取引成立

 『食品店』は遠目からでも、すぐにそれと判った。慣れていれば見間違えようがない。

「えっと……これが『食品店』……なの?」

「そう……みたい……ですね?」

 しかし、慣れていないカエデとアリサエマは驚いている。無理もないと思う。あらゆるNPCの運営する施設で、最も違和感があるはずだ。

 『食品店』は路地に向かってカウンター越しに対応する造りで……スペースの狭いファーストフード店やサービスカウンターのような感じだ。

 内側にはメイド服姿のNPCが穏やかに微笑んでいる。カウンターの上に『各種申請受付』と『食品販売』という案内表示もあった。

「あー……何から説明すりゃいいんだ? ……とりあえず、現在の品揃えでも見てみるか」

 みんなを引き連れて『食品販売』の方へ向かう。近寄るとすぐにメイド服姿のNPCが話しかけてきた。

「いらっしゃいませ。ご注文はカウンターメニューでお願いします」

 言われた通りにカウンター見れば、ディスプレイ状になっている部分があった。これを操作して注文をするんだろう。どうせ品数はまだないだろうから、全品目を表示するように操作する。

 予想通り飲み物が十種類ほどあり……なぜか牛丼が数種類ほどあった。……気になったので牛丼を詳しく調べてみる。

 ネタ元がばれないように『よし悪しでいうとよしの屋』とか『松竹梅でいうと松の屋』などと名称がつけられているが……有名チェーンであるのがモロ判りだ。なんでこんなのをわざわざ作ったんだ?

 みんなと一緒にディスプレイを覗き込んでいたリルフィーが、誰ともなしに聞いた。

「……ジョーク……なんですかね?」

「運営の奴が洒落で作ったんだろ。……自信を持って発表できるのが牛丼ってのが……なんだか悲しくなってくるな」

 悲しい気分のまま表示を飲み物に変更した。ありきたりの飲み物――コーヒーや紅茶、お茶、コーラ、ジュースなどが表示される。

「まあ、こんなもんだろうな。これが現時点で入手できる食品だな」

 俺の説明に――

「えっ? これしかないの? 噂では凄い数の……それこそ、どんな食べ物でもあるって聞いたよ?」

 カエデがびっくりして聞き返してくる。

「いや……それは間違いないんだが……基本的に食品系統は登録制なんだ。VR空間で料理はできないからな」

「そうなの? そんなの普通に……材料を出してもらって、調理道具かなんかでやればいいのに……仮想世界なんだから」

 カエデはよくある勘違いをしているようだった。

「あー……基本的にVRの中で料理はできないんだ。仮にここにマヨネーズとケチャップがあるとするだろ? でも、その二つを混ぜ合わせてもオーロラソースにはならないんだ。良くできているVRで斑に混ざるだけ。省略してあると混ぜることもできない。食べられる仕様でも、マヨネーズとケチャップの味が別々にするだけなんだ」

 カエデもアリサエマもきょとんとした顔をしている。説明が悪かったか。ここは実例でなんとかやってみるか。

「あー……例えばコーヒーを頼むとするだろ?」

 そう言いながらディスプレイを操作した。ディスプレイはすぐに詳細設定の項目に変化する。

「コーヒーを頼むと……砂糖やミルクの量、温度変化をさせるかの設定を聞いてくる。俺の場合、砂糖一にミルク一、温度変化はゆっくり、最初の温度は熱めだな」

 二人に見せながら操作をした。すると――

「かしこまりました。ただいまお持ちしますね」

 ずっと無言だったメイド服のNPCが反応し、奥の方へ引っ込んでいく。別に目の前で出現させても良いのだろうが、それでは味気ないと考えた演出だろう。

「こんな風に注文することになる。普通の……現実のお店でコーヒーを注文したときのように、砂糖やミルクは付いてこない。付いていても混ぜられないからな」

 まだ理解できてないようだ。どうしたものか――

「……別にやろうと思えば、コーヒーにミルクを混ぜたらミルクコーヒーになる仕様にもできるのです。ただ、その場合は混ぜたらミルクコーヒーになるように設定しなくてはなりません。細かくは混ぜた量、かき混ぜ具合なども段階的に反映する必要がありますし……最終的にはコーヒーの分子一つにいたるまで計算、コントロールすることになります」

 ネリウムもフォローしてくれた。これで解かるかな?

「結局はどこに重点を置くかなんだよ。そこまで細かい再現をするより――」

 そこで俺はメイドが持ってきたコーヒーを受け取り、一口すすった。少し熱すぎる。

「――こんな風に飲んだらコーヒーの味がする熱い液体。この程度の再現で楽しむことはできるだろ? これはこれで便利なんだぜ?」

 そこでメニューウィンドウを呼び出して、まだ中身のあるコーヒーカップをメニューウィンドウの中へ仕舞った。

「こんな風にしても大丈夫だし……次に取り出すまで熱いコーヒーのままだ」

 カエデとアリサエマはあんぐりと口を開けたままだ。

「ネリウムさんが言ったような細かい設定は……普通はVR演算室でしかやらないな。高級な演算室だと、普通に料理するだけで望んだ味にできるらしい。VR演算室やもっとベタにPC上で製作した料理が……まあ、さっきの牛丼みたいにこちらでも再現されるわけだ」

「この手のことが好きなプレイヤーがゲーム外でデータを作り、登録するのです。ここで買えるようにするか、自分で売るかはそれぞれですが。安めのVR演算室でもけっこう良いものが作れます……作れるそうです。毎年、チョコレートを作るのですが、これが中々思うように……」

 ネリウムが恥ずかしそうにしているのは、そんなに料理が……VR料理の製作が上手くないからだろう。チョコーレートについて言っているのは、毎年繰り返される忌むべき悪習のことだと――

 まてよ? 今年からは違うのか? 今年からは祝福された日になるのか?

