誠一郎の言葉に、顔の怖い刑事はムッとした表情を隠さない。


「何度も言っているだろう。そのとき鍵を持っていたのはこの少女なんだ」


 誠一郎は臆することなく言葉を返す。


「普段はその役目ではない自分が、例外的に鍵を預かった日に、それを利用して盗みなど働くでしょうか。そんなことをすれば、すぐ自分に疑いがかかってしまう。しかも、一部屋からほんの一品二品盗むならまだしも、そんな複数の部屋から大量に盗んで回れば、発覚は免れません。普通に考えたらやらないでしょう」


「普通に考えられなかったんだろう。子どもは浅はかだ。目の前の欲にくらむことだってある」


 そう言い捨てる刑事。


 誠一郎からすると、逆にそんなに大人が賢く立派な存在だとは思わないのだが。


 誠一郎は切り返す。


「では、彼女のもとから、実際に盗まれた大量の金品は出てきたんですか?」


「まだ出てきてはないが……。どこかに隠しでもしたんだろう」


 歯切れの悪い発言をする刑事に、誠一郎が畳み掛ける。


「彼女は事件が発覚して容疑をかけられてから今まで、ずっと質問攻めにされていたそうです。一人になる時間などなかったはず。隠せるとしたら彼女が掃除していたという、関係者通路付近しかない。でも、そこはもう十分に調べられたんですよね?」


 この質問への回答はなかった。すなわち、よく調べたけれど見つからなかったということだ。


 誠一郎は別の切り口から迫った。


「この少女は『誰も通路には来なかった』と言っています。となると、犯人は扉から鍵を開けて入ったものではないと考えられます」


「窓は防犯のために、外出時は内側から鍵をかけることが徹底されているそうだ。しかも、壊された形跡はどこにもない」


「窓からではないでしょう。窓から入り込んだのでは、楽屋に人がおらずとも、外の人間たちの目に触れてしまうはずです」


 誠一郎は上部を指差した。


「恐らく、犯人はどこかの部屋から天井裏に入り込んだのでしょう。天井裏は部屋の隔たりに関係なく移動ができます。天井裏から板を外し、楽屋の部屋の中に下りる。劇場の性質上、ここには縄梯子が用意してあります。それを使ったのでしょう」


 天井という思いもよらない場所への着目に、周囲のみなが目を丸くする。


「被害に遭った楽屋の床はすすけたように黒く汚れていたそうですが、ホコリが積もった天井裏を移動したから、と考えれば説明がつきます」


 そこまで話した上で、誠一郎はあごに手を添え、視線を地面に落とす。思案しながら可能性を絞り始めた。


「あの天井の格子は、大人の男ではまず身体が通りません。細身の女性でも、相当な筋力がない限り、縄梯子を何度も上り下りし、狭い天井裏を這(は)って回るのは至難の業でしょう」


 そして誠一郎は視線を持ち上げた。


「そうやって消去法で考えていくと、ある少年たちが浮かび上がります。この劇場で、その身軽さを生かして縄梯子を扱う少年たちです。彼らはこの少女とも近しい存在だった。彼女が昨日、突然鍵を預かることになったのも知ることができたはず。彼らならその機を利用することで、今の状況のように少女に疑いが向くようにもできます」


 黙って話を聞いていた、というより何も口を挟むことができなかった刑事は、悔し紛れにこう反論する。


「な、縄梯子なら、この少女にもできたかもしれないだろう! この少女だって十分に小柄で身軽だ。裏の裏をかいて、その少年たちに容疑を着せようと思ってやったのでは……」


 刑事のとんでもない主張にも、誠一郎は冷静に言葉を返した。


「いえ。彼女は生まれつき片手の握力がとても弱いそうです。ただでさえ腕力と握力を使う縄梯子を、ましてや盗んだ金品を持って、何度も上り下りできるわけがありません」


 「ぐぐ……」と、刑事はうなる。悔しいが反論できる要素が何もない。


 誠一郎はまっすぐ刑事の目を見て言った。


「……すぐさま少年たちを疑えというわけでありません。ただ、こういう可能性もあるので、今この少女を連れて行くのはやめてもらえませんか」


 刑事はしばらく誠一郎と対峙した後、諦めたように息をついた。


 そして部下に指示を出す。


「……おい、その少年たちとやらに話を聞こう。連れて来い」


 その時、部下の一人が遠目であるものを目撃し、声を上げた。


「しょ、少年たちが逃げ出しました!」


「何だと!!」


 風のように走って劇場の門から飛び出て行く、数人の少年たち。恐らく今の誠一郎の話を聞いて、捕まえられるのは時間の問題だと思ったのだろう。


「追いかけろ! 絶対に逃がすな!」


 刑事の一喝を受け、部下たちが全力で走っていく。


 それからは事態があわただしく進んだ。


 館長らが急いで少年たちの使っていた控え室を調べてみると、そこから大量の盗まれた金品が出てきた。今回の楽屋泥棒だけでなく、以前より盗みを働いていたようだ。それが座敷童などの妙な噂につながっていたのだろう。


