第10話 誰だって、物語を描くことぐらいは出来る

 ――明確にやらかしてしまったと、思っている。

 演劇部を辞めるとみんなの前で告げてしまってから、1日が経った。

 今思い返してみれば、もうちょっと他に言いようがあったと心の底から思ったし、あれじゃ何かを隠しているっていうのがバレバレだ。

 元々、演劇部員が他に入るまでの繋ぎだということは言っていたんだから、後日改めて落ち着いてから、ちゃんと伝えればよかった。

 言う前から、色々と悩んで心が重かったけど、言ってしまったあとの方が心が重たい気がするのもきっと気のせいじゃない。


「――はぁ・・・・・・」

 

 本来なら部活があって放課後は時間が取られるから、打ち合わせは休日のどちらかにすると決めていたけど、その放課後の予定も無くなったので、涼子さんに頼んで原稿を見てもらっている。

 ・・・・・・その涼子さんは数枚ほど捲ると、ため息を吐いて原稿を俺に返してきた。


「シュレッダーにかける価値もないわね。別のことに意識を取られて集中出来ていないのが良く分かるわ」


「シュレッダーにかけるって涼子さん的にはまだ価値があったんですね」


 確かに涼子さんの言っていることはもっともで、この原稿の内容を全くと言っていいほど覚えていない。

 

「えぇ、今すぐにでも口直しを要求したいぐらいだわ・・・・・・蒼太君、あなた一体何をしでかしたのかしら?」


「俺がしでかした前提なんですか・・・・・・いや、確かにしでかしたんですけど」


 勝手に責任を感じて、身勝手な行動で周りに迷惑をかけて、ただ家族だからという理由で直接関係のない人を遠ざけてしまった。

 そう、風見さん自身は全く関係はない。

 それなのに、俺は・・・・・・どうしようもないことをしてしまったどうしようもないやつなんだよ。


「・・・・・・涼子さん、俺はどうしたらいいんですかね・・・・・・」


「そんなの私が知るわけないじゃない。何も話そうとしないくせに人から答えだけを聞こうとするのは都合が良すぎるんじゃないかしら? そんなことも分からなくなってしまったの?」


「・・・・・・そうですね、その通りです」


 俯いて、膝に置いた両手をグッと握りしめてうわ言のように呟く。

 

「・・・・・・初恋色の世界のヒロインを演じた女優さんの妹が、演劇部の部長だったんです」


「・・・・・・それだけ?」


「はい、人からすればそれだけと言えることでも・・・・・・俺が彼女の身内を不幸にしてしまったというのは事実ですから」


 言って、一瞬だけ間が空いてから、涼子さんが何かを喋ろうと息を吸っているのが俯いたままの俺の耳に届いた。


「蒼太君、あなたはちょっと考え過ぎね。相手が不幸になってあなたを本当に恨んでいるかどうかも分からない、何の事実も確認出来ていないことでうじうじ悩んだって仕方がないでしょう? 大体、蒼太君はただ小説を書いただけじゃない。それを演じ切れなかったというのは役者側の落ち度よ」


「俺はそうは思えなかった。それだけのことですよ」


 再び沈黙。静寂で耳が痛いとは言うけど、今は心の方が痛かった。


「――あなたは自分が傷つくことに慣れ過ぎて、相手を傷つけてしまうことに慣れていないのね」


「・・・・・・え?」


 コーヒーの香りに混じるように聞こえた言葉に思わず顔を上げてしまった。


「以前、蒼太君に小説を書き始めた理由を聞いたわよね。人間関係が辛くなったからだと、あなたは言っていたわ」


「はい、そう言いました」


 細かい内容までは覚えていないけど、確かに俺はそう言った。


「いい? 人間は絶対に生きていれば何かしらの傷を負うものよ。気が付かない間に誰かを傷つけていることだって間違いなくあるわ」


 黙って、涼子さんの言葉を噛み締める。


「だから、傷をつけてしまうことを恐れないで。時にはその覚悟だって必要なことよ。あなたは少し傷のつけ方を覚えなさい。傷つき、傷つけられは必ず起こることなのだから、割り切るしかないのよ」