 万歳、バレンタイン!

「うーん……なんだか思ってたのと違うなぁ……。それに、結局、プリンは無いんだね……」

 カエデはがっくりした感じだ。説明が良くなかったか?

 なぜかアリサエマは興味津々でVR演算室についてネリウムに質問している。

「現実では絶対に再現できない料理とかあるから、VR料理も侮れないんだけどな」

「定番の『まんが肉』とか面白いっすよね。あと例の蕩けたチーズとトーストも」

 珍しくリルフィーがフォローしてきた。どうしたことだ? 雨でも降るのか? ということはイベントでも始まるのか?

「えっ? なにそれ!」

 それでも、カエデは食いついてきた。少しは期待してくれるようなら、それで良しとするか。

 VR演算室は時間貸しのレンタルであるとか、運営への申請が有料であるとか、万が一の事故を警戒しての審査があるだとか色々と細かいこともあるが……まあ、この場で説明しなくてもいいだろう。

 しかし、カエデはやけにプリンに執心しているが……これは大きなビジネスチャンスか?

 プリン程度のありふれたデータならネット上に転がっている。VR演算室を使うまでも無い。正式オープン開始に間に合うように申請すれば、飛ぶように売れるのではないだろうか?

 あとはその資産で『みどり草』の買い占めでも画策すれば一大財産が――

「まあ、残念ですがプリンはどなたかの登録待ちです。ひとまずはこの辺にして、『武器屋』へ行きましょう!」

 考え込んでいた俺をネリウムが引き戻してくれた。

 助かるなぁ。どうもMMOプレイヤーの癖が抜けない。ちょっとしたアイデアが大金に換わると思うと、どうしても夢中になってしまう……。

 しかし、ここにはMMOを遊びにきたのではない。気を引き締めねば!


 『武器屋』は商店というより、鍛冶屋とショールームが合体したような感じだった。

 見てるだけで暑くなりそうな鍛冶場が設置されており、そこではNPCの鍛冶職人が赤く灼熱した鉄を叩いて何かを作っている。壁には雰囲気だしなのだろう、年代物ぽい剣や斧が飾られていた。

 中央のカウンターにはいかにもな外見のNPC――太ったひげ面の大男――が待機している。

 しかし、カウンターの上には板が吊り下げられていて、そこに取り扱いの武器がずらずらと表示されていたり……ショールームのように各種武器がディスプレイされているのはご愛嬌だろう。

 他にも「『簡易演算室』はこちら」だとか、「『演習場』はこちら」などの案内表示もある。

 しばらく吊り下げられた板を調べていたカエデが、困ったように聞いてきた。

「あれ? なんて言えばいいのかな……色んな武器があるけど……一種類ずつしか売ってないよ? 短剣は短剣だけしかないのかな?」

 しかし、聞かれた俺も軽く驚いていた。

 少なくとも一種類くらいは、初期装備より良さそうなものが売っていると思っていたのだ。俺が思っているより、このゲームのデザイナーは徹底していた。

「……あれだろうな。初期装備より良いものはプレイヤーに作らせるか、モンスターのドロップで獲得させるつもりなんだろうな」

 となると『武器屋』は序盤から複数の武器が欲しいカエデのようなプレイヤーか、剣以外の武器に拘りを持つプレイヤーぐらいにしか意味が無い。

「うーん……それじゃあ……仕方ないなぁ……金貨五十枚だし……短剣だけ買っておこうかなぁ……」

 NPCが販売する武器はどれでも一律金貨五十枚のようだが、改めて購入するとなると損をした気分になるだろう。カエデが渋るのも無理はない。

 そこでネリウムがカエデに提案してきた。

「それは少し勿体無いですね。どうです? 私の短剣を……そうですね、半額の金貨二十五枚でお譲りしますが?」

「いいの? でも、ネリーはどうするの?」

「私はもう少し向いてる武器に……後衛向きの槍だとか、弓などの飛び道具だとかに変えようと思っています」

「そうなんだ! それじゃ、短剣は買い取らせてもらうね。ありがとう、助かるよ!」

「いえいえ……私も予算が助かりますから」

 と、そんな会話がなされ、めでたくカエデの用件は終わった。

 その後、ネリウムの武器選びに付き合おうという流れになる。

「タンクやるなら俺も手投げ武器とか欲しいなぁ。いつも使っている千本とかないかなぁ……」

 ショールームの方を歩きながらリルフィーが恥ずかしいことを言いだす。

 千本とはリルフィーが『最終幻想VRオンライン』で愛用しているサブ武器で……ようするに投げる針だ。針といっても二十センチくらいあり、立派な凶器ではある。

 元々は隠し持つための武器で、リルフィーも自分の装備で隠せるように改造までしていたが……隣でそんなものを、得意げに使われる身にもなって欲しい。いっそのこと、トランプでも投げられたほうがマシだ。……それならギャグだと言い逃れができる。

