第4話 この編集者は毒舌が過ぎる

 演劇部に人数が揃うまでの期間で入部することになった後、俺は急いで出版社に向かったけど、学校を出た時点で既に日が沈み始めていたこともあってか、出版社に息を切らしながら辿り着いた頃には、もう既に夜のとばりが下りてしまっていた。


 ――そんな俺は現在、ソファで優雅に足を組み替える編集者の前で正座をしていた。


 まぁ、当然悪いのは遅刻をした俺なんだけど・・・・・・この仕打ちはやっぱりあんまりだと思う。

 もう30分程の正座をしているせいで足の感覚はどこかに消えたし、床の硬さがダイレクトに膝に伝わり、正直すぐに立てる自信は無い。

 ほら、あれだよ、あれ。布団敷かずにうっかり固い床でそのまま寝てしまって、うつ伏せで起きた時に襲って来るあの膝の痛み。

 普段はベッドで寝ている俺だけど、きっと今だけはベッド派の人間とは分かり合えないだろう。


 なんて現実逃避をせざるを得なくなったのは目の前で俺が書いた小説を読んでいる編集者が理由だ。

 

 遅刻してきた俺が精いっぱい頭を下げながら謝罪をした直後、頭上から降ってきた


『まず殺す』


 という言葉を聞いてしまえば、それは現実逃避をしてしまっても仕方ないよね?

