第498話 過ぎ行く日々(14)

「っ・・・・・・?」

 志津鬼の右拳が空を切る。右拳が蓮華の胸を貫かなかった事に、志津鬼は不可解な顔になる。そして、志津鬼は突如として横切り、蓮華を攫った黒い影の方に顔を向けた。

「・・・・・・お前、何者だ?」

 志津鬼がその影――蓮華を抱えた黒い外套を纏った男にそう問いかける。岩陰にいた者ではない。岩陰にいる者の気配は依然として感じる。男は唐突に現れたのだ。

「・・・・・・スプリガン。それが俺の名だ」

 志津鬼の問いかけにその男――スプリガンは金色の瞳を志津鬼に向ける。そして、スプリガン、もとい影人は抱えている蓮華に目線を落とした。

「・・・・・・大丈夫か?」

「あ、ああ・・・・・・」

 影人にそう聞かれた蓮華は状況が飲み込めてはいない様子になりながらも、素直に頷いた。蓮華の答えを聞いた影人はそっと蓮華を下ろした。

(さて、何とか蓮華さんを助けられてよかったが・・・・・・どうするか)

 影人は志津鬼に目線を戻した。取り敢えず、スプリガンの装束には認識阻害の力があるので、蓮華に自分が帰城影人だとバレる事はない。蓮華に少しでも違和感を感じさせないために、岩陰には自分の分身(いつもの前髪状態の影人)を作ってきたので、隠蔽工作は完璧だ。1つの不確定要素さえクリアできれば、影人は謎の怪人として振る舞える事が出来る。

「き・・・・・・スプリガン! 助けに来てくれたのね!」

「ありがとう! スプリガン!」

 真夏と風音が影人にそう言ってきた。影人の正体を知っている2人がボロを出さない事が唯一の不確定要素であったが、2人ともしっかりと影人の意を汲んでくれた。この瞬間、唯一の不確定要素は解消された。

「・・・・・・『巫女』、『呪術師』。お前たちの実力を疑うわけじゃないが、この女と一緒にしばらく退がれ。あれは俺が相手をする」

「分かったわ!」

「蓮華さんこちらに!」

 真夏と風音が影人の言葉に頷く。風音が蓮華を自分たちの元まで来るように促す。蓮華は未だによく状況が読み込めていないのだろう。「あ、ああ・・・・・・」半ば無意識に頷き、真夏と風音の元まで歩いた。

「・・・・・・そういうわけで、ここからは俺が相手だ」

「ふっ、よかろう。飛び入りの者と戦うのも面白き事。確か、スプリガンと言ったな。せいぜい楽しませてもらおう」

 志津鬼がその場から掻き消える。神速の速度で動いた志津鬼は、影人の腹部めがけて左の貫手を放った。影人は志津鬼の左手首を右手で掴み、貫手を止める。影人も既に闇による身体能力の強化、『加速』の力の使用、それに闇による目の強化を行っていたので、志津鬼の攻撃に対応できた。

「・・・・・・傲慢な奴だ。完全に自分が俺より上だと思ってるらしいな。その驕りが、お前を殺すぜ」

「はっ、残念だが俺は殺されても死なんのでな!」

 志津鬼は影人の右手を無理やり振り払うと、右の爪を伸ばし影人を切り裂こうとした。その爪撃はシェルディアと同じく不可視の斬撃を発生させる威力を有していた。

(避けたら後ろにいる蓮華さんたちに爪撃が届いちまうかもだ。そうさせないためには・・・・・・)

