道中
俺たちは無言のまま『武器屋』を後にした。
……なにか一言でも喋ったら、それで決定的に評価を変えられてしまいそうだ。カエデやアリサエマも同じ気持ちだろう。
青空に……VRの架空の青空にリルフィーの笑顔が幻視できた。……いい顔で笑ってやがる。すこしリルフィーに嫉妬した。
男なら誰でも憧れるシチュエーション……「ここは俺に任せて先へ進め」と仲間に言い放つ……奴はそれをやってのけたも同然だ。ありがとう、リルフィー。俺だけでも、お前のことを忘れないよ。……お前が変わってしまっても。
無言のままに、案内地図へ近寄った。二人もついてきて、同じように地図を眺める。
『魔術学院』の位置は記憶どおりだった。だが、俺が調べにきたのはそっちではない。今後を磐石にするべく、調べておくことが………………あった!
最重要施設『宿屋』の位置が判明した!
一軒はこれから行く『魔術学院』までの通りすがり。もう一軒は噴水広場の近くにあった。
『宿屋』などと言われると奇妙に感じるかもしれないが、MMOでは定番になっている。用途はオフラインRPGと同じでHPやMPの回復だ。
しかし、もっぱらそちらの用途より、簡単に確保できるプライベートスペースとして利用される。
借りた部屋に許可のない者は絶対に入ることができないし、あらゆるスキルやアイテムを使っても内部は窺えない。会議や密談をするのにもってこいだし、単純に休憩所としても使える。
……このゲームでは二つの意味で『休憩』に使えるだろう。ベッドなどの必要な設備も用意されているはずだ。
ファイトプランとしてはアリサエマを『魔術学院』まで案内した後、上手い具合にゴールまで持ち込めば良いだろう。
問題はシュートの方法だが……なに、ムードをだして無言で肩でも抱いて……そのまま『宿屋』に入れば良いらしい。それで全てが伝わるはずだ! 幸い、俺はカエデにかなりの好印象を与えている! 考えるべきはもう、ゴール後のことだけだろう!
だいたい、カエデと二人っきりになるところまでは約束されたも同然だ。
アリサエマはやはり、少し変わった……俺には理解できない価値基準の持ち主のようだが……信用はできる気がする。必要な場面できちんとアシストを決めてくれるはずだ。
それに、なぜか俺に恩義を感じているように思える。
なんというか……弱みにつけこむようで正しくないと思うが……俺も一世一代の大勝負の最中だ。いまは勝利だけを追い求めるべきだろう。
ふと気がつくとカエデは俺の袖を掴んでいた。俺も慣れてしまっていたが、カエデもそうするのが当たり前となっていたのだろう。
ここはゴールの前に一歩前進しておくべきか?
もはや勝ったも同然の勝負と言えど、慢心は良くないだろう。シュートはゴールまでの距離が近いほど成功しやすい。いわば勝利のためのドリブルだ。
ゴールとの距離を近づける……つまり、ここで――
カ、カ、カエデの……手、手、手を握るのだ!
俺に見られていることに気がついたのか、カエデは小首を傾げて不思議そうな顔をしている。……とても可愛い。いまここで抱きしめてしまいそうだ。
よし、勇気だ! 勇気を出そう! 最初の一歩は男の役目と――
しかし、俺が覚悟を完了するほんの僅かに直前、視界の隅にパーティ全員のHPとMP表示が出現した!
パーティメンバーのHPに戦闘などでの減少があると、自動的に全員分のHPとMPが表示されるのが一般的だ。
つまり、パーティメンバーの誰かがHPを減少させたと言うことになる。
そして見ればリルフィーのHPが減少していた。
減少分は……投石を食らったときより少し多い。
俺たちはしばし呆然としていた。……色々と想像する時間を強制されたからだ。
何とも言えずにぽかんとしてたら、今度はネリウムのMPが減った。入れ替わりにリルフィーのHPが回復する。
カエデとアリサエマの二人を見てみると、真っ赤になって俯いていた。
……まあ、二人も気がついてはいるよな。なんとなくだろうが。
誰も「事件が起きている」だとか「助けに行かなきゃ」だとかは言い出さなかった。……それは野暮……馬に蹴られて死ぬべき類の野暮だろう……たぶん。
二人を助ける――もちろん、カエデとアリサエマのことだ――ためにも、俺がこの状況から脱出するためにも……何か言わなきゃならない。なんと言うべきか?
ふと閃いた言葉は「刺さったのかな」だったが……それはダメだろう!
そんなことを言われたら、なんて返せばいいんだ?
