第500話 過ぎ行く日々(16)

「白麗、『破絶の天狐』・・・・・・? 悪いが、聞かない名だね」

「じゃろうな。妾の事を知っている者は限られる。妾の世界でもそうじゃ。最近来たこちらの世界で妾の事を知っている者は絶無じゃろう。じゃが、奇しくも、お前以外のこの場にいる者は全員を妾の事を知っておるがな」

 白麗はそう言うと、蓮華以外の者たちに顔を向けた。

「げっ、化けギツネ・・・・・・」

「白麗さん・・・・・・」

 真夏と風音はその顔に半ば無意識に緊張の色を奔らせた。フェルフィズとの最終決戦の時からこの世界に滞在している白麗の事は、真夏と風音も知っている。白麗がシェルディアと同等クラスの実力者であるという事も。

「ずっと見ていた・・・・・・そうか。あんたの眼はこの世の全てを見通す一種の千里眼だったな」

「元々見通せるのは妾の世界だけじゃったがな。何とかこの世界も見れんものかと適当に試行錯誤しておったら出来たのじゃ。それで、馴染みのある気配を感じたからここを見たら・・・・・・お前がいたというわけじゃ、志津鬼」

 白麗は空中に拘束されている志津鬼にその白銀の目を向ける。志津鬼は先ほどからずっとその深い赤の目を見開き、白麗を見つめていた。

「白、麗様・・・・・・なぜ・・・・・・なぜ、あなた様がこちらの世界に・・・・・・」

「諸々あってのう。しかし、妾もまさかこちらの世界でお前とまた会う事になるとは思っていなかったぞ。久しいのう、志津鬼。いったい何年ぶりじゃろうな。お前とこうして言葉を交わすのは」

 呆然とする志津鬼に白麗は懐かしむように笑みを返す。2人の会話を聞いた影人は少し驚いたように、その金の瞳を見開く。

「こいつの事を知ってるのか?」

「ああ。よく知っておるとも。なにせ、こやつは妾の国で生まれ、育ったのじゃから」

 影人の言葉を白麗は首肯した。白麗の言葉は蓮華、真夏、風音、影人に再び衝撃を与えるものだった。

「志津鬼が話しておったからお前たちも既に知っておるじゃろうが、志津鬼は鬼と吸血鬼の間に生まれた子でのう。妾の国は魔妖族の国。全ての種族の中で、最も多様なモノたちがおる種族じゃ。そのため、様々な者たちがおる。例えば、鬼と妖狐の間に生まれた子、河童と幽霊の間に生まれた子などな。じゃが・・・・・・鬼と吸血鬼の間に生まれた子は志津鬼だけじゃった」

 白麗は唐突に志津鬼の生い立ちを話し始めた。影人たちは全員黙ったまま白麗の話に耳を傾ける。

「妾の国の者たちはどうしようもない奴もいるが、基本は気のいい奴らばかりよ。それに、多様なモノが最も多い種族とあって、偏見や差別といった観念は他の種族より随分と薄い。ゆえに、混血児だからといった理由で社会から排斥される事はない。・・・・・・しかし、志津鬼だけは別じゃった」

「・・・・・・あんたの国の奴らはこいつを除け者にしたのかい?」

「・・・・・・有り体に言えばそうじゃ。お前は知らんかもしれんが、妾の世界では吸血鬼は特殊な種族じゃ。今でこそ、吸血鬼に対する畏怖の感情は随分と薄れたが、昔は吸血鬼といえば強い畏怖の対象じゃった。妾の国の者たちは、吸血鬼の子であった志津鬼を恐れたのじゃよ。志津鬼には誰も近づかなかった」

「・・・・・・」

 蓮華の指摘に白麗が頷く。志津鬼本人は白麗の言葉を肯定も否定もせず、ただ黙ったままだった。

「しかも、志津鬼を産んだ鬼の母親は、運が悪い事に病で亡くなってのう。吸血鬼の父親はどういう事情があったのは知らんが行方不明になりおった。ゆえに、幼少期から志津鬼は孤独の中にいた。愛を与え育つはずの子が孤独の中で育てばどうなるか。普通はその孤独を晴らそうと、もしくは埋めようとするものじゃ。よくある行為としては、何かを破壊したり本能のまま暴れるとかじゃろうな」

