ヘンリー王子は優しいなあ……!
ヘンリーの電撃訪問から数日後、王城へ参上するようにとの通達が来た。緊張のあまり顔面蒼白になりながらも準備を整え、ヘンリーに案内された。侍女が恭しく談話室の扉を開ける。
先に座っていたアランとリリアが立ち上がり、軽く私に会釈する。私も軽く会釈を返した。
「今日はみんな来てくれてありがとうございます。どうぞ座ってください」
ヘンリーに促され、ふかふかのソファーに座る。当然の権利のように隣に座ってきた。
「ヘンリー様、本日はどのようなご用件で?ジュリア公爵令嬢をお呼びするとは何事でしょうか?」
背の高いアランから注がれる『なんでコイツ生かしてるの?』という絶対零度の視線に晒されながら椅子の上に縮こまる。
侍女の注いだ紅茶を飲んでいたヘンリーがソーサラーにコップを戻す。組んでいた足を広げ、頬杖をつきながらアランを睨みつける。
「僕の婚約者に君がイチャモンをつけてくるからこの際はっきりさせようと思ってね」
「イチャモン……?ヘンリー王子、今イチャモンと言いました?」
アランがダンッと机を叩き、身を乗り出してヘンリーに詰め寄る。私の肩が跳ね、それを見て青ざめたリリアがアランの腕を掴んだ。
「アラン様、感情で動いてはいけませんわ」
リリアの言葉で我に帰ったアランが渋々背もたれにもたれかかる。
その様子を見つめながら顔色を変えず、余裕の笑みすら浮かべるヘンリー。もしや煽っているのかな?喧嘩はやめて欲しい。
アランのようなムキムキなら私をぶちのめすなど赤子の手を捻るより簡単だろう。
「……。」
「…………。」
一触即発の無言の空気感が重くその場を支配する。辛い、顔を上げて目の前に座るアランをまともに見れない。チラリとヘンリーを見れば、彼は尚もアランに向けて挑発的な笑みを浮かべていた。
やめてくれ、アランが暴れ出しても知らんぞ。私は逃げるからな。
「アラン様、もういいんです」
沈黙を破ったのはリリアだった。首を振り、瞳を伏せて膝の上に乗せた手を握る。
「身分を弁えず無礼な態度を取ったのは私です。ジュリア様の親切心を蔑ろにした私には当然の報い、いえそれでも温情があるほどです」
リリアが立ち上がり、床に膝をついて謝り始めた。
「誠に申し訳ありませんでした。ヘンリー殿下の婚約者であるジュリア様へ行った数々の非礼、どうか私の命で償わせてください」
「いやいやいや、落ち着いて!そう簡単に命捨てちゃダメだって、ね?」
思わず令嬢言葉が抜けてしまったがどうにかリリアの土下座をやめさせるのに成功した。チューブトップのドレスを着ているから角度的に危うく見えるところだった……。間一髪リリアの女性的尊厳を守れてよかった。
「自分の立場をよく分かっているようで安心しましたよ、リリアさん。ええ、伯爵家の貴女と公爵家のジュリアは対等ではないんです」
平然と身分を盾にリリアを脅すヘンリー。『貴女を思う心に身分は関係ない』とリリアに告白していたヘンリーとは同一人物と思えない発言だ。
リリアへの脅迫行為を見過ごすアランではなく、今度こそ彼は立ち上がってヘンリーに噛みつく。
「ヘンリー様、いくらあなたでもそのような言い方は……!」
「許されない、とでも言いたいのですか?王太子の僕に対して一体『誰が』許されないというのでしょうね」
「ヘンリー様、言い過ぎです!もういいじゃありませんか!」
目の前のギスギスした雰囲気に耐えられず仲裁しようとすればヘンリーがうっとりと目を細めた。
「ジュリア、僕の愛しい天使。アランとリリアさんはたしかに苦楽を共にした学友です。ーーだからといって彼らは僕らと対等ではないんです」
「それはそうですが、なにも脅すーー」
言いかけた唇を指で押される。じいっ、と顔を覗き込まれながらゆっくりと語り始めた。
「そして、婚約者であるきみも僕と対等ではありません。きみは僕の言うことに従っていればいい、この意味が分かりますね?」
脅しとも取れるような発言を婚約者にもぶつけるヘンリー。微笑んではいるが瞳は笑っていない。いわゆる、作り笑いを浮かべていた。
ヘンリーの瞳の奥に燻る怒りの炎に全身の鳥肌が立つような悍ましい感覚を思い出す。
「ヘンリー様、変わってしまいましたね。以前の貴方は誰に対しても優しく、身分制度に反対していたというのに……」
「平民と貴族は住む世界が違う、そう教えてくれたのはリリアさんじゃありませんか」
まさかコイツ、リリアへの失恋を根に持ってジュリアとの婚約を続けているのか!?結婚に意欲的なのも結果的にリリアを奪ったアランに当て付けるため!?
