第503話 過ぎ行く日々(19)

「昼間は危なかったな・・・・・・万が一、暁理にバイトの事がバレてたかもしれねえ」

 放課後。蓮華の事務所に向かいながら影人は昼間の出来事を思い出していた。チャイムのおかげで何とか逃げ切れたが、影人とそれなりに付き合いの長い暁理の事だ。もしかしたら、影人が何かを隠しているのではと疑っているかもしれない。

(会長や『巫女』には俺がバイトしてる事は誰にも話さないように言っておいたから、そこからバレる事はないはずだ。・・・・・・2人の口が軽くなけりゃな。まあ疑われても、最悪バレてもあと数日のらりくらいと誤魔化せばいいだけだ。ああ、そうだ。そろそろ、あいつらに贈る品もどうするか考えねえとな)

 そんな事を考えている内に、影人は蓮華の事務所に辿り着いた。影人は中に入ると、階段を登って2階に上がった。ちなみ、零無も既に合流済みのため幽霊状態で影人の隣にいる。

「こんにちは。お疲れ様でーす」

 影人は蓮華の事務所の2階のドアを開け、中に入った。奥のデスクで雑誌を読んでいた蓮華は顔を上げた。

「おう、来たね助手」

「そりゃ助手ですからね。蓮華さん何読んでるんですか?」

「ゼク◯ィ」

「え、読む雑誌間違えてません!? 大丈夫ですか!? 昨日の今日でボケたんですか!? って痛っ!?」

 蓮華が驚く影人に向かって読んでいたゼク◯ィを投げつける。前髪の化け物に5ダメージ。別風の言い方をすればグリフィ◯ドールに10点。

「お前はアレだね。いや、バカなのはもう分かったが、1回死なないと分からないクチだね」

 蓮華は怒りを通り越してもはや哀れなモノを見る目を影人に向けた。顔面に結婚に関する情報雑誌をぶつけられた前髪は、それを拾ってテーブルに置くと、納得がいかないといった顔で蓮華にこう言った。ちなみに、テーブルには昨日影人と蓮華が指した将棋セットが置かれていた。きっと蓮華が元の場所に戻すのを忘れていたのだろう。

「残念かもですが、死んでも分からないタイプですよ俺は。既に実証済みですから」

「はっ、まるで1回死んだ事があるような口調だね」

「1回じゃなくて2回ですけどね。というか、マジで意外でしたよ。蓮華さん、そんな感じなのに結婚願望あったんですね」

 先ほど自分がテーブルに置いたゼク◯ィを見ながら影人がそう言葉を述べる。蓮華は自分のデスクに置いていたペットボトルの水のフタを開けると、水を口に流し込んだ。

「何を勘違いしてるか知らないが、そいつは知り合いから押し付けられたから暇つぶしがてらに読んでただけだよ。あたしは結婚なんてごめんだね」

「そうだったんですか。いや、通りでおかしいと思いましたよ。それと、その意見には俺も大賛成です。誰かに永遠の愛を誓うなんて、俺には似合わないし考えられない」

「あんたの場合はしたくないんじゃなくて出来ないの間違いだろう。誰があんたみたいな奴と結婚したがるか」

「それ、ブーメランですよ。蓮華さんも結婚できるタイプじゃないでしょう」

「ああ? あたしはあんたと違って美女だよ。昔もそうだったが、あたしが本来の姿で街を歩けば男どもが寄ってくる。結婚してくれなんてそれこそ死ぬほど言われるよ」

「毒花って知らないからでしょ。蓮華さんの内面やら力を知って結婚したいって奴がいったいどれくらい・・・・・・って痛え!?」

 影人の頭に今度は水入りのペットボトルが直撃した。前髪の化け物に10ダメージ。グリフィ◯ドールに20点。

「ったく、探偵の助手の癖に学習能力がない・・・・・・雇う奴を間違えたかね。ほら、水を返しな」

 蓮華はやれやれと疲れ切ったで軽く天を仰いだ。前髪はペットボトルを拾うと、それを蓮華に投げ返した。

「返せって言うなら投げないでくださいよ。で、今日は何をするんですか?」

 影人が蓮華に今日の業務を聞く。蓮華は影人が投げてきたペットボトルを右手で掴む。

「裏の仕事は今日はないよ。表の仕事はこの間受けた浮気調査があるからそれくらいかね。ただ、例によって対象はまだ仕事中だ。だから、ぶっちゃけ今日は暇だね」

「そうですか・・・・・・じゃあ、対象の人物の仕事が終わるまで、また将棋でも指しますか。ぶっちゃけ、俺からすれば将棋指してるだけで給料が貰えるならそれに越した事はないんですが」