「あっ……『スローイングダガー』がありますね。とりあえずコレにしとくかなぁ。もう少し細くとかアレンジできないのかな?」

 香ばしい発言をしながら『スローイングダガー』を手に持ってバランスを調べるリルフィー。

 『スローイングダガー』とは日本語訳すると手裏剣となるが、ただ単に手投げ用の短剣のことだ。手裏剣というよりクナイの方が形状は近い。さすがに消耗品と考えられているらしく、一本で金貨二枚と値段も安くなっている。

「ネリウムさんもどうです? 石よりは良いっすよ」

「……しかし、それでは……刺さりますよ?」

 ネリウムは不思議な返事をした。

「それが良いんじゃないですか! 力がなくても良いわけですし……形状がアレンジできるなら、もっと長く、太くして普通のダガーぽくして手持ちでも使えるはずですよ」

「刺さるのが良いのですね! それは……思いもよりませんでした。それにもっと長く? 太くが良いのですね? そして時には手で持って……刺すのですね?」

 ……なんだろう。二人の会話が微妙にずれている気がしてきた。

「槍とかも……アレンジできるなら太いほうが、実はいいんです。ユニバーサルデザインだとかは太いっすよね? あれはしっかりと持てるようになんですよ」

 リルフィーが武器の細かいデザインに言及しているのは、そんなに的外れではない。使いやすいとイメージできるほうが、上手く使うイメージをしやすいからだ。まあ、最終的にはイメージできるように慣れれば良いだけのことだが。

「鞭とかもそんなには悪くないですよ。意外と鞭は受けるのに使えるんです。ロープ代わりに縛ったりにも使えますしね」

「太い槍が良い? ……槍ですよ? それも太いのが? それに……鞭を受けるのも良いのですね! さらに縛ったりも……私、すこし侮っていたようです」

 ……なぜかネリウムの顔は赤くなっているし、鼻息も荒くなっている気がする。たぶん、俺の勘違いだろう。この二人の会話におかしなところは無いはずだ。

「『演習場』で実際に使えるはずですから……どれが良いのか試せるはずっす」

「……実際に……試す?」

 明らかにネリウムは興奮しているように見えるが……たぶん、光の加減だとか、現像時のミスだとか、プラズマだとかが原因に違いない! 何も厄介ごとは起きていない……はずだ。

 そして恥じらようにネリウムは続けた。

「あの……リルフィーさん……できたら……『演習場』に付き合って欲しいのですが……。できたらアレンジの相談も……やはり……二人でするのが……」

「へっ? 別に……それくらい……お安い御用ですけど……」

 ……おめでとう、リルフィー。お前は自分で自分の……なにかの用紙に署名をしたんだ。それが何なのか考えたくもないし、羨ましくもないが……とにかく、おめでとう。

 そんなことを考えていたら、突然、真面目な顔に戻ってネリウムが俺に向き直ってきた。……すんません! 俺は勘弁してください! 色々な扉はできたら開けたくないんです!

「というわけですので……少し、時間がかかると思います。それで――」

 ああ、共闘中でしたね。解かっています。俺にターゲッティングしないなら、どんな要請でもオッケーです! いまなら赤べこばりに首を縦に振る用意があります!

「アリサが『魔術学院』に興味があるようです。案内をお願いできませんか?」

 ……なるほど。そういうことか。最後まで頼りになる人だ。貴女との臨時共闘はじつに実りがあるものでした。

「解かりました。そっちは俺に任せてください」

 アイコンタクトを試みながら答えるが……なぜかネリウムは俺の方を見てなかった。アリサエマの方に注目している。

 まさか?

 ネリウムはアリサエマに根回しをしてくれていたのか?

 アリサエマの方はこれから戦いに赴く者のような……何かの決意を窺わせる表情で静かに肯いているが……そんなに気負わなくても平気だ。この先、アシストがなくても……あとは俺一人で何とかしてみせる。これだけのお膳立てで失敗するのは愚か者だ。

「それでは!」

 ネリウムはそう言って……リルフィーを半ば引きずるようにして『演習場』の方へ去っていく。

「あ、タケルさん、はぐれたら噴水広場でいいっすか?」

 ネリウムに引きずられるようにしながら、リルフィーはとんちんかんなことを言うが……少なくとも今日、再び会うことは無いだろう。いや、もうリルフィーと会うことは無いかもしれない。さようなら、古いリルフィー。こんど会うときは新しい……俺の知らないリルフィーだな。

 なぜか俺の脳内で古い曲が……晴れた日に子牛を売りにいく、あの曲が流れた。

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