第489話 過ぎ行く日々(5)
「た、戦う・・・・・・? 表と裏、陰と陽・・・・・・? れ、蓮華さん。あなたはいったい何を・・・・・・」
影人は訳が分からないといった様子で蓮華を見つめた。蓮華は中々に個性的な人間だ。だが、今の言葉は明らかに個性的とかそういうもので片付けられそうなものではなかった。有り体に言えば、尋常ではなかった。
「何を? あんたには分かるはずだよ。昨日会った時から薄々感じてはいたが・・・・・・今日会って確信に変わった。あんた、普通じゃないだろ」
「っ・・・・・・」
蓮華の指摘に影人は顔色を変える。いや、変えざるを得なかった。影人は自分の事を普通の人間であると思っているし、またそうありたいと願っている。だが、残念な事に影人の経験は明らかに普通ではない。蓮華はその事を看破したのか。影人の身に自然と緊張が奔った。
「そう緊張するなよ。別に認めろなんて言っちゃいない。ただ、あたしには分かるのさ。その証拠に1つ言っておくと・・・・・・あんた、憑かれてるだろ。しかも、そこらのチンケな霊じゃない。もっとヤバい危険で混沌としたナニか。あたしでさえも完全には知覚出来ないナニかにね」
「なっ・・・・・・」
思わず、影人は驚愕の声を漏らした。蓮華が言っているのは間違いなく零無の事だろう。影人は反射的に前髪の下の目を隣にいる零無に向けた。
「ほう。波長を合わせていないのに吾の存在を感じ取るか。中々に感覚が鋭いな」
今まで蓮華に全く興味がなさそうだった零無が、蓮華に興味が混じったような視線を向ける。しかし、蓮華は言葉通り零無の存在を完全には知覚できていないのだろう。零無の言葉が聞こえないのか、何の反応も示さなかった。
「本来ならお祓いを勧めるところだが・・・・・・まあ、そのレベルのナニかを祓うのは恐らく、というか絶対に無理だろうね。無理に祓おうものなら完全に呪い殺される。例え、何者だろうとね」
「・・・・・・」
「だが不思議な事にそんなヤバいナニかに憑かれていても、あんたは呪われているわけじゃない。むしろ共存、いや守られてる感じだ。面白いねえ」
影人が黙ったままでいると、蓮華は新たにそんな事まで指摘して来た。その指摘も合っている。今の影人は零無に呪われてはいない。むしろ、蓮華が言ったように、零無から祝福を受けていると形容した方が近いだろう。
(・・・・・・いったいこの人は何者なんだ? 分からない。分からないが・・・・・・この人は普通の人じゃない)
影人の中から蓮華に対する疑念がどんどん湧き上がる。だが、この疑念を全てぶつけても蓮華は正直には答えてくれはしないだろう。今はまだ。影人はなぜかそう思った。
「まあ、何となくあんたの場合は他にも色々普通じゃなさそうだけどね。そこまではあたしにも見えないから分からないが。まあ、あたしがあんたに声をかけたのはそういう理由さ。あたしの仕事は普通じゃないからね。バイトも普通じゃない奴にしか務まらないのさ」
「そう、ですか・・・・・・蓮華さんが言うその普通じゃない仕事って言うのは、具体的にはどんな仕事なんですか?」
「おや、興味があるかい?」
「今の流れで興味を抱かない奴はいないでしょ・・・・・・それに、どんな仕事をするのか教えてもらわないと、バイトをするかしないかの判断も出来ませんよ」
「はっ、それもそうさね。いいだろう。じゃあ、今日は九条探偵事務所の業務がどんなものなのか、あんたに教えてやろう」
蓮華はそう言うとソファーから立ち上がった。蓮華の行動に影人は「?」と首を傾げる。説明をするのになぜ立ちあがる必要があるのだろうか。
「なにボサっとしてるんだい。あんたも立つんだよ。これから仕事に行く。あんたはそいつを見学してな。ほら、行くよ」
「え、えー・・・・・・」
突然の蓮華の言葉に影人は困惑の声を漏らした。無茶苦茶だ。だが、蓮華は困惑している影人になどお構いなく、入り口のドアに向かって歩いて行く。
