第12話 クオリティって大事だけど、時には速度優先な時もある
「んぇあ?」
寝ぼけた声というよりは、声になってない声が口から零れ出たのを合図に机に突っ伏して寝てしまっていた自分の体をゆっくりと起こす。
視界には少しくたびれたスウェットの袖と付けたままのパソコンの画面が・・・・・・って、いつの間にか寝てたのか。
長々と文章が表示されているパソコンの画面から目を離して、薄暗い部屋を見回すとカーテンの隙間から溢れる日光と目が合った、というよりは日光が目に飛び込んできたから目を細める。
・・・・・・俺がドラキュラだったら危なかったね。
我ながらバカなことを考えてるなと思いながら、グッと伸びをすると背中からはポキポキ、お腹からはグゥ、と音がした。
お腹空いたなぁ、なんか自分がそれを意識するまで全く空腹だってこと分からなかったりするよね。
ケガしたことに気づいてない時は痛くないのに気づいたら痛くなるみたいな。
立ち上がってスマホを掴みつつ、下に降りて何か食べようと部屋を出ながら、スマホの画面を見る。
・・・・・・そうか。昨日の練習が終わったあと、昼から自室にこもってひたすら脚本を書いていたんだっけ。
スマホの画面には、11時30分という文字と日曜日と文字が躍っていて、階段を下りながら記憶を整理していく。
えっと、確か・・・・・・昨日は土曜日で、朝から部活があって、昼には家に帰って来た・・・・・・んだよね。
いつ寝たのかは分からないけど、少なくとも12時間以上はパソコンに向かっていたってことになる。
おかげで脚本はあと細かい修正を残すだけだけど、せっかくの休日を無駄にするなんて・・・・・・いや、よく考えれば休日って大体いつもこんな感じか。
「・・・・・・なんかいい匂いがするけど、詩音かな?」
何やら香ばしい香りと共に、まな板に包丁が当たるトントンという心地の良い音が耳をくすぐり、余計にお腹が空いた気分になった。
一瞬立ち止まり、すぐにリビングの扉を開けて中に入る。
「詩音? おはよう」
「私、詩音ちゃんじゃないよ? 寝ぼけてるの?」
「え?」
キッチンにいて背中しか見えないけど、確かに今の声は詩音の声がじゃなかったような・・・・・・。
「えっと・・・・・・どちら様ですか?」
「えーっ? もうっ、愛する妻の顔を忘れるなんて酷くない?」
「あー、うん、ごめん・・・・・・妻!?」
妻って!? 今この人妻って言ったよね!? 誰の!? 俺の!?
「ちょっと待って!! 俺まだ学生だよ!? 結婚はおろか彼女だって出来たことないのに!? 妻!?」
「学生って・・・・・・何年前の話してるの? 本当に大丈夫? 仕事のやり過ぎで疲れてるんじゃない?」
くすくすと笑いながら声音には俺をちゃんと心配しているという感情がしっかりと乗っているように思えた。
「今は私と結婚して、幸せな新婚生活を送っている真っ最中でしょ?」
「あ、あぁ。そうだったね、ごめん」
いくらか落ち着きを取り戻してみると、確かに記憶にあるよりもなんだか目線が高く、スウェットもいつもよりくたっとしているような気がしないでもない。
自分が結婚して、奥さんと一緒に住んでいるというのは理解したけど・・・・・・問題は奥さんがどんな顔をしていて、誰なのか、ということだよね。
改めて、奥さんの姿を観察。
身長は女性の平均ぐらい? で、髪は肩にかかる長さ、毛先を緩く結んでいる。
時々横に向いて顔が見えるけど、影のせいでよく分からない。
「何を作ってるの?」
「ん? 今日はお手軽に梅とか大葉とか使った和風パスタ!」
「へぇ、いいね。匂いからして美味しそう」
腹の虫が強い雄たけびをあげ、それを聞いた奥さんが楽しそうに笑う声がキッチンから聞こえてきて、なんとなくだけどこういう何気ない瞬間を幸せって言うんだろうなと思った。
「あとは、レモン! やっぱり酸っぱい物を食べたくなるって本当なんだねー」
「うん? 何が?」
「だからー、妊娠したら酸っぱい物を食べたくなるって本当だねって話!」
「妊娠? 誰が?」
「もうっ! 冗談でも怒るよ? あなたと私の子供が、私のお腹にいるんでしょ! しっかりしてよパパ!」
・・・・・・マジでか。
驚きすぎて声も出なかったし、予想していなさすぎて頭が真っ白になった。
でも、時々横を向く奥さんのお腹を見れば膨らんでいるというのは一目瞭然で、それはつまりこの人は嘘は言っていないという事実。
そう認識した瞬間、愛しさが体の奥底から溢れてきて、身震いした。
「あぁ、そうだったね! ごめん、まだ頭がぼうっとしてるみたい!」
「ふふっ、いいよ。いつもお仕事お疲れ様です! はい、出来たよ!」
本当に楽しそうな、心から幸せそうな声を出して、トレーにパスタを乗せたお腹を膨らませた奥さんがゆっくりと俺のいるリビングへと歩いてきて、徐々に顔が露わになっていく。
「僕特製、和風大葉パスタだぜ! 蒼太!」
そして、ふりふりのエプロンを着た、満面の笑みの筋肉さんのご尊顔が日の元にさらされた。
「――あ゛ぁ゛い!?」
その声と共に跳ね上がって飛び起き、椅子から転げ落ちる。
肩とかいろんなところを強打したけど、あまり気にはならなかった。
「・・・・・・夢で良かったぁ」
下手な悪夢よりも恐ろしいものを見てしまった気がする。思い出すな、忘れよう。永久にだ。
立ち上がって、パソコンの画面を見ると夢と一緒のところまでは出来ていた。
スマホを見ると、これまた夢と同じ時間と曜日だった。
