喫茶店にて 2019/11/02 その2

十一月五日、晴天。

少し前まで長い事雨が降り続いていたのが嘘のようだ。

雲ひとつない、真っ青な空。

こういうのを秋晴れと言うのだろうが、今朝の寒さはもう秋を通り越して、冬の訪れをボクたちに感じさせる。

とりあえず手袋はして外に出たのだが、何故マフラーもしてこなかったのかと、家を出てすぐに後悔した。

ボクの隣で電車に乗る彼女も、外気の冷たさに耳をほんのり赤くしている。

ボクも彼女も、寒さにはとことん弱いのだ。

家で早くも活躍しているこたつが、二人のそれを証明している。


「耳が冷えすぎて、若干頭が痛くなってきたわ…ああもう、なんでこんなに寒いのかしら!昨日まで日差しに当たってれば暖かかったのに!」

彼女はボクと違いしっかりマフラーをしているが、耳あてまでは思い至らなかったらしい。

しかし今からそんな事を言っていては、この先本格的に冬が来た時どうなってしまうのか知れない。

「確かに急な気もするけど、十一月八日には立冬だからね。時期としてはこれぐらい寒くなっても何も不思議な事はないよ。」

「そんな理路整然とした言葉が聞きたいんじゃないの!」ずびびっと鼻をすすりながら鼻炎気味の彼女が言う。

こういう寒い日では、ボクや彼女のような鼻炎持ちは、少しばかり苦労するのだ。

「なんでもいいから、早く日記の続きを書きなさい!数少ない読者が待ってるわよ!」

カバンからティッシュを取り出すのに難儀している彼女に頷き、ボクはスマホを取り出した。




アパレルショップを出たあと、ボクと友人はその夜予約していた懐石料理屋に向かう為、電車に揺られていた。

実はその日は、友人の誕生日を祝う日だったのだ。

ストレートに"誕生日"ではなくこんな回りくどい言い方をしているのは、それがとっくに過ぎてしまっているからである。

本当なら彼の誕生日は九月十六日なのだが、なかなかスケジュールの調整が上手くいかず、結局ここまで長引いてしまったのだ。

「いやぁついに来たね、この日が!ワクワクが止まらんわ!またあそこで飯が食えるってのが最高すぎる。」

先ほど買ったばかりのコートを羽織った彼が、顔をほころばせながら言う。

実は去年も、彼の誕生日を今日予約している店でで祝っている。

あまりにもいい店だったため、去年行ったその日から、来年もリピートしよう!という話になっていたのだ。

ボクとしても、彼の誕生日を祝う事は勿論だが、そもそも自分があの店に行きたいという思いも十二分にあった。


予約しているお店の最寄駅で電車を降り、喫茶店にて一緒に席を共にするもう一人の友人を待つ。

少し唐突な話ではあるが、実はボクとこの友人二人とは、四年前からルームシェアをしている仲だったりする。

3Kのマンションの一室で、六畳の部屋が二つ、四畳半の部屋が一つとプライベートの部屋も完備されている、広さとしては十分な物件だ。

キッチンもリビングキッチンと言っても差し支えない程度に広く、三人で食事を取るのにも難儀しない。

当然お風呂とトイレは別になっているし、マンションのすぐ向かい側にはスーパー、近くにはドラッグストアとコンビニが二軒ずつと、かなり便利なところである。

それでいて、家賃は駐車場代を含めて七万八千円だ。

駅から徒歩二十分弱と、少しばかり駅からは遠いが、それを超えるお得さがこの家にはある。

この住み心地の良さがモノを言うのか、それとも単にボクたち三人の仲が良いのか──ともかくも、三人で暮らし始めてすっかり四年も経ってしまった。

最近流行りのシェアハウスのように見知らぬ誰かと住んでいるのではなく、彼らとは中学、専門からの友人なので、こうしてお互いの誕生日を祝うのも当たり前になっているのだ。


喫茶店に腰を落ち着けて程なく、もう一人の同居人がやってきた。

ボクたち二人はある程度ラフな格好だが、何故か彼はバッチリスーツでキメている──いや、普段着慣れてないのがまるわかりの不自然さなので、キマっているとは言い難い。

彼の仕事は福祉職なので、スーツを着る必要など全くない。そもそも、今日は土曜日だ。

「なんでわざわざスーツ着てきたの?転職活動?」

「前回は服装についてボロクソに言われたから、今回は一応キチッとしとこうと思ってさ。」

「いや、意気込みは買うけど、別にスーツで来なくても…。」

装いが完全に仕事上がりのサラリーマンだから、誕生日祝いというより、どちらかと言えば取引先の接待に来たみたいになっている。

アパレルショップでの買い物を共にした方の友人とボクは割と服にはこだわる方なのだが、今スーツを着た彼は、普段服装に無頓着なのだ。


以前、誰かの誕生日を祝う席で、仕事で着古したよれよれのTシャツにこれまた着古したパーカー、それにくたびれたジーパンを履いてきた事があった。

その時ボクは、彼の服装にかなりの難癖をつけたのだ。

別にタキシードで来いとは言わないが、誰かの誕生日を祝う時ぐらい、多少服装にも気を使うべきではなのかと。

例えば好意を持った女性とデートに行く時、そんな適当な格好で行くだろうか?

服装や清潔感に気を使うというのは、時間を共有する相手に対して敬意を払うという事だとボクは思う。

だからこそ、普段ただ適当に飲みに行くならまだしも、人の誕生日を祝う時ぐらい、その気持ちをまず外見から表すべきだと思うのだ。


「努力は認めなくもないけど、的外れ感がハンパじゃないね。とりあえずこのままじゃサラリーマンから脱却できないから、こいつでなんとかしよう。」

そう言って、ボクはポケットからハンカチを取り出す。

その日ボクが持っていたハンカチは、ハンカチとしてだけでなくポケットチーフとしても使えるようにと購入したものだった。

まさかこんなところで役に立つとはと思いながら、彼のスーツの胸ポケットにクラッシュパフの状態で突っ込んだ。

これで幾分か、ただのサラリーマンから脱却できた気がする。


「とりあえず、今日はしょうがないとして…。スーツを着るにしても、その靴だけはそのうちなんとかした方がいいね。」そういってボクは、彼の靴を指さした。

それは黒のレースアップシューズなのだが、そのつま先は泥で汚れ変色しているし、なによりデザインからして紳士靴の様相を成しているとは言い難い。

大方、激安量販店で買った三千円もしない靴だろう。もっと高額で買っていたとしたら、絶望的に見る目が無いとしか言いようがなかった。


「それじゃ紳士靴というより、どちらかといえば安全靴だ。」

「確かにこの靴は少しアレかなと思っていたけど、そうか、そんなにダメか。」

少しアレというか、大分アレである。

「もしよかったら今度一緒に見に行こうか。チェーン店の安いものでも、十分いいものが購入できると思うよ。」

そう提案して、ボクたち三人は喫茶店を出た。




「は?へ?これで終わり!?」

「今日のノルマはこれで十分だと思うからね。続きは明日でいいでしょ。」

「良くないわよ!一日の日記を三分割するヤツが何処にいるのよ!」

ここにいるでしょ、といいながらスマホを閉じる。

溜息をつく彼女を尻目に、ボクは窓の外の景色を眺めていた。

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