第3話

翌朝出勤すると店の前に人が立っていた。年の頃は40代くらいの会社員風の男だ。

「何か?」

「あ、あぁ、こちらのご主人?」


「あ、はい、そうですが。何かうちに御用ですか?」

「あ、すみません。私こういう者です。」そう言ってもらった名刺には

「東邦テレビ プロデューサー 佐々木信吾」と書かれていた。


「テレビ…ですか?」

「はい、実はおたくのお店のランチが大評判だと聞きつけて、えっとご存知ですかね。朝の情報番組「おはよう ジャパン」って。」

その番組ならよく知っていた。妻が好んで見ている朝6時くらいから10時くらいまでやっている帯番組だ。

「あ、知ってますけど…。」

「その番組内で「今評判のグルメスポット」という水曜日にやってるコーナーがあるんですが、そこで、タレントのカツヤと東邦のアナウンサーの広瀬が、評判の店のランチを食べて、レポートするって感じなんですけど。」

「はい。知ってますが、それをうちの店でってことですか?」

「そうです。お願いできませんか?」


正直戸惑った。今までテレビはおろか雑誌すら取り上げられたことがないこんな小さな洋食屋が、スポットを浴びるなんてどう考えてもおかしい。

それに、うちはランチといっても本当に一日3品しかないし、ここ2日を除いては味で評判が起こったということもない。

「どうですか。だめですかね?」

「えっと、うちなんかでいいんですか?」そう聞くしか応えようがなかった。


「もちろんです。じゃあ、OKとうことでいいですね?」

そういうと佐々木というプロデューサーは、「とりあえず中で話しさせてもらっていいですか。」というと店に入り、番組制作の段取りを説明し始めた。


それによると番組は生で、レポーターのタレントとアナウンサーがそれぞれ別のランチを食べて、その感想を臨場感たっぷりに伝えるとのことだった。

そして、最後に佐々木は「この番組に出たら、次の日から、いえ、おそらくその日の夜から、このお店は大繁盛ですよ。従業員がおひとりとのことですが、今のうち増やしたほうがいいですよ。」

そう言って俺の肩を馴れ馴れしくポンポンと二度ほど叩いた。


佐々木が帰って仕込みをしていると健志が出勤してきた。

「おはようございます。」

「おう!おはよう。」


「ん?どうしたんですか、マスター。なんか機嫌よくありません?」

さすがに顔に喜びが出ていたか。


「あ、いやな。実は…。」

テレビ取材のことを話すと健志は大げさに喜び


「マジやったじゃないですか!ほんとにこれから大繁盛ですよ。うれしいな。時給上がりますか?」

冗談交じりに本音も入っていたようだが、俺自身もまんざらではなかったので、


「まぁ、そうなったら考えてもいいかな。」

と応えていた。



いよいよ、取材当日、ランチ時間の1時間ほど前に、プロデューサと番組のスタッフ、カメラクルーが入り、店には、ちょっとした緊張感が漂っていた。

正直、俺が一番緊張していた。健志はいつもより1時間も早く出てきているのに終始ニコニコと笑顔でいた。


「はい、じゃあ、マスター、一旦お客さんの入りの様子をぐるっと撮ったあと、レポーターが入って食事、コメントのあと最後にマスターにカメラを合わせて、そのままインタビューに入りますから。質問は…。」

こうしてリハーサルめいたことをさせられ、聞かれることもあらかじめ決まっているので、あとはいかに自然にふるまうかだとアドバイスされた。


カラーン

「いらっしゃいませ。」

これは番組のスタッフが客が入ってきた画を撮るために、さくらになって入店してきたところだった。

カメラは入店するスタッフを後ろから追いかけて撮り、一旦カットされた。

「じゃあ、最初のお客が入ったところから、始めるので、スタンバイよろしく!」

生放送なので、失敗は許されない。

一応客が入っている画も必要なので、今日に限って人が来なかったらどうしようかと別な意味で不安になった。

心の中で「あの死神、いや幸運の女神がきてくれないか」とひそかに祈っていた。


その時

カラーン


「いらっしゃいませ!」

健志が不自然に大きな声でいうとあの女が入店してきた。


カメラマンは黒ずくめで入店してくる女の姿に一瞬たじろいだが、気を取り直して、テストのためカメラを回し始めた。

女のほうは、その様子もまったく無視するように、いつもの「定位置」に座り、これもいつもの通り儀式のように1枚のラミネートされたランチメニューをおもむろに手に取ると、ゆっくりと眺め始めた。