・・・・・・あんな夢を見るってことは相当疲れてるんだなぁ。忘れよう。忘れたい。
残念なことに嫌な夢ほど脳裏に焼き付いてしまうもので、必死に別のことを考えながら、階段を下りてリビングに入る。
「おっ! おはよう、蒼太!」
紺色のエプロンを着た、満面の笑みの筋肉さんがそこに立っていた。
「正夢ぇ!?」
「ど、どうしたの蒼太君!?」
「大丈夫ですか!?」
風見さんと火稟さんが急に頭を抱えて叫び出した俺を見てきて、少なくとも2人がいることで正夢ではないことにちょっと冷静になった。
でも鼓動が止まらない、やだ、これって恋? これが恋なら今すぐ俺の心臓なんて止まってしまえ。
「・・・・・・ごめん、ちょっと変な夢を見たせいで気が動転してた。というかなんでみんなが俺の家にいるの?」
一応今日は部活は休みということになっていたと思うけど。
「いやな? 花音と詩音からメールがめっちゃ送られて来てな? 兄さんが部屋にこもったまま出てこないから様子を見て欲しいって」
大和が手に持ったスマホの画面を見せて来た。
確かに俺の様子を見て欲しいという内容のメッセージが花音8割、詩音2割で送られてきて・・・・・・ってほぼ花音じゃん。
俺は集中し過ぎると体力が尽きて寝落ちするまで小説を書くという悪癖があるのは家族である花音と詩音、友人である大和の間では共通認識みたいで、2人が用事がある時にはこうして大和が様子を見に来てくれる。
それが今日その日だったってことだ。それは分かった。
「2人はどうしてここに?」
「風見と火稟に話したら演劇部のことで負担をかけているなら何か手伝いたいって言うもんだからな、僕が連れて来た」
「そうなんだ、せっかくの休みにごめん」
「気にしないで? 私ちょうど暇してたし!」
「私も、せっかくなら何かお手伝いしましょうか?」
返事をしようとした瞬間にお腹の虫が悲鳴を上げた。
驚いたせいで昨日の昼から何も食べていないことを忘れてしまっていた。
「よし、腕によりをかけて作るぜ! 待ってろ!」
「そのセリフは彼女に言って欲しかったなぁ・・・・・・2人は普段料理とかしないの?」
まるで1人のコックみたいな雰囲気を纏ってまな板と包丁をリズミカルにキスさせて具材を刻んでいく大和を見ながら正面のソファに座る風見さんと火稟さんにそんな質問を投げかけてみる。
「うーん、私はぼちぼちかなぁ? 玲奈ちゃんは?」
「私は全然です。不器用だし要領も悪いので、私が台所に立つと家族が総立ちで見守りに来るぐらいですから」
「それはすごいな。・・・・・・そう言えば姫咲先輩は?」
ここにいない唯一の3年生の姿が見当たらず、疑問に思った。
「今日はなんか用事があるんだって、部活があっても今日は行けなかったって言ってたよ」
「そのおかげで大和の手料理を食べる機会を失うなんて・・・・・・可哀想に」
「あとで写真でも送ってあげたらどうですか?」
「やめとこう、きっと泣いて悔しがるから」
なんてタイミングの悪い人なんだ・・・・・・。
ちなみに、今日が休みの理由としては部活紹介の目的としては部員の確保と人前で演技をするということを体感するということで、当然、練習だって部活紹介だって手を抜くつもりはないけど、演劇部の大半が身体が出来ておらず、無理をするとどこかを痛めてしまうかもしれないので、大和監修の元、運動部には劣るもののインドア系にはそこそこハードなトレーニングをしているし、休める時は休もうという話になったからだ。
「それで、脚本の進行具合はどう?」
「うん、もう書き上げたから、あとは細かい修正をみんなで話しながらしようと思ってたところだよ」
「もう書けたんですか!? すごいですね!」
「見せて見せて!」
ちょっと待っててと伝え、自室に戻ってノートパソコンごとリビングに持って下りる。
2人の前にパソコンを置くと、風見さんはそわそわしながらマウスを持って、火稟さんはちょっと緊張しているのか、硬い表情になった。
「うわぁ! 本当に書けてる! 流石蒼太君! よっ、蒼乃樹先生!」
「それは恥ずかしいからやめて」
「でも、やっぱりすごいですよ。ここまで早く書き上げるなんて、現役作家は伊達じゃないってことですね!」
2人から手放しに褒められるとやっぱり照れくささがこみ上げてくるけど、実際は言われているほど簡単じゃなかった。
5分と言えど、脚本を書くのは初めてだったし、描写も書ける小説とは書き方も違うし、分からないことを片っ端から調べて、ようやく辿り着いたのが今の形。
多分だけど、初めて自分たちのオリジナルの脚本を書いたっていう面で浮かれていて、その分もプラスに働いていい感じに見えているんだと思う。
実際に脚本家に見せたらきっと苦い顔をされることは間違いないほどのお粗末なクオリティ、というのが自己評価だ。
たった5分の脚本を形にしただけでこれなんだから、文化祭用の脚本を書くのなんて夢物語もいいところかも・・・・・・まずは脚本の勉強をするところから始めないとね、最低でも、自分が納得出来るクオリティまでは持っていきたい。
「何か気になるところがあれば言ってね?」
「うーん、私はこのままでもいいと思うんだけど・・・・・・」
「私も特に気になる部分は見つけられなかったですし、今回はこれでいきましょうよ。早めに脚本が上がって練習に専念出来ますね」
まぁ、今の状態でリテイクを繰り返したところで出来上がるのはどれも似たり寄ったりなものだろうし、火稟さんの言う通り、ここは早めに練習に時間を当てられることを喜ぶべきなのかな?
