第9話 水樹蒼太はここにいる理由を失う

 あれから、3日間があっという間に過ぎ去った。

 そう・・・・・・風見さんのお姉さんが『初恋色の世界』のヒロインを演じた役者、高瀬桜花たかせおうかこと風見桜花かざみさくらさんだという事実を知ってしまってから、時間にして72時間が経過してしまったんだ。

 

 この3日間、ずっと考え続けていた・・・・・・これからどういう顔を風見さんにすればいいのか、償いなんて大層な言葉かもしれないけど、それだけ大きなことをしてしまったと思ってる。


 でも、謝罪なんて簡単には出来そうにもない。

 今の俺は、ただ、謝って相手に許してもらって・・・・・・それで自分が楽になりたいだけの卑怯者だから。

 そんな謝罪なんて価値はない。


 ――だったら、やっぱり・・・・・・俺はもう、小説を書くべきじゃないのかもしれない。


***


「・・・・・・部活紹介、ですか?」


 放課後の演劇部の部室に顧問の荒城先生がやって来て、突然そんなことを言い出した。

 真っ先に反応したのは風見さんだ。


「えぇ、5月の初めの週に各部活が講堂のステージで1年生を勧誘する時間が5分間だけ設けられることになってるわ。ここ最近はやってなかったんだけど、校長が急に今年はやってもいいんじゃないかって」


「5分ですか・・・・・・演劇ってその時間で出来るものですかね?」


 火稟さんが小首を傾げながら言う。

 確かに・・・・・・5分が長く感じるのなんて授業の最後の5分とか、お腹が空いてる時のカップラーメンの待ち時間ぐらいのものだよね。


「いっその事、ステージの上でみんなで筋トレでもするか?」


「んー・・・・・・水樹君はどう思う?」


 大和のダブルバイセップスのポージングを華麗にスルーしてみせた風見さんが、不意に話題を振ってきて、思わず息が詰まってしまった。

 いけない・・・・・・風見さんは何も悪いことはしてないんだから、俺が彼女に対してこういう態度を取ってしまうのは絶対に何かが違う。

 だけど、頭はそう理解しても・・・・・・感情というのはどうにもままならないものだった。


「えっ・・・・・・と、無難に演技せずに説明だけするっていう手もあるけど・・・・・・そもそも、人前でまともに演技出来るのなんて俺たちの中じゃ風見さんだけだし・・・・・・」


 言い終えて、風見さんの顔から視線を逸らし、なんとなく荒城先生の方をジッと見てしまう。

 大和と火稟さんが2人揃って訝し気な表情を作り俺を見ていて、風見さんは不思議そうにしているのが視界の隅でも確認出来てしまった。

 やっぱり、あからさまに顔を背けすぎたらしい。


「・・・・・・み、水樹君? あまり先生の顔をジッと見られると・・・・・・その、恥ずかしいんだけど・・・・・・」


「・・・・・・あぁ、ごめんなさい。先生なら何かいいアイデアがあるんじゃないかって思って」


「え、あぁ! そうよね! 私ったら危うく道を踏み外し・・・・・・なんでもないわ!! ごめんなさい、私も急にはパッと浮かんでこないわね」


 その代わり別の妄想はパッと浮かんできてたみたいですけど・・・・・・まさか教師と教え子の禁断の恋、だとか考えてないでしょうね? ・・・・・・やめよう、あまり考え過ぎるとマズそうだ。

 思わずブルりと背中を駆け抜けた悪寒をかぶりを振って打ち払う。


「――なぁ、蒼太? お前・・・・・・」


 一瞬、空気が静まり返っていたところに、大和が口を開いて無音の時間を終わらせようとした時・・・・・・部室の扉がパンっと勢いよくスライドされたので、部室にいた全員が肩を跳ね上げさせて、同時に音の発生源へと目をやった。


 部室と廊下のちょうど境目に立っていたのは、明るめの茶髪の右側をサイドテールにしていて、目鼻立ちの整った女性だった。

 垂れ目がちだけど、目には生気が満ち溢れていてどこか勝気そうにも見えるその女性は3年生を示す赤色のネクタイで胸元を飾っている。


 服の上からでも分かる胸元の女性の特有の膨らみとか、すらりと健康的な足を包んでいるニーソックスが特徴的・・・・・・結論、どちら様で?


