと寝顔を見つめます。今から二時間ほど前、遥さんが帰ってきた頃にはもう寝ていたといいますから、随分と長い昼寝です。でも驚くには当たりません。昔から佳澄さんは一度眠るとなかなか起きないのです。
何気なく見上げた箪笥の上には、学生時代に佳澄さんと繰り返した貧乏旅行の写真たち。分けても印象深いのはもちろん北海道です。初めて訪れた富良野。青空の下で受けたカミングアウト。
――赤ちゃんができたみたい。
佳澄さんがあんまりさらりと言うので、琢磨さん固まってしまいました。正直、腰が引けました。若い頃は今にも増して自分に自信が持てずにいた彼だったのです。
しっかりしろ。俺よりも佳澄の方がもっとずっと不安なはずだ。
ワンテンポ遅れてそう考えるのと、覚悟が決まるのとはほぼ同時でした。彼女を一生大切にしようと改めて思いました。
それでも、言えたのは『分かった』の一言だけ。ありがとうとか嬉しいとか、そういうポジティブな言葉をすぐには返してあげられなかった。肝心な所で男らしく振る舞い損ねたことを、琢磨さん、実は今でも後悔しています。
時々思うのです。自分は言葉が足りない。CAになる夢を諦めてまで自分との今を選んでくれた。そのことをどんなに感謝しているか、佳澄さんに伝えきれていない。
腰を浮かせて、部屋の隅に手を伸ばしました。引き寄せたのは蚊取り線香。風が通るのは良いとしても、妻が蚊に食われるかもしれないのを黙って見過ごしたりはできません。
できるだけ静かに火を付けようとしながら、考えました。
子供たちが自立して、いつか時間が取れたら、もう一度佳澄と富良野を訪ねよう。
今度こそ男らしく振る舞ってみせる。照れ臭くても、きっと自分から伝えよう。
あのラベンダー畑で。心から大切に思っている。これから先もよろしく、と。
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