第499話 過ぎ行く日々(15)
(こいつは・・・・・・何だ?)
腹部に生じる痛みに思考を割かれながらも――これだけ長い間痛みを感じるのは志津鬼にとって初めての経験だ――志津鬼はそう考えずにはいられなかった。
(俺の本能が、魂が告げている。今俺の目の前にいるのは戦うという次元にいる相手ではない。戦ってはいけない。戦うという事すら考えてはいけない相手だ。ああ、世界は広いな。まさか、この世にこんな輩がいるとは・・・・・・)
望んでいた高みに至ったかと思えば、それを遥かに超える高みの存在に出会った。まるで悪夢だ。だが、腹部の痛みが、そこから流れで続ける血がこれが現実だと伝えてくる。
「はっ・・・・・・望むところだ。挑戦者になるのはいつぶりか」
目の前にいる無色の髪の男に恐怖を感じた。悪夢だとすら思った。だがしかし、それでも志津鬼は笑ってみせた。戦いだけが己が何者であるのかを問うことが出来る方法だ。ここで逃げれば、志津鬼は自分が何者であるのかという問いを放棄する事になる。志津鬼は構えを取った。
「存分に来い。感謝しよう。お前のような者と戦う事が出来る幸運に」
「普通は絶望するんだがな・・・・・・ったく、武人系というか戦闘が生き甲斐の奴はどうしてこう真っ直ぐで、ある意味律儀なのかね」
志津鬼の言葉に影人は少し呆れた様子になる。冥や響斬の顔が自然と思い浮かぶ。分かっていたが、志津鬼は間違いなくあの2人と同じタイプだ。こういう手合いは厄介だ。大体強い。物理的にはもちろんだが、何より精神が。死を覚悟し、受け入れ、それでいて全力で勝ちに来る。歪んでいるようで歪んでいない。
「だがまあ・・・・・・よく言った。上から目線に聞こえるだろうが、お前凄えよ」
「その言葉は、俺がお前を倒したその時に・・・・・・言ってもらおうか!」
志津鬼は自身の右腕に影と血を纏わせた。志津鬼の右腕は
「そんな時は来ねえから言ったんだよ」
影人は体を動かし飛ぶ殴打を回避する。その瞬間に志津鬼は影人に接近し、右足を大きく地面に叩きつけた。次の瞬間、志津鬼の全身から凄まじい衝撃波が放たれた。
(この距離だ。どれだけ速くても衝撃波は避けられない。衝撃波を回避する方法は、あの実体をなくす技だけ。なら、実体がなくても効く一撃を穿てば、俺の攻撃は完璧に入る)
実体がないものに攻撃を与える。それは明らかな矛盾だ。例えば煙を掴む事が出来るだろうか。普通は出来ない。それは一種の世界の理だからだ。志津鬼が今からしようとしている事は、まさにそういった事だ。
(鬼神化はただ身体能力と魔力を増加させるだけではない。鬼神化は鬼が扱う魔法、鬼言術を真化させる。鬼にのみ許されし魔法の極み、それならば!)
