第502話 過ぎ行く日々(18)

「あー・・・・・・うっぷ。あはは、おい助手〜もう一軒行くよ〜。あたしぁまだまだ呑み足りないぞ〜」

 居酒屋での宴会が終わり、その帰り道。酷く酔った蓮華がそんな言葉を述べる。蓮華に肩を貸していた影人は、呆れと疲れが混じった顔になった。

「何言ってるんですか。行くわけないでしょ。蓮華さん、いったい何杯飲んだと思ってるんですか・・・・・・最低でも4、50杯は飲んでますよ。普通ならぶっ倒れてますよ・・・・・・」

「普通なんて知らないね〜。あたしぁ酒には強い体質だからねぇ。あはは、今日は星が綺麗だね〜」

「はぁ・・・・・・ダメだこりゃ・・・・・・」

 酒臭い蓮華に辟易としたように影人はため息を吐いた。全くなぜ自分が蓮華の介抱係なのか。影人は自分に蓮華を押し付けてさっさと帰って行った真夏と風音を軽く恨んだ。

 ちなみに、白麗と志津鬼もさっさと帰って行った。2人とも蓮華と同じく酷く酔っていたが、まああの2人は大丈夫だろう。何となくだが、白麗と志津鬼は蓮華よりかはまだしっかりしていた。

 そして、これもちなみにではあるが、影人の隣の零無は蓮華に凄まじい目を向けていた。どうやら、蓮華が影人と触れ合っている事が気に入らないらしい。零無は「吾の影人に触れやがって。死ね死ね死ね死ね・・・・・・」と呪詛の言葉を吐いている。本当に勘弁してほしい。

(本当、ツイてないぜ・・・・・・)

 酔っ払いの介抱ほど無駄な時間はない。影人は面倒くささを感じながら、蓮華を事務所まで送って行った。

「ほら、蓮華さん。事務所に着きましたよ。鍵どこですか?」

「鍵〜? さあどこだったかね〜。助手〜、適当にあたしの体を探しとくれ〜」

 九条探偵事務所の2階に辿り着いた影人が蓮華にそう聞くと、蓮華はヘラヘラとした様子で両手を上げた。

「え、嫌ですよ。っていうか、それ普通にセクハラですよ」

「あ〜? あたしぁそんな事は気にしないよ。別に減るもんでもないしね〜」

「いや、俺がセクハラを気にしてるんじゃなくて、蓮華さんのその発言が俺に対するセクハラって意味です。というか、俺は出来れば女性の体なんて恐ろしいものには触れたくない派なんで」

「え、あんたまさか・・・・・・男が好きなのかい?」

 一気に酔いが覚めたといった様子で、蓮華は影人を見つめた。蓮華は明らかに少し引いていた。

「何でそういう話になるんですか!? 違いますよ!」

 影人はブンブンと激しく首を横に振った。蓮華は「そうなのかい?」とよく分からないものを見るような目を影人に向けた。

「じゃあ、あんたは普通に女が好きってわけか。でも、女の体を触りたくない・・・・・・あんた、草食系男子って奴かい?」

「今の時代、普通ってあんまり使わない方がいいですよ。俺は・・・・・・そういうのはよく分からないです。ただ、草食系ではないと思います。どっちかって言うと、多分俺は絶食系ってやつです」

「絶食系・・・・・・今の世の男子はよく分からないね」

 蓮華は不思議なものを見るように影人を見つめると、ズボンのポケットから鍵を取り出した。その光景を見た影人は思わず「いや分からないんじゃなかったんですか!?」と突っ込みそうになった。