「早くしな。探偵は素早さが命だ。グズはいらないし嫌いだよ」
「っ、分かりましたよ。行けばいいんでしょ!」
急かしてくる蓮華に返事を返しつつ影人も立ち上がる。数分後、影人と蓮華は事務所から出た。
「今日やる仕事は2つだ。ちょうど表と裏が1つずつだね。最初は表の仕事からやるよ」
「表の仕事・・・・・・それって、普通の探偵としての仕事って事ですか?」
「そうだよ。昨日の昼頃に小学生のガキンチョから依頼を受けてね。飼っているネコが帰って来ないから探してほしいってね。まあ、要はペット探しだよ。ほら、こいつが今日探す猫だよ」
蓮華は懐から1枚の写真を取り出した。そして、それを影人に渡す。影人は前髪の下の目で写真を見つめた。
写真に映っていた猫は一言で言えば大きかった。こう言っては何だが、デブ猫と呼ばれる類いの猫だ。ずんぐりむっくりとしており、かなりの貫禄がある。特徴は薄グレーの毛皮に赤い首輪といったものが挙げられるが、何よりの特徴はやはりその大きさだろう事は間違いなかった。
「それだけのデブ猫だ。そんなに遠くへは行ってないだろう。飼い主の家を中心に大体半径・・・・・・そうさね。200メートルくらいの範囲内にはいるはずだ」
「半径200メートル・・・・・・それって結構な広さですよね。そんな範囲をくまなく探すとなると、日が暮れませんか?」
「別にくまなく探す必要はないよ。まずは猫がいそうな場所だけを探せばいいのさ」
20分くらいだろうか。目的地が分からずに蓮華と共に歩いていた影人はとある住宅街に辿り着いた。蓮華はとある一軒家の前で足を止めた。
「ここがガキンチョの家だ。あんたもいるから、もう1回話を聞いておこうか」
蓮華はチャイムを鳴らした。すると、少ししてドアが開かれ、そこから小さな女の子が顔を覗かせた。
「探偵さん! もしかして、もうネクタ見つかったの!?」
「悪いね。これから探すところだ。だが、必ず見つけてやるから安心しな。あと、ドアを開ける時はちゃんと相手を確認してるかい? 昔も今も変わらないが変質者はいるからね。気をつけなきゃならないよ」
「大丈夫だよ。ちゃんと誰がピンポンを押したか見て開けてるから。そっか、ネクタはまだ見つかってないんだね。大丈夫かな。ネクタ、お腹空いてないかな」
「まだいなくなって2日だろ。大丈夫さ。それより、今日はもう1回猫がいなくなった時の状況を聞きたくてね。いいかい?」
「いいよ。でも、探偵さん。隣にいるその前髪がすっごく長いお兄さんは? この前会いに行った時にはいなかったよね。誰なの?」
女の子は不思議さと少しの不審さが混じった目を影人に向けた。当然だ。前髪野郎の見た目は正しく不審者。昨今の警戒心の高い子供が不審さを抱くのは自然な事だ。
「こいつは見学生みたいなもんさ。見た目こそ怪しいが心配しなくても大丈夫だよ。あたしが保証する」
「そうなんだ。分かった。上がって」
蓮華の言葉で影人に対する警戒心を解いたのか、女の子は蓮華と影人を家に招いた。影人は蓮華の「見た目こそ怪しい」という紹介の仕方に反論したかったが、面倒だったのでやめた。蓮華と影人は女の子の言葉に甘えて家の中にお邪魔した。
「あ、そこのイスに座って。麦茶しかないけど2人とも大丈夫?」
「気を遣わなくても大丈夫だよ。話を聞いたらどうせすぐに出ていくからね」
「そういうわけにはいかないよ。お客だもん。ちょっと待っててね」
女の子は蓮華と影人をリビングに案内すると、台所に向かって行った。蓮華と影人は女の子に言われた通り、テーブルの前にあったイスに腰を下ろした。
「・・・・・・何というか、凄いしっかりした子ですね。本当に小学生ですか?」
「最近の子供は大体あんなもんだよ。早熟してるというか何というかね。まあ、あの子の場合は家庭環境も大きいだろうがね」
「家庭環境・・・・・・?」
「お待たせー」