納得いっていないクオリティのものを人に演じてもらうというのは悔しいけど、それで脚本が遅れてみんなに迷惑がかかるのは避けたいしね。
「そう言えば、水樹センパイ。ちょっといいですか?」
「どうしたの? 火稟さん」
風見さんが何度も何度も脚本を読み直す中、正面にいたはずの火稟さんが隣に来て、俺が座っているソファに前のめりになるように手を置き、俺の顔の側に自分の顔を寄せて来た瞬間、ふわりと清潔感のある優しい香りが鼻腔をくすぐってきたので、咄嗟に少し距離を取って体が接触しないようにした。
俺の行動に不思議そうな顔をして、自分が何をしたのかが理解出来たのか火稟さんはほんのりと頬を赤らめて小声ですみませんと謝ってきた。
「いや、俺の方こそ、ごめん。で、どうかした?」
「えっと、ですね・・・・・・来月の5日って空いてますか?」
「ゴールデンウィークか・・・・・・うん、確か空いてたと思うよ?」
その日は部活は休みで、涼子さんとの打ち合わせも無ければ家族との予定も無い。
悲しいことに俺と遊ぶような友人は大和だけだから、他の知り合いとの予定もバッティングしない。
「実はですね・・・・・・その、えっと、アニメのイベントがカフェであるので・・・・・・一緒に行ってもらえないかなぁーと思いまして・・・・・・」
「あぁ、1人だとそういうところ入り辛いもんな。特に周りが友人連ればかりだと」
「そうなんですよ! あの居心地の悪さったら本当に・・・・・・」
キラリと輝いた瞳が一瞬にしてよどんだものへと変わっていった。恐るべし、人混みに対する苦手意識。
他のお客が複数連れでワイワイなっている中、1人でスマホを弄りながら料理が来るまでの時間を孤独に過ごし、食べ終わったら話す相手もいないので即座に退散という姿を想像したら胸が締め付けられた。
「俺でよければ一緒に行くよ」
「いいんですか!? ありがとうございます!!」
火稟さんは普通の友人はいるのかもしれないけど、こういうオタク関連の話を出来る友達がいないと前に言っていたし、会話にそこそこ着いていけるのが周りで俺ぐらいなら俺を誘うのはやむを得ないんだろうな。
「何々? 何の話? 私も混ぜてよ!」
「アニメの話だけど、混ざる?」
「うっ、私そこまで詳しくないから・・・・・・今度何かオススメ教えて!」
風見さんがそう言った瞬間、火稟さんの目が本気と書いてマジと読めそうなものになったのを俺は見逃さなかった。
オタクにオススメを聞くと長くなる上にその作品について延々と語り出してしまうのは割と有名な話なので、風見さんには諦めて話を聞いてもらうルートに直行してもらおう。
「よーし、みんな出来たぜ!」
そう思ったけど、ちょうど大和が料理をトレーに乗せて俺たちがいる方へ歩いてきた。風見さんの延命処置が人知れずに行われた瞬間だった。
「わぁ、いい匂い! 獅童料理長! 一体何を作ったのでありますか!?」
風見さんが右手を掲げて敬礼して、謎のキャラを演じ始めた。
流石にその身の変わりようの速さには舌を巻くしかない。
「僕特製、和風大葉パスタだぜ! 召し上がれ!」
・・・・・・やっぱり正夢じゃないか!!! でもめちゃくちゃ美味しかったです。
結局、そのあとは適当にみんなでゲームをして、少し脚本について打ち合わせをして解散になった。
そう言えば、火稟さんとゴールデンウィークに約束したんだっけ。忘れない内にカレンダーに予定入れとかないと。
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