志津鬼は赤黒色の右腕に魔力を極限まで集中させた。すると、志津鬼の右腕から妖しい紫の輝きが放たれた。
「真・鬼言術、『
志津鬼が渾身の一撃を繰り出す。この一撃は実体がないモノにも干渉する事が出来る。そして、影と血を纏った今の志津鬼の一撃は、どんなモノでも即死させるのに充分な威力を有している。この一撃を受けて生きていられるのは、恐らく不死者だけだ。
そして、今までの戦いで分かっている事は、スプリガンは不死者ではない。先ほどスプリガン自身が不死者である事を否定したからではない。志津鬼は長年の経験で、スプリガンの動きからスプリガンが不死者でないと見抜いていた。
「っ・・・・・・」
刹那、影人がその目を見開く。アイルラディンの瞳は志津鬼が放たんとする一撃がどのようなものかという事を影人に知らせる。幻影化は使えない。意味がないからだ。そして、今から影人が衝撃波と志津鬼の一撃に対応する事は、既に不可能だった。
不可能のはずだった。
(なら、不可能だっていう事実を無くせばいいだけだ)
影人は零の力を使い、自分は志津鬼から攻撃を受けるという事実を無くした。世界の理が書き換わる。結果、衝撃波は途中からただのそよ風に変化し、志津鬼の拳はなぜか影人から逸れ、影人には当たらなかった。
「・・・・・・は?」
「悪いな。今の俺は自分でも引くくらいに理不尽だ」
何が起きたのか全く分からないといった顔の志津鬼に、影人はカウンターで右の蹴りを放つ。その蹴りには志津鬼が不死であるという事実を無くす零の力が込められていた。そして、志津鬼は影人の蹴りを受け、蹴り飛ばされた。
「ぐっ・・・・・・」
「まだ終わりじゃねえぞ」
影人は零の力で距離を無くし、飛ばされる志津鬼の後方に移動した。そして、志津鬼の頭を掴むと、そのまま地面に叩きつけた。
「がっ・・・・・・」
「零の力よ。無くせ」
志津鬼を叩きつけた影人は、志津鬼が鬼神化しているという事実を無くした。結果、志津鬼の姿が鬼神化前の姿に戻る。影人は志津鬼の髪を掴み無理やり立たせると、周囲から影闇の鎖を呼び出し、志津鬼を空中に拘束した。
「・・・・・・俺の勝ちだな。お前を侮辱するつもりはないが・・・・・・相手が悪かったな」
「ふ、ふふ・・・・・・その、ようだな・・・・・・」
拘束された志津鬼を見上げる影人に、志津鬼は諦めたような笑みを浮かべる。言葉を返して来た志津鬼を影人は意外に思った。気絶するつもりで地面に叩きつけたつもりだったが、まだ意識があるとは思わなかった。どうやら、鬼という種族はかなり頑丈らしい。
「最後に聞いておきたい・・・・・・俺の拳はなぜ外れた・・・・・・?」
「お前の攻撃は俺には当たらないと事実を書き換えた。正確には、お前の攻撃が俺に当たるという事実を無くした。だからお前の攻撃は外れたんだ。それが、世界の理だからな」
「そうか・・・・・・世界の理か・・・・・・それならば仕方がないな・・・・・・」
影人の答えは事実ではあるが、普通は到底納得できるような、理解できるような答えではないだろう。だが、既に志津鬼は影人の荒唐無稽っぷりをその身で実感している。未だに塞がらない腹部の傷がその証明だ。ゆえに、志津鬼は影人の答えに納得できた。
「・・・・・・俺の負けだ。さっさと殺せ」
「悪いが、その決断を下すのは俺じゃない」
全てを受け入れるように瞳を閉じた志津鬼に影人はそう言葉を返す。影人は『零天』の力を解除すると、後方に待機していた蓮華たちに顔を向けた。
「・・・・・・終わったぜ。今のこいつは不死でもないし無限の再生力もない。殺そうと思えばお前らでも殺せる。封印も今のこいつなら出来るだろう。こいつの後の処遇はお前らに任せる。好きにしろ」
「なっ・・・・・・」
急に影人からそんな事を言われた蓮華は戸惑いと驚きが綯い交ぜになったような顔になった。
「・・・・・・本当にいいのかい?」
「・・・・・・いいも何も、俺の仕事は光導姫を助ける事だ。それ以外はどうでもいい」
