第486話 過ぎ行く日々(2)

「・・・・・・どうして君がここに? 君は世界を回って武者修行の旅をしていたんじゃないのかい」

 響斬は驚きと戸惑いの混じった声で堤防の上にいる冥にそう問いかけた。冥は軽くジャンプをするとトンッと軽い着地音を響せ河川敷にまで降りてきた。堤防から河川敷までは大体10メートルくらいの高さがあるが、その高さを感じさせない軽やかな着地だ。流石は武人というべきか。

「ああ。適当に回ってたぜ。そうだ。聞いてくれよ響斬。この前久しぶりに墓参りがてら俺の故郷にある秘境に行ったんだ。で、懐かしくってつい数日くらい修行してたんだが・・・・・・」

「懐かしくって数日修行ってなんだよ・・・・・・」

「なんとよ、そこでジジイに会ったんだ! ほら、昔話しただろ。俺の師匠だよ。いや、マジで会った時はぶったまげたぜ。でもよ、更に驚く事があるぜ。俺はてっきり幽霊だと思ったが・・・・・・あのジジイまだ生きてやがったのさ! びっくりだよな!」

 冥は影人の突っ込みを無視して響斬にそんな話をした。響斬は未だに冥が現れた事に驚き戸惑っていたが、冥の話を聞いて更に驚いた。

「え!? マ、マジ!? だって冥くんのお師匠さんて冥くんの人間時代の人でしょ? 僕と同じで軽く1000年前くらいの・・・・・・」

「おう。俺も『何でまだ生きてるんだよジジイ』って聞いたら、軽くぶっ飛ばされてよ。逆に『何でお前がまだ生きてるバカ弟子』って聞かれたぜ。まあ、そりゃそうだよな。俺が闇人になったのは紅蘭が死んでジジイの元から離れた後だし、ジジイは俺が人間を辞めた事を知らなかった。で、流れで話しながら戦ったら・・・・・・」

「何で流れでそんな事になるんだよ・・・・・・」

「なんとジジイも人間じゃなかったんだよ! あのジジイ、実はシェルディアの姉御と同じ【あちら側の者】、つまり異世界から来た奴だったんだよ。いやマジで見た目人間と一緒だから分かんなかったぜ。まさか、あのジジイが異世界人だとはな。本当、生きるってのは面白いぜ!」

 再び影人の突っ込みを無視しつつ、冥はそう言って笑った。

「はー・・・・・・そいつは本当に驚きだね」

「な。つーかあのジジイやっぱり強かったぜ。ありえないくらい強かった。何なら昔より強くなってたな。闇人としての力は封印された状態で戦ったが、ありゃ封印を解いても今はまだ勝てねえわ」

「冥くんがそこまで言うほどか。いいね、機会があったら是非手合わせしたいよ」

「おっ、そうか。じゃあまたあのジジイの所に連れてってやるよ。あのジジイ多分ほとんどあそこにいるしな」

 冥と同じ戦闘狂の一面を覗かせた響斬の言葉に冥は笑顔でそう請け負った。それから響斬と冥は「そう言えばお師匠さんは冥くんが人間を辞めた事について何て言ったの?」、「『闇に堕ちた軟弱者が!』って本気で怒られたな」、「ははっ、手厳しいね」と他愛のない会話を交わしていた。

「・・・・・・おい冥。結局なんでここにいるんだよ」

 途中で話が逸れたため、冥は響斬の問いかけに答えてはいない。影人は響斬の問いかけを引き継ぎ、冥に質問を飛ばした。

「ん? ああ、ちょっと戦いたくなってよ。何だかんだ強者は日本に揃ってるからな。顔見知りを見つけたら適当に取っ捕まえて戦おうと思っただけだ。で、強者の気配を適当に辿ったらお前らがいた。って事でスプリガン。俺と戦えよ。響斬はその後な」