 初手で殺害なんて通り魔もそこまで手は早くないんじゃない? それにまずってことは死んだあとも何かされるのだろう。

 せめてちゃんと埋葬してくれないかな、It's My Soul!! うーん、クソラップ。


 なんてスクラップ同然のクソラップというかダジャレに近しい何かを頭に浮かべたぐらいには怖かった。

 どうにか許しを得たのかは分からない正座という行動にもつれ込んで、命だけは勘弁してもらって、今に至る。


「・・・・・・あ、読み終わりました?」


 頭上から降って来ていた原稿を捲る音が止まった。読むのを途中で止めた可能性もあるけど、書いた小説の長さからして、多分読み終わった方だと思う。

 まだ全てを書いたわけじゃないし、第一章程度を書いただけなので、読み終わる時間としてはしっかり読み込んでもこんなもんだろうから。


「・・・・・・生ゴミ」


 目の前の編集者が急に立ち上がったかと思えば、俺が持ってきた原稿を生ゴミと言いながらシュレッダーにぶち込んでくれやがった。


「残念ながら、それは可燃物ですよ?」


「・・・・・・そういう話はしてないのだけれど?」


 そう言って、荒城先生とは別のベクトルで人を殺せそうな視線を向けてくる、俺の担当編集こと東雲涼子しののめりょうこさんは、ソファに座り直しコーヒーを飲み始めた。


 荒城先生の視線が狩人的鋭さなら、涼子さんは人を凍てつかせる視線だ。

 綺麗系で美人の涼子さんがそういう目をすると、より一層迫力があってうっかりちびりそうになる。

 大学を出てすぐに出版社に就いた彼女は、今年で24歳になる。勤務して僅か2年目の彼女だけど、テキパキと仕事をこなすその姿はベテランの人と比べても何も遜色がない。


「それより生ゴミ扱いされて何も言わないのね? あまつさえシュレッダーにかけているというのに」


 ボリュームのある長い黒髪を右手でかき上げ、耳にかけながら、涼子さんは言う。


「えぇ、4文字も感想を貰えたのでまだマシな方かと思ってます」


 本当に酷い時は無言でシュレッダーだろうし・・・・・・まあ、シュレッダーにかけられるのはどう足掻いても変わらないので、何を言っても仕方ないけど。

 作家に限らず、創作家というのはメンタルが大事だと俺は個人的に思います、はい。


「無駄にポジティブ過ぎて気持ち悪いわね・・・・・・とりあえず、見ての通りボツよ。書き直して来なさい」


「まぁ、俺もその小説には納得いってなかったので、そう言ってもらえてホッとしてますよ」


 涼子さんは言うことは厳しいを通り越して鋭利な刃みたいな人だけど、決して嘘は言わないし、面白い時は面白いと言ってくれる。

 その分人の心を折るのに十分な事言ってくるけど。


「ところで今日はどうして遅れたの? 理由を聞かせて頂戴」


「普通話聞いてから正座させません? というかそろそろ俺もソファに座っていいですか? ちょっと足に血が通ってないんで」


「・・・・・・仕方ないわね、正座を崩して胡坐にすることを許可してあげるわ」


 結局ソファには座らせてもらえないのかよ・・・・・・やっぱまだ怒ってらっしゃるようだ。

 足の痺れに耐えつつ、ソファの側面で正座から胡坐に直し、改めて涼子さんを見上げる。


「実は、色々とあって部活に所属することになりまして・・・・・・」


「・・・・・・それは一編集者としては聞き捨てならないわね。個人としては蒼太君みたいなぼっちはちゃんと部活に入ってなけなしの思い出を作っておくべきだとは思うけれど」


 ぼっちじゃなくて友達が少ないんです、似たようなカテゴリーの言葉に聞こえるけど、この2つの言葉にはきっと天と地ほどの差があるので注意。

 恐らく一編集者としては原稿を書く時間を削って欲しくないという意味だと思う。

 

「それで? 蒼太君は何部に入ることになったのかしら? 廃部?」


「意外と的を得た発言なのが何とも言えないんですけど・・・・・・その、演劇部です」


 そう言った瞬間、今まで人をからかうような態度をとっていた涼子さんの眉がピクリと跳ね上がったのを俺は見逃さなかった。


「・・・・・・演劇部ねぇ。ということはあなたが脚本を書くのよね? 中学3年生にして小説家デビューし、天才と呼ばれている現役高校生作家、蒼乃樹あおのいつきが。プロの役者だって演じ切ることの出来なかったあなたの世界を素人同然の学生に演じさせるなんて・・・・・・随分残酷なことをするのね」


 蒼乃樹、それが俺のペンネームで、天才というのは否定させてもらうけど・・・・・・俺は確かに中学3年生に上がった時に作家デビューを果たした。

 どうにも他人と上手くコミュニケーションが取れないというか取りたくない時期があって、それが中学2年生になってから現実から逃げるように小説を書き始めたきっかけだった。

 なんとなく、書いた小説を賞に応募して、運良く賞を獲得して、中学3年生の終わり頃には既に映画化が決定していて、とんとん拍子にことが進んで・・・・・・高校1年生の半ば、俺は他人の人生を確かに壊してしまった。


 編集部でバイトしていて、それなりの実績を残し、入社してすぐに俺の担当編集は涼子さんになったから、彼女は俺がその時期小説家を辞めようとしていたことも知っている。

 言い方は悪いけど、きっと涼子さんなりに俺を案じてくれているんだと、思う。


「・・・・・・俺は、もう他人が自分の書いた物語を演じるなんてことがないようにしてるんです。だから書けるわけがないですよ。入部したのだって、廃部を防ぐために新しい部員が入るまでの数合わせみたいなものなんですから」


 そう言ったのは自分なのに、どうしても心に引っかかるものを感じた。

 いつもの自分だったら演劇部なんて絶対に入らなかった、それは間違いなく本心だ。

 でも、やっぱり一瞬だけだったけど・・・・・・彼女が見せた世界をもう一度見てみたいって思ってしまっているから。


「・・・・・・そう、それならいいのだけれど、なるべく仕事に支障をきたさないようにね? それと映像化の話が何件も来ているのも断っておくわね」


「はい、ありがとうございます・・・・・・ところでそろそろソファに座っていいですか?」


 お尻が冷たすぎるし、胡坐も地味に足がきついから。


「そうね、コーヒーが無くなったわ。淹れなさい」


「返事の代わりにコーヒーのお代わりを頼むのはやめてください。ホットでいいですか?」


 文句を言いつつもテキパキとコーヒーを淹れ始める自分に対してため息を吐く。

 今日1日でどれほどため息を吐いただろう? ギネスに載るかな?