「入りな助手。あんたのせいで酔いがだいぶと醒めちまった。あたしが満足するまで、あたしのお喋り相手になりな」

「え、嫌――」

「ああ? 給料引くよ」

「謹んでお喋り相手にならせていただきます・・・・・・」

 蓮華と共に影人は泣く泣く部屋の中に入った。

「はー、疲れた疲れた。ったく、今日は本当に濃い1日だったね」

 蓮華は冷蔵庫の中から缶ビールを取り出すと、フタを開けグイッとビールをあおった。そして、どかっとソファに腰掛ける。

「まだ呑むんですか・・・・・・蓮華さん、マジで急性アルコール中毒で死にますよ」

「これくらいじゃあたしは死なないよ。言っただろ。あたしは酒に強い体質なのさ。毒に対する分解力が常人の何十倍も高いからね。今の気分はほろ酔いって感じだ」

「え、じゃあさっきまでのあれは・・・・・・」

「あの時は酔ってたよ。でも、今はアルコールが分解されたからね。だからほろ酔いなのさ」

 蓮華は何でもない様子でそう言った。そんな短時間であれだけの量のアルコールが分解されるものなのかと影人は一瞬考えたが、それが出来るのが蓮華の体質というものなのだろう。影人は蓮華の対面のソファに座った。

「・・・・・・で、何をお話しますかホームズさん」

「そうさねえ。じゃあ、何か酒の肴になる話でもしてもらおうかいワトソン」

「要は面白い話をしろって事ですか。面白い話、面白い話ね・・・・・・」

 影人は悩んだ。いかんせん、面白い話というものが思いつかないし、記憶にもその手がかりはない。影人の記憶にあるのは、大体が殺伐としたものばかりだ。影人が悩んでいると、蓮華はフッと口元を緩めた。

「まあ、いきなりそんな事を言われて話せるものでもないか。んー、そうさね。じゃあ、ちょいとゲームでもしようか。助手、あんた将棋は出来るかい?」

「一応出来ますけど、そんなに強くはないです」

「十分だ。それじゃあ、一局指そうか」

 蓮華は立ち上がるとどこからか将棋盤と駒を持って来た。影人と蓮華は駒をそれぞれ所定の場所に設置する。

「なあ助手。あんたはあたしの本当の姿を知った。あんたは本当のあたしと今の偽りの姿のあたしのどっちが好みだい? やっぱり、美し過ぎる本当のあたしかい」

「何ですかその質問。というか、美し過ぎるって、自分で言ってて恥ずかしくないんですか」

 急に訳の分からない事を聞いて来た蓮華に、影人は前髪の下から何言ってんだこいつ的な目を向ける。蓮華は桂馬の駒を持つと、それを右手で弾いて影人の額に飛ばしてきた。

「痛っ! いきなり何するんですか!?」

「うるさいよバカ前髪。お前はアレだね。デリカシーってやつが死滅してるね。その見た目でその言動は終わってるよ。いいからさっさと答えな」

「いきなり俺の全てを否定しないでくださいよ・・・・・・別に、どっちが好きとかはないですよ。だって、どっちの姿の蓮華さんも蓮華さんである事に変わりはないでしょ」

 影人は額をこすりながらそう答えた。影人もスプリガンと普通の自分。異なる2つの姿を持っている。だが、どちらも自分である事に変わりはない。影人は実感としてその事がよく分かっていた。

「だから、その質問に俺はこう答えます。俺は蓮華さん好きですよ。会ってまだ数日ですし、蓮華さんがどんな人なのか俺は正確には知りません。特に、蓮華さんは色々と謎が多そうですから」

「っ・・・・・・」

 影人の答えを聞いた蓮華は、影人の答えを予想していなかったのか驚いたような顔になる。影人は将棋の駒を並べており下を向いていたので、蓮華の表情の変化に気がつかなかった。

「だから、俺が知ってるのはここ数日の蓮華さんです。酒飲みでちょっと理不尽でちょっと強引で・・・・・・でも、優しくて格好良くて、バイトを探してた俺にも声を掛けてくれた。まあ、理由は思っていた以上に打算的でしたけど、それはそんなもんでしょう。・・・・・・俺はそんな蓮華さんが好きですよ」

 駒を全て配置し終わった影人は顔を上げフッと笑う。蓮華はしばらくの間、どこかぼぅとした様子だったが、やがてジトっとした目を影人に向けた。

「・・・・・・あんた、あたしを口説いてるのかい? 驚いたよ。こんなに真っ直ぐ口説かれたのは久しぶりだ。しかも、それがあんたみたいな前髪だとはね。言ってて恥ずかしくないのかい」