「普通に意味が分からん・・・・・・」

 冥がここにいる動機も理由も、影人と響斬の居場所を突き止めた方法も全てが影人の理解を超えていた。影人は呆れたような疲れたような顔でそう呟いた。

「俺は戦わないぞ。戦う理由もないし面倒だからな。それに・・・・・・今はそんな気分じゃないんだよ」

「ああ?」

「帰城くんはいま集中できないらしいんだよ。ほら、よくあるだろ。何か自分の状態が分からない時。というか、冥くんさっきその対処法を答えてたじゃないか」

「ありゃお前の言葉が聞こえたから反射的に答えちまっただけだ。あー、なるほどな。だからお前はスプリガンにああ言ってたわけか」

 響斬の言葉を聞いた冥は納得した様子で頷いた。そして、冥は影人の方に顔を向ける。

「しっかし、意外だな。お前にもそんな状態の時があるのか。お前の精神って黒鋼みたいなもんだろ」

「何でお前もそんな事を言うんだよ・・・・・・響斬さんにも言ったが、俺はただの人間で普通の高校生だ」

「お前がただの人間ってのは嘘だろ。でもそうか。いいぜ。俺が瞑想のやり方を教えてやる。戦うならいつものお前と戦いたいしな。響斬、ちょっと退いてくれるか」

「いいよ」

「おい、俺はまだやるとは・・・・・・」

 響斬がベンチから立ち上がる。影人は冥にそう言おうとしたが、冥は聞く耳を持たず「よっと」と影人の横に腰を下ろした。

「いいか。まずは胡座を組め。で背筋を伸ばす。手は俺は組む派だが正直好みの問題だから好きにしろ。後は目を閉じて一定のリズムで深呼吸だ」

 冥は言葉通りベンチの上で胡座をかくと、背筋を伸ばし瞳を閉じた。どうやらやらなければならない流れのようだ。影人は仕方なく冥に倣い、自分も胡座を組み背筋を伸ばし前髪の下の目を閉じる。そして、ゆっくりと深呼吸を行った。

「いいか。瞑想ってのは詰まるところ自分との対話だ。だが、無理に何かを考えたりする必要はねえ。自然としていろ。最初はただ目を閉じてるだけでいい」

「ああ・・・・・・」

 暗闇に響く冥の言葉通りに影人は特に何も考えなかった。寝る前のような自然な感覚で、影人はただ目を閉じ続ける。

「・・・・・・そろそろ雑念が出てきたか」

「そう・・・・・・だな。考えないって意外に難しいな」

「それが正常だ。人間ってのは常に何かを考えちまう生き物だ。考えないって事も、考えないという事を考えてるだけだからな。完全な無心状態になれるのはごく一部の鍛錬の果てに辿り着いた奴だけだ。俺もまだまだ完全な無心状態にはなれねえ。考えないって事はとんでもなく難しいんだよ」

 冥はいつもの粗野な様子からは全く想像も出来ないほど落ち着いた声でそう言った。冥の話を聞いていた響斬も「分かるー」とうんうんと頷く。

「こっからが自分との対話だ。己の内に出てくる雑念を見つめろ。1度心をリセットしようとしても沸いてくる雑念が今のお前の迷いみたいなもんだ」

「俺の迷い・・・・・・」

 視界を閉じた暗闇の中でぼんやりと浮かび上がって来るのは、馴染みのある顔だ。陽華、明夜、イズ、暁理、光司。A、B、C、D、E、F。あと、なぜか1年や去年の時のクラスメイトたち。

 同時に、影人の中に様々な記憶が蘇る。スプリガンとしてずっと陽華と明夜を見守って来た記憶。去年のイズとの戦い。暁理と過ごした他愛のない日々。ウザ絡みをしてきた光司のしつこさ。魂の友たちとの青春。あまりよく覚えていないと思っていた過去のクラスメイトたちの顔。

(・・・・・・何だよこれ。こんな記憶、容量の無駄のはずだろ。一々覚えてなくてもいい事だらけだ)

 だが、記憶は洪水のように、次々と影人の中に流れ込むように湧き上がってくる。全く以てどうでもいい記憶のはずなのに。しかし、なぜかそれらの記憶はキラキラと輝きを放っていた。

(はっ・・・・・・いつの間にか、大事な記憶になってたって事かよ)

 認めるしかなかった。ここ数年の記憶が、日々が帰城影人という人間にそれなりの影響を与えたという事を。

(ああ、癪だ。本当に癪だぜ。どうやら、俺はやっぱり少しだけ・・・・・・ほんの少しだけ、寂しさってやつを感じてたみたいだ。春野、お前の言う通りだったぜ。慧眼だな)

 影人は自覚していなかった自分の気持ちを知った。その気持ちを知った時、影人の己との対話は終わった。影人はゆっくりと前髪の下の目を開いた。

「・・・・・・やっぱり、俺は多少弱くなっちまってるな。本当、気に食わねえ・・・・・・」

 気づけば影人はそう呟いていた。いつか零無と問答をした後にも思った。自分は随分と感傷的な人間になったと。寂しさを認める事が弱い事だと、影人は心の奥底では思っていない。本当に強い人間は自分の気持ちを、弱さを認める事が出来る人間だからだ。だが、前髪野郎は天邪鬼なのでそんな言葉を述べてしまった。

「おう。心は晴れたか?」

「まあな。瞑想って意外と効果あるんだな」

「当たり前だ。効果がなかったら今まで残ってねえよ」

「そうそう」

 冥の問いかけに影人が軽く頷く。影人の感想を聞いた冥はそう言い、響斬は冥に同意した。

「じゃあ、これで戦えるな。スプリガン、さっさと変身しろよ」

「いや、だから戦わないって。でも、一応感謝はしとく。ありがとな冥。お前戦いバカっぽいのに、意外に物知りというか大人だな」

「ああ!? 誰がバカだ!?」

「いや、分かるよ。冥くんって本当僕も引くぐらいの戦い狂いでいかにもザ・脳筋バカって感じなのに、何か意外としっかりして・・・・・・ってちょ冥くん、肩パンやめて。痛いから。マジで痛いから!」