影人が蓮華と会話をしていると、女の子がコップに入れた麦茶を持ってきた。蓮華と影人は「ありがとね」「ありがとうございます」と女の子に感謝の言葉を述べた。
「確認だが、猫がいなくなったのは2日前だね?」
「うん。ネクタがいなくなったのは2日前の昼頃から。ネクタはいっつもお昼はそこの窓際で日向ぼっこしてるんだけど、その日はたまたま暑かったから窓をちょっとだけ開けてたの。それで、気づいたらいなくなってたの」
女の子はリビングの窓に指を向けた。窓はよくある2枚の引き戸タイプだ。少しでも開いていたなら、猫が外に出る事は容易だろう。
「今までも窓を開けてた事はあったの。でも、ネクタが外に出た事はなかったから、別に大丈夫だろうって・・・・・・」
女の子は段々と悲しそうな顔になった。きっと自分のせいで猫が逃げてしまったと思っているのだろう。
「ネクタ、凄い食いしん坊なの。だから、逃げちゃっても晩ご飯の時間には帰って来るだろうって。でも、晩御飯の時間になってもネクタは帰って来なくて・・・・・・ネクタ、大丈夫かな。お腹空いてないかな。帰って来れない場所にいるのかな。も、もしかしたらネクタはもう・・・・・・」
「あのねえ、考えすぎだよ。動物はそんな簡単には死なないよ。本能があるからね。だから元気だしな。言っただろ。あたしが必ず見つけてきてやる。このあたしを信じな。ガキンチョ」
「・・・・・・私もう10歳だもん。ガキンチョじゃないし・・・・・・でも、うん。そうだよね。ネクタは生きてるよね。ありがとう探偵さん」
「十分ガキンチョだよ。まあ、任せな」
泣き出しそうだった女の子は目元を拭いながら明るく笑った。蓮華も女の子の笑顔に応えるように笑みを返す。
「猫がいなくなった時の状況は改めて分かったよ。その上で聞くが、その時、いつもとは違う事はなかったかい?」
「いつもと違う事・・・・・・うーん。特にいつもと変わらなかったと思うけど・・・・・・」
「そうかい。思い当たらないならいいんだよ。ありがとね。茶、美味かったよ」
蓮華は麦茶を一気に飲み干すとイスから腰を上げた。影人も麦茶を飲み干すと蓮華に続き立ち上がった。
「じゃあねガキンチョ。見つけたらまた来るよ」
「だから、ガキンチョじゃないってば。私には山田
「知ってるよ。でも、ガキンチョはガキンチョだろ。あんたはまだガキだ。だから、ガキンチョで十分だよ」
ぷくっと膨れる女の子――奈緒に蓮華はひらひらと手を振った。影人も奈緒に軽く頭を下げる。
「・・・・・・子供扱い、わざとですか?」
蓮華の隣に並んだ影人は蓮華にそう聞いた。その質問に蓮華は「へえ」と面白そうな顔になる。
「どうしてそう思ったんだい?」
「いや、何となく・・・・・・蓮華さんはハッキリ物を言う人だとは思いますが、人が嫌がるような事を何度も繰り返して言うような人ではない・・・・・・と思うので」
「言うねえ。あたしとあんたは昨日会ったばかりだってのに。もう私の事を分かった風に言うなんて」
「それは・・・・・・すみません」
「別にいいよ。でも、あんた人を見る目は確かみたいだね。いや、勘が鋭いって言った方がいいか。いいじゃないか。そいつは探偵に必要な才能の1つだよ。まあ、強いて言うならそこに何か理由を付けられれば完璧だったがね」
蓮華は影人を見てフッと笑うと正面を向き、こう言葉を続けた。
「あんたの言う通りだよ。あたしはあの子をわざと子供扱いしてる」
「何でですか?」
「自分で推理してみな。少なくはあるが、推理できる材料はあるよ。ただまあ、ヒントを言うとするなら・・・・・・ガキはガキ扱いしてやらなきゃだろ」
「?」
影人は蓮華が出したヒントの意味が分からなかった。蓮華はそれ以上影人とこの話をする気はないのだろう。グッと伸びをしてこう言った。
「さて、そろそろ猫を探すとするかね。まずはこの辺りを調べるよ。探す場所は車の下、何かの隙間、暗がりだ。奴らは昼はあんまり活動しないからね」