「本当にぶっちゃけるね。そうさね。まあ、それでもいいが・・・・・・今日は。せっかくだ。まずはお客さんと話して暇を潰そうじゃないか。扉の前にいる奴、入って来な」

「え・・・・・・?」

 蓮華がスッとドアに目を向ける。影人も反射的にドアに顔を向けた。

「・・・・・・」

 すると、キィという音と共にドアが開かれた。そして、とある少女が部屋の中に入って来た。その少女はプラチナホワイトの髪に、周囲が水色で中心が赤色という瞳が特徴で、影人と同じ風洛高校の制服に身を包んでいた。

「気配は完全に消していたつもりでしたが・・・・・・よく私に気がつきましたね」

「長年の探偵の勘ってやつさ。・・・・・・と言いたいところだが、あんたが言ったようにあんたの気配は完全に消えてた。あたしがこの建物に魔術・・・・・・侵入者用の罠を仕掛けてなきゃ、あんたには気がつかなっただろうね。不思議だね、あんた。人としての、生物としての気配ってやつがほとんど、いや全くない。本当に人間かい?」

 風洛の制服に身を包んだ少女は無表情に小さく首を傾げた。蓮華は少女に対しそう答えを返す。

「イズ・・・・・・何でここに・・・・・・」

 影人はその少女、異世界の魔機神の器に宿った神器「フェルフィズの大鎌」の意思である存在の名を呟く。影人に名前を呼ばれたイズは、顔を影人の方に向けた。

「無論、あなたを追ってきたからです帰城影人。昼間、たまたまあなたと早川暁理との会話を聞きました。少し不審に感じたので、軽くあなたを尾行しました。その結果がこれです。帰城影人、あなたはここ・・・・・・建物の入り口には探偵事務所とありましたが、ここでアルバイトをしているのですか?」

「それは・・・・・・別にお前には関係ないだろ」

 影人はジッと自分を見つめてくるイズから顔を背けた。影人を尾行していたイズは恐らくドアの外で先ほどの蓮華と影人の会話を聞いている。その事を加味すると、答えは既に出ているようなものだ。だが、それでも影人は素直な言葉を口にしたくはなかった。

「ええ。あなたがどんなアルバイトをしていようが私には関係ない。しかし、陽華や明夜には多少なりとも関係がある事です。私には正直理解しかねますが、陽華と明夜にとってあなたは大事な人間です。2人はそんなあなたが最近以前にも増して自分たちに関わろうとしない事に悩んでいる。その答えがここでのアルバイトなら、私はそれを陽華と明夜に伝えます。あなたに忙しい理由があり、それが原因で陽華と明夜に以前にも増して関わろうとしないという事ならば、2人も納得し、悩みも多少は解消されるでしょうからね」

「っ、やめろ。頼む。あいつらには、いや他の奴らにも俺がバイトをしてる事は言わないでくれ」

「なぜですか?」

「それは・・・・・・」

 間髪入れずにイズが聞き返す。影人は思わず言い淀んだ。影人が蓮華の元でバイトをしている理由は、陽華や明夜、暁理や光司、それに目の前にいるイズやアルファベットズたちに卒業祝いをするためだ。影人がアルバイトをしている事をイズが陽華や明夜に伝えれば、そこから情報が広がるだけでなく、その情報を知った者たちが、なぜ影人がバイトをしているかという事を聞いてくるだろう。むろん、先ほどここに来る前に影人が考えていたように、バイトをしている理由なんて本当の事を言わずに誤魔化せばいいだけだ。

 だが、それが先ほども思ったように最悪である事に変わりはない。卒業する時に影人が卒業祝いを渡した時、例えば影人がバイトをしている事を知った陽華と明夜は思うだろう。この卒業祝いは影人が頑張ってバイトをしたお金で施してくれたものなのだろうと。普段ぶっきらぼうな影人が頑張って稼いだお金で陽華と明夜の卒業を祝う。影人が言うのもあれだが、お涙頂戴の感動的な話だ。陽華と明夜はきっと影人に対してとても感謝するだろう。

(ふざけるな。そんな、そんな展開だけはごめんだ。俺はそんな展開はこれっぽっちも望んじゃいない)

 しかし、捻くれに捻くれてしまっている帰城影人という人間はそんなストーリーは求めていない。むしろ不要だ。影人が1番許せないのは、だ。影人が陽華や明夜、その他の者たちの卒業を祝福するのはあくまで気まぐれなのだから。少なくとも、影人はそう思い込む事で自分の中で妥協していた。