「・・・・・・ひ、姫咲さん? 何か用事?」


「そうですね。とても大事な用です・・・・・・なぜなら――」


 荒城先生が姫咲さんと呼んだ先輩は涼やかな声でそう言うと、つかつかと足早に、しかしどこか気品が溢れる歩き方で大和の側に歩いてきて立ち止まった。


「――わたくしは、ここにいる獅童大和さんに責任を取ってもらわないといけないのですから!」


 ・・・・・・どうしよう、全く話が見えないんだけど、とりあえず・・・・・・。


「じゃ、あとは若いお2人で」


「おっと、蒼太! 僕と筋肉のことについて語り明かす約束を忘れたのか?」


「いやいや、話し合うべきなのは俺じゃなくてこの先輩との将来の話でしょ?」


 鞄を持って立ち上がろうとしたら、大和に腕を掴まれて抑え込まれる。 

 ・・・・・・明らかに厄介事の匂いがし過ぎたから早めに退散しようと思ったんだけど、どう考えても力では大和に勝てないので諦めて椅子に座り直した。

 友人とはいえ、今は人の事に首を突っ込んでいる余裕はないんだけどなぁ・・・・・。


「せ、せ、せ・・・・・・責任ってつまりは獅童君が・・・・・・あわわわ・・・・・・」


「違う! 僕がそんなことをするように見えるか!? 僕だぞ!?」


「あ、それもそうだね!」


 なんて説得力が満ち溢れすぎた言葉なんだ・・・・・・そのおかげで口元を両手で押さえて真っ赤になって慌てていた風見さんが一瞬で落ち着きを取り戻した。

 残念過ぎることに、こいつが女性関連でそういうことをしでかす奴だとは微塵も思えない。

 なんなら絶世の美女に迫られても、いい身体きんにくしてますねで済ませそうだし。


「えっと、じゃあ責任って一体なんのことなんですかね?」


 澄まし顔だったけど、若干頬を赤らめた火稟さんが場の空気を戻すように、おずおずと左手を挙げて、発言をする。

 

「それはですね、私は・・・・・・あ、申し遅れました。私、3年生の姫咲楓ひめさきかえでと申します。それで、私は実は、ここにいる獅童大和さんに命を助けてもらったのです」


 なんかすごいスケールの大きい話になってきたな・・・・・・命を助けた? ・・・・・・あ、もしかして。


「もしかしてだけど、大和が交通事故に遭いそうだった女性を助けたって言ってたけど、この人なんじゃないの?」


「・・・・・・おぉ! 言われてみれば確かにあの時の人だ! いやー髪型が違うから気が付かなかったぜ!」


「お前髪型でしか人を判別出来ないの?」


 こいつどうやって坊主の人間を見分けるつもりなんだろう。


「あの時は急いでたし、偶々通りがかって助けただけなんだから一々人の顔なんか覚えてる暇が無かったんだよ!」


「それで、助けてもらったってことがどうしたら責任っていう話になるんですか?」


 話が逸れたのを感じたのか、風見さんが再び責任のことについて問う。

 まぁ、助けてもらったって話だし、それでどうして責任なんて単語が出てくるのかは気になる。


 他人のことを考えてる余裕はないって思ったけど、無理矢理にでも別のことを考えている方が意識が逸れてちょうどいいのかもしれない。

 1人でいる時や黙っている時にはどうしても同じことばっかり考えてしまって気分が滅入ってくるから。


「単刀直入に言えば惚れました。なのでその責任を取ってもらおうかと」


「・・・・・・もう一度言ってもらっていいですか?」


 大和、難聴系キャラはもう流行らないよ。って言いたいところだけど、直球過ぎる理由に俺も耳を疑ってしまった。


「ですから、獅童大和さんに惚れました。ライクではなくラブです。なので惚れた相手にアプローチをしに来たんです。・・・・・・私の心を奪った責任を取ってもらいたいので付き合っていただけませんか?」

 

 あー、確か大和が助けた相手が顔を赤らめてこっちを見ていた的なことを言っていたような気がする。

 命を助けてもらった相手がイケメンで同じ学校の後輩ということもあれば余計に運命を感じてしまっても仕方がないのかもしれない。

 ・・・・・・同じ学校なら大和がどれだけの筋肉バカかってことも知ってるはずなんだけどなぁ。


「ごめんなさい、いきなり言われても僕はあなたのことをよく知らないし、付き合えません」


「そうですか、それならこれから知っていってください。今日はこのことを言いに来たのと・・・・・・先生にこれを提出しに来ました」


「これは、入部届け? 分かったわ、明日までには印鑑を押して受理しておくから・・・・・・演劇部にようこそ姫咲さん」


「はい、それでは獅童大和さん。並びに演劇部員の方々、今日は用事があるのでこれにて失礼いたします。明日からよろしくお願いします」


 見惚れる程に優雅なお辞儀をして、姫咲先輩は踵を返して部室を出て行ってしまった。

 ・・・・・・なんだったんだろう、よく分からない人だ。

 大和に惚れたにしては何か淡々としてた気もするけど、緊張してたのかな?