「要はこっちの世界で言うグレるってやつね」

 真夏が白麗の言葉を分かりやすく言い直す。白麗はその言葉を知らなかったのだろう。「なるほど。こちらの世界ではそう言うのか」と頷いた。

「ならお前たちにも分かりやすいようにそう言おうかの。話を戻すぞ。しかし、志津鬼はグレなかった。孤独を晴らそうとするでもなく、ただ1人で静かに受け入れ続けた。そんな志津鬼を見ていた妾はこやつが不憫でならなかった。じゃから、妾はこやつに干渉する事にした」

「・・・・・・白麗様と出会った日の事はよく覚えています。俺が森で倒木の上に座っていた時、あなたは突然現れた。それから、あなたはほとんど毎日俺の前に現れ続けた」

 志津鬼は自然と懐かしむような顔を浮かべながら、白麗の言葉を引き継ぐように口を開いた。志津鬼の口調は今まで1番穏やかだった。

「ああ。大体3年くらいじゃったか。妾はお主と会い続けた。その間に色々と話し、遊び、稽古をつけてやったりもしたのう。懐かしい。あの日々は中々に愉快じゃった」

「そうですね・・・・・・俺にとっても、あの日々は未だに色褪せる事がない鮮やかな記憶です」

 白麗のどこか優しい笑みに釣られるように、志津鬼も小さくではあるが口元を緩める。2人の様子を見た影人は、何となくだがその日々が暖かなものであったのだろうと思った。

「それからもお前とはちょくちょくと会ったの。そして、お前が青年に成長した頃、お主は突然旅に出た」

「・・・・・・自分という存在が何なのか、知りたかったのです。この世界における俺とは何なのか。最初はそれを確かめるために旅に出ました。・・・・・・ぐっ」

 志津鬼が顔を歪める。最初、影人はなぜ志津鬼が唐突に顔を歪めたのかには分からなかった。

 だが、影人はすぐに志津鬼のその原因に気づいた。正確には、アイルラディンの瞳がその原因を影人に教えてくれた。志津鬼の腹部からは未だに赤い血が流れ続けている。今の志津鬼は不死でもなければ、再生能力もない。つまり、この傷は一生塞がらない。志津鬼の負った傷はそれなりに深い。なにせ、ナイフに貫かれたのだ。この傷口から血を流し続ければ、志津鬼は間違いなくいつか死ぬだろう。アイルラディンの瞳は、志津鬼が死へと近づいているという事を影人に教示した。

「ふむ、帰――」

「スプリガンだ」

「ああ、そうじゃったな。スプリガンよ、悪いが志津鬼の再生能力か不死性を戻してやってはくれんか? このままではこやつは死んでしまうのでな」

 影人の意図を汲んだ白麗が影人の事をそう呼び直す。白麗の言葉を受けた影人はチラリと白麗に視線を向けた。

「・・・・・・別に構わないが、もしもまたこいつが暴れるような事があったら、その時はあんたにも手伝ってもらうぜ」

「相分かった」

 白麗に了承を取った影人は再び零の力を解放し、先ほど自分が無くした志津鬼の事実を無かった事にした。結果、志津鬼に再生能力と不死性が戻る。志津鬼の腹部の傷は瞬く間に塞がった。同時に、影人は零の力を解除した。

「っ・・・・・・」

 白麗の頼みとはいえ、影人が即座に志津鬼の傷を癒やした事に志津鬼は意外そうな顔になる。先ほどの会話から考えるに、スプリガンと白麗は知り合いのようだが、いったいこの2人はどのような関係なのか。痛みから解放され、思考に余裕ができた志津鬼はそんな事を考えた。

「これでいいだろ。拘束はまだ解かないぞ」

「ああ。充分じゃ。感謝するぞ。ほれ、志津鬼。その状態なら普通に話せるじゃろう。お主が旅に出てから何があったのか話してみよ」 

「は、はい・・・・・・」

 白麗に促された志津鬼は思わずコクリと頷いた。そして、先ほどの話の続きを話し始める。

「・・・・・・旅に出て分かった事は、やはり俺は異物だったという事でした。色々な場所を回りましたが、どこにも俺と同じような吸血鬼と多種族との混血児はいなかった。俺は改めて、自分が1人であると、孤独であると思い知りました。・・・・・・俺はそこで真に絶望したのです。俺はこの暗闇の中をこれから永遠に1人で生きていく。・・・・・・ならばと、俺はそれを紛らわせるために、戦いを生き甲斐へと変えていきました」