「・・・・・・俺のプライベートに関わる事だからだ。だから、誰かに伝えるのは少なくとも今はなしだ」

 だが、そんな自身の胸中を素直にイズに言えるわけもない。考えた末に、影人は無難な答えをイズに述べた。

「・・・・・・ふむ。現代の倫理観からすれば、確かに、いくらあなたとは言ってもそういった事は保障されるべきなのでしょう。ですが、私にとってはあなたのプライベートよりも陽華と明夜の悩みを解消される事が優先されます」

「っ、そこを優先するなよ! どう考えても人権の方が優先順位は上だろうが!」

「人権とは人間に適応される概念です。とても人間とは思えないあなたに適応される概念だとは思えませんが」

「ふざけるな! 俺は真面目に言ってんだ!」

「別にふざけてはいませんが」 

 叫ぶ影人にイズは無表情にそう言葉を返す。その様子を見ていた蓮華は面白そうな顔でこう言った。

「人間とは思えないね。ふーん、どうやらあんたは助手が普通の人間じゃない事を知ってるみたいだね。その辺りはちょいと興味があるが・・・・・・あんた、確かイズとか言ったね。理由は分からないが、本人がそう言ってるんだ。そこは本人の意向を汲んでやりなよ。あたしもこいつの事はまだよく知らないが、こいつが隠すって事はそれなりの理由があるはずだよ」

「それは・・・・・・」

 イズの顔色がほんの少しだが変わる。蓮華の言う事にも一理あると思ったのだろう。イズはしばらくの間考え込むような顔になる。

「・・・・・・分かりました。今回だけはそうします。帰城影人のアルバイトの件は誰にも言いません」

 そして、イズはそう言った。

「っ、マジか・・・・・・」

 イズの答えを聞いた影人は意外そうにそう言葉を漏らす。正直、イズが影人の頼みを了承してくれる確率はかなり低いと影人は考えていたからだ。

「あくまで今回だけです。私にとって1番の優先事項は陽華と明夜ですが、帰城影人にも恩義はありますからね」

「悪い。恩に着る」

「では、私は帰ります。帰城影人、忙しいのは分かりますが、陽華と明夜にも関わってください。2人があなたと同じ学校に居られる時間はもうほとんどないのですから」

 イズは最後にそう言って部屋から出て行った。

「・・・・・・分かってるんだよ。そんな事は。だから俺は・・・・・・」

 イズが事務所から出て行った後に、影人はポツリとそう呟いた。

「中々に面白そうな奴だったね。あんたに女の同級生の知り合いがいたとは驚きだったよ」

「蓮華さんは俺を何だと思ってるんですか・・・・・・まあ、俺も本当は知り合いとかはいらないんですけどね。俺は孤独で孤高な一匹狼なんで」

「あんたは真面目な顔でいったい何を言ってるんだい・・・・・・?」

 蓮華は一瞬聞き間違えたのかと自分の耳を疑った。だが、蓮華の耳が捉えた言葉は正しかった。とんでもない場面でとんでもない事を言う奴だ。蓮華は影人に一種の恐怖を感じた。

