デート 2019/11/01 その2
── 十一月三日、午後三時。
電車の中から眺める空は、昨日とは打って変わって厚い雲に覆われている。
いつもの通勤時間と違いガラガラの電車内。
どこか寂しげなその車内の椅子にゆったりと腰をおろし、ボクはこうして日記を書いている。
「今日も遅れちゃったわね。日記のこーしん。」
ボクのとなりに腰掛け行儀悪く足を放り出しながら、所在なさげに外の風景を眺めていた彼女がぽつりとつぶやく。
いつもハツラツとした彼女だが、今日は随分と気が抜けている。
昨日の夜から今日の昼にかけて、寝て起きてを繰り返しながらコタツでダラダラしていたせいだろう。
この空の暗さと、快適なのか肌寒いのかどこか判然としない外の空気。それにこの寂れた車内の雰囲気もあいまって、どこか世俗から隔離されてしまったような、足もとの頼りなさを感じていた。
「昨日の日記の続き、ちゃんと書きなさいよ。」
特に興味もなさげに彼女が呟く。
もちろんそのつもりだと彼女に軽く頷いて、スマホにまた向き直した。
一昨日は出会い系アプリで知り合った女性と水族館に行っていた。
都内にある巨大な公園と一体になった水族館だ。
空は雲ひとつない快晴で、駅の改札をくぐるとふりそそぐ日差しが心地よく、体をじんわりと暖めてくれる。
水族館へ向かう足取りも、自然と緩やかになってくる。
今日会う子の事など早くもどうでもよくなってきて、もうこのまま公園の芝生にでも横になって一日日向ぼっこでもして過ごそうか──そんな気持ちも少し芽生えた。
水族館のチケットを先に二枚購入し、入り口近くのベンチで本を読みながら相手を待つ。風もなく、ぽかぽかとした陽気の中での読書は最高だ。
彼女との約束が無ければ今日ここには来なかっただろう。デートの場所をここに決めたのはボクだけど、ボクの提案に付き合ってくれる相手に少しだけ感謝した。
「こんにちわぁ。今日はよろしくおねがいしますぅ。」
十時四十八分。約束の時間を少しばかり過ぎた頃、ボクのいるベンチに彼女は来た。
すこし電車が遅れているという連絡をもらっていたし、そもそもボクはここを出来るだけ離れたくないと思っていたぐらいなので、とかく腹を立てる事もなく彼女に挨拶を返す。
アプリでは顔を公開してなかったので、彼女を見るのはこれが初めてだ。
お世辞にも可愛いとは言えないが、かと言って今日一日が憂鬱になるほどのものでもない。
トンデモナイのが来たらどうしようかと少し不安な気持ちもあったが、どうやら要らぬ懸念だったようだ。
買っていたチケットはそれぞれ印刷された絵が違う。好きな方を彼女にとってもらって、二人で水族館に入っていった。
入り口からすぐのエスカレーターに乗り下へとおりると、まず最初に目に入ってきたのはサメの入った巨大な水槽だった。
「わたし、シュモクザメ好きなんですよ。ハンマーヘッドシャークっていうんですか?あの変な形いいですよね。」
どうやらボクと彼女の趣味は大分似通っているらしい。
色んな種類の魚を見ながら、会話もさして途切れる事なく水族館を回っていく。
ある水槽ではダイオウグソクムシの食事風景に少しばかり戦慄し、別の水槽ではカエルウオの可愛いさに目を奪われ、そしてまた別の巨大水槽では、大量に泳ぐマグロの速さとその大きさに圧倒された。
「こうしてガラス越しに見ているとなんともないけど、実際海の中でこんなデカイ魚に遭遇したら、恐ろしくて身動きとれなくなりそうですよね。」
そういいながら彼女が笑う。
ボクも全く同じ意見だ。
世の中ではダイビングが趣味という人がたくさんいるけれど、ボクにはそれがあまり理解出来ない。
海自体は好きだし、こうして水槽越しに魚を見るのは好きだ。
しかし、いざ実際海の中で彼らに敵意を向けられたら、きっと陸で生活しているボクたちはひとたまりもないだろう。
海というなんの寄る辺もないところで彼らと遭遇する事は、ボクに対しては感動よりも恐怖を生むものなのだ。
水族園近くにあるホテル併設のレストランで食事を済ませたボクたちは、とりあえず数駅離れたところにある巨大ショッピングモールに足を向ける事にした。
今日は一日、お互い予定がないのだ。
今の時刻はおよそ十四時。ここで解散しても、今日の残りをどう過ごすか迷ってしまうだろう。
ショッピングモールの最寄駅に降りると、平日の夕方だというのに、多くの人でごった返していた。
考えてみれば、近くの会場ではモーターショーが開催されている最中である。
道を行く人々の手にはピンク色のバンドが巻かれ、彼らの目的がそれである事を教えてくれる。
ボクも彼女も車にとかく興味があるわけではないので、人波をかき分けながらショッピングモールへ向かう事にした。
どうやらモーターショーからショッピングモールへ人が流れてくるといった事は無いようで、中は特に混雑してはいなかった。
二人で胸をなでおろしながら、特にアテもなくぶらぶらとモール内を歩く。