 影人は周囲の空間から闇色の鎖を呼び出し、その鎖で振り切る前の志津鬼の右手を拘束した。

「っ・・・・・・」

「闇よ、影よ。我が右足に宿れ。彼の者に漆黒の蹴撃を」

 影人は右足に闇と影を纏わせ一撃を強化した。そして、志津鬼の腹部を蹴り抜く。同時に右手の拘束を解除し、志津鬼が蹴り飛ばされるように調整する。

「ぐっ!?」

 メキッグチャという骨が砕かれ内臓が潰れる音が響く。志津鬼はそのまま蹴り飛ばされ地面を転がった。

「・・・・・・榊原の。清正の孫。あいつは何だい」

 その光景を見ていた蓮華は半ば独白するように真夏と風音に質問した。

「彼はスプリガン。私たち光導姫や守護者が危機に陥った際に現れる影の守護者です。大丈夫。信用できる方ですよ」

「めっっちゃ強いんで安心してください! 不死だろうが何だろうがどうにかしちゃうとんでもチート怪人なんで! 今は信じて退がっときましょう!」

 風音と真夏はスプリガンが影人であるという事実を伏せ、蓮華の質問にそれぞれそう答えた。2人の答えには、スプリガンに対する心の底からの信頼が確かに感じられた。

「影の守護者、か・・・・・・そうか、今はあんな奴がいるんだね」

 ポツリと蓮華は2人には聞こえない声でそう呟く。蓮華のその口ぶりはまるで――

「く、くくっ・・・・・・今の俺の速度に反応し、虚空より鎖を錬成、あまつさえ俺にこれだけ強力な一撃を入れるか。しかも、お前は影も操っていたな。お前は吸血鬼か?」

 影人に蹴り飛ばされた志津鬼が立ち上がる。志津鬼の腹部は既に完全に治癒していた。

「・・・・・・違うな。俺は妖精スプリガンだ。まあ、吸血鬼は知り合いだし何度か戦った事があるがな」

「ほう。そうか。お前の話が本当なら、お前は不死の吸血鬼と戦い生き延びたという事だ。つまり、お前は不死の吸血鬼を殺した、という事か?」

「・・・・・・いいや」

 志津鬼の問いかけに影人はかぶりを振る。影人の答えを聞いた志津鬼は「ふむ・・・・・・」と少し考える様子になる。

「・・・・・・まあいい。お前が嘘をついているようには見えないから、お前には何かあるのだろう。お前が強者である事には違いない」

 志津鬼は1人でに納得すると、腰を落とし、左手を広げたまま突き出し、右手を引いた。

「鬼言術、『くうつづみ』」

 志津鬼がその場で右拳を放つ。影人は一瞬、志津鬼が何をしたのか分からなかった。

「ぐっ・・・・・・!?」

 だが、影人はすぐに志津鬼が何をしたのかをその身で味わう事になる。影人は鳩尾の部分に強烈な痛みを感じた。それは、見えない何かに思い切り殴られたような、殴打の痛みだった。メキリと嫌な音が響く。恐らく肋骨が折れたのだろう。影人は思わずその場に片膝を突く。

(今のモーション、それにこの殴打特有の痛み・・・・・・こいつ・・・・・・)

「見えぬ拳撃の味はどうだ?」

 影人が予想した答えを志津鬼が口にする。やはりそうか。志津鬼は殴打をのだ。言わば、飛ぶ斬撃の拳版。

「はっ・・・・・・そよ風に触れられたかと思ったぜ」

 影人は回復の力で折れた骨を修復すると、何事もなかったように立ち上がった。立ち上がった影人を見た志津鬼は面白いといった顔になる。

「再生の力も使えるか。やはり、吸血鬼ではないかと疑ってしまう・・・・・・な!」

 志津鬼が左の拳をその場で放つ。また飛ぶ殴打だろう。影人はよく目を凝らす。すると、先ほどは気づかなかった空気の揺らぎが見えた。恐らく、この揺らぎが飛ぶ殴打だ。影人は寸前で体を動かし、それを回避する。

「タネが分かればそんなもの当たるかよ」

 影人は両手に闇色の拳銃を創造し、志津鬼に向かって両の拳銃を撃ち続けながら、志津鬼に向かって接近する。志津鬼は当然のように銃弾を回避した。

「銃か。なるほど、当世の銃とはそのような物か。では、撃ち合いと行こう」

 志津鬼は目にも止まらぬ速さで両の拳をその場で放つ。飛ぶ殴打が放たれ、闇色の弾丸を弾く。志津鬼は拳を放ち続ける。それに連動して、飛ぶ殴打もその数を増す。影人と志津鬼の間の空間では弾丸が次々と目には見えぬ殴打に弾かれていく。なるほど、確かにこれは撃ち合いだ。