「・・・・・・難しいですね」


 飲み込んだ言葉の代わりに、自分の中の素直な感情を吐き出した。

 

「そうじゃないと、どこかの誰かさんのように勝手に背負いすぎて潰れそうになるかもしれないじゃない。一々関わったことのない、話したことのない人間の為に悩み続けるのなんてバカらしいわよ」


 涼子さんの言ったことは不思議と薄情だなんて思わなかった。

 そんなすぐに割り切るなんてことは出来そうにもないけど。


「ありがとうございます。心に留めておきます」


「お礼なら面白い原稿で頼むわね。もし、次もつまらなかったら燃やすから」


「・・・・・・原稿をですよね?」


 何を燃やすつもりなのかは結局聞くことが出来なかったし、原稿を鞄に押し込むと記入はしたもののまだ提出出来ていない退部届が自分のやってしまったことを思い出させようとするみたいにカサリと音を立て、忘れようとしたことを思い出してしまった。


***

 

「蒼兄? だいじょーぶ? なんか元気ないよ?」


「具合でも悪いの? ・・・・・・兄さん?」


「・・・・・・え? あぁ、ごめん。何か言ったか?」


 花音と詩音が心配そうに俺の顔を覗き込みながら、声をかけていたことにすら気が付かなかった。

 涼子さんに言われたことについてとこれからどうするべきなのか、考えていたらどうにも集中し過ぎていたらしい。

 不自然に自然な笑顔を作って、食事を再開しようと右手に持っていた箸を皿に向けると、いつの間にか空になってしまっていて、笑顔と一緒に箸も空を切ったように空回りしてしまって、余計に変な空気になった。


「・・・・・・ごちそうさま。俺ちょっと部屋に戻るから・・・・・・食器はあとで洗っておくから置いといてくれ」


 リビングを出ると背中に2人の声がぶつかるが、振り返ることはせずそのまま自室まで行って、ベッドに倒れ込む。

 ・・・・・・まだ、19時にもなっていないし眠くもならない。

 正直、寝てしまって夢の世界に逃げてしまった方がよっぽど気が楽になれそうなものだけど、眠れないものは眠れない。

 ・・・・・・小説を書こう、物語を書くことに没頭すれば、嫌なことも、自分の存在すらも忘れて、何にだってなれる。

 何にだって、って言うのはちょっと大げさだったかもしれないけど、少なくとも・・・・・・どうするべきなのか、答えが出ているのに口にしようとしない情けない自分以外にはなれるはずだから。


――ん? 着信音?


 一息つこうと、パソコンから顔を上げた時、ようやく自分のスマホが音を鳴らし着信を知らせていることに気が付いた。

 集中する為にベッドに置いていたのが、仇になって取りに行くのが少々面倒くさい。

 