「だけど、何の手違いか、人生のボタンを掛け間違ったのか、俺には知り合いが出来た。それも結構な数の。つくづく思いますよ。人生ってやつはままならないって」

「人生の不条理を嘆く理由がおかし過ぎるだろ」

「ですが、俺は足掻きますよ。足掻いて足掻いて、いつか成ってみせます。真に孤独で孤高な一匹狼に」

「おかしいねえ。さっきまでは多少は緊張感がある空気だったのに、いつの間にかトンチンカンな空気になっちまった。何であたしが冷静に突っ込んでるんだろうねえ」

「ちょっと蓮華さん。さっきから冷やかさないでください。俺は真面目に言ってるんですから」

「真面目にそれだったら、冗談抜きであたしはあんたに病院を勧めるよ」

 蓮華は虚無の表情で前髪の化け物にそう言った。全く、とんでもない助手ワトソンを雇ってしまった。蓮華の胸に後悔の念が過った。

「? 何でですか? まあ今はこの話は置いといて、ありがとうございました。蓮華さんがああ言ってくれなかったら、イズの奴はああは言わなかった」

「温度差で死にそうな会話だね。まあ、そこは気にするなよ。あたしは探偵だ。助手のプライバシーくらいなら守ってやるよ」

 蓮華はフッと笑った。何とも格好のいい言葉だ。

「・・・・・・蓮華さんはアレですね。イケメンですね」

「はぁ? あたしは男じゃないよ」

「容姿とか性別は関係ないですよ。心がって事です。じゃあ、暇つぶしに将棋でもやり――」

 影人が昨日からテーブルに置かれていた将棋セットを指さす。

 すると、

「あのー、すみません・・・・・・」

 再びドアが開かれた。ドアの隙間から顔を覗かせたのは、年若い女性だった。長い黒髪にメガネをかけたその女性は、おずおずといった様子で蓮華と影人を見つめた。

「ん、依頼かい?」

「あ、はい。ここならどんな問題も解決してくれるっておばあちゃんから聞いて・・・・・・」

 蓮華が女性にそう聞くと、女性はコクリと頷いた。

「どんな問題でもか。ウチは便利屋じゃないんだけどね。まあいい。取り敢えず、話だけでも聞かせておくれ。そこに座りな。コーヒー、紅茶、お茶、どれがいい?」

「あ、お構いなく・・・・・・」

「いいから答えな。飲み物くらいは出させてもらわないとこっちが困るってもんさ」

 蓮華が促すと女性は「すみません。ならコーヒーを・・・・・・」と軽く頭を下げた。

「助手。コーヒーだ。台所にポットとインスタントのセットがあるから頼むよ」

「はい」

 実は初めて助手らしい仕事を与えられた前髪は素直に蓮華の言葉に頷くと、台所のあるスペースに向かった。

「探偵の九条蓮華だ。あんたは?」

「あ、雛田舞ひなたまいです。歳は25歳で会社員をやっています」

 ソファに移動した蓮華は対面に座っている女性に自己紹介を行った。その女性、舞も蓮華に自己紹介を述べる。

「雛田・・・・・・ああ、あんたあいつの孫かい。ったく、吹聴してくれるねえ。で、今日はどんな依頼を持って来たんだい」

「その、全く信じてもらえないかもしれませんし、私が勝手におかしくなってしまっただけかもしれないんですけど・・・・・・」

「ウチに来る依頼の半分はそういった類の話さ。だから、素直に言ってみな」

 不安そうな顔になる舞に蓮華が優しくそう促す。そのタイミングで影人が「お待たせしました」とカップに入れたコーヒーを持ってきた。舞は影人が持って来たコーヒーに、同じく影人が持って来たコーヒーフレッシュを入れると、一口コーヒーを飲んだ。

「ふぅ・・・・・・ありがとうございます。おかげで少し落ち着きました。その、実は・・・・・・最近、変な声が聞こえるんです」

 舞はポツポツと話し始めた。1週間前から女の声のようなものが聞こえ始めた事。しかし、周囲に人などいない。それからずっと、決まって夜1人で部屋にいる時に頭の中に声が響く事を。

「声が何て言ってるのか、最初は全く分かりませんでした。でも、最近は徐々に鮮明になってきて・・・・・・来い、来いって、こっちに来いってそう言ってる気がするんです。私、怖くて怖くて・・・・・・!」

 舞は小刻みに震える自分の体を抱いた。舞の話を聞いた影人は「普通にホラーだな・・・・・・」と内心で思った。少なくとも、間違いなく探偵事務所で聞くような話ではない。

(まあ、でも・・・・・・)

 影人は前髪の下の目を蓮華に向けた。蓮華は怒るでも呆れるでもなく、いつもと同じ顔を浮かべていた。

「なるほどね。まあ十中八九、悪霊の仕業だろうね。あんたにもその残滓があるし。多分だが、部屋に憑いてるタイプだね。夜にだけ干渉して来るのは、まだそれだけ力が強くないからだろう。よし、じゃあ今からあんたの家に行ってそいつを祓ってやるよ」

「え・・・・・・?」

「悪霊退治なんてよく来る依頼さ。引き受けてやるって言ってるんだよ。ほら、行くよ。助手、あんたも準備しな」

 驚く舞をよそに蓮華は立ち上がると、影人にそう言ってきた。予想通りの蓮華の言葉に、影人は思わず口元を小さく緩める。

「はい。でも、改めて悪霊退治の依頼がよく来る探偵事務所って不思議ですよね」

「あたしもそう思うよ。でも、来るもんは仕方がないだろ。依頼は解決してやらないとね。それが探偵ってもんさ」

 蓮華も口元を緩めそう答える。そして、蓮華と影人、舞は事務所を出て舞の家へと向かったのだった。舞の家に辿り着いた蓮華は、ものの数秒で舞の部屋に憑いた悪霊を祓い、舞の依頼を解決した。


 ――そして、時は経ち3月14日。風洛高校は卒業式の日を迎えた。

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