「なら、これも弾いてみろよ」

 影人は両手の拳銃を闇色の手榴弾に変える。そして、それを志津鬼に向かって放り投げた。手榴弾が飛ぶ殴打と接触する。その瞬間、爆発が起こった。

「っ・・・・・・」

 突如として起こった爆発。志津鬼は爆風に晒され全身に軽い火傷を負った。しかし、影人の狙いは志津鬼にそんな軽傷を負わせる事ではない。影人は爆発の隙に志津鬼の背後を取った。

(通常のスプリガン状態の俺が不死をどうにか出来る方法はただ1つ。『影闇の城』だけだ。だが、あれは万が一に制限時間内に決めきれなかった時のリスクが大きい。なら、ここは・・・・・・)

 影人は刹那の間に志津鬼を倒す方法を決めると、小さな声で力ある言葉を紡ごうとした。

解放リリース――」

 だが、

「ふっ・・・・・・!」

 影人が言葉を紡ぎ切るよりも早く、志津鬼は振り返らず右足を地面に打ち付ける。瞬間、志津鬼の全身から凄まじい衝撃波が放たれる。

「っ・・・・・・!?」

 まさか、志津鬼がカウンターの攻撃をしてくるとは思っていなかった影人は衝撃波をモロに受け吹き飛ばされる。

「お前が不死身かどうか確かめてみよう」

 志津鬼は影を操作し空中にいた影人を捕縛した。志津鬼が右の拳を握り力を込める。赤いオーラが右の拳に集中し、拳の周囲の空間が歪む。

「『鬼神の一撃』。受けてみろ」

 志津鬼が影人を捕縛している影を収縮させる。影人は志津鬼の方へと引き寄せられる。志津鬼は近づいて来る影人に向かって右拳を放った。

(ヤ、ヤバい! これを受けたら即死する!)

 自分の体が爆散する未来が見えた影人は幻影化を使用した。途端、影人の体が実体を失い、陽炎のように揺らめく。結果、影人は影から抜け出る。志津鬼の拳は虚空を穿った。瞬間、空気が爆ぜる。

「ほう・・・・・・」

 志津鬼が振り返る。すると、そこには実体化した影人が立っていた。

「今度は実体をなくす術か。面白い。だが、今の一撃を避けたとなると、お前は不死ではないようだな」

「・・・・・・生物としての理をそこまで捨てたつもりはないからな。だが・・・・・・お前は色々と生物としての理を捨ててるみたいだな」

 志津鬼の深い赤の瞳を、スプリガンの金の瞳で真っ直ぐに見つめ返しながら、影人はどこか愚痴るようにそう言った。

(油断・・・・・・してたつもりはねえが、流石に真祖クラスだな。正直、通常のスプリガン状態だと戦えはするがジリ貧だ)

 相手は真祖化したシェルディアやシスと同じと考えた方がいい。そんな相手にいつまでも通常のスプリガン形態ではいられない。

『ご主人様! 今こそ私の出番でございます! どうか私の力をお使いください!』

 影人がそんな事を考えていると、ナナシレがそんな事を言ってきた。ナナシレは(大体いつもだが)興奮した様子だった。

(お前の力か・・・・・・確かに、零無との模擬戦くらいでしかお前の力は使ってなかった。なにせ、お前の力は強大過ぎるし、使う相手がいなかったからな。そうだな。こいつならお前の力を使ってもいいだろう。じゃあ、力を貸してもらうぜ。ナナシレ)

『はい! 喜んで! 私の全てはご主人様のものでございます! ああ、やっとご主人様のお力になる事が出来るのですね! 感無量です!』

 ナナシレの歓喜の声が影人の中に広がる。いつも通り重い事を言ってくるナナシレに影人は軽く引きながらも、ナナシレの力を引き出す言葉を放った。

「行くぜ。最初から全開だ。極みの駆動オーバードライブ、『零天ゼロ』」

 影人の全身から薄い水色と白色と透明色の混じったモヤのようなもの――濃密な零の力が噴き出す。スプリガンの金の瞳に、白く複雑で美しい紋様が刻まれる。それはかつて影人が討伐した災厄たちの瞳に刻まれていたものと同じ、万物全ての情報を読み取る一種の極みの眼、アイルラディンの瞳だ。

