ヘンリー王子にバレちゃった……!

 王城に来てから一週間。ヘンリーの指示に従って着々とウェディングドレスや結婚式のプランが進んでいた。悩んでいるフリで時間を稼ごうとした作戦はあっさりと見抜かれ、今やもう意見すら聞かれない。


 退屈しているだろうと気を利かせてなのか、最近は彼自ら作ったというクッキーを持参して二日に一回、昼頃会いに来るようになった。


数えられる染みもなく、特に他にやることもないのでティーテーブルの上に肘をつき、ぼんやりと部屋の隅を見つめる。


 ガチャリと鍵が外れる音が豪華な室内に響き、護衛と侍女を連れたヘンリーが姿を現した。


「こんにちは、今日はいい天気ですよ。まあ、窓もないこの部屋では分からないでしょうが」


 テーブルの上にクッキーを入れた籠を置き、護衛が引いた椅子に腰掛ける。すかさず侍女が温めたコップに紅茶を注ぎ、私とヘンリーの前に静かに置く。


 ヘンリーは侍女に微笑み、優雅にコップも持ち上げて紅茶の香りを楽しんでいる。


「ジュリア、返事は?」

「ご機嫌よう、ヘンリー殿下。本日も実に薄暗くて過ごしやすいですわ」


 屋敷に帰ることも王城の中を歩くことも、更にはこの部屋を出ることも禁止された。


 部屋の中にはトイレも風呂も完備され、室内からは絶対に開けられない仕組みだった。逃げ出せるような窓はなく、換気用のものは身長より遥かに高い位置にある。家具は全て螺子で固定され、ヘアブラシなどの小物は一切ない。


 使用人も全てヘンリーの部下であり、鍵を奪われない為に必ず三人一組で行動する。


「今日も拗ねているようですね。実家との連絡を絶ったのがそんなに嫌ですか?」


 貝のように押し黙ってヘンリーから視線を逸らす。彼がズイッとクッキーを私の方に押し、両肘をついて顔の前に組む。


「今日もジュリアの為だけにクッキーを作ってきましたよ。さあ、食べてください」


 ヘンリーの服の袖から覗く血の滲んだ包帯と目の前の星形チョコレートクッキーを見比べる。


「ジュリア」


 彼が再度念を押すように名前を呼んだ。深いため息を吐いて一口大のそれを口に放り込み、鉄の味が広がる前に紅茶を流し込む。


 嚥下する私の喉の動きを彼の瞳がねっとりと追いかける。胃の辺りに視線を落としたところでようやく気色の悪い表情を緩めた。


「満足ですか?」

「ええ、満足です。こうしてきみの体が僕のもので置換されていくというのは感慨深いです」


 悪趣味なヘンリーの発言に不快感を隠せず顔を顰める。それでも彼のご機嫌な鼻歌は止まらなかった。


「ああ、そういえばきみの屋敷から私物を持ってこようと思いまして……」


 ヘンリーが片手を軽く挙げると護衛の騎士が一冊のノートを取り出す。見覚えのあるそれに音を立てて椅子から立ち上がる。


「そ、それはッ!?」

「最初に読んだときは驚きました。ですが僕はもう気にしていませんよ、『ジュリア』」


 彼はペラペラと中身を興味なさそうに捲り、パタンと閉じる。


「これに書いてある黒魔術の使い手からも話を伺いました。あの時の『ジュリア』らしからぬ行動は全てきみがしたんでしょう?」

「……」


 片手で持ったノートが炎で包まれた。黒い煙をあげ、数秒で炭と化した残骸がパラパラと床に落ちる。


「僕が思っていたよりジュリアは僕のことが嫌いだったようですが、きみは違います」

「何を言って……あっ!?」


『なんて恐ろしいことを仰るんですか!?嫌です!!私はあなたがいないと生きていけません!!』というセリフやヘンリーを庇ったことが脳裏をよぎる。


 死ぬことを恐れるあまり、ヘンリーに媚びた言動がここで首を締めるなんてッ……!!!!


「ふふっ、アレと関係を修復する手間が省けました。婚約者として最期に良い仕事をしてくれましたね」


 平然とジュリアを扱き下ろし、かつての婚約者の姿を嘲笑するヘンリー。最高の茶葉を使った紅茶が半分ほど残っているにも関わらず彼が立ち上がった。


「名残惜しいですが時間です。それではまた明日、僕の愛しいジュリア」


 慌てて立ち上がり、ヘンリーと距離を取ると面白くなさそうに肩を竦めた。特段何か言うわけでもなく、彼は護衛と侍女を連れて部屋を出て行った。


 ガチャンと鍵のかかる音を確認し、彼らが完全に去るまで数秒待つ。口を押さえながら部屋の奥にあるトイレに通じる扉を開け、指を喉に突っ込んだ。げえげえと先ほど食べたクッキーを吐き出し、吐瀉物で汚れた口を水で清める。


「これがあのジュリアも恐れたヘンリー王子……ッ!正直これ以上ここにいたら気が狂いそうだ!!」


 血液入りのクッキーを食わせるなど正気の沙汰ではない。そもそも人を監禁している時点でまともな奴ではないのだが、ここまで常軌を逸しているとは思わなかった。


 結局は『ジュリア』という存在と結婚できればそれでよく、私の意思などどうでもいいらしい。ジュリアの記憶の中でも王妃としての教育を受けたこともないから元々結婚したら監禁するつもりだったのだろう。


 実に貴族らしい、世継ぎさえ出来れば用無しという考えに基づいた行動だ。ジュリアが鬱になるのも頷ける。


「助けは必ず来る。それまで耐えるのよ、自分!挫けたらあのサイコ野郎の思う壺!」


 トイレから出て頭を振り、椅子に座ってテーブルに突っ伏す。逃げ出せない密室にいるだけで憂鬱になるというのに嫌いな相手との会話を続けたせいで更に精神が削れたような気がする。


 私がジュリアでないとバレたのは想定外だったけどどうやらそれ以外の情報は幸いにもバレていないようだ。


 自分の身長より二倍高い位置にある通風口を眺め、今頃リリアと接触を測っているだろうジュリアの従者に想いを馳せた。


「上手くやってるかなあ、ソフィア……」

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