抗う者

 まずは落ち着こう。

 冷静になるんだ。冴えた状態でなければ、頭は正しく働かない。

 客観的に……客観的にカエデが男の子なのか、女の子なのかを考えてみよう。

 ……いまのところ五分五分だ。

 うん、冷静に考えれてるぞ。大事なことや大切な人のことを考えるとき、つい、希望的観測が混じってしまうものだが……それは排除できている。

 それではなぜ……カエデは自分が男の子だと主張するのだろう?

 判断材料は『眼』による判別、カエデの不可解な主張、そして目の前のカエデ自身しかない。

 思わずカエデを見つめてしまう。

 俺の視線が気になるのか、カエデは恥ずかしそうにもじもじしている。……とても可愛い。高尚な趣味に目覚めてしまいそうだ。可愛い子が恥ずかしさに身悶えするのを愛でる……悪くないかもしれない。それに――

 こんな可愛い子が……男の子だというのか?

 そんなはずがない! 

 全く以ってナンセンスだった。恥ずかしいことだが、どうやら俺の『眼』は曇っていたようだ。

 五分五分どころか六対四、いや……希望も込めて七対三でカエデは女の子だ!

 となると問題はカエデの不可解な主張だけになる。

 アリサエマとは正反対の事情……男に生まれ、女として男を愛する人がいるように……女に生まれ、男として女を愛する人もいる。

 だが、それでは色々と理屈に合わない。

 そちら側の鑑定は経験が少ないが……俺の『眼』なら見抜けるはずだ。

 それにカエデは俺を悪からず思っている。好かれていると言ってもいいはずだ。そして俺は男である。つまり、カエデは男を愛するのだ。

 全ての事実をつなぎ合わせれば、真実が浮かび上がってくる。

 カエデは女に生まれながら、男として男が好きなのだ!

 なんという業の深い心の闇を抱えているのだろう!

 だが、もう大丈夫だ。これからはその十字架を、俺も一緒に持とう。どんな重い十字架だろうと、二人で持てば半分で済む。それが二人になるってことなんだろう。

 だいたい、俺もどうかしていた。カエデが男の子だとか、女の子だとか……つまらない小さなことに拘りすぎてる。

 俺が好きなのは女の子なのか?

 確かに俺は女の子が好きだ。好きだった。でも、もう違う。

 俺が好きなのはカエデだ。

 ならばカエデが男の子だとか、女の子だとか……そんなことはどうでもいい、些細なことじゃないか?

 男の子だとか、女の子だとかを超越して……ただ相手を愛する。

 光を感じた気がした。

 暗い部屋を彷徨っていたら、偶然に扉へ手がかり……その扉を開けたら暖かい光が差し込んできたかのようなイメージ。

 これがアガペーというやつなんだな! 俺は悟ったぞ!


「えっと……タケル? ど、どうかしたの?」

 なぜか不安そうな顔をしてカエデが聞いてきた。

 少し放心していたようだ。見ればアリサエマも心配そうに俺を見ている。

「いや……すまないな。少し考え事をしていた。……なんの話をしていたんだっけ?」

 まだ二人に……カエデに俺が到達した境地は早いだろう。それはゆっくりと伝え、育んでいくもののはずだ。

「もうっ! まだからかうの? ボクが男の子だって話でしょ!」

 ……ふう。カエデはまだそんな些細なことに拘っているのか。だが許そう。そう、いわば聖者の気持ちモードになるのだ。

「もう、いいじゃないか。男の子だとか……女の子だとか……。大切なのは相手――その人自身だろ?」

 微笑みながら、優しくカエデを諭した。

 そう、時間は必要なだけある。これからいくらでも、正しい調べを教える機会に恵まれるだろう。

 しかし、カエデは不思議な顔をしていた。何かを言いたそうに何度も口を開くが、そのたびに口を閉ざしてしまう。納得するべきなのか、否定するべきなのか判断がつかないのかもしれない。

「す……素晴らしい考えです! タケルさん! その考えは素敵です! そうですよね! 男だとか……女だとか……そんなことより、その人自身が大切なことですよね!」

 なぜか 身悶えせんばかりにアリサエマが賛同してきた。

 いや、実際に軽く悶えた。こ、こんな近くでそんな風に身をよじられると……一次的接触が……や、柔らかい? なんで? なんでこんなに柔らかいの?