「・・・・・・なるほどのう」

 白麗は志津鬼の話に理解を示すように相槌を打つ。世界を知ったが故の絶望。皮肉なものだ。影人は内心でそう思った。

「それからお前は修羅となったわけか」

「・・・・・・ええ。旅の目的はいつしか戦いを求める事に変化しました。そして、しばらく経った日、俺は突如生じた時空の歪みに飲まれ・・・・・・こちらの世界に来たのです」

 志津鬼が自分の話を語り終える。志津鬼の話を聞き終え、最初に口を開いたのは蓮華だった。

「・・・・・・で、こっちの世界でもあんたは戦いを求めたわけか」

「そうだ。そして、俺はこちらの世界の者たち・・・・・・人間に鬼神と恐れられ、封印された。どうだ。何ともつまらない話だろう」

「・・・・・・そうさね。ありふれた創作物みたいな話だ。だけど・・・・・・きっと、それがあんたなんだろうね。あたしはあんたを肯定しないが、否定するつももないよ」

 蓮華はスッと志津鬼から視線を外した。その態度と言葉は、普通なら少し冷たいものに感じられるだろう。

 しかし、蓮華がどのような人間であるかという事を知り始めている影人からすれば、蓮華の態度は同情の発露に見え、蓮華の言葉は確かな暖かさを持った優しいものに聞こえた。

「あんた、白麗とか言ったね。いいよ。こいつの処遇はあんたに任せた。持ってきな」

「ほう、よいのか?」

「何となくだがね、あんたに任せた方がいい気がするんだよ。まあ、何の根拠もないただの勘さ。あんた程の化け物の言う事なら、こいつもそう簡単に逆らえないだろうからね」

「何じゃ。しっかりとそれなりの根拠があるではないか」

「こんなものは根拠とは言えないよ。但し、1つだけ約束してもらうよ。こいつが、志津鬼がこの世界で暴れられるような処遇はなしだ」

「分かっておる。元より、そんな処分は下さんよ」

「ならいい。その言葉、信じるよ。悪いが、あんたらもそれでいいね?」

 蓮華が真夏と風音に確認を取る。蓮華にそう聞かれた真夏と蓮華は一瞬顔を見合わせた。そして、すぐに蓮華の方に向き直し、首を縦に振った。

「はい! 九条さんがそう決めたなら! 何となくですけど、私も今の感じの方がいいと思います!」

「先ほども言いましたが、私は九条様のご決定に従います。それだ正しい未来に繋がると信じていますから」 

 真夏と風音の顔に迷いや不安のようなものはなかった。2人ともそれだけ蓮華の判断を、蓮華自身を信じているのだ。

「ふっ、そうかい。全く、光導姫って奴は相変わらずお人好しばかりらしいね」

「っ・・・・・・?」

 何気なく漏らした蓮華の言葉に影人は少し違和感を覚えた。だが、影人がその違和感について考えを巡らせる前に、白麗が口を開いた。

「話は纏ったようじゃな。お前たちには感謝するぞ。さて、そういう事じゃ志津鬼。お前の処遇は妾が決する。当然じゃが、妾の決定は絶対じゃ。異論は許さん。必ず妾の処遇には従ってもらう。よいな?」

「・・・・・・分かりました。あなたがそう仰るのなら」

 志津鬼は白麗の言葉を受け入れた。テアメエル出身で白麗の言葉にかぶりを振る者はいない。それに、白麗には恩もある。ゆえに、志津鬼は首を縦に振った。

「では、妾が判決を下す。志津鬼、お前は・・・・・・生きよ。お前が死ぬ事も、再び封印される事も罷り成らん。そして、お前が生きている間にこちらの世界と元の世界で無闇に暴れる事を禁ずる。無闇にとは、無辜の民を巻き込むような事である。以上が決定である。なお、この決定を破った場合は、妾がお前を2度と戦えぬ状態にする」

「っ・・・・・・」

 蓮華の決定を聞いた志津鬼は意外そうに深い赤の瞳を見開く。その決定はまるで――

「へえ・・・・・・あたしの顔を立ててくれるのかい」

 蓮華が白麗に向かってそう言葉を放つ。白麗の決定は先ほど蓮華が志津鬼に提示した提案とほとんど同じものだった。いや、向こう側の世界が含まれているという点で蓮華が提示したものよりも厳しいものだった。