疑問、猜疑。それらを隠さない目を蓮華は影人に向けた。影人はスプリガンとしての答えを蓮華に返す。
「九条さん! スプリガンはこう言ってるんだから気にしなくて大丈夫です!」
「この場で鬼神を滅するか、封印するか。九条様がお決めください。私たちは九条様のご決定に従います」
真夏と風音がスプリガンの言葉に裏はないという事を保証するように言葉を述べる。2人からそう言われた蓮華は少しの間考えるような顔を浮かべると、やがて大きく息を吐いた。
「はあー・・・・・・分かったよ。そこまで言うなら、こいつの処分は預からせてもらう。私はあんたの事はよく知らないが、礼は言っておく。ありがとうね。あんたがいなかったら、私たちは間違いなく全滅してた」
「・・・・・・気にするな。俺は俺の仕事をしただけだからな」
蓮華は言葉通り感謝の想いが込もったような、優しくて暖かな笑みを浮かべた。今の蓮華はどういうわけか凄まじい美女だ。急にそんな美女から笑顔を向けられた影人は、なぜか気恥ずかしさのようなものを感じフイと顔を背けた。
「さて、あんたの運命はあたしが握る事になっちまったわけだが・・・・・・はてさて、どうしたもんかね」
「・・・・・・何を迷う事がある。お前は術者だろう。術者は俺のような者を滅するのが仕事のはずだ。封印は俺を滅する事が出来なかったから取られていた代替措置に過ぎない。そして、今の俺は先ほどその男が言ったように不死ではない。答えは1つだろう。さっさと殺せ」
「さっきから殺せ殺せってうるさいね。不死の反動かい? あんたは死にたいのかい?」
蓮華は拘束されている志津鬼を見上げながらそう問うた。志津鬼は不可解そうな顔を浮かべ、逆に蓮華にこう聞いた。
「なぜ・・・・・・そんな事を聞く?」
「いいから答えな。あんたは死にたいのかい?」
「・・・・・・」
志津鬼はしばらくの間、考え込むような顔で黙った。そして、やがて口を開き蓮華にこう返答した。
「・・・・・・分からん。死にたいと思った事は確かにあったが、俺は不死だった。だから死ねなかった。俺は途中から死ぬ事を考えなくなった。俺はずっと生きているものだと思っていた。ゆえに、いきなり死ぬ事が出来るというこの状況で、実際に死にたいかと問われても、俺は分からんのだ」
それは志津鬼の偽らざる本音だった。志津鬼の答えが嘘ではないと分かったのだろう。蓮華は小さく頷いた。
「そうかい。・・・・・・じゃあ、最後にもう1つ質問だ。あんた、この世界で暴れないってあたしと制約を結べるかい? もしくは元いた世界に帰るって制約を結べるかい?」
「? 何のつもりだ。その問いかけに対する答えは既に述べたはずだぞ」
「あんたがああいう答えを言ったのは、あたしたちと戦いたかったからだろう。戦いは終わった。で、あんたは負けた。しかも、あんたのこれからの運命は主にあたしが握ってる。だったら、答えが変わってもおかしくはないだろう」
「・・・・・・同情、哀れみか? お前と同じ俺に対する・・・・・・」
蓮華の質問――というよりかは提案に近いが――を志津鬼はそう受け取った。
「バカにするんじゃないよ。あたしは意思疎通がしっかり出来る奴には対話をするってだけさ。あたしも鬼じゃない・・・・・・って言うと、あんたが鬼だからややこしいね。とにかく、滅するのは本当に最後の手段なのさ。・・・・・・と言いたいんだがね」
蓮華は決まりが悪そうに頭を掻くと、こう言葉を続けた。
「あんたが言ったような要因がないって言えば嘘になっちまうね。ああ、そうさ。確かに、あたしはあんたに自分を重ねちまってる。ったく、ガキくさい感情さ」
「・・・・・・ふっ、そうか」
蓮華のその言葉に、志津鬼は思わず口角を上げる。どうやら見た目によらず、蓮華は中々に情が厚い人間のようだ。
「・・・・・・本当なら、侮辱だと怒るのだがな。俺と同じお前にそう言われると、不思議と怒りは湧いてこないな。どうやら、俺も思っていた以上にお前に自分を重ねているようだ」