 そして、影人の髪が全て無色に染まる。最後に影人の右目に薄い水色と白色、透明色の混じったようなモヤが纏われる。そのモヤは炎のように揺らめいていた。

「っ・・・・・・」

「悪いな。ここからは一方的に俺のターンだ。絶望は・・・・・・まあ、してもしなくてもどっちでもいいぜ」

 雰囲気が変わった影人に志津鬼が顔色を変える。零の力を解放した影人は不敵に笑い、地を蹴った。

「零の力よ。無くせ」

 影人は零の力を使い志津鬼と自分との距離を殺した。結果、影人は志津鬼の目の前に移動した。

「っ!?」

「零の力よ。再び無くせ」

 速いとかそういう次元ではなく、まるで最初からそこにいたかのように距離を詰めて来た影人に、志津鬼は驚きを隠せなかった。志津鬼との距離をなくした影人は右の拳を構えた。影人の右手に、薄い水色、白色、透明色が混じったようなモヤが纏われる。そして、影人は志津鬼の頬に鉄拳を穿った。

「ぐっ!?」

 影人の拳をモロに受けた志津鬼が大きくよろめく。零の力を解放してもスプリガンの力は使用可能だ。影人は左手に闇色のナイフを創造すると、ナイフを志津鬼に向かってナイフを投擲した。ナイフは志津鬼の腹部に突き刺さった。

「っ、ふん!」

 志津鬼は一瞬痛みに顔を歪めたが、すぐにナイフを引き抜いた。瞬間、血が噴き出す。血は流血状の剣と、複数の固形状のナイフと化す。更に、志津鬼は影を槍のように変化させ、それらで影人に攻撃した。

「ふっ・・・・・・」

 影人は一旦後方へ退いた。造血武器と影が影人を追撃してくるが、影人は左手に『破壊』の闇を纏わせると、左手で造血武器と影に触れ迎撃した。

「・・・・・・奇怪だな。その姿といい先ほどの縮地といい。俺には詳しい事は分からないが・・・・・・感覚として分かる。お前のその姿は歪だ。俺よりも、この世の何よりも」

「間違ってないと思うぜ。今の俺は世界の理すらも自由に変えられる。世界にとっては異物みたいなもんだ。それより、痛まないのか。さっきからずっと

 影人はどこか冷たさを感じさせる笑みを浮かべ、右の人差し指を志津鬼の腹部に指差す。

「っ・・・・・・?」

 志津鬼が自分の腹部に視線を落とす。すると、確かに影人が言うように血が滴っていた。

「・・・・・・どういう、ことだ?」

 志津鬼が不可解な顔になる。普通なら、吸血鬼の再生能力が発動し、既に治癒が終わっているはずだ。通りで中々痛みが引かないと思った。志津鬼はそんな事を思いながらも、自分の身に何が起こっているのか、という疑問に心の内を支配される。

「お前が再生能力を有してるという事実を無くした。だから、その傷は俺がその事実をもう1度なくさない限り一生治る事はない」

「なっ・・・・・・」

 影人の説明を受けた志津鬼は一瞬影人が何を言っているのか分からなかった。影人の言葉はそれ程までに荒唐無稽だったからだ。だが、影人の言葉が真実である事を示すかのように、志津鬼の傷は一向に塞がらなかった。

「次はお前が不死だっていう事実を無くしてやるよ。そうすりゃお前は死ぬ」

 影人は敢えて酷薄に笑った。その笑みを見た志津鬼の中に久しく忘れていた感情が蘇る。その感情の名は恐怖と言った。

「さあ、行くぜ鬼神。お前に本当の理不尽ってやつを教えてやる。仮にも神と呼ばれてるなら、最後の最後まで足掻いてみせろよ」

 そして、理不尽の体現者はどこまでも傲慢に、どこまでも冷たく、どこまでも優しくそう宣言した。

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