「は!? いや、別に口説いてなんていませんよ!? 俺はただ人として蓮華さんが好きだよって言っただけです! 勘違いしないでください!」

「ちなみに、あたしはあんたみたいな前髪はお断りだ。タイプじゃない。というか、あんたみたいな前髪がタイプの女なんてこの世にいないだろうね」

「だから勘違いですって! 話聞けよババア! 痛てえ!?」

 影人がつい蓮華をババア呼ばわりすると、空になった缶ビールの缶が影人の頭に投げつけられた。影人に空の缶を投げつけた蓮華は、大きくため息を吐いた。

「はぁ・・・・・・雇い主に向かって暴言を吐くとはね。これだから最近の若者は」

「いやだから、その発言が既にババア・・・・・・ちょ、急に何をブツブツ言い始めてるんですか。え、何か後ろに魔法陣が出てるんですけど・・・・・・ちょ、何で本当の姿に戻って・・・・・・って、ギャー!?」

 本来の姿に戻った蓮華が風の魔法を使用し、アホの前髪を風で吹き飛ばす。前髪は軽く宙を舞い悲鳴を上げた。











「ふぅ・・・・・・ったく、昨日は酷い目に遭ったぜ」

 後日。3月8日木曜日、午後12時過ぎ。自分の席で弁当を食べながら影人はそう呟いた。結局、蓮華の話やら将棋やらに付き合わされて、帰ったのは夜の10時を超えていた。結局寝る前にほぼ日課と化したゲームをしてしまったので、寝たのは夜の1時過ぎだ。いつもより少ない催眠時間では疲れも中々取れなかったので、今も倦怠感がある。

「お疲れみたいですけど・・・・・・大丈夫ですか?」

 そんな影人を気遣ってか、隣の席でお弁当を食べていた海公が心配そうにそう聞いて来た。化け物と名高い前髪を心配できる聖人がいったいどれ程いるだろうか。さすがは可愛い、格好いい、性格がいいの3拍子が揃った次世代系主人公である。化け物、厨二病、前髪の3拍子が揃った終わってる系主人公(そもそもこんなのが主人公なのが一種のバグ)の前髪とは天と地ほどの差だ。前髪は自分という化け物を気遣ってくれる海公に泣いて感謝した方がいい。というかしろ。

「ああ、まあ大丈夫だ。今日寝りゃ疲れも取れるだろうし。心配してくれてサンキューな春野。いやー、お前の優しさが沁みるぜ。そうだよな。人ってのは人に優しくしないとだよな。ったく、あの人ももうちょい俺に優しくしてほしいもんだぜ。いや、本当は優しいのは知ってるけどさ・・・・・・」

「?」

 前半は海公に向けて、後半は独白するように影人が言葉を紡ぐ。影人の言うあの人とはもちろん蓮華の事だが、影人が蓮華の事務所でバイトをしている事など知らない海公は不思議そうに首を傾げていた。

(せめて、今日はちょっと楽な仕事がやりてえな。今日も裏の仕事系でドンパチとかはマジで勘弁だぜ)

 影人はそんな事を思いながら水筒のお茶を飲む。せめてペット探しや浮気調査といった表の仕事がいい。影人は切に願いながら弁当を食べ終えた。

「あ、そうだ。本の返却日今日だったな。春野、俺ちょっと図書室に行ってくるわ」

「分かりました。次の授業は体育ですから、あまり遅くならないようにお気をつけて」

 影人は鞄から借りていた本を数冊取り出すと教室を出た。前髪野郎はこう見えてというか、ある意味見た目通りというか、本を読むのが好きな部類の人間だ。そのため、前髪野郎はよく学校の図書室を利用していた。

「本当ならまた適当に本を借りたいが・・・・・・しばらくは忙しいだろうしやめとくか」

 少なくとも、3月14日までは蓮華の事務所でアルバイトだ。昼間は学校。夕方から夜はバイト。それに休日もバイトをする予定なので、ゆっくりと本を読む時間はない。今日は返却だけにしようと影人は決めた。