「あたしが聞いてるのは答えだ。感想は聞いてないよ」
「分かっている。せっかちな奴だ」
答えを促してくる蓮華に志津鬼は少し呆れたような顔になる。そして、志津鬼は答えを述べた。
「・・・・・・では改めて答えよう。俺の答えは・・・・・・否だ」
「「っ・・・・・・」」
「・・・・・・」
「・・・・・・理由は?」
志津鬼の答えを聞いた真夏と風音は少し驚いた顔を、影人は特に驚いた様子もなく無言に、蓮華はジッと志津鬼を見つめそう聞き返した。
「俺の生から戦いを取れば、俺は退屈と不死の呪いに押し潰されるだろう。それは死んでいるのと変わらない。生きながらの死だ。実際に死ぬよりもなお過酷な死だ。俺はその死に耐えられる自信がない」
「・・・・・・向こうの世界に戻るっていう手もあるだろう。今はこっちと向こうの境目が不安定だ。向こうの世界に戻るは案外に簡単だよ」
「今更戻る気はない。確かに、向こうに戻れば強者と戦えるかもしれないが・・・・・・それは逃げだ。自分に都合のいい逃げ。生き恥を晒すくらいならば、俺はお前に裁かれたい」
「・・・・・・そうかい」
かぶりを振った志津鬼を見た蓮華は、ただ一言そう呟く。数瞬の間、場を沈黙が支配する。
「・・・・・・譲歩はしたよ」
「ああ、分かっている」
蓮華は冷たい目を志津鬼に向けた。志津鬼がゆっくりと頷く。
「・・・・・・あたしが受けた依頼は鬼神の再封印だ。あんたは不死。封印しか鎮める方法がなかったからね。だけど・・・・・・今のあんたは不死じゃない。なら、どうするべきか。封印はあくまで一時凌ぎみたいなもんさ。いつ今日みたいな日が来るか分からない。あんたという脅威を完全に排除するためには・・・・・・あんたを滅するしかない」
蓮華は拘束されている志津鬼に向かってスッと右手を伸ばした。瞬間、蓮華の背後に巨大な魔法陣が出現する。
「あんたがこの世界で戦いを求める限り、いつかあんたの戦いに巻き込まれて泣く子が出てくるかもしれない。その可能性があるあんたをあたしは見逃す事は出来ない。鬼神よ。あたしは・・・・・・あんたを殺す」
「・・・・・・十二分な答えだ」
蓮華の意志が本物であるかのように、蓮華の右手の先に凄まじい「力」が集まる。蓮華の右手の先に集まった「力」は今の志津鬼を消し去るのに十分な威力を有していた。蓮華の裁きの宣告を、志津鬼はただ受け入れた。
「・・・・・・じゃあね。せめて、苦しまずに送ってやるよ」
蓮華は志津鬼に向かって最後にそう言うと、右手の先に集めた「力」を解放した。解放された「力」は全てを消滅させる破魔殲滅の光となり、志津鬼を飲み込む――
「――ならん」
――前にどこからかそんな声が響いた。同時に、蓮華が放った全てを消滅させる光がフッと掻き消えた。まるで、時間が数秒前に戻ったかのように。
「なっ・・・・・・」
「え!?」
「っ!?」
「っ、これは・・・・・・」
その現象に蓮華、真夏、風音が驚愕する。影人だけはその現象と聞こえた声に覚えがあったため、何かに気づいたような様子だった。
「すまんのう。ずっと見ておったから、其奴の処遇を裁決する権利が貴様らにあるのは分かるのじゃが・・・・・・ちと我儘を言わせてもらうぞ。其奴の処遇、この妾が預かろう」
驚く蓮華たちの前にどこからか女が現れた。薄い白銀に墨色が所々入った長髪が特徴の、息を呑むほどに美しい女だ。その瞳も、頭の上にあるキツネのような耳も同じく白銀。しかし、纏う着物は女とは対照的な黒色だ。胸元は大きく開かれ、そこから豊満な双丘が顔を覗かせている。女から放たれているのは魔の美しさと色気であった。
「・・・・・・急に現れてなんだい。あんた、いったい何者だい?」
最大限に警戒した目を向けながら、蓮華は女にそう問うた。蓮華の問いかけに女はこう答えた。
「妾は白麗。別の名で言えば『破絶の天狐』じゃ」
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