 やっと濡れ衣を晴らされた少女は、昨日からの疲労の蓄積と、緊張の糸が切れたことで、守るように抱かれていた椿月の腕の中で気絶するように眠ってしまった。


 それを「医務室で寝かせて来てやるよ」と、ひょいと抱えて行ってくれたのは神矢だった。




 騒動がひとしきり収まり、人の散っていった劇場敷地内の片隅にて。


 誠一郎は、ほぼはったりのような自分の即席の推理が間違っていなかったことに、深く胸をなでおろしていた。本当ならこの場で座り込んでしまいたいくらいだ。


 警察の人間相手にあれだけの威勢を張るのは、実はものすごく緊張していたし、もう二度とやりたくはない。


 汗でずり下がる眼鏡を指先で押し上げて、安堵の息をついた。


 でも、とにかく良かった。誠一郎は思う。


 椿月を悲しませずに済んだ。それだけでもう十分だった。


 視線の先、館長と話し込んでいる椿月の姿が見える。


 本当は近寄って話しかけたいけれど、早くここを立ち去らなければならない。彼女は「会いたくない」と言っているのだ。


 誠一郎は二人に背を向け、黙って去っていく。


 もしかしたら、彼女の姿を見られるのはこれで最後かもしれない。


 そう考えて、締め付けられるような胸の痛みを感じたとき。


「誠一郎さん……!」


 久々に聞く、自分の名を呼ぶ椿月の声。誠一郎はすぐさま振り返った。


 走りにくいハイヒールでよたよたと駆けてくる彼女は、自分の少し前に来て足を止めた。


 こんなに近くで彼女を見るのは、彼女の言葉を聞くのは、どれくらいぶりだろう。


 舞台のために妖艶に着飾っている彼女だが、昨日からの疲れがにじんでいるように見えた。


「……ありがとう。あの子を守ってくれて」


 椿月はまず、お礼の言葉を口にした。


 この舞台での姿の時に似つかわしくなく、椿月は遠慮がちに視線を地面にさまよわせている。


 誠一郎は緊張を覚えながらも、なるべく落ち着いて返事をした。


「いえ……。間違いが起こらなくて、良かったです」


 そうして会話が終わると、双方が黙ってしまい、二人の間を気まずい空気が流れる。


 誠一郎は今しかないと、勇気を出して口を開いた。


「あの……この間は本当に、すみませんでした。あの時家にいた人は、ファンだといい、手伝いがしたいと勝手に押しかけてこられたのです……。僕も具合が悪く、強く追い返すことができませんでした……。本当に、何の関係もない方なんです。もう今はいませんので……」