まごまごしている間に、再びリルフィーのHPが減った。
こんどは三連続に減ったが、減少量そのものは少ない。おそらく、素早く連続で何回も攻撃できるが、ダメージそのものは低い武器で……誰かに……攻撃されたのだろう。
しばらくすると……最初の時より長く……意味深な間が長く取られると……ネリウムのMPがまた減った。最初と同じように、入れ替わりでリルフィーのHPも回復する。
ああ、次はたぶん……太くすると待ちやすい……ぶっとい何かだな。
心の中の……どんな時でも冷静な部分が……淡々と説明してくれた。
その冷静な意見に異議はない。
そしてメニューウィンドウを呼び出し、俺はそっと……パーティから離脱した。
視界に「パーティから離脱しました」というアナウンスが表示される。
同時にカエデとアリサエマが顔をあげ、平坦な声で――
「それ、どうやってやるの?」
「私も……」
と聞いてきた。おそらく、二人には俺がパーティを抜けたことがアナウンスされたんだろう。
俺も淡々と「メニューウィンドウ開いて――そこの『パーティ』のとこクリックして――」と教える。
黙ったまま二人はメニューウィンドウを操作した。
操作中、二人が同時にビクッとした。……二人が驚くことなど起きるわけがない。……誰かのHPが大幅に減少なんてするわけがない。……なにも異常はない。
「………………よし! 『魔術学院』へ行くか!」
「そ、そうですね!」
「う、うん! そ、そうしよう!」
俺の宣言に――少し声が掠れたが平気なはずだ――素早く二人が反応する。
「色々な人が……形があるって言うもんな。それを俺たちがとやかく――」
「タケル!」
「タケルさん!」
軽くフォローを入れようとしたら、二人から同時に怒られた。失言だったか。
名前を呼ぶところが綺麗にハモっていて見事だ。二人して俺を軽く睨んでいるが、また頬を染めていて……なんだか二人共に色っぽい。不思議とゾクゾクした。
……なるほど。高尚な趣味人の一派は――ネリウムとはまた違う流派だ――異性に蔑視されることに悦びを見いだすというが……こういうことか。
特にアリサエマは大人しそうな可愛い見た目だし……その苛められて困っているかのような仕草や……羞恥心などが複雑に混ざった表情を……鑑賞するのは悪い気分ではない。
そこで正気に戻り、慌てて頭をしゃっきりさせた。
なんだか今日は色々な扉の前に立ちすぎている!
俺たちは意識して――お互いにわざとらしさは感じただろうが――取るに足らないこと言い合いながら『魔術学院』へ向かった。
あの建物は綺麗だとか……あの遠くにある塔はなんだろうとか……本質的にはどうでもいい、他愛もないことをだ。
努力の甲斐あって、徐々に日常が戻ってきている感じがする。衝撃的な出来事に遭遇したら……見なかったことにするのも大切な処世術だ。
何とか持ち直したところで、ちょうど『宿屋』らしき建物が見えはじめた。
いまシュートするのは無茶だろう。それに、いくらアリサエマがサポートに回ってくれるとはいえ……ここでお別れというのは人情にも欠ける。せめて『魔術学院』までは案内してやりたい。
ここはゴール地点の観察程度に留めておくべきだ。
『宿屋』の外観は普通で――良くある石造りの建物だった。扉のところに「宿」とシンプルな看板があるくらいで、飾り気は少ない。
伝え聞いたところによると、専門的に『休憩』に利用される建物は……なんと言うべきか……『魅惑のワンダーランド』とでも言うべきものがあるそうだ。
普通の外見にホッと胸を撫で下ろしたいところだが、扉の辺りで二人組の男と一組のカップルがなにやら言い争いをしていた。
「……喧嘩……かな?」
カエデが眉をしかめる。
やや距離があって言い争いの内容は聞き取れなかったが、見ただけで何が起きているのか理解できた。これは喧嘩などではない。
十中八九、二人組の男たちが『宿屋』の封鎖をしている。
封鎖とは施設などに入れなくする嫌がらせのことだ。
例えば目の前の『宿屋』であれば、入り口を塞いでいる二人組を何とかしないと中に入れない。
もちろん、対応策はある。
最も簡単なのはGMになんとかしてもらうことだ。実力は要求されるだろうが、単純に自分で排除してもいい。
しかし、よく考えるべきだ。
意気揚々とゴールにシュートする直前に絡まれる。
そこでGMに……いわば公的権力に頼ることができるだろうか?
それとも実力行使で……血生臭くゴールへの最後の扉をこじ開ける?
実力行使を選んだ時点でムードもへったくれもないと思うが……目論見通りに勝てればまだいい。万が一にでも、負けてしまったら?
無防備に封鎖へ飛び込んだ時点で、失策でしかない。
あの二人組はすでに現時点で負け組に確定、そこから這い上がる気力も無くなってしまっているのだろう。
そこで八つ当たりと憂さ晴らしに、自発的にゴールキーパーを買って出たに違いない。正直、暇な奴らだと思うし、そんなんだから負け組なんだとも思うが……奴らの心に燻る暗い炎は、俺にだってあった。気持ちは解からなくもない。
万が一の対策は立てておくべきだろう。
気を緩めてはいけない。まだ戦いは終わっていないのだから!
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