 なんてバカなことを考える暗めの茶髪に毛先だけが癖毛の男が窓ガラスに反射して映っていた、どうも俺です。


「ひとまず、今日の打ち合わせはここまででいいわ。あなたはコーヒー飲んでいくのかしら?」


「いえ、飲んでゆっくりしたいところではあるんですけど・・・・・・さっきからポケットの中に入れているスマホのバイブレーションが止まらないんですよ、きっと早く帰って来いってことだろうから帰ります」


 スマホを取り出すと画面には我が愛しい双子の妹が交互に電話をかけてきていた。うーん、餅つきみたいな息の合わせ方・・・・・・さすが双子。


「そう、シスコンね」


「いえ、あいつらがブラコンなんです」


 俺は断じてシスコンじゃない、帰りにケーキでも買って行ってやるか。

 疲れた時には妹たちの笑顔が特効薬。


「・・・・・・はぁ、とりあえず締め切りまではまだ余裕があるけれど、添削もしないといけないんだから、とっとと書きなさい」


「あぁ、はい。頑張ります、それではこれで」


 未だに増え続ける着信履歴を表示したスマホをポケットにねじ込み、鞄を持って応接室をあとにした。

 妹たちの好物を頭に思い浮かべ、献上品をピックアップしていると、後ろから涼子さんの咳払いが聞こえて来たので振り返る。


「蒼太君、忘れ物よ」


「・・・・・・それさっきシュレッダーにかけられた小説だったものじゃないですか」


「えぇ、燃えるゴミに出しておいて頂戴。帰り際にちょうどゴミ捨て場の近くを通るでしょう?」


 人が書いたものを生ゴミ扱いしておいて、自分で処理しろだなんてあなたには人の心はないんですか? そうですか。


「いいですけど、あまりそういうことしてると嫌われますよ?」


「私、人の嫌なことは進んでやれって育てられたから」


「それ意味が違うと思うんですけど・・・・・・」


 嫌がらせを進んでやれなんてどんな教育を施されてるんですか・・・・・・。


「それに、こんなことをするのは蒼太君にだけだから、安心していいわよ」


「別に嬉しくない特別扱いですね・・・・・・安心出来る要素じゃないです」


 もっと優しいデレが欲しいところではあるし、俺の扱い方について議論の余地はあるけど、そろそろ帰らないと妹たちのご機嫌を取るのにデザートだけじゃ足りなくなってしまうので、大人しく袋に入れられた小説だったものを受け取りその場をあとにすることにした。


 あー、本当誰か俺に優しくしてくれないかな、なんて思いながら出版社を出てスマホをポケットから再び取り出すと、電話の着信履歴に混ざって大和から連絡が来ていた。

 メッセージツールのアプリを開き、大和とのトークルームを開くとそこには――






 ――素晴らしく逞しい肩の写真が送られてきていた。


 『いい感じに上腕二頭筋と上腕三頭筋と三角筋が仕上がったぜ! そして今からこの自作カツ丼を食う!』


 とメッセージも添えられていたので、そっ閉じした。

 敢えてツッコミを入れるなら、料理を映して写真を送って欲しかった。

 大和は自分の身体を管理している影響で自分で料理が作れるが、一度たりとも作った料理の写真を送ってきたことはない。

 オール筋肉、おかげで無駄に筋肉の部位を覚えてしまったし、時々夢にまで出てきてしまうので困ったものだ。


 あぁうん、忘れよう、ケーキでも食べて。

 こうして、もう1人分のお金が財布から消えることになった。

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