「・・・・・・大和か」


 画面に表示された名前を見て、多分電話をかけてくるんだろうなと思っていたから、特に驚きもしない。目の前にある軽くて薄い物体の表面を触るには時間を要した。

 軽いはずのスマホがなんだかそれほど重く感じてしまった。

 依然として鳴り続けるスマホを持って、背中から壁にもたれかかる。

 ・・・・・・きっと、大和は俺が起きていることも分かっているし、俺が出るまでこの電話は切れることはないんだろうな。


『――もしもし』


 意を決して、画面をタップする。


『――もしもし、私、筋肉。今、あなたの後ろにいるの』


 とても気持ちの悪い裏声が右耳の鼓膜を撫でる。


『ごめん、後ろは壁なんだ』


 思わずフッと軽く噴き出してから、椅子に座る。


『蒼太、言いたいことは色々あるが、とりあえず・・・・・・何やってんだこの馬鹿野郎』


『――ごめん、勝手に部活を辞めて』


『そっちじゃねえよ、それは前から言ってただろうが』


 やっぱ、誤魔化せなかったか・・・・・・そりゃ、あそこまで露骨に接し辛そうにしてると隠し事がバレない方がおかしいよね。


『お前が何を隠してて、風見に遠慮してるみたいな真似してるのかなんて分からねえけどよ・・・・・・僕にも相談出来ねえことなのかよ!』


 今までこらえるような声だったけど、遂に大和は声を荒げて俺を怒鳴りつけてきた。


『・・・・・・ごめん、でも――』


『――でも、じゃねえ!! お前が何かを我慢してる時はいつだって笑ってるのにぎこちないんだよ!! そんな痛みをこらえてるような顔で笑うな!! もし・・・・・・・僕にだけじゃねえ! お前を心配してる奴らに話す程のことじゃねえなら、そんな顔してんじゃねえよ!!!』


『・・・・・・それ、言われたね』


『何度だって言ってやるからな。お前が僕を自然と頼ってくれるようになるまでは』


 ――ありがとう、口には出さないけどちょっと元気とか勇気とかは出て来たよ。


『・・・・・・悪いんだけど、これを先に言う相手は大和じゃないから』


『・・・・・・おう、そうだな』


 電話越しで大和が笑ったのが息遣いで分かった。


『まぁ、それが終わったらちゃんと話すから』


『あぁ、待ってるぜ! 火稟にもちゃんと謝っておけよ! あいつだってお前のことを心配してたんだからな! じゃあな!』


 通話を終了すると、すぐさま火稟さんともう1人にメッセージを飛ばし、椅子に深く腰をかけて天井を見上げた。

 その体勢でぼうっとしていると、スマホが軽く震える。


『――明日の放課後、部室棟の屋上に続く階段で待ってるから!』


 届いたメッセージだけ確認し、俺は返信はしなかった。


***

 

 翌日、授業も何もかもを終えて指定された場所へと足を進める。

 約束の場所が近づくにつれ心臓の音がどんどん大きくなってきて、逃げ出してしまいたい気持ちを後押ししてきたから、全身に無駄に力を入れてガチガチに力んで歩くことで必死に抵抗した。

 ・・・・・・いや、よく考えたら屋上って立ち入り禁止じゃなかったっけ?

 

「待ってたよ、水樹君!」


「・・・・・・遅れてごめん、風見さん」


 指定場所では風見さんが両手を腰に当て、最上段に立ってこっちを見下ろすように立っていた。

 その立ち方だとここからパンツ見えそうなんだけど、いいの?


「さ、行こっか! こっちだよ!」


「行くも何も、屋上って立ち入り禁止だよね?」


 ラノベやアニメではよく屋上が解放されていることが多いけど、現実では大体立ち入り禁止になっていることが多いと思う。

 疑問に思いながらも、手招きをする風見さんの横に行ってみる。

 すると、風見さんは鞄からドライバーを取り出して、人1人分がギリギリ通れそうな大きさの小窓のネジを外し始めてしまった。


「一応聞くけど、何してるの?」


「見ての通りだと思うけど、窓を開けてるんだよ」


 学校側のセキュリティが甘すぎる件について。窓も封鎖しておこうよ。


「こんなことするのは私ぐらいだよ。だから2人だけの秘密ね!」


「共犯者にされてしまった・・・・・・」


 ニヒヒッと笑う風見さんに釣られて苦笑してしまい、窓が外されたことで吹きこんでくる風に目を細める。

 風見さんを見るとお先にどうぞという顔をしていた。

 あぁ、そうか。スカートだからね。

 そう思いながら窓を潜ると、そこは空に限りなく近い場所だった。

 今日は天気が良く、雲1つない水色の透き通った空に春を象徴するような暖かな陽だまり、そして時折吹く涼やかな風がとても気持ちがいい。


「ねっ? 共犯者になってよかったでしょ? ここ偶々見つけてからお気に入りの場所なんだよ?」


 いつの間にか横に立っていた風見さんがググっと伸びをして、笑顔で俺を見上げてきていた。


「うん、悪くないね」


「もうっ! 素直にいいって言えないのかな?」


 言って、2人で軽く笑い合って俺は風見さんに向き直った。

 なんかこれって、今から・・・・・・。

 