それまで目をつり上げ、ヘンリーを睨み返していたアランがフッと寂しげに目を伏せた。
「そう、ですか……俺たちは国を出ます。恐らく二度と会うことはないでしょう……」
「そうですか、それはとても寂しいですね!」
笑顔を崩さず会話を続けるヘンリー。声は喜色ばみ、別れを惜しんでいる様子は微塵も感じない。
この国には、戸籍を捨てるという権利も国を出るという権利も保証されていない。また、他の国でも移民を受け入れる制度は整っていない。国を出るということは身分も家名も捨て、政府の庇護なく彷徨うことになるのだ。
野盗に襲われたとしても病に罹ったとしても自力でどうにかしなければいけない。家や土地を買うこともできず、治安を乱す存在としてやっかまれる。
「……もう、用件は済んだでしょう。退室させていただきます、行こうリリア」
「失礼します」
ヘンリーに脅されたことで青を通り越し、白い顔でガクガクと震えるリリアをアランが慰めながら部屋を出て行く。
「幸運を祈っています、さようなら」
組んだ足を下ろす事なく、手をヒラヒラと振って見送るヘンリー。親友との今生の別れを見送るにはあまりにも無礼な態度である。
私がアランやリリアとの確執を結婚を渋る理由に使ったから二人はこんな目にあったんだ。ヘンリーが優しいと、親友を追い詰めることはないという思い込みでこんな事になったんだ。
「ヘンリー様、彼らに何をしたのですか?」
「僕は何もしていませんよ、ジュリア。それよりもこれで問題は片付きました。もう異論はありませんね?」
質問をはぐらかされ、逆に追い詰められる。返答に困っているとヘンリーが使用人に指示を出す。
「控えていたポポルを呼んでこい」
一人が頭を下げ、控えていた他の使用人が机や椅子を脇に避けていく。
「僕との婚約に乗り気ではない様子……困りましたね」
仕立て屋のポポルが飾りのないドレスを持って部屋に入ってきた。次いで入室した使用人が裁縫箱や宝石を運び入れる。
「婚約とは契約。王族との契約に対して良い感情を持っていない、ということは反逆の意思があるーー」
抵抗する間も無くコルセットを外され、上からドレスを重ね着するような形で腕を無理やり通される。「サイズはピッタリ、特に変化はないようです」と告げるポポル。
「ーー勿論僕はジュリアが斬首台に登るところは見たくありません。処刑される親や使用人の姿も当然ーー」
ポポルはドレスの裾に様々なレースを当て、首を傾げたり頷いたりしながら作業を進めて行く。距離を取ろうとするが背後にいる使用人が邪魔で動けない。
「ーー見たくないでしょう?」
もはや私の意見などお構いなしである。ペラペラと喋るヘンリーは勝手にドレスのデザインにあれこれ注文をつけ始めていた。
「まあ、乗り気でなくとも構いませんよ。結婚してしまえばこっちのものです」
「ヘンリー、アンタ何を言ってるのか分かってるんですか……ッ!」
「名前で呼んでくれましたね!とっても嬉しいです」
嬉しそうなヘンリーと「おめでとうございます」と無表情で手を叩く侍女。他の使用人は反応することなく着々とドレスのデザインのメモを取ったりしていた。
「安心してください、ジュリア。一時的ですが、結婚式まで王城で過ごせるように手配しました」
「は?王城で過ごす?」
「これから夫婦となるのです。お互いのことを知る必要がありますが、なにぶん僕は王太子であり中々城の外に出ることはできません。そこで僕は閃いたんです」
ヘンリー王太子はこれからの幸せを思い描き、弧を描く口元を隠すこともなく目を細めた。彼の一切偽りのない、家族にすら見せたことのない本当の笑顔を浮かべたのだ。
「これからは
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