「・・・・・・そう言えば、これで演劇部が5人になったってこと、ですよね!? やったぁ!!」


 遅れて喜びが爆発したのか、風見さんは椅子に座ったままの状態で反り返って万歳をし始めた。

 その体勢ちょっとどころかかなり胸が強調されてるから気を付けた方がいいよ? 机を挟んで君の前に座ってる俺の身にもなってね?


「えぇ、そうね・・・・・・でも、今まで部活に入って来なかった姫咲さんがね・・・・・・やっぱり獅童君に惚れたから側にいたいのかしらね?」


「ところでセンセイ、あの姫咲センパイってどういう人なんですか?」


 ちょっと気になっていたことを火稟さんがタイミング良く聞いてくれたので、心の中でサムズアップ。

 

「そうね・・・・・・彼女を表す言葉を述べるなら、社長令嬢、お嬢様、家がお金持ち・・・・・・かしらね」


 それはまとめれば一言で済んだんじゃないですか? 伝わってきた情報は言い方を変えてもお金持ちっていうことだけですよ?


「あぁ、そう言えば・・・・・・なんか3年生にすごいお金持ちの人がいるって話を聞いたことがあった」


「そう言われれば僕も聞いたことがあるな、なんでも父親が会社の社長で母親がこの学校の理事長って話だぜ?」


「そんな人が出来たばかりの演劇部に入ってくれるなんて・・・・・・やりましたね、権力ゲットですよ」


「火稟ちゃん!? そういうこと言っちゃうのはどうかと思うよ!?」


 火稟さんは心に何か抱えているんだろうか・・・・・・あとでちょっとアニメかラノベの話でも振ってストレスを解消してあげよう。


「で、大和はどうするの? せっかくの玉の輿だけど」


「さっきも言っただろ? よく知りもしないのに付き合えないって。ま、諦めてはくれなかったみたいだけどな・・・・・・僕のことよりも蒼太、お前だ」


 ジッとこっちを見てくる大和の視線から、それとなく目を逸らし鞄を持って立ち上がる。

 こいつが聞きたいことは分かっているけど、それをここで聞かれたら困るから、逃げさせてもらうよ。


「ごめん、実は俺もちょっと用事があって・・・・・・また明日」


 後ろから誰かの声が聞こえた気がしたけど、聞こえない振りをして部室を立ち去った。

 小走りのまま下駄箱まで行って、自分の靴を取り出した瞬間に気が付いた。

 

 ・・・・・・そうか、姫咲先輩が入部するってことは、部活を続ける人数が揃ったということで、それはつまり・・・・・・。

 

 そこまで考えてから、下駄箱に取り出したばかりの靴を入れ直して、出て来たばかりの部室棟に再び足を向ける。

 あからさまに逃げてしまったさっきの罪悪感よりも重く、言葉にし難い痛みを伴った何かが胸の奥から溢れてきそうになった。

 なんだろう、この痛みは・・・・・・どうしてこんなに苦しいんだろう。

 だけど、今からやることを止めるべきじゃないと無理矢理蓋をして感情になってしまう前のその何かを無視して部室の扉を開いた。

 ――何を今更迷うことがあるんだろう、最初からこうするって決めてたじゃないか。


 俯いた顔を上げると、やっぱりみんなは驚いて固まってこっちを見ていた。

 今、俺はどんな表情をしてるのかな?


「・・・・・・水樹君? どうかしたの――」


「――ごめん、風見さん






















――俺、演劇部辞めるね」


 風見さんの言葉を遮って、ようやく言葉になったそれは酷く醜くて、おぞましい最低の宣言だった。

 辞めるという言葉を紡ぐのに、一体どれだけの時間が経ってしまったのか分からない。

 5秒かもしれない、10秒かもしれない、もしかしたら1分以上かもしれない。

 来た時と同じように俯いて、すぐに部室を去ってしまった俺には、その時自分がどんな表情をしていたのかも、みんながどんな表情をしていたのかも分からない。


 ただ、去り際に聞こえた・・・・・・『――どうして』という彼女の声だけは、不思議なぐらいにはっきりと、耳に届いてしまったんだ。

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