「・・・・・・なんか、シチュエーションだけ見るとこれって告白みたいな感じだよね~」


 口を開こうとした瞬間に言われた言葉に俺はまたしても笑ってしまった。

 急に笑い出した俺を見て、風見さんが呆然としている。


「どうしたの?」


「いや、俺もなんか告白みたいだなって思ってたから・・・・・・まぁ、ある意味告白で間違いないんだけど」


 一頻り笑ってから、目を閉じて深呼吸して気分を落ち着ける。


「まずはごめん、俺の態度・・・・・・よそよそしかったよね」


「うん、理由までは分からなかったけど、水樹君が私と接し辛そうにしてたことだけは分かってたよ」


「それは・・・・・・これから話すことが関係してるんだけど・・・・・・」


 語尾が尻すぼみになっていって、固めたはずの決意がどんどん柔らかいものになっていってしまう。


「あ、その前に私からもいいかな?」


 不意打ち気味に声をかけられたせいか、ちょうど何かを喋ろうとしていた喉から変の音が出かけてしまった。

 

「・・・・・・いいよ」


「ありがとう! 今から水樹君が話そうとしていることってさ、もしかしてなんだけど――



















































――君が蒼乃樹っていうペンネームで小説を書いてることに関係してるのかな?」


「・・・・・・は?」


 一瞬、何を言われたのかが理解出来ずに今度こそ、喉から間抜けな声が零れ出てしまった。

 え!? いやいや!? ちょっと待って!? 今すごいこと聞かれなかった!?


「ど、どうしてそれを!?」


「うーん、種明かしをしちゃうとね? 私が水樹君の小説を偶々拾っちゃったでしょ? あの時さ、なんとなく文章の雰囲気が似てるなって思ったんだよね」


「それだけで・・・・・・分かったの?」


 勘がいいにもほどがあるでしょ!? 


「流石にそれだけでは分からないけど、水樹君の作品って時間軸は同じで登場する人物だけが違う人で作品を書いてるよね。だからさ、作品に出てきた学校名が前の作品と同じだなって思って! 私をこんなワクワクした気持ちにさせてくれる物語なんて他にないからね!」


 そうか・・・・・・あの時は原稿を回収することと、風見さんの演技に圧倒されてしまってすっかりとそのことが頭から抜け落ちてしまっていた。

 風見さんは俺の作品のファンで、過去作を読んで感じた高揚感と登場する学校名だけで、俺が蒼乃樹だということに最初から気が付いていたのか・・・・・・。


 ――つまりは、知っていて普通に接していてくれていたんだ。


「気になったから、獅童君に聞いてみたらそうだって言ってたよ。それでようやく確信することが出来たんだっ! ・・・・・・あっ! 獅童君には私が水樹君の正体を知ってるってことを内緒にしてもらってたんだ」


「・・・・・・それはどうして?」


「だって、あそこで出会ったのは私の尊敬する蒼乃樹先生じゃなくて、私の同級生の水樹蒼太君だから! 正体を隠しているってことは知られたくないってことだろうし、自分から言い出してくれるのを待とうかなって」


「そっか・・・・・・ありがとう」


 身バレが嫌なのだって、あんな逃げるようなやり方で部活を辞めたのだって全部自分の保身の為だった。

 そもそも部活を辞めると決めていて、ちょうど関わりにくくなってしまったところに姫咲先輩が入部してきて、逃げるのにちょうどいい理由が出来たってどこかで安堵していたんだ、俺は。

 演劇部で過ごした時間は短いけど、俺は楽しかったんだ。

 だから、部活を辞めるって言う前にはあんなにも胸の辺りが痛かった。

 そんなことはとっくに気が付いていたけど、口に出して認めてしまうのが怖かった。

 認めてしまえば、身バレがどうのという理由で辞めてしまう自分がもっと嫌になりそうだったから。

 結局、演劇部のみんなを信頼出来ずに逃げようとしていた自分の小ささに惨めになりそうだったから。

 

