林の中のお鍋と象 2019/11/08
十一月八日。
今日もマフラーが欠かせない寒さだ。
この間と違い二桁を下回る気温ではないが、少しばかり北風が吹いている為に体感気温はさらに低くなっている。
今日からシャツの下に着始めたヒートテックの効力に感心しつつも、尚更冬の到来を意識させる。
なんといっても今日で立冬なのだ。
毎朝見ているニュース番組のお天気お姉さんが、今夜は鍋なんていかがでしょうかと話していて、鍋をゆっくり食べれるような時間に帰宅できる人達が少しだけ羨ましくなった。
近年は殆ど死語となってしまったが、今日は所謂 "華の金曜日" ハナキンというやつである。
仕事帰り、居酒屋で日本酒をやりながら鍋をつつくなんてのには絶好の日だろう。
「なんか急におっさん臭くなったわね。まぁ気持ちはわからないでもないけど。今夜はこたつ鍋には最高の日よね。」
「食べ物によって意識的に季節を感じてみるのはやっぱりいい。月末の二十九日には毎月焼肉と決めるとか、そういう短いスパンのものも面白いしね。これは定番だけど、土用の丑の日にはうなぎを必ず食べるのは個人的に徹底したいところかな。」
「日本人って特に、そういうところ節操ないわよね。ほとんどの人が無宗教なのに、バレンタインデーとかクリスマスの時だけキリスト教取り入れたりとかするし。」
「ボクもそうだけど、みんな何かにかこつけて贅沢がしたいんだよね。自分に言い訳しないとなかなかそういう事が出来ないのが日本人の気質なんだろうと思う。」
あまり一般教養がある人間ではないからなんとも言えないが、日本人は贅沢というものを避けてきた印象が漠然とある。
「孤独に歩め。悪をなさず、求める所は少なく。
林の中の、象のように…ってやつ?」
「日本には仏教がかなり浸透してるから、そこでそれを持ち出すのも間違いではないかな。君がそれを知ったのは映画でだろうけど。」
ボクの好きな映画である。
あの監督の作品は、どれも雰囲気が良い。
何故売れているのかはわからないが。
「ボクもその言葉は好きだけど、求めるところは全然少なくないから、好きなだけでまだ実行は出来てないかな。」
違いないわねと彼女が笑う。
「でも、今身を削って稼いでいるのも、そのうちそういう生活がしたいと思うからなんだ。その為に環境を整えるのが今は肝要かなと思ってる。だから今のボクのお金の使い道は殆ど服なんだ。」
服が揃ったら、家具を買うお金と引っ越す為のお金を貯めて、準備が整ったら家賃が少ないところで細々と暮らしたいと思っている。
労働時間は少なめ。休日昼間は近所をゆっくり散歩したり絵を描いたり。夜には家で映画を観ながら、ブランデーを一杯だけゆっくりと飲む。
これなら月に十二万も手取りで貰えればなんとかなるだろう。そういう暮らしがしたいのだ。
「ボクは本当はとかく目立って何もしない生活がしたいんだ。たまに料理の美味しいお店に行って、ゆっくりと食事を取るのが一番の贅沢ってぐらいが丁度いいかな。今は仕事が忙しいから、つい息抜きしたくなっちゃうけどね。」
「今のアンタを見てると、とてもそれが叶うようには思えないけどね。」
「まぁなんだかんだ、服とか家具は買い換えていく気がするよ。カーテンとか部屋に飾る絵とか、少しずつ買い足していきそうな気がするし。」
ボクは出来れば、全ての部屋に絵画を一点だけ置きたいと思っている。ルームシェアをしている今の生活では難しいが、一人暮らしを始めた暁には必ず実行するつもりだ。
「その為には、やっぱり小説で一発当てないとね。印税生活っていうのはやっぱり夢があっていい。家でこんな風に適当なことを書いてるだけで生活できるなんて、夢のようじゃないか。」
「そういう事が平気で言えるあたり、アンタも結構、神経図太いわよね。でもま、そういうところ嫌いじゃないわ。」
「ボクのこれがもっと多くの人に、こんな風に許されるようになれば生活が楽になるんだけどね。とりあえず今は、こうして細々と続けていく事にするよ。」
それがいいわ、と彼女が頷く。
少しだけ形の崩れたマフラーを巻き直して、職場への道をゆっくりと歩いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます