第508話 巣立つ者に祝福を(5)

「しかし、暁理の奴があんなに嬉しがるとは予想外だったな・・・・・・」

 運動場に向かいながら影人は先ほどの暁理の様子を思い浮かべる。まるで、ずっと欲しかった物を貰ったかのような喜び方だった。まさか、近所の雑貨屋に売っていた約3000円ほどの安物のネックレスであれほど喜ぶとは思わなかった。

「・・・・・・もしかして、実はたまたま暁理が欲しかった物なのか? あの雑貨屋は多分暁理も知ってるだろうし。前から狙いをつけてて、たまたま買う金が今はなくて、いつか買うつもりだった・・・・・・そう考えないと、あの喜び方は説明がつかないよな」

 名推理だ。探偵事務所でバイトをしている成果が出ている。影人はドヤ顔を浮かべそう思ったが、今のところ、蓮華の元で推理力が鍛えられる依頼が殆ど来ていないという事実に一瞬で思い至った。蓮華の探偵事務所に来る依頼は、大体が裏の仕事。つまりは化け物退治や幽霊退治などだ。表の仕事はかなり少ない。あそこは本当に探偵事務所かと疑いたくなってくる。

「で、次は香乃宮か。・・・・・・香乃宮かぁ・・・・・・」

 影人は半ば無意識に右手で軽く頭を抱えた。光司はどういうわけか、影人が関わるとちょっとアレというか、知能が下がる傾向がある。暁理ですら、影人からの贈り物であれだけの反応だったのだ。いったい、光司がどんな反応を示すのか。予想もつかない。

「「「「「キャー! キャー! キャー!」」」」」

 影人が光司について考えていると、黄色い歓声が影人の耳を打った。声は影人が向かっている運動場の方から聞こえてきた。

「な、何だ・・・・・・?」

 影人は謎の大合唱に疑問を抱きながらも、声がする運動場の方に歩き続けた。運動場はすぐそこだ。そして、影人の視界に運動場が映った。

「香乃宮先輩ー! 卒業しないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

「私はこの世界を呪う! 先輩という太陽を私たちから奪うこの世界を! いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「先輩! 先輩! 最後にどうかそのご尊顔を1枚! 1枚撮らせてください!」

「先輩! 先輩はずっと私の推しです!」

「私も!」

「俺もです!」

 運動場には凄まじい人が集合していた。その数はざっと100人を超えているように思われる。その多くは女子生徒であったが、男子生徒もそれなりに多かった。

「ありがとう。みんなからそう言ってもらえて、本当に嬉しいよ」

 そして、その大量の生徒たちの中心にいたのは、もはや当然というべきか、光司であった(影人がいる位置からは、たまたま光司の姿が見えた)。光司はいつも通り、誰も彼もを魅了する爽やかな笑顔を浮かべていた。

「相変わらずとんでもねえ人気だな、あいつは・・・・・・」

 その光景を見た影人はもはや呆れてしまった。光司が男女問わずに人気である事は十二分に知っていたが、視界内に映る光景は影人の予想を超えていた。流石というべきか、やはりというべきか、完璧イケメンの香乃宮光司である。

「しかし、あの人数の中を突っ切って香乃宮を連れ出すのは流石に目立ち過ぎるし嫌だな・・・・・・どうするべきか・・・・・・」

 影人はどうすればあまり目立たずに光司と接触できるかを考える。そして、すぐにメールをすればいいという事に思い至った。悲しい事に、影人のメールアドレスは暁理経由で既に多くの者たちに流出済みだ。光司もそんな者たちの内の1人である。

「さて、香乃宮のアドレスは・・・・・・」

 影人はスマホを取り出し、メールのアプリを立ち上げると、光司から送られてきたメールを探した。

 すると、

「やあ、帰城くん」

 すぐ近くからそんな声が響いた。影人が顔を上げると、いつの間にか光司が影人の目の前にいた。

「うおっ!? こ、香乃宮・・・・・・! な、何で・・・・・・お前、さっきまであそこに・・・・・・」

「君の姿が見えたからね。みんなにはちょっと失礼して抜けて来た」

 驚く影人に光司はニコリと笑みを返す。抜けて来たというが、影人が光司から目を離していたのはほんの少しの時間だ。加えて、人に囲まれていたのに影人に気がつくとは。影人は光司の自分に対する反応速度の速さに軽く恐怖した。

「それで、僕に何か用かな? 帰城くんがわざわざ僕に近づいて来るって事は、何か用があるからとしか思えないけど」

「いや、その通りではあるが・・・・・・お前、そういう認識はまともなんだな。後、言ってて悲しくないのかよ」

「悲しくはないかな。ただの事実だから」

「そうかよ・・・・・・まあいい。ちょっと着いてきてくれ」

 離れているとはいえ、運動場にはまだ多くの生徒たちの姿がある。あの数の生徒たちが野次馬になるのはごめんだ。影人は光司を伴って人気の少ない場所に移動した。

「人が近くにいたら出来ない話という感じかな。何かあったのかい?」

「そんな真面目な話じゃねえよ。ただ、こいつを渡したかっただけだ」

 真剣な顔になった光司に影人はかぶりを振る。そして、影人は鞄の中から光司用のプレゼントが入った袋を取り出すと、光司にその袋を突き出した。

「っ、これは?」

「俺からの卒業祝い兼バレンタインのお返しだ。言っとくが大した物じゃないからな」

 先ほど暁理としたようなやり取りを行いながら、影人は光司に袋を手渡す。光司はあまりの驚愕からか、呆然とした様子で影人から袋を受け取った。

「・・・・・・」

「・・・・・・何だよ。何か言えよ」

 彫刻のように固まってしまった光司に、影人はそう言葉を掛ける。すると、光司はハッとした顔になった。

「あ、ああ・・・・・・ごめん。あまりの驚きと嬉しさからちょっと固まってしまって・・・・・・き、帰城くん。これ、中を見ても・・・・・・?」

「当たり前だろ」

 恐る恐るといった様子の光司に影人は首を縦に振る。光司はほんの少し震えた手を袋の中に入れた。そして、中にあった物を取り出した。

「っ・・・・・・」

 触れた時から予想は出来ていたが、光司の手の中にあったのはボールペンであった。ボディは深い紺色でメタリックな鈍い輝きを放っていた。

「ハンカチとどっちがいいか悩んだんだが、結局そっちにした。お前もこれから大学生だろ。なら、ペンはいくらあってもいいはずだって思ってな」

 ボールペンを見つめる光司に対し、影人はなぜ自分がボールペンをプレゼントに選んだのかという理由を述べた。

「一応、ボールペンにしちゃそれなりの値段がした物だから、書き心地だとか耐久性は普通のよりかはいいはずだ。まあ、適当に使ってくれ」

 しかし、影人がそう言葉を続けても、光司は無言でひたすらにボールペンを見つめ続けていた。流石に不審に思った影人は光司に声を掛ける。

「・・・・・・香乃宮? どうしたんだよ。お前、大丈夫か?」

「・・・・・・」

「おい、香乃宮!」

 全く反応しない光司を見た影人は、いよいよおかしいと思い大きな声で光司の名を呼んだ。

「・・・・・・っ! ご、ごめん帰城くん。どうやら、僕はあまりの嬉しさから一瞬気絶してたみたいだ・・・・・・」

 ようやっと正気に戻った光司は、自身も戸惑った様子で影人に顔を向けた。

「は、はあ? ちょっと意味が分からんぞお前・・・・・・というか、そんな理由で人が気絶するかよ」

「感情を処理しきれずに精神がブラックアウトするのは、むしろメジャーな失神の理由だと思うけどね。僕の場合は、珍しい事にそれが喜の感情だったというだけだよ」

 困惑する影人に、既にいつもの落ち着きを取り戻した光司がそう説明する。確かに、そう言われればそうかもしれない。要は、宝くじで一等が当たった人間があまりの嬉しさから気絶してしまった様なもの、という事だろう。まあ、ボールペンを1本貰って気絶するのとは天と地ほどの差があると思うが。

「帰城くん。プレゼント、本当の本当にありがとう。僕はこのペンを家宝にして一生大切にするよ」

「いや、大袈裟過ぎるだろ!? ただのボールペンだぞ!? ボールペンが家宝の家なんて存在しねえだろ! しかも、お前の家って超巨大グループ会社やってる超絶名家じゃねえか! そんな家なんだからもっとちゃんとした先祖代々の家宝があるだろ! そんなただのボールペンを家宝にするな! 先祖が泣くぞ!? 考え直せ!」

「はっ! そうだね。このボールペンは家宝なんてレベルに止まらない。このボールペンは国宝、いや人類の宝だ。世界遺産に登録しよう。早速、ユネ◯コに電話を・・・・・・」

「違えよバカ! やめろ! 本気で電話しようとするな!」

 冷静に暴走している光司を影人は必死に止めた。本当に普段はこんな人物ではないのに、どうして自分が関わった時だけ光司はこうなるのか。影人は光司の手首を掴みながら、心の底からそう思った。

「はあ、はあ、はあ・・・・・・ちょっとは正気に戻ったか?」

 数分後。影人は疲労を滲ませた顔を光司に向けた。光司は若干戸惑いながらも、コクリと頷いた。

「う、うん。ごめん。ちょっと興奮し過ぎたみたいだ。でも、やっぱりこれは世界遺産に登録した方が・・・・・・」

「まだ言うか・・・・・・いいか。もう1度言うが、そんなただのボールペンは世界遺産にはならん。間違いなくならん」

 影人がため息を吐く。そして、こう言葉を続けた。

「それに、そのペンは俺がお前に贈った物だ。勝手に世界なんかに寄贈するな。分かったな?」

「あ・・・・・・う、うん。分かったよ。ごめん」

 光司はようやく納得したようだった。なぜか、ほんのりと光司の顔が紅潮しているように見えたが、恐らく気のせいだろう。影人は光司の言葉に頷く。

「分かったならいい。俺の用事は終わり・・・・・・と言いたいところだが、お前に対しては実はもう1つだけある」

 影人は懐から折り畳まれた紙を1枚取り出すと、それを光司に渡した。

「今日の夕方、その紙に書かれた場所に来てくれると助かる。なぜ、呼び出すのか。用件はその紙の題名を見れば分かる。正確な時刻もその紙に書いてあるから、もし来てくれるなら、時間はそれに従ってくれ。言っとくが、もちろん来なくてもいいからな。そこはお前の判断に任せるから」

「っ、分かったよ」

 影人がいつになく真剣な事に気づいたのだろう。光司も真面目な顔でその紙を受け取り、制服の胸ポケットに仕舞った。

「俺の用事は終わりだ。悪かったな。卒業式の日にわざわざ人気者のお前を拘束して」

「そんな、そんな事はないよ。僕は本当に嬉しかったんだ。君がわざわざ僕と話をしてくれて。しかも、こんな素敵なプレゼントまでくれて・・・・・・」

 光司は本当に大切そうに影人が贈ったボールペンを握り締めた。そして、その目に涙を滲ませながら、影人にこう言った。

「帰城くん。ありがとう。心の底から君にお礼するよ。君からこんな素敵なプレゼントを貰えて本当に嬉しかった。誓うよ。僕はこのペンを一生大事にする」

「だから重いって・・・・・・ただのペンだぞ? まあ、大事にしてくれるならそれに越した事はねえよ。ただ、出来るならしっかり使え。ペンは使ってなんぼだからな」

「うん。確かにそうだね。じゃあ、大切に使わせてもらうよ」

「ああ、ぜひそうしてくれ」

 頷く光司に満足した影人は小さくではあるが口元を緩めた。

「さて、用事は終わりだ。俺はこれで失礼するぜ。・・・・・・ああ、そうだ。最後に1つだけ聞く事があった。香乃宮、お前朝宮と月下、イズがどこにいるか知らねえか?」

「朝宮さん達かい? 申し訳ないけど、ちょっと分からないかな。ただ、朝宮さんと月下さんフィズフェールさんは同じクラスだから、いるとしたら3人一緒だとは思うよ」

「そうか・・・・・・分かった。まあ、あいつらは人気者だから、何だかんだすぐ見つけられるだろ。サンキューな。じゃあ」

 影人はひらりと光司に軽く手を振ると、その場から去った。光司は暁理と同じように、影人の背中が見えなくなるまで見つめ続けた。

「・・・・・・」

 影人の背が見えなくなったので、光司は自分の手の中にあるペンに視線を落とした。あの影人が光司のために選び、贈ってくれた品だ。見ているだけで自然と笑みが溢れてくる。

「――いい友を持ったな」

 光司がペンを見つめていると、どこからか突然そんな声が聞こえて来た。光司が声の発信源に顔を向けると、校舎の柱の陰から1人の男性が姿を現した。40代くらいのスーツを纏った男だ。豊かな黒髪は整髪剤で綺麗に整えられ、凄まじく整った顔にはこれまた整えられた髭がある。男の全身からは自然と威厳のようなものが滲み出ていた。

「っ、父さん!? 何で、いつから・・・・・・!? いや、そもそも来てたの!? 仕事で忙しいんじゃ・・・・・・」

「永島から卒業式が今日だという事は聞いていたからな。スケジュールを調整して今日を休みにした。息子の晴れ舞台だ。親は出るのが普通というものだ」

 驚く光司に光司の父親――香乃宮耀司ようじはフッとダンディに口元を緩めた。耀司は光司の元まで歩くと、こう言葉を続けた。

「適当なタイミングで出て驚かせようと思って隠れていてな。だから、さっきのお前のいつからという問いに答えるなら最初からだ。しかし・・・・・・くくっ、あれ程はしゃいだお前を見るのは本当に久しぶりだったぞ。本気でそのペンを世界遺産にしようと考えるとは・・・・・・くくくっ、笑いを堪えるのに苦労した」

「や、やめてくれよ! 僕は真面目にそうすべきだと思ったんだ!」

「だから面白いと言ったんだ。まあ、何にせよ・・・・・・よかったな光司。素敵な卒業祝いを貰えて。親として、お前の交友関係は気になっていたが・・・・・・心配する必要もなかったようだ。お前は多くの人々に囲まれ、真の友人がいた。親としては喜ばしく、またありがたい事だ」

「真の友人・・・・・・帰城くんが僕の事を友人と思ってくれているかは分からないけどね。でも、僕は恵まれている。心の底からそう思うよ」

 耀司の言葉に光司はそう答える。光司の答えを聞いた耀司は満足そうに頷いた。

「そうだな。光司、今のお前なら分かっているだろうから敢えて言う必要もないが・・・・・・その気持ちを忘れるなよ」

「うん」

「いい返事だ。光司、せっかくだ。今日は久しぶりにどこかに夕食でも食べに行くか」

「そうだね・・・・・・って言いたいんだけど、ごめん。帰城くん、さっきの彼から夕方に会いたいって旨を伝えられたんだ。詳しい時間はこの紙に書いてあるんだけど・・・・・・だから、食べ行けるかは怪しい」

「そうか。なら、家で食べよう。永島にはお前が好きな物をたくさん作るように言っておく」 

「いや、別にわざわざそんな事をしなくても・・・・・・」

「今日はお前の卒業式だ。それくらいはしてもいいだろう。では、俺は一旦これで失礼する。俺がいては友人や後輩たちといつも通りに話せないだろうからな。学校内にはいるから、また帰る時に電話してくれ」

 耀司は光司にそう告げると、どこかへと消えて行った。

「全く父さんは・・・・・・普段は真面目なくせにたまにこういう事をするんだもんな」

 1人になった光司はやれやれといった様子で言葉を漏らす。しかし、光司の顔には嬉しさの色が確かに混じっていた。

「ああ、そうだ。帰城くんからの手紙を読まないと」

 光司はペンを胸ポケットに入れ、影人から渡された紙を広げる。そして、光司は紙に書かれている文字を読んだ。

「っ・・・・・・」

 紙に書かれていた内容を見た光司は、思わずその目を大きく見開いた。そこに書かれていた内容、いや正確には題はそれほど衝撃的なものだった。

「・・・・・・帰城くん。君がどうしてこんな手紙を僕に渡したのかは分からない。分からないけど・・・・・・僕も男だ。君の想いがどんなものであれ、僕は君の想いに応えたい」

 光司は真剣な顔でそう呟くと、紙を丁寧にたたみ直し、ペンが入っている胸ポケットに紙を入れた。そして、どこかへと歩き始めた。その内に、静かな覚悟を固めながら。

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