「でも、どうしていきなりあんな感じに辞めるなんて言い出したのかだけはどうしても分からなかったんだけどね」


「それは・・・・・・俺が君のお姉さんの人生を壊してしまうようなことをしてしまったからで・・・・・・」


「え? お姉ちゃんの人生を壊した?」


「だって、俺が小説を書いて、映画化して、役者さんが叩かれて・・・・・・何人か自信を無くして辞めたって聞いたから・・・・・・お姉さんだって最近仕事減らしてるって・・・・・・」


 自分で言っていて、ちょっと吐きそうになった。

 自分に対する嫌悪感とか、罪悪感とかで、心がぐちゃぐちゃにミキサーされたような気分だ。


「あのね、水樹君。お姉ちゃんは逆に感謝してたよ?」


「え? 感謝?」


 言っていることが良く分からない。どこに感謝される要素があったんだろう。


「うん! なんだかんだ言ってちやほやされて無意識に浮かれてたけど、やっぱり自分がまだまだで表現出来ることっていっぱいあるんだなって言ってたし! 自分がまだ成長出来るってことが分かったからとも言ってたよ!」


「・・・・・・そうなんだ、じゃあ仕事減らしてるっていうのは?」


「お姉ちゃん大学はちゃんと出ておきたいんだって! だから事務所に頼んで学業優先にしてもらったらしいよ?」


 そうか・・・・・・そうだったんだ。

 その言葉を鵜呑みにして、風見さんに対する罪の意識みたいなものが完全になくなったわけではないけど、自分の中で感じていたモヤが少し薄れていくような感じがした。


「え? もしかして水樹君、本当にそれだけのことで私を避けようとしてたの!? えー、そっちの方が恨んじゃいそうだよ~!」


「ヴッ!! ・・・・・・この度は本当に申し訳ございませんでした! 信頼出来ずに身バレとか余計なこと考えてみんなに秘密にしてたこともごめん!!」


 薄れて罪の意識が戻ってきた。お帰り。


「んー、許さない!」


 頬を膨らませて腕を組んでそっぽを向いてしまった風見さんに、どう謝罪すれば許してもらえるのかが分からない。


「ど、どうしたら許してくれる?」

 

「・・・・・・じゃあね、演劇部が文化祭でやる劇の脚本を書いてくれたら許してあげる!」


 ふくれっ面だったのにも関わらず、瞬きをした瞬間にはもう、からかうような微笑みを携えていて、面食らってしまった。

 

「・・・・・・それは・・・・・・」


 続く言葉が出てこない。また失敗すれば、今度は知らない人間じゃなくて、知っている人が傷つくことになってしまう。

 そのことがたまらなく怖い。

 

「ねえ、水樹君はさ。誰かを傷つけようだとか不幸にしてやろうって気持ちで小説を書いてるの?」


「そんなことない!」


 絶対に、そんなことはしない。

 

「誰かを笑顔にしたいだとか、そんな大きな理由なんてものは持ってないけど・・・・・・俺が書いた物語で誰かを不幸になんてしてたまるか!! そんな気持ちで書いたことなんて一度もない!!!!!」


「だったらさ、きっと大丈夫だよ! どんな結果になったって受け止められる! 君はそれが出来る優しい人だから! 目標にしようよ! 読んだ人たちがみんな笑顔になれるそんな幸せな物語を書ける作家になるって!! それが出来たら、うん! さっきのことは水に流すよ!!」


 さっきのことっていうのは、きっと風見さんを避けてた俺を許さないっていう話だと思う。

 条件2つに増えてるし・・・・・・演劇部の為に脚本を書くことと、みんなが笑って幸せになれる物語を書ける作家になること。

 どっちも難易度としてはベリーハードもいいところじゃん。

 大変なことになっちゃったなぁ・・・・・・。


「そう言えば、ずっと聞きたかったんだけど・・・・・・どうして風見さんは演劇を始めようと思ったの?」


 なんとなく、気になっていたことを思い切って聞いてみることに。


「え~? 知りたい? それはねぇ――」


 ニンマリと笑みを浮かべた風見さんが今この立っているこの場所よりも高い、貯水タンクがある台の梯子を急に登り出した。

 普通に言えばいいのに、登る意味はあるのかな?


