懐石料理とこたつむり 2019/11/02 その3

今期の最低気温が、また今日で更新されたらしい。

ついにヒトケタとなったその外気が、ボクと彼女の体を容赦なく突き刺す。

今日はボクも彼女に見習って、カシミアのマフラーを巻いている。

実はこれが人生初のカシミアデビューだったので、この寒さの中、ボクはボクなりに少しばかり上機嫌だったりする。

カシミアのマフラーといったら平均三万円ぐらいはするものだが、このマフラーはネットショップのセール特別価格で七千円だった。破格である。

これだからネットショップでの買い物はやめられない。


「とはいえ、マフラーしてても寒いもんは寒いよね。首元もそうだけど、厚手のパンツを履かないとどうも足が冷えてしまう。このスラックスは気に入ってるけど、冬をこれで越すのは厳しそうだね。」

「アンタ、わかった上でチキンレースしてるでしょ。他にも履くもんあるんだし、もうそのスラックスは春先まで仕舞っておいたら?」

「そういう君だっていつもスカートじゃない。寒くないの?」

「そら寒いわよ。でもいいの、女の子だから。」

この "女の子だから" という一言の、なんと説得力のあることか。

この寒空の下でスカートを履くという行為を幼い頃から強いられてきた彼女たちは、ファッションというものに対して男性よりもストイックだとボクは思う。

中学、高校と、寒い中スカートの腰回りを何回も折り曲げ、脚を長く見せるためにいかにスカートを短く履けるかという事を追求してきた彼女達である。

ボクら男性とは、なんというか "シノギの発想がが違う" のだ。

「ほら、服談義はいいから、さっさと日記の続きを書きなさい。こんなんじゃまた、書き終わらなくなっちゃうわよ。」

「そうしよう。これ以上長引かせるのは、ボクとしても本意じゃないからね。」

最近スマホを見る時間が長くなり、いっそう酷くなった肩こりを気にしながら、ボクはスマホのメモ帳を開いた。




喫茶店を出たボクたちは、タクシーを拾い懐石料理屋へ向かう事にした。

タクシーなんて普段は高いから使わないけれど、バスは時間調整が面倒だし、店まではタクシーでもかかって千円弱だ。

こういう時ぐらい、タクシーを使っても構わないだろう。


五分程して、タクシーは店に到着した。

山の中にある店の敷地はかなり広いく、料亭というよりはむしろ温泉宿といった風である。

タクシーはその広い敷地内に乗り入れ、茅葺門の前でボクたちを降ろしてくれた。

門をくぐるとそこは竹の生い茂った緑のアプローチとなっており、足元には石畳が続いている。

暖色の柔らかい灯りが道を照らし、ボクたちの高揚した気持ちも穏やかな暖かさに包まれていく。

到着を知らせる為に、先にある帳場へと入る。

中には様々な陶芸品が並んでいて、そのどれもが美しくついついそれに魅入ってしまう。

実はここの主人は陶芸家でもあって、店を出て少し行ったところに陶芸の工房やギャラリーを構えていて、定期的にに陶芸教室まで開いている。

帳場での受付をすませ、若い見習い風の店員の案内についていく。

案内先は、帳場の奥ではなく外だ。

この店の食事処は一つではなく、古民家風のプライベート空間で囲炉裏を囲むことができる "離れ" がいくつも存在するのだ。

茅葺門から帳場までの途中にあった分かれ道に戻り、少しずつ上に登っていく。

途中には小さな水車があったり、猫やカエルを模した陶器像があったりと、まるで某テーマパークのアトラクションに乗る前のような気分になってくる。

そうして緩やかな階段を少しずつ登っていくと、今日ボクたちが食事をする離れの一つに到着した。


玄関の引き戸を開けると、囲炉裏から漂ういい香りがボクたちの鼻を擽る。

中は畳の部屋で、その中央には赤くなった炭が囲炉裏の中で静かに熱を発している。

その熱に導かれるように、ボクたちは囲炉裏を囲んでゆったりと腰を下ろした。

まずは食前酒として自家製の梅酒、そしてその隣に本日のお品書きが書かれた紙が添えられる。

突き出しの五郎島金時のムースで始まるそのお品書きは、読んでいるだけで心踊るものばかりで埋め尽くされている。


食前酒を飲み終わり、まずは三人ビールで乾杯。

その後は次々と運ばれてくる料理に舌鼓みをうちながら、日本酒や焼酎の蕎麦湯割りなどをそれに合わせていく。

このお店は手打ち蕎麦を推しているお店で、今回は蕎麦懐石を誕生日祝い用に少し豪華にしたものを頼んである。

わかさぎの甘露煮、ほうれん草のおひたしのいくら添え、チーズの西京焼き、生こんにゃくの田楽、これらを含めた六品ほどが前菜としてプレートで出てくるような懐石である。

お造りに季節の刺身は当然として、お椀ものではたらば蟹の長芋揚げに、囲炉裏での炭火焼では四方竹に能登地どり、しまいには黒毛和牛だ。

さらに焼き物は、お祝いの席という事で鯛の炙り焼きになっていたし、ご飯ものはてっぺんに金粉が散りばめられた赤飯である。

この全てが絶品であった事は書くまでもないだろうが、これに平然と肩を並べられる蕎麦というのもなかなかお目にかかれないだろう。


夢中になって愉しんでいたところ、全部食べ終わって一息ついた頃には、部屋に入っておよそ二時間が経過していた。

楽しい時間というのはいつでもあっという間に過ぎていくもので、この部屋の心地よさもあいまって 『もうしばらくここにいたい。いっそここに一泊出来たらどんなに幸せだろうか。』 そうボクたち三人の誰もが思っていた事だろう。

食後のデザートの前に、誕生日祝いとして自家製のグラスまで貰い、名残惜しみつつ部屋を後にした。


翌日は日曜。

ボクもこの日に飲み過ぎても問題ないよう翌日は休みにしておいたので、家に帰ってからも三人でだらだらと喋っていた。

ボクの仕事が不定休なおかげで、こういう時間もあまり取れなくなっている。

ボクの部屋にこたつがあるのもあいまって、こういう時にはこうしてなんともなしにだらだらと過ごしてしまうのであった。


二人が部屋に戻った後も、ボクはこたつから抜け出せず長い事だらだらうだうだとしていた。

さっさとお風呂に入って布団に入るべきなのに、いったんこたつに入って横になると、体を起こす気など全くなくなってしまうのだ。

こうしてこたつと一体化したまま寝て起きてを繰り返し、気がつけば空が明るくなっていた。

時刻は午前七時。

ボクは脱皮するように、ようやくして、のっそりとこたつから這い出てお風呂に入る事にした。




「で、そのまま一日を家でだらだら〜と過ごしていたわけね。」

「一日中ってわけじゃないよ。夕方には少しばかり予定があったからね。その話も明日あたりに少し書いてみようかな。」

しかし、ほとんど彼女の言う通りでもあるから、さほど書くことがあるわけでもないのだが。


「まぁ、明日何を書くかは明日考えるよ。とりあえず区切りもいいし、今日の日記はこれでお終い。どうかな、とりあえず十一月二日の分は、これで満足かな?」

彼女がゆっくりと、大儀そうに頷く。

肩こりは更に酷くなったが、少しばかり肩の荷が下りた気がする。

スマホの見過ぎでぼんやりとした頭をすっきりさせるために、ボクは車窓から見える景色を、またぼんやりと眺めていた。

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