「うるせえ! てめえ響斬! ずっと俺の事をバカだと思ってやがったのか!」

 ガンガンと冥から肩パンを受ける響斬が悲鳴を上げる。影人はその光景に思わずフッと笑うとベンチから立ち上がった。

「じゃあな冥、響斬さん。響斬さんもありがとう。俺は行くよ。またな」

「あ、おい! 待てよスプリガン!」

 影人は冥と響斬に軽く手を振るとその場から去った。冥は影人を呼び止めたが、影人は冥の呼び止めを無視して堤防を上がって行った。

「・・・・・・ちっ、行っちまいやがった。クソが。せっかくいい対戦相手を見つけたと思ったのによ」

「まあ、彼は好き好んで冥くんと戦うようなキャラじゃないからね。仕方ないよ」

 舌打ちをする冥に響斬は残っていた酒を飲みながらそう言った。そして、響斬は息を吐く。

「ふぅ・・・・・・まあいいじゃないか。悩める若人に大人らしくアドバイス出来たんだからさ。それで満足しようぜ」

「そんなんで満足出来るかよ。響斬、お前付き合えよ。るぞ」

「んー、別にいいんだけど、ぼかぁ今は刀持ってないんだよね。家に置いてるし。あ、そうだ。冥くん戦うのは明日にしてさ今日は宴会でもしない? ちょうどいま帰城くんのお父上と一緒に住んでてさ。影仁さんって言うんだけど。もう彼とやる飲みが楽しくて楽しくて。冥くんが加わったら、きっと更に楽しくなるよ」

「あ、スプリガンの父親と同棲? お前何がどうなってそんな奇天烈な事態になったんだよ」

「まあ、色々あったのさ」

「何だそれ。まあいいぜ。んじゃ、今日は呑むか」

「そうこなくっちゃ。帰りに酒屋に寄って、酒とツマミを買おうか。いやー、今日は楽しくなりそうだ」

 響斬はニコニコ顔になると冥を伴って河川敷を後にした。

 ――ちなみに響斬、冥、影仁での宴会はそれはそれは大いに盛り上がり、宴会は朝まで続いたのだった。










「3年生の卒業式は3月14日。明日から3月だから、卒業式まであと半月くらいだな・・・・・・短いもんだ」

 家に帰った影人は自分の部屋でスマホのカレンダーを見つめていた。

『くくっ、情けねえな影人。改めてあいつらが卒業する日の確認なんてよ。それでも孤高で孤独な一匹狼サマかよ。ええ?』

「うるせえよ。俺が孤高で孤独な一匹狼である事は変わらねえ。・・・・・・だが、たまには一匹狼である事を自覚するために、群れにも接近しないとなんだよ。今の俺はまさにそんな状態だ」

『意味分かんねえ屁理屈だな。死ねよ』

「何でその論法で俺が死ななきゃならねえんだよ・・・・・・」

 相変わらずのイヴの口の悪さに影人は呆れた。すると、影人の中にイヴとは違う声が響く。

『イヴ様。ご主人様に対して何という口の悪さですか。普段は積極的に人とは関わらないご主人様が、自分でも気づかなかった気持ちに気づかれ、卒業生の皆様へ思いを馳せておられるのです。エモエモのエモではございませんか。はぁ、ご主人様尊いでございます・・・・・・』

 なぜか艶かしい吐息を漏らすかのようにそう言ったのはナナシレである。ナナシレは影人の魂に宿った存在なので、イヴの念話にも受け答えする事が可能だった。

『うわぁ、キモ・・・・・・おい、影人。こいつお前の管轄だろ。何とかしろよ』

「別に俺の管轄じゃねえよ・・・・・・」

 イヴがドン引きし、影人も同じく引いた様子でイヴにそう言葉を返した。正直、影人も言葉には出さなかったがナナシレの事を少しキモいと思ってしまった。

『あ、ご主人様に蔑まれて・・・・・・ああ、堪りません! ご主人様、ナナシレは悪い従僕でございます! どうか私めに罰を! 折檻を!』

「・・・・・・」

『・・・・・・』

 だが、ナナシレは影人の魂に宿った存在なので、影人の心の機微を感じ取る事が出来る。ナナシレはなぜか影人がナナシレに抱いた思いに興奮していた。影人とイヴは絶句した。

「何だよ影人。あの人間どもの事を考えてるのかい。あんな奴らの事を考えるなら吾の事を考えてくれよ。吾の心の中には常にお前がいる。だから、お前の心の中にも常に吾がいてほしいんだよ。確かに、お前の中には吾の魂のカケラが、吾の分体がいるがそういう事ではなく、お前の日常的な思考の中に・・・・・・」

「お前はちょっと黙ってろヤンデレ幽霊。いちいち言うことが怖いんだよ・・・・・・」

 幽霊状態の零無が据わった目をしていたので、影人は再び引いた顔になる。なぜ自分の周りにはヤバい