第488話 過ぎ行く日々(4)

「探偵・・・・・・? あなたが・・・・・・?」

 蓮華の職業を聞いた影人は意外そうな顔を浮かべた。探偵。それは影人にとって聞き馴染みのある言葉だ。小説、漫画、アニメ。探偵という言葉はよくそういったものに出てくる。小さい頃は一時影人も探偵に憧れたものだ。

 もちろん、探偵が現実にある職業であるという事を影人はよく知っている。だが、実際に探偵を名乗る者と出会ったのはこれが初めてだ。影人は驚きと共に不思議な感動を覚えた。

「なんだい。変な顔して。あたしみたいなババアが探偵っていうのがそんなに信じられないのかい?」

「あ、いえそんな事は・・・・・・ただ、探偵って本当にいるんだなって思ってしまって・・・・・・」

 蓮華の言葉に影人はかぶりを振りそう言葉を述べる。影人の言葉を聞いた蓮華はフッと笑った。

「そうかい。いかにもフィクションの探偵に触れて来た奴って感じの感想だね。まあ気持ちは分からなくはないよ。今は探偵が溢れてるからね。今やおしりでも探偵をしてる時代だ」

「は、はあ・・・・・・」

「このクソッタレの世界に生きる探偵も、まあ昔より随分と増えてるよ。だが、あたしから言わせりゃそいつらは全員ひよっこさ。あたしみたいな本物の探偵は逆に減っちまったもんさ。絶滅しかけてるといってもいい。ああ、嘆かわしいもんだね」

 蓮華はやれやれといった様子で首を横に振る。そして、流れるように手に持っていた酒を開けるとぐいっとそれをあおった。その様子を見ていた水錫は「あ、ちょ! もう店の中で呑まないでよ蓮華さん!」と迷惑そうに蓮華にそう言った。

「固い事を言うなよ水錫。別にいいだろ。呑みたくなっちまったんだから。ほら、あんたも呑みな」

「だから営業中! もー、本当困ったさんなんだから・・・・・・」

 カラカラと笑う蓮華に水錫は疲れたような顔になる。蓮華は「つれないねえ」とつまらなそうな様子で再び酒を自身の口に流し込んだ。

「ふぅ。軽く呑んだら本格的に呑みたくなっちまったね。英坊ひでぼうの居酒屋にでも行くか。じゃあね水錫。あんたも暇だったら後でおいで。こいつはやるよ」

 蓮華は一気に酒を飲み干すと空になった容器とコンビニ袋をカウンターの上に置いた。そして、蓮華は出口の方に向かいながら、振り返らずに水錫と影人に向かって軽く手を挙げた。

「ああ、そうだ。忘れてた。そこの前髪の長い坊や。こいつをやるよ。またバイトに興味があったらそこに来な」

 蓮華は何かを思い出したように立ち止まると、懐から1枚の小さな紙を取り出した。そして、影人の元まで戻って来ると、その紙を影人に手渡す。影人は反射的にそれを受け取った。

「じゃあ、今度こそさよならだ。グッドラック」

 そして、その言葉通り蓮華は店を出て行った。

「・・・・・・」

 少しの間、影人は固まっていた。蓮華とは今日初めて会ったが、色々と自由というか強烈な印象を受けた。嵐のような人、という表現に近いと影人は思った。何というか、真夏に近しいものを感じた。

「もう、相変わらず気分屋なんだから。しかも、ゴミまで置いていくし・・・・・・まあ、酒とツマミ貰ったからいっか」

 水錫は蓮華に慣れているためか、ため息を吐きながらゴミとコンビニの袋を回収した。

「九条探偵事務所、九条蓮華・・・・・・」

 一方、影人は蓮華から渡された紙――名刺を見つめていた。名刺には事務所の場所、蓮華のフルネーム、事務所の電話番号が印字されていた。メールのアドレス、営業時間、肩書きなどは記載されていない。蓮華から渡された名刺は、最低限の情報が書かれた簡素な名刺だった。

「あの、水錫さんあの人って・・・・・・」

「色々と凄い人でしょ。じいちゃんの友達で蓮華さんって言うの。私も小さい頃からの知り合いなんだ。蓮華さんが言ってたみたいにあの人は探偵なんだ。見えないよね。でも、本当に探偵で、じいちゃん曰く超凄腕らしいよ」

 水錫は苦笑しながら影人にそう言った。別に疑っていたわけではないが、この名刺は偽物でもなく、蓮華も嘘をついてはいなかったようだ。

「探偵か・・・・・・」

 少しの間、影人は名刺を見つめながらやがてそう呟いた。










「・・・・・・」

 後日。3月3日土曜日の午後。影人は古びた建物の前に立っていた。建物は2階建てで1階部分はガレージなのかシャッターが下ろされていた。2階部分の窓にはカーテンが下ろされており、中の様子を見る事は出来ない。一見すると廃墟のようだ。

「・・・・・・でも、ここで間違いないんだよな」

 影人は鞄から昨日蓮華から貰った名刺を取り出した。名刺に記されている住所はこの廃墟のような古びた建物を示している。そして、影人の近くにある古びた郵便入れには、掠れた文字で「九条探偵事務所」と記されている。やはり、ここで間違いない。