 だが、ナイスだ! ……発言の方もだ。いや、「方が」だ。ナイスアシストだ!

「そ、そうなの? また、からかわれているのかって思っちゃって……。それに……もしかしたら……また変な人と会っちゃったのかって……そう思ったらカッとなっちゃって……」

 アリサエマも賛同したのをみて、どうやらカエデは自分の不明に気がついたようだった。もごもごと事情を説明してくる。

「たまにいるんだ。その……ボクのこと、本気で女の子だって勘違いする人! ……タケルはボクが男の子だって判るよね?」

 そして晴々とした顔で……開けっぴろげに信頼を隠そうともしないで……それでいながら、最後の念を押してきた。

 これで事態の収拾はつく。

 俺が「カエデは男の子だ」と言えば……問題は解決する。

 まずは相手の全面肯定。これが理解への第一歩のはずだ。

 嘘も方便とお釈迦様は言った。ひとまず認めることにしても、誰も嘘吐きと非難はしないだろう。

 仮初にでも……カエデを『男の子』と認めれば……そうすれば……。

 だが、言葉は全てを定める。人も、物も、出来事も……そして心もだ。

 人は『聖なるもの』の為に……『聖なるもの』を裏切れるのか?

 俺の葛藤を見て取ったカエデが……カエデが裏切られた者の表情に変わる。


「タ、タケルも……タケルも変態……さん……だったの?」

 カエデはまるで……害虫でも見るかのようだったし……怯えてもいた。

 怯えられて、変な目で見られる――それはそれで色々と思うことはあったが――のは気になるが、突拍子もない質問には答えておく。

「変態? そんなわけないだろ」

 俺はカエデが好きなのであって、『男の子』が好きなのではない。だから変態ではありえない。

「ホント? 男の……男のむすめと書いて男のだ!とか言いださない?」

 しまった!

 言葉は全てを定める。そう、カエデを『男の』と呼んでいれば……そうすれば事態は全て丸く収まっていた! 俺が先人の叡智を見落とすなんて!

 カエデは身を守るように自らをかき抱きながら続けた。

「調べるとか言って……エ、エッチなことしょうとしたりしない?」

 もう、カエデは涙目になっている。

 泣かないでくれ! 泣かせたくはない!

 それに……その心配はしなくても平気だ。俺にはまだカエデを調べるだけの勇気がない。

 観測さえしなければカエデは未来永劫、七対三で女の子だ。

 いつかはその試練を乗り越えなくてはならない。

 七割で正しさは証明される。だが、残り三割で……もし……万が一にでも――

「な、舐めてみなけりゃ判らないなぁとか……き、気持ち悪いこと言いださない?」

 なんだと?

 俺はカエデの言葉に……先駆者達の卓越した発想に度肝を抜かれた。

 舐める!

 その方法ならば決して間違った答えは導かれない! 成功だけが約束された完璧な調査方法だ!

「その発想があったか!」

 思わず漏れた感想に、カエデが一歩後ずさった。

「お兄ちゃんみたいだって……タケルのこと……頼りになるお兄ちゃんみたいだって思ってたのに……」

 そう言ったカエデの目には……溢れんばかりの涙をたたえていた。

 泣かないでくれ! カエデのことを泣かしたくないんだ!

「お、お兄ちゃんと……よ、呼んでも……い、いいんだぞ?」

 カエデからの信頼にこたえるべく、精一杯の笑顔で応じる。

 しかし、それは届かず――

「なんか意味が変わったよ! や、やっぱりタケルは……へ、変態さんなんだ! タケルのバカぁ! あほぉ! おたんちん!」

 カエデはそう叫びながら……そして泣きながら……駆け出した。

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