「おい、影人」

 図書室に本を返した影人が廊下を歩いていると、声がかけられた。影人が声の聞こえた方に振り返る。すると、そこには暁理がいた。

「何だ暁理? 悪いが、俺は次の授業が体育でな。あんまりお前に構ってる時間はない」

「何で僕が君に構ってもらわなきゃならないんだよ。逆だ。僕がわざわざ君に構ってあげてるんだ。そこを勘違いしないでくれよ」

「じゃあ、俺は別に構ってもらいたくないんでこれで・・・・・・って、ぐえ! おい暁理! 襟を掴むな!」

 そのまま暁理を置いて歩こうとした影人は暁理に台襟を掴まれた。暁理は冷たい目を影人に向ける。

「・・・・・・君ってさ。アホでバカで前髪で終わってるよね。いや、分かってはいるんだけどさ。分かっていても、平然とそれを超えてくるっていうか、言わずにはいられないっていうか・・・・・・」

「急に侮辱のオンパレードを言ってくるな! 別に俺は何にもおかしな事は言ってねえだろ!」

 納得がいかないといった様子で影人は憤慨の声を上げた。暁理はしかし、変わらずに冷ややかな目を影人に向ける。

「何回も言ってるけど、君はデリカシーがないんだよ。まあ、君にデリカシーがないのは今更なんだけどさ。それより、ちょっと聞きたい事があるんだけど」

「ああ? 何だよ」

「今日の放課後、久しぶりに遊ばない? 朝宮さんと月下さん、それにイズちゃんや香乃宮くんも一緒にさ。どうせ、君の事だし放課後は暇だろ」

「俺がその面子で素直にはいって言うと思ってるのか? 却下だ却下。遊ぶだけならお前らだけで遊べ」

 影人は即座に拒否の言葉を述べる。暁理は影人の答えを予想していたのだろう。特に表情を変える事なく頷いた。

「だろうね。君ならそう言うと思ったよ。じゃあ、明日僕と2人でならどう? 最近2人で一緒にデート・・・・・・遊んでないし」

 暁理からすれば、どちらかと言うとこっちが本命だった。あともう少しすれば暁理は卒業だ。制服を着て影人とデート出来る機会は限られている。ゆえに、暁理はそう提案した。

「あー・・・・・・悪いな暁理。そいつも無理だ。ちょっと最近色々と忙しくてな」

 だが、影人はその提案も断った。放課後は蓮華の事務所でアルバイトがあるからだ。

「は? 何でだよ。色々忙しいって何。確かに、君はスプリガン・・・・・・色々と特殊な立場だけど、もう今は落ち着いた状況だろ。いったい何が忙しいっていうのさ」

 暁理は訝しさと怒りが混じったような顔で影人にそう聞いた。去年のフェルフィズとの最終決戦以降、流入者の問題を除けばこちらの世界の情勢は落ち着いている。影人もスプリガンとしての仕事は、時たまに現れる強力な流入者への対応(光導姫と守護者への助っ人も含まれる)くらいだ。その事を知っているからこそ、暁理は影人の言葉に疑問を抱き、また影人が暁理の誘いを断るために嘘を吐いているのではと少し腹立たしく思ったのだ。

「いや、だからとにかく色々と忙しいんだよ。別にこれはお前の誘いを断るための方便じゃないからな。マジだ」

「だから、その色々って何? 嘘じゃないなら答えられるよね」

「そ、それは・・・・・・」

 影人は言葉に詰まった。ここで暁理や他の3年生たちへの卒業祝いをするためにバイトをしているからとバカ正直に言う事は出来ない。影人がどうにか上手い言い訳はないかと考えていると、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。

「あ、ヤベっ。悪いがもう行くぜ暁理! さっき言ったが次は体育だからな! じゃ!」

 影人はそう言い訳をすると――あながち言い訳でもないが――、ダッと走りその場を後にした。一瞬の隙を突き逃げた影人に暁理は「あ!?」と声を漏らす。

「待てよ影人! ・・・・・・ったく、いったい何なんだよ・・・・・・」

 残された暁理がよく分からないといった様子で首を傾げる。そして、やがて暁理も自分の教室に向かうためにその場を後にした。

「・・・・・・」

 その光景を少し離れた場所からたまたま眺めていたイズも、少ししてその場から離れた。

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