「――君が書いた小説を演じたかったの!! お姉ちゃんにも憧れてたんだけど、私が演劇を始める理由になったのは、水樹蒼太君!! 君の物語を演じてみたいと思ったから!!」


「・・・・・・うん」


「それとね、今は信頼出来なくたっていいよ? 絶対に信頼させてみせるから!」


 どくん、と何故か心臓が強く脈を打った。


「私さ、どこか退屈してたんだよ。お姉ちゃんに比べたら自分は平凡で、普段の生活が楽しくなかったわけじゃないんだけど・・・・・・でも、やっぱりなんとなく生きてた」


 梯子の近くに足を投げ出して、そのままブラブラさせている風見さんの話を黙って聞き続ける。


「ある日、お姉ちゃんがヒロインをやるっていう映画の原作を読んでね? こう、ぐわあってなったの!! そのぐわあっていう感情のことに気が付いたら、もう止まれなくて!」


 眩しいぐらいの笑みを向けてくる風見さんの目は、どうしようもないほどにキラキラと輝いていて、綺麗という言葉以外には他の言葉が不純物に聞こえてしまうぐらいだった。


「だから、私は君に夢をもらったんだよ! この人の描く世界を私も演じてみたいって! こう考えてよ、確かに失敗した人もいるかもしれないけど、私みたいに頑張る理由を君が書いた物語で見つけられた人もいるんだーって!! そうしたら、ちょっとは救われた気分にならない?」


 上からかけられた言葉に、涙が出そうになった。

 今まで、俺は、自分が書いた物語で人が不幸になったとばかり考えていて、それは今だってそう思っている。

 だけど、彼女みたいに夢を見つけられた人だって・・・・・・いるんだ。

 

「・・・・・・風見さん、戻ろうか。あんまり大声出してたら先生に見つかっちゃいそうだし!」


「わぁ!? それは困るね!! よし、部室に戻ろう!」


 梯子を慌てて下りてくる風見さんがなんだかおかしくて、声を出して笑ってしまう。

 笑っている途中で鞄の中の紙切れのことを思い出して、おもむろに取り出した。


「それなに?」


 俺が取り出したのは昨日から鞄に入れっぱなしだった原稿用紙と退部届だ。

 なんて言ったものか迷ってしまったけど、こんなつまらない文章が書かれたこれは多分この表現が相応しい。


「生ゴミ、かな。先に部室に戻っててよ。俺はこれをシュレッダーにでもかけていくから」


「・・・・・・そっか! じゃあ先に行って待ってるね! これからは共犯者でまた部活仲間だよ! 」


 ドライバー俺に手渡して、急に俺を名前で呼んだ風見さんは窓を潜って校舎の中に戻っていった。

 駆け降りているのが、足音だけで丸分かりで、それもなんだかおかしくて笑ってしまう。 

 火稟さんにもあとで事情を説明しないとなー・・・・・・あとは大和もか。

 少しずつでいいから信頼していかないと、今度こそ大和に殴られそうだし。姫咲先輩は・・・・・・まぁ、流れでそうなったらにしよう。急に言われても訳が分からないだろうし。

 自分の中の罪の意識が無くなったわけじゃないし、相変わらず、現実はどうにも生き辛いと思ってしまう。

 でも、どんなに臨んだって空から美少女は降って来ないし、屋上の扉は大体閉まってるし、ましてや異世界にだって行けはしない現実だけど。

 誰だって、自分の物語を描くことだけは出来るから。

 透き通るような水色の空を泳いでいく、真っ直ぐに伸びた飛行機雲を見ながら、何故かは分からないけど、そんなことを思ってしまった。

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