限界

 カエデは泣いてた!

 好きな相手を泣かしてしまうなんて……俺は最低のゴミ屑野郎じゃないか……。

 なにが良くなかったのか……なんでカエデが泣いたのか解からない。

 でも、相手を泣かせてしまったら駄目だ!

 ……謝らなくっちゃ! そして誤解も解くんだ! カエデを追いかけるんだ!

 そこまで考えられたとき……ようやく、俺は……時間を無駄にしていたことに気がついた。

 カエデを見失ってしまっている! すぐに追いかけなきゃいけなかったんだ!

 視界がぐるぐる回りだした気がする。眩暈がしそうなほどだ。頭の中が真っ白になって、何も考えられない。

 ………………そうだ!

 個別メッセージだ!

 個別メッセージなら、相手がどこにいたって言葉が届く!

 なんですぐに……こんな基本的なことを思い出さないんだ!

 このゲームにだって個別メッセージのシステムは搭載している。

 慌ててメニューウィンドウを呼び出し、個別メッセージのスイッチを探す。くそっ! なんで手が震えてるんだ? 操作がしにくい!

 だが、俺の手は誰かにそっと、そして優しく抑えられる。

 驚いてその持ち主を見れば――アリサエマだった。

 そして悲しそうに……なぜか悲しそうにしながら、ゆっくりと首を横に振ってから話しかけてくる。

「いまは駄目です。それは電話か……手紙?ですよね?」

 個別メッセージなんてMMOでは定番過ぎるシステムだ。手紙などよりは携帯電話が最も近いものだが、アリサエマは知らないのだろう。

「個別メッセージを使おうと……これなら遠くにいる相手とも話せる。カエデに伝えなきゃいけないんだ! すぐに! だから止めないで――」

 だが、アリサエマは俺の手を離してくれないし、再び首を横に振る。

「確かに……とにかくすぐに話さなきゃいけないときもあります。その方が良い人もいます」

「ならっ! すぐにカエデにっ!」

 もう一度、アリサエマは首を横に振った。

「お互いに向かい合ってなら、たとえ喧嘩になっても……その方が良くなることもあります。でも、電話や手紙は……。それにタケルさんは何をカエデさんに……カエデさんに何を伝えるつもりなんですか?」

「えっ? そりゃ……カエデに謝って……それから……それから……」

 それから俺はカエデに何を伝えればいいんだ?

「カエデさんを……カエデさんが好きなんですよね?」

 優しく、そして悲しそうにアリサエマが聞いてくる。なんでそんなに悲しそうな顔をするんだ?

 そして人に聞かれて初めて覚悟が決まった。

 ただ、肯くことで答える。

「……どんな時でも……人が人を好きになるのは素敵なことだと思います。それに……諦めないことも。でも、いまは……まず……タケルさんは冷静になるべきです」

 そう言って、アリサエマは微笑む。ただ優しく微笑んでいるだけなのに、なぜか強さと……悲しさを感じた。

 俺のことなのに、自分のことのように感じて……悲しんだり、心配したり、考えてくれているのだろう。

 いい奴だ。アリサエマはいい奴だ。素直にそう思った。

 今日はサポートしてもらうことにばかり気がいってたが……アリサエマが困ったときには全力で俺がサポートすることにしよう。

 なに、問題となるのはただ一つの事情だけだ。これだけいい奴で……見た目はかなり可愛い女の子なんだ。どんなターゲットでも一撃必殺だろう。

 場合によっては俺が『鑑定士』として太鼓判を押してしまってもいい。

 正しさだとか、『鑑定士』としての評判だとかに関わるだろうが……それぐらいの借りができた気がする。

「ありがとう。アリサさんのお陰で落ち着けたみたいだ。それに――確かにどうすればいいのか、自分でも解かってなかった。少し冷静に考えてからにするよ」

「いえ、もしかしたら……いますぐに……とにかく連絡を取るのが正解かもしれません。どちらが良いのかは……」

 こんどは俺が首を横に振る番だった。

 カエデには泣かれた。逃げ出されてしまった。誤解もされた。謝罪もしなければならない。次にいつ連絡できるかも解からない。もう一度、会ってもらえるかもだ。

 だが、全て……もう受けてしまった傷でしかない。

 諦めないと決めたのであれば、落ち着いて冷静に行動するべきだろう。少なくともいまの……ぐちゃぐちゃになった頭で動くよりはマシだ。

 そんな開き直りとでもいうべき心境の俺に、男が話しかけてきた。


「えっと……そろそろ……というか……いま大丈夫かい?」

 見てみれば、先ほどの魔法書を売りに出していた男だった。約束どおり戻ってきてくれたらしい。だが、様子が少し変だ。

「いや……悪いと思ったんだが……まあ、聞いちゃってというか……話しかけるタイミングが……無くてな?」

 聞かれても困るが……少しは事情が読めた。

 そりゃ、俺とカエデが揉めていたのだ。無関係のこいつにしてみれば、話しかけにくくなるだろう。

 それにしたって……この様子のおかしさはなんだろう?

 まるでそこいらじゅうから注目を浴びているかのような――

 ……周囲をよく見れば、俺たちはもの凄く注目を浴びていた。

「おい……登場人物が増えたぜ? ……また男だけど」

「マジか? マジでガチでアレなのか?」

「ふんはっ! さ、三角関係なのね! さっきの子と比べたらだいぶ落ちるけど……これもこれで……」

「情熱的な青年と……痛みに怯える少年……でも、惹かれあう二人はやがて……痛みを与えることと……受けることを乗り越えて……はふぅ!」

 野次馬たちの無責任な感想が聞こえる。

 よく見ればスクリーンムービーを撮影してる奴までいやがった!

 そんなに人の不幸が楽しいのか? 悪趣味な奴らだ!

 これなら話しかけるのは勇気が必要だったろう。約束とはいえ律儀な奴だ。

「……わざわざ悪いな。それで……魔法書を売ってくれる気になったのか?」

 そう男に話しかけたら……凄い勢いで後ずさられた!

 それに、なぜか両手で尻を押さえている!

 なんなんだ、そりゃ? 痔でも患っているのか?

「わ、悪い……で、でも……できたら近づかないでくれ。俺は平凡な男なんだ。魔法書は金貨六百五十枚で売る。約束だしな。いや、金貨六百枚でいい。……少し可哀想だとは感じてるんだぜ?」

 意味不明なことを交えながら男が答えた。

 どういうことだ?

 そして、なぜかアリサエマは不快そうに男を見ている。事情が理解できているのだろうか? それならば、後で説明してもらえば――

「後からきたのは……ただの商売相手じゃないか? 恋人だとか……恋敵って雰囲気じゃなさそうだぞ?」

「……そうだな。やっぱり、さっきの子は見た目通りに女の子で……ゲイだとかじゃ――」

「まさかの野獣! て、手当たり次第なんだわ……。で、でも……そ、それはそれで……」

 そんな無責任な野次馬たちの声が耳に入る!

 ま、まて! お前ら……いったい……どういうつもりで見物してたんだ?

「ア、アリサさん! せ、せっかく安くしてくれるって言うんだ。う、売ってもらえば?」

 まずい、思いっきり声が裏返った! それに目の前で取引をしている二人より、野次馬たちの方が気になる!

「事情がわからん。誰か三行で説明!」

「うん? ガチホモ、男の子に告白。ガチホモ、見事に玉砕。別の恋人登場。で、いま修羅場。……かな?」

「……す、すげえな!」

 か、か、か、「かな?」じゃねえ! どういう風に観察してたらその結論になるんだ?

 だが、しかし、野次馬たちが何のつもりで注目しているのか、どのように受け取っているのかが良く理解できた!

 よく考えれば俺は……よりにもよって……最も人が集まる噴水広場でやらかしている!

 衆人環視の元で好きな子に振られる――余人には振られたかのように見えただろう――だけで致命傷だ。

 だが、その相手が男の子だったら致命傷では済まされない! 完全にオーバーキルだ!

 この場にカエデが居てくれれば一目瞭然、すぐに根も葉もない噂、悪意ある中傷誹謗と解かってもらえるだろう。しかし!

 顔中から嫌な汗が……それも大量に流れ出す。

 ど、ど、ど、どうしよう?

 なにか! なにか手を打たねば!

「でも、あいつ……『鑑定士』なんだろ? それがホモって……流石にないだろ」

「……そうだな。振った子の方も……普通に可愛い女の子だったしな……」

「攻め……やっぱり攻めなのかしら? いえ……ここはまさかの野獣なのに襲い受け!」

 野次馬たちの間では、俺がカエデに振られたと確定している。野次馬しているだけの奴らには細かな機微が判らなかったのだろう。大いに異論はあるが、そこは我慢しておく。

 それよりも好意的な……至極当然、当たり前の結論に落ち着くようだ。これならむしろ、何もしない方がいいだろう。

 それに今日はもう、十分すぎるほどに大変な目に遭った。これ以上は耐えられそうもない。

 疲れた……もう今日は休もう。アリサエマの取引が終わったら――

「あっちの世界の人は同類を見分けれるって言いますしなぁ!」

 成り行きに妥協した俺を嘲笑うように、ワザとらしい関西弁が噴水広場に投げかけられた!