「どう受け取るかはお前の自由じゃ。ただ、妾もこの決定が敗者には1番相応しいと思ったまでよ」

 蓮華はチラリと蓮華に視線を向けると、再び志津鬼に白銀の瞳を向ける。

「志津鬼よ。お前は敗者じゃ。敗者が己のこれからを決められると思うな。生き恥を晒しても、例え死ぬよりも過酷であったとしても、敗者はそれらを受け入れなければならぬ。それが道理というものじゃ。甘えるでないぞ」

「っ・・・・・・」

 白麗の言葉は厳しいものだった。少なくとも、志津鬼からしてみればこれ以上にない程に。

「・・・・・・そうだった。あなたは優しくもしっかりと厳しい方でしたね」

「それが愛というものじゃからな。妾は統治者として、妾の国に生きる全てのモノを平等に愛しておるのじゃよ」

 志津鬼は何かを諦めるように、罰を受け入れるかのような顔でそう呟いた。白麗はただ志津鬼を見つめ、ゆっくりと頷く。

「・・・・・・分かりました。確かに、それも敗者に相応しい末路だ。受け入れます」

「うむ。それでよい」

 志津鬼の答えを聞いた白麗は満足そうに頷いた。そして、白麗は影人の方に顔を向けた。

「スプリガンや。志津鬼の拘束を解いてくれ」

「・・・・・・了解だ」

 影人は志津鬼を拘束している影闇の鎖を解除した。志津鬼がその場に膝を突く。

「志津鬼や。妾が言ったのはあくまで無闇に暴れるなという事じゃ。無闇の定義は先ほど言った通り。つまり、それ以外の戦いならばしてもよい。なに、こちらの世界にも強者はうんとおるぞ。そやつらと戦えば退屈はせんじゃろう。お前もこれならば文句はあるまい」

「まあね。誰も巻き込まず、戦いたい奴と戦うだけなら文句はないよ。ただ、あたしはもうこいつと戦うのはごめんだがね」

 確認を取るように顔を向けて来た白麗に、蓮華は了承するようにフッと笑みを返す。2人のやり取りを聞いていた志津鬼は「っ・・・・・・」と意外そうな顔を浮かべた。

「・・・・・・ありがとうございます」

 そして、志津鬼は様々な感情を噛み締めるように白麗に、いやこの場にいる全ての者に向かって感謝の言葉を述べた。

「ほほっ、何なら妾が戦ってやろうか。軽く揉んでやろう」

「私も殺し合いはごめんだけど、まあ手合わせくらいならしてもいいわよ! 鬼の術にも興味あるし!」

「私も真夏さんと同じくです。志津鬼さんとの手合わせは私にとってもいい稽古になりますし」

「っ・・・・・・いや、その・・・・・・」

 白麗、真夏、風音がワイワイとした様子で志津鬼に語りかける。先ほどまでの真面目な、緊張した空気から一転、急に緩んだ空気に志津鬼は戸惑っているようだった。

「・・・・・・」

 その様子を見届けた影人は背を向けた。そして、先程まで自分がいた岩陰をイメージし短距離間の転移を行おうとした。

「待ちなよ。いきなり現れて、今度はいきなり消える気かい?」

 だが、蓮華がそんな言葉を掛けてきた。影人はチラリと蓮華に金の瞳を向けると、こう言った。

「・・・・・・それが俺なんでな」

 そして、影人は転移の力を使いその場から消えた。

「・・・・・・そうかい」

 フッと影の如くその場合から掻き消えたスプリガン。蓮華は特に驚いた様子もなく、虚空に向かってそう呟いた。

(スプリガン、影の守護者か・・・・・・不思議な奴だったね)

 全てが謎に満ちた男だった。それが、今日初めてスプリガンに出会った蓮華の印象であり感想だった。そして、なぜか。なぜか、蓮華はまたいつかスプリガンと出会う。そんな気がしてならなかった。

 むろん、これは神託や予言ではなく、ただの蓮華の勘だ。しかし、どうにも確信めいた勘であった。

「まあ、何はともあれ・・・・・・一件落着だね」

 蓮華が志津鬼たちの方に顔を向ける。そこにはワイワイと話す女子たちに囲まれた志津鬼の姿がある。依頼されていた鬼神の再封印こそ出来なかったが、いま蓮華の目の前に広がっている光景はそれ以上の成果だ。蓮華は緊張から解放された、柔らかな笑みを浮かべた。


 ――鬼神との一件はこうして幕を下ろした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る