 先ほどの堂々としたふるまいがまるで嘘であるかのような、たどたどしく尻すぼみな説明。


 彼女の反応を待ったが、椿月はうつむいたまま、言葉を返さない。


 沈黙が流れる。


 誠一郎は自分の口下手さ、不器用さを呪いたくなった。


「……言い訳がましいことを、すみません。では……」


 そう言って頭を下げると、椿月に背を向けた。


 だが。足を一歩踏み出すと、後ろにに引っ張られる力を感じた。


 振り返ると、椿月が彼の着物の袖をつまんでいる。


 椿月は顔を上げた。


「誠一郎さん……。私もごめんなさい。あなたの話を聞こうともしないで……」


 てっきり怒りと悲しみで言葉も出ないのだと思っていた彼女の口から出た、思わぬ謝罪の言葉に、誠一郎は面食らった。


 椿月は彼を遠慮がちに見上げる。恥じらいを帯びた上目づかいの目は、まばたきを繰り返す。


「あなたの家から女の子が出てきて、思わずカッてなっちゃったの……。許して」


 いつも堂々とふるまっているように見えるはずの舞台姿の椿月の頬が、ほんのり赤く染まっている。


 大人びた赤い唇が紡いだ可愛らしい言葉に、誠一郎は胸にあふれた色々な思いをまとめて、


「はい」


 と答えた。


 そして、


「……また、貴女に会いに来てもいいですか?」


 と尋ねる。


 椿月は優しく目を細めて、うなずいた。


「うん。たくさん会いに来て」


 久しぶりに見る椿月の柔らかい表情に、誠一郎は自分の心がとけていくような感覚がした。


「あなたと会えない間、すごく寂しかったわ……」


 そう言うと、椿月はふいに彼の胸に額を寄せ、顔の横でぎゅっと彼の服を握った。


 この姿の時なら、いつももっと派手にくっついてくることだってあるというのに、彼から見える彼女の耳の端は赤みを帯びている。


 誠一郎は緊張で身体がこわばりながらも、彼女の肩にそっと手を添えた。


 彼女の温かさを身体に感じながら、


「僕もです」


 と、彼女の寂しさの隣に、自分の会いたかった気持ちを並べた。






 その後。


 誠一郎が家に戻ると、思わぬ人物と遭遇した。


「あっ。申し訳ございません……。忘れ物を取りに来ておりました……」


 家の前ですまなそうに眉をハの字にするのは、ある日からピタリと来なくなった琴子だった。


 深沢家に残して行ってしまったのであろう自分の荷物を、風呂敷で包んで胸に抱えている。


「もう、この家には二度と勝手に立ち入りませんので……。鍵も、お返しいたします」


 いつの間に鍵を持って行っていたのかと驚きつつ、誠一郎は黙ってそれを受け取った。


 琴子はしばらくもじもじしていたかと思うと、思わぬ謝罪の言葉を口にした。


「あの……申し訳ございません! わたくし……勝手に見てしまいました、先生の書かれたお手紙。あれは、先日来られた女の方へ宛てたものですよね……。わたくしのせいで誤解を与えてしまい、お二人の関係が悪くなってしまったのなら、謝ります」


 そう言って椿月は深く頭を下げる。


 誠一郎は彼女が自分の手紙を読んでいたことなど、今こうして言われるまで全く気がつかなかった。


 琴子の思わぬ告白は続く。


「……本当のことを申し上げますと、琴子と先生は初対面ではございません。記憶にはないかもしれませんが、わたくしは先生の同級生だった宮山実継の妹でございます。兄とのつながりでふとお見かけしたあなた様を、当時、陰ながらお慕い申し上げておりました……」


 今ならまだしも、当時の誠一郎の他人への興味関心のなさは筋金入りのものだ。こうして名前をあげられても、宮山という知り合いに心当たりは全くなかった。


 それでも、彼女がここまで真剣にそう言うのだから、それは事実なのだろう。


「けれど、春に色めく周りの方々と違い、いつもずっとご本と過ごされていたあなた様は、きっと女性や恋愛ごとなどに興味がないお方なのだと、そう思うようにして、琴子は諦めるよう努力いたしました」


 恐らく琴子は何がしかの方法で、誠一郎に近づいてみていたのだろう。


 しかしその結果は、誠一郎が全く彼女を覚えていないという地点で明白だった。


「……あなた様が小説家としてデビューなさったということを風の噂で聞き、興味がわいて著作を拝読いたしました。その作品の中で、あなた様は恋の苦しみや喜びについて、よく洞察された内容を書かれていて……。あなた様はそういう恋愛ごとになど興味がないのだと思って諦めたはずのわたくしは、たまらなくなりました……」


 琴子が家に押しかけてきたとき、彼女は誠一郎の「恋情語り」を読んだと言った。確かにあの小説ではそういったことを扱っており、恋に苦悩する男性の心理をえがいていた。


 琴子はうつむかせていた顔を上げた。


「……先生。わたくし、もしかしたら琴子を一目見た瞬間に、あなた様が『君か』と思い出してくれるかと思ったんですよ」


 そう吐露する琴子の目が、涙でうるんでいる。


 大粒のそれを、琴子は着物の裾でぬぐう。


「でも本当に、あなた様はあの当時、ご本しか見てらっしゃらなかったのですね……」


 誠一郎はその言葉のあとに、「私を見てはいなかったのですね」という言葉が聞こえたような気がした。


 琴子は涙をぬぐうと、努めて明るい表情を作る。


「琴子はとっくに分かっておりました。それと、あの『恋情語り』は、あの女の方がいたからこそ書き上げることができたものだということも、よく分かりました」


 もう一度深く頭を下げると、


「勝手にお邪魔をして、申し訳ありませんでした。今後の執筆活動も、どうか頑張ってくださいませ」


 と伝え、はかなげにほほ笑んだ。


 誠一郎は最後に一言、彼女にこう言った。


「……君のことを覚えておらず、申し訳ない。看病をありがとう」


 その言葉に琴子は黙って頭を下げ、去っていった。

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