途中ボク行きつけのアパレルセレクトショップを見つけた。
彼女にことわって服を色々見ていたが、彼女もそれに快く付き合ってくれた。
話を聞くと、人が服を選んでいるのを一緒に見るのも好きらしい。
服を一緒に見ながら、知っているブランドの発祥や、ジャケットの良し悪しの見分け方などを教えてみると、彼女もその話を面白そうに聞いてくれた。
それからまたアテもなく歩き、気まぐれに近くにあった雑貨屋に入る。
どうやらその店は個人デザイナーが趣味で作った様々な作品を集め販売しているところで、各デザイナーの作品と一緒に、彼らの軽い経歴も紹介されていた。
実は今日一日を共にしている彼女も、日々切り絵やらアクセサリーやらを趣味で作成している。
彼女も感じ入るものがあったのか、店に置かれた様々な作品を興味津々に眺めていた。
折角一緒に色々と回るなら、出来るだけ彼女の愉しめる場所に行けた方がいい。
気まぐれに辿り着いたこのショッピングモールだが、ここを選んでよかったと思った。
二人で散々ショッピングモールを歩き回った後、お互いが別れるのに丁度いい駅まで移動し、そこで夕食をとる事にした。
彼女もボクもお肉が食べたい気分だったので、電車内で調べておいた焼肉屋に入る。
食べ放題はなく値段は張りそうだが、こういう時にケチケチしていたらろくに楽しめないだろうと腹をくくる事にする。
メニューを見ると、珍しい事に薬味の中にわさびが用意されていた。
焼肉にわさびというと不思議がる人も多いだろうが、実はステーキなり焼肉なり、焼いた肉にわさびはとても相性がいいのだ。
彼女もボクも肉にはわさび派だったので、迷う事なくそれを頼む事にした。
始めの飲み物はボクは生ビールで、彼女はソフトドリンクだ。
話を聞いてみると、そもそもアルコール自体があまり得意ではないらしい。
ボクは相手が飲んでようが飲んでいまいが気にならないタチなので、合わせなくても大丈夫だと彼女に伝える。
一口に言って、この焼肉屋の肉は絶品だった。
タンはチェーン店と違って分厚くジューシーだし、カルビ、ハラミも弾力がありつつも柔らかく、何より中から溢れる油に甘みがあってとても美味しい。
ボクと彼女は肉を次々と焼きながら、ご飯にビビンバにと他にも色々平らげていく。
彼女は冷麺が好きで、シメは必ず冷麺と決めているらしい。
「キミ、女性の割に結構食べるね。それでその体型を維持しているってのは素晴らしいね。」
ボクとしての素直な感想だ。
彼女は特に細身というわけではないが、間違いなく太っている部類には入らないだろう体型をしている。
アナタだってそれだけ食べて痩せてるじゃないですか、と笑う彼女。「実は足が結構ヤバイんです。えーとなんでしたっけ、せろ…せろふぃるむ?せるりあん?」
「セルライトね…キミは今日ロングスカートを履いてるからなんともいえないけど、そんなに言うほどヤバイとは思えないけどな。」
「ヤバイからスカートしか履けないんです。パンツはウエストに合わせて履こうとすると、太ももがどうしても入らなくて…。」
聞くと彼女は職場まで自転車で通っているらしい。
片道30分漕ぎっぱなしなようで、それなら脂肪もそうだが筋肉もそうだろうと二人で笑う。
店に入って二時間ほど。
食後のデザートまできっちり平らげ、二人で顔をつやつやにしながら店を出た。
「焼肉屋を出た後は、普通にその場で別れてその日はお終い。一応、アプリ外でもやり取りできるよう連絡先は交換したけどね。」
あらそう、と彼女が短く相槌をうつ。
ここまで長く日記が続くとは思わなかったのか、彼女が深くため息をつく。
途中で終わるのもなんだかなと長々と書き続けたが、ボクも流石に少し疲れた。
「やっぱりそのまま一緒に夜を過ごそう!とはならなかったか。まぁ、相手がアンタならしょうがないわね。」
フフンと鼻を鳴らしながら嘲るようにボクを見る彼女。
「ボクにその気がなかったから、それはいいんだよ。そういう雰囲気でもなかったしね。それに、彼女とは価値観が似てて一緒にいるのはそこそこ楽しかったけど、そういう魅力はあまり感じなかったから。」
ボクはモテないしそういう欲求が無い訳ではないが、だからといって誰でもいいという訳でもないのだ。
「そんな事言ってるからいつまで経っても彼女が出来ないのよ。ホント甲斐性なしなんだから。」
「そういう正論は時に人を傷つけるよ?まぁボクの場合自覚があるから、今更それを言われてもなんとも思わないけどね。」
「わかってるから言ってるのよ。しかしともかく、デート自体は成功したようだし、日記もこれだけ書けたんだから、その日その子と会ったのは間違いじゃなかったわね。」
窓の外を眺めながら、こくりと頷く。
一昨日の事をあらためて振り返りながら、ボクはゆっくりと目的地に到着した電車を降りた。
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