 その声はぎりぎり限界の大きさだった。もっと大きければ場を弁えない大声となっていただろうし、小さかったら噴水広場にいる全員に聞こえはしなかっただろう。

 驚いて声のした方を見れば――

 『お笑い』だ! 『お笑い』の奴が笑いを堪えるようにして、俺を見ていた!

 しまった!

 この手のタイプ……俺より賢い奴に隙を見せるなんて!

「なるほどな。ホモだからネカマが見破れんのか」

 唖然としている俺をよそに、こんどは別の方角から声がした!

 慌ててそちらを見れば……『主人公』の奴だ!

 まずい、すでに囲まれている! これは……詰められてるのか?

「『鑑定士』タケルはホモだったんですね」

 別の方角から棒読みの声がした。

 見ないでも判る。『美形』の奴だろう。

 『鑑定士』と俺のキャラクターネームをきちんと言う辺り、念が入っている。

 これは……俺の甘さが招いたミスだ。

 敵対者には止めを刺す。止めまでは無理でも、きちんとけりをつけておく。これはあらゆる戦いの鉄則だ。

 その鉄則を格上相手に……『お笑い』相手に怠るとは……因果応報としか言いようがない。

 『お笑い』の誘導で噴水広場にいる群衆は、なるほどと納得してしまっている。

 無念さを噛み締める俺に、止めの言葉が『ワル』から放たれた。


 酷い結果だ。

 このダメージを癒すには長くかかるだろう。いくつかは回復しきれないことも残るはずだ。

「だ、大丈夫ですか?」

 取引を終えたアリサエマが心配そうに近寄ってくる。

「……はは。俺、ホモなんだって」

 もう、乾いた笑いしか出ない。許容量を遥かに超えてる。

「タ、タケルさん! な、情けないですよ! 元気を出してください!」

 アリサエマは強い言葉で俺を叱るが……叱っている方が辛そうだ。そして泣きそうになりながらも続ける。

「男だとか……女だとか……そういうことじゃなくて……相手を大切にするんですよね? そ、それにカ、カエデさんのこと……あ、諦めるんですか?」

 ……いい奴だ。もしかしたら、こういうのが『いい女』って言うのかもしれない。アリサエマが勝負をするときは、必ず助けに駆けつけよう。

 それにお陰で良い事にも気がつけた。

 確かに今日は散々だ。もう何もしたくないほど疲れきった。それでも――

 カエデと出会うことができた。

 アリサエマと出会うこともできた。

 ネリウムだって怖い人だけど……得難い出会いには違いない。

「そうだよな。がんばらなくっちゃな!」

 最後に残った元気を搾り出すようにして、無理に笑って答える。

 ただそれだけでアリサエマに笑顔が戻った。無理をした甲斐があるというものだ。

「そうです! がんばらなくっちゃ! ……私もがんばることに決めたんです!」

 いつの間にやらターゲットを狙い定めていたようだ。誰なんだろうな? 意外と隅に置けないのかもしれない。

 俺が不思議そうな顔でみると、恥ずかしそうな顔をして身をよじる。

「もうっ! タケルさんは意地悪なんですね! バレちゃってるだろうし……い、言っちゃいますね!」

 そう言いながらアリサエマは顔を真っ赤にしているが……誰のことなんだろう? 俺と同じくらいしかプレイヤーとは会ってないはずだが……。

「わ、私! タケルさんのこと……わ、悪くないっていうか……す、好きだなって! さ、最初はタケルさん……ノーマルだと思ったから……我慢しようと……でも、そうじゃないみたいだし……」

 俺はこの時、どんな顔をしていたんだろう?

 そして何を読み取ったのかアリサエマは続けた。

「カエデさんのことは応援! ……は無理ですけど……邪魔はしません! た、ただ……私の気持ちだけ……知っていて欲しくて……」

 心細そうで……泣きそうで……嘆願するような顔をアリサエマはしていた。

 客観的に見ていじらしくて、可愛くて……男ならグッとくる表情で仕草だと思う。正直、俺もグッときた。

 同時に……心の中では何かが……数え切れないくらいの沢山の何かで溢れかえり……オーバーフローを引き起こしていた。

 あとで振り返っても……どんな返事であろうと……誠意のある言葉を返せなくて申し訳ない思いはある。

 ただ、もう、この時には機能不全とでも言うべきものを起こしていた。

 俺の沈黙を不吉なものに感じたのか、急いでアリサエマは続ける。

「そ、その……タケルさんが……つ、ついてる方がお好きでしたら……どうしてもって仰るなら……そうしても――」

 礼儀正しく聞いていられたのはそこまでだった。

 なぜか地面が急に近づいてきたかと思ったら……いつの間にか俺は地面に両手をついて項垂れていた。

 アリサエマが俺の名前を何度も呼んだ気がするが……この日、俺が確実に覚えているのはここまでだ。

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