「・・・・・・名刺を貰ってなかったら、ここが探偵事務所だなんて分からないな」

 影人は名刺を鞄に戻すと、入り口のドアを開けた。ギィという不気味な開閉音が響き、影人は中に入った。入ってすぐに階段があったので、影人は階段を登った。静寂の中、コツコツという影人の足音が反響する。

 やがて、影人は2階にたどり着いた。2階部分は正面にドアと、右手の廊下の先にはトイレと思われるドアがあった。事務所の入り口は正面のドアだろう。影人はほんの少しだけ緊張感を抱きながら、コンコンコンと正面のドアをノックをした。

「・・・・・・反応ないな」

 だが、帰って来たのはこの建物内に漂っているものと同じ静寂だった。土曜日だから休みなのだろうか。いかんせん、名刺には営業時間や定休日が記されていないので分からない。

(流石に勝手に開けるのはマズいよな。でも、一応ここまで来たし・・・・・・)

 影人は取っ手に触れ、捻ろうとした。だが、ガチャっという音が響き取っ手を捻る事は出来なかった。どうやら鍵がかかっているようだ。

「開いてない・・・・・・って事はやっぱり今日は営業してないのか。・・・・・・仕方ねえ。帰るか」

 踵を返した影人は今登って来た階段を降り始めた。そして、少々の失意と共に1階のドアを開け外に出た。

「せっかくお前が訪ねて来たというのに留守だとはね。随分と適当で失礼な人間らしい。その人間、呪ってやろうか」

「バカなこと言うなバカ幽霊。そんな理由で人を呪ってみろ。その時は今度こそお前を完全に殺すぞ」

 幽霊状態で影人の近くに漂っていた零無に、影人は前髪の下の目を向け睨んだ。影人に睨まれた零無はふっと笑った。

「冗談だよ」

「お前が言うと冗談に聞こえねえんだよ・・・・・・」

 影人は疲れたような顔を浮かべた。とにかく、もうここに用はない。影人は事務所の前から離れようと右足を動かした。

「ん? 何だ。お前、昨日の坊やじゃないか」

 だが、そのタイミングで正面から蓮華が歩いて来た。蓮華は昨日と同じ格好で、ズボンのポケットに両手を突っ込んでいた。

「あ、どうも」

「ふーん。こいつか」

 影人はぺこりと蓮華に頭を下げた。零無はあまり興味がなさそうな目を蓮華に向けた。

「へえ・・・・・・あんた、あたしの事務所の前にいるって事はあたしを訪ねに来たって事かい」

「あー、はい。そうです。その、まだバイトさせていただくかどうかの決心はついてないんですが、取り敢えずお話だけでも聞きたいなって思いまして・・・・・・」

「そうかい。じゃ、中で話そうか。着いといで」

 蓮華はそう言うと事務所1階のドアを開け中に入って行った。影人は蓮華の言葉通り、蓮華の後に続いた。

「悪いね。普段ならもうちょい早く来てるんだが、昨日ちょいと飲みすぎちまってね。待ったかい?」

「あ、いえ。ちょうどタイミングが良かったのでほとんど待ってないです」

 階段を登りながらそんな事を聞いて来た蓮華に対し、影人はかぶりを振った。蓮華は「そうかい。良かったよ」と笑った。そして、2階正面のドアに辿り着くとポケットから鍵を取り出し、ドアを開けた。

「散らかってるが気にしないでおくれ。まあ、適当に座りな」

「お邪魔します」

 事務所のドアを開けた蓮華が室内に進む。影人も室内に足を踏み入れる。

 事務所の中は蓮華が言うように散らかっていた。正面奥にあるデスクにはパソコンやら紙の束やら色々な物が置かれている。デスクの前にあるテーブルには酒の缶、スナックやカップ麺のゴミが置かれている。何というか、生活感が凄い事務所だった。

「コーヒーでも飲むかい?」

「あ、お構いなく。実は、コーヒー苦手で・・・・・・」

「ガキ舌だね。まあ確かにあたしもあんまり好きじゃないが。ちょっと待ってな。冷蔵庫に何かないか見てくるから」

 蓮華は部屋の右奥にあるスペースに入って行った。影人のいる位置からはそのスペースに何があるのか見えなかったので移動してみると、そのスペースには小さな台所があった。蓮華はそこに設置してあった黒い冷蔵庫を開け、中を物色していた。

「ああ、春子から貰ったオレンジジュースがあったね。ほれ、これなら飲めるだろ」

「わっと・・・・・・すみません。ありがとうございます」

「気にするなよ」

 影人は蓮華が無造作に放ったオレンジジュースが入ったペットボトルを受け取った。蓮華は冷蔵庫から取り出した水のペットボトルを持つと、冷蔵庫を蹴って閉じた。ガサツな仕草だが、蓮華の見た目と相まって不思議と自然に思えた。