その異様な雰囲気に番組スタッフはしばし固まったようになっていたが、次の瞬間、別の客が店の扉を開けた。


「いらっしゃいませ!」

健志が少し演技がかった声で叫ぶと、固まっていた店の空気は途端に流れ始めた。


番組スタッフもホッとした感じになり、動き始め、そこからひっきりなしに入ってくる客を追うようにカメラテストを続けていた。


「よかったですね。マスター」小声で健志が言う。

「ん、ああ」とそっけなく答えたが、内心本当にホッとした。


店のカウンターの中に入っていた番組プロデューサーの佐々木も、目で「よかった」というようにサインを送ってきた。


女はというと、いつもの通り10分近くメニューを眺め終わると黙って手を挙げ、健志が注文を聞きに行くと黙って今日のメニューの中から「ハンバーグランチ」を指してきた。


店は満席となり、行列ができるほど混み始めた。


いよいよ番組の本番がスタート、タレントのカツヤが店の紹介のために入り口前でしゃべり始めていた。


カラーン

「わ!すっごいお客さんですね~、スタジオのみなさん、見えますかぁ~、まだ昼も始まったばかりというのに、もうお客さんで満席です。」

スタジオから何か受け答えをしている間が空く。


「はい、じゃあ、早速ですが、評判のランチをいただいてみたいと思います。アナウンサーの広瀬さんも一緒に頼みましょう。」

「あ、いいんですか。じゃあ遠慮なく。」といって局アナの広瀬が相席をする。

始めからそういう段取りになっていたのにわざとらしいと思いつつ、順調に撮影が進む様子を見て、少し緊張が緩んだ。


あらかじめ番組のために空けておいた席についた二人に俺は自ら出来上がったランチを運んだ。

タレントのカツヤにはハンバーグ、局アナの広瀬にはエビフライ定食を出した。

これも、事前に何が食べたいかをそれぞれに聞いておいたものだ。


「では、早速いっただきまーす!ん!これは!一口ほおばっただけで、香ばしく、それでいて肉汁のうまみが口いっぱいに広がって。

これはまさに口の中だけに口腔(航空)ショーの始まりやぁ~。」と得意(?)のシャレをかます。


「あ、本当においしいです。パリッとあがったエビフライですが、タルタルソースとの相性も抜群で、中のえびのプリッとした感じが食欲をそそります。」

と局アナらしい真面目なコメントをしていた。


スタジオとの会話がしばらく続き、いよいよ俺へのインタビューの場面になった。

「いや、ほんまにおいしかったですわ!こちらがマスターの櫻井さんです。この味なら評判もうなずけますけど、いつからこのお店はやっているんですか?」


いくつかの質問を矢継ぎ早に言われ、あっという間に出番は終わった。

自分でも、何をどう答えたかよく覚えていない。


「お疲れ様でした!」


スタジオとの中継も切れて、番組スタッフが言ったときやっと我に返った。

「櫻井さん、ありがとうございました。うまくいきましたよ。」

佐々木が握手を求めてきた。

「いや、こちらこそ、ありがとうございました。なんか全然思ったように答えてなかったですが…。」

「いえいえ、充分です。そもそも素人なんですから、そんなにうまくコメントできたらプロはいりませんよ。」

変な慰め方をされたと感じながらも、言うとおりだとも思って納得した。


テレビ局の連中が引き上げて、入り口まで見送った後、振り返ってギョッとした。

まだ、あの女は席に座ったまま食事をしていた。


カウンターに戻ると健志に

「ま、まだいたのか…。」と聞こえないように囁いた。

「はい。いつも通りのペースです。」

健志は平然と答えた。


この女はまったく周りのペースを無視して、今までゆっくりと食事をしていたのか。

本当に生きている人間なのか。少し背筋に冷たいものを感じた。


ランチタイム終了の2時近くなり、女はようやく食べ終わりゆっくりと立ち上がると、レジに向かい。いつものように会計を済ますとゆっくりと外に出て行った。


「ありがとうございました!」

健志がいってカウンターに戻ると

「やっぱり彼女のおかげですかね。」

「彼女?」

”あの女”としか表していなかった俺には”彼女”という言葉にとても違和感を覚えたが、健志は当たり前のように

「そうですよ。彼女のおかげで今回のロケもうまくいったんですよ。感謝しないとですね。」

言っている意味に素直に同感はできなかったが、少しだけ『そうかもしれない』と思うところもあった

確かに”彼女”が来るようになってから客が増えたのは事実だからだ。



その後テレビに出たこともあり、本当に評判になり、彼女が来なくても、連日ランチだけではなく夜の営業まで客足が増えてきた。

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