「分かりました」
蓮華と影人は手分けして車の下や家と家の隙間などを見ていく。蓮華はついでに道行く人たちに写真を見せて、写真の猫を見た事がないか聞いていた。しかし、誰しもが蓮華の質問にかぶりを振った。
「面倒だね。影人、吾が無の力を使って猫の居場所を調べてやろうか?」
猫を探し始めて30分くらい時間が経った頃だろうか。零無が影人にそんな事を聞いて来た。
「・・・・・・いや、いい。もし、このまま探し続けて見つからなかったり、緊急事態になったりしたら別だが・・・・・・ここでズルをするのは、蓮華さんに対する侮辱だ」
影人はチラリと前髪の下の目を蓮華に向けた。蓮華は探偵として地道に聞き込みを行い、猫を探し続けている。確かに、零無の力を使えば猫はすぐに見つかるかもしれない。だが、それは正攻法ではない。今は正攻法に拘るべきだと影人は考えた。
「そうかい。分かったよ。全く、そういう気遣いが出来るところも素敵だね。流石は吾の愛しい影人だ」
「急に気色の悪い事を言うな。別に普通だろ」
体をくねらせラブラブオーラを発する零無に影人は引いた顔を向けた。そんな影人に蓮華が声を掛けてくる。
「あんたさっきからいったい何をぶつぶつ言ってるんだい? ちょっとというか、かなり気味が悪いよ」
「す、すみません。半分癖っていうか、話しかけて来る奴がいるもんで・・・・・・」
「話しかけて来る奴? ああ、あんたに憑いてる奴か。まあそれはそれとして、移動するよ。どうやら、この辺りに猫はいなさそうだからね」
「はい」
蓮華と影人は1度奈緒の家の前まで戻ると、先ほど探していた場所の逆方向を捜索し始めた。あくまで捜索範囲の中心は奈緒の家らしい。
「ふむ・・・・・・何だかこの辺りが怪しい気がするね」
蓮華が足を止める。蓮華が足を止めた場所は小さなコンビニがあった。
「コンビニ・・・・・・ですか? こんな所に猫が?」
「正確にはここの裏手さ。コンビニの裏には食い物がたくさんあるからね。案外に猫がいるのさ。まあ、大体は野良なんだがね」
蓮華と影人はコンビニの裏手に回った。コンビニの裏手は薄暗く少し退廃とした空気が感じられた。
「・・・・・・思ったんですけど、大体野良の猫がいるって事はここは野良のナワバリの可能性が高いって事ですよね。だったら、飼い猫は追い出されるから逆にここにいる可能性は低いんじゃないですか?」
「中々いい推理だ。やっぱり、あんた筋は悪くないね。でも、今回の猫を思い出してみな。かなりのおデブだったろ。あれだけのおデブは当然ながら食う量も多い。そういう奴は戦ってでも飯を喰らおうとするのさ。だから、いない可能性が高いとは言えないんだよ」
蓮華はゴミ箱の裏を漁ったり室外機の裏を覗いたりした。だが、猫の姿はなかった。
「いないか。勘が外れたね。仕方ない。こいつを使うか」
蓮華は懐から何か袋を取り出した。袋は半透明になっており、中には乾燥した木の枝が何本か入っていた。
「それは?」
「マタタビの木の枝さ。こいつを使えば猫どもは勝手に寄ってくる。ただ、他の猫も寄ってくるがね」
「え、じゃあ最初から使えばよかったんじゃ・・・・・・」
「うるさいね。最初から道具に頼るのはスマートじゃないだろ」
蓮華は分かってないといった様子で影人にそう言うと、懐からライターを取り出し枝に火をつけた。すると、枝から煙が立ち昇った。
「後は適当に一箇所で待っとくだけだ。ただ、この辺りは匂いが濃い。移動するよ」
蓮華はまるでタバコを吸うような仕草でマタタビの枝を持つと、陽の当たる方に向かって歩き始めた。影人も蓮華に続いた。
それから数十分後。見事にマタタビに釣られた猫たちの中に影人たちはネクタの姿を見つけ、ネクタを保護したのだった。
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