「坊や、名前は?」

「っ、帰城影人です。高校生です」

 蓮華はテーブルの前に設置されていたソファーにどかっと腰を下ろした。影人もそう言えば昨日名乗っていなかったなと思いながら、蓮華の対面のソファーに座る。

「エイト・・・・・・影に人って字かい? はぁー、あんた名前まで暗いんだね」

「あはは・・・・・・まあ、そうですね」

 ズバッとそんな事を言ってきた蓮華に影人は苦笑いを浮かべる。失礼な物言いではあるが、あまり不快感は感じない。水錫が言うように、本当に思ってしまった事を言う人なのだろう。

「ええと、あの九条さんは・・・・・・」

「蓮華でいいよ。あたしの事を名字で呼ぶ奴は少ないからね」

「えっと、じゃあ失礼して・・・・・・蓮華さんと呼ばせてもらいます」

 ペットボトルの水を飲みながら蓮華が言葉を挟む。前髪野郎は人間ぶる癖があるのか、感性は比較的人間よりだ。そのため、普段は相手にそんな事を言われても呼び名を変えないのだが、蓮華の場合は呼び名を言われたように変えた方がいいと、影人は思った。特に理由はない。強いて言えば影人の直感だ。蓮華のようなタイプの人間は、呼び名を変えなければ面倒な事になると影人は思ったのだった。

「蓮華さんはその・・・・・・いつから探偵業をなさっているんですか?」

 オレンジジュースの蓋を開けながら影人は蓮華にそう尋ねた。蓮華は「ああん?」と訝しげな顔になった。まるで、なぜそんな事を聞くのかと言っているようだ。

「そうさねぇ・・・・・・具体的な年数は忘れちまったよ。だがまあ、長い間だ」

 蓮華は少しの間考え込むような顔になると、やがてそう言った。

「そうですか。ベテランなんですね」

 蓮華の見た目と今の言葉から推定するに、恐らく若い頃――10代か20代か――から探偵をしているのだろう。影人は蓮華の探偵歴を大体20〜30年くらいだと予想した。

「当たり前だよ。この辺りであたしより長く探偵をやってる奴なんていない。下手したら日本一、いや世界一かもしれないね。はっはっはっ」

「は、はぁ・・・・・・」

 蓮華が急に笑い始めたので、影人は相槌を打つしかなかった。自分から質問しておいて何だが、蓮華はやはり中々にユニークというかヤバめの人間のようだ。

「まああたしの話は置いといてだ。そろそろ、本題に入ろうじゃないか。あんた、探偵の仕事に興味があるからあたしを訪ねて来たんだろ」

「・・・・・・まあ、はい。実際の探偵の仕事がどんなものか、興味がないって言えば嘘になりますね」

「素直な事はいい事だよ。よし、じゃあまああたしが探偵の仕事について教えてやろう」

 頷く影人を見た蓮華は機嫌が良さそうだった。そして、蓮華は探偵についての説明を始めた。

「まず勘違いされやすいが、探偵の仕事は謎を解く事じゃない。探偵の仕事は調査だよ。この調査にはまあ色々あるが、1番メジャーなのは浮気調査だね。そして、探偵の仕事はもう1つある。探す事さ。人探し、失せ物探し、ペット探し・・・・・・探偵って奴は、調べて探す奴の事を言うのさ」

「・・・・・・そうみたいですね。俺も昨日あれから帰って探偵の仕事を調べてみましたけど・・・・・・」

 蓮華の説明に影人は納得感を示した。ネットで検索した時に出て来た情報はいま蓮華が言った事とほとんど一致していた。探偵の仕事は主に調査業務であり、いま蓮華が言った浮気調査、企業調査、場合によってはいじめ調査なども行うらしい。

 そして、これもいま蓮華が言っていたが、もう1つの業務が探し物だ。人探しにペット探し。探偵とは調査と探し物のプロなのだ。

「地味、と思ったかい?」

「いえ、別にそこまでは・・・・・・ただ、やっぱりこれが現実なんだなとは思いました。現実の探偵は殺人事件に出会したり、事件を解決したりする存在じゃない。分かってはいましたがって感じです」

 影人は正直にそう感想を述べた。現実とフィクションは違う。影人は子供ではない。その事はよく分かっていたし、そのせいでショックを受けるような事もない。ただそれだけの事だ。

「そうだね。現実に殺人事件なんてものが起こったら、それは探偵の領分じゃない。警察の領分だ。事件を解決するのは探偵じゃなく警察さ」

 蓮華は影人の言葉に同意するように頷くと、ぐいっと水を飲んだ。そして、ペットボトルから口を離すと影人の顔を見つめながらニヤリと笑った。

「だがね、そいつは普通の探偵に限ればの話さ。そして、あたしは普通の探偵じゃない。自分で言うのもあれだが、あたしは特別さね」

「え・・・・・・?」

 予想外の蓮華の言葉に影人は驚きと当惑が混じった顔を浮かべた。蓮華はニヤリと笑ったまま、影人にこう言った。

「もちろん、あたしは普通の探偵の仕事もするよ。だが、それだけじゃない。あたしは謎も解くし、必要とあれば。あたしはこの世界の表と裏、陰と陽、その狭間に生き、時にその狭間を繋ぐ・・・・・・そんな探偵さ」

 蓮華のその言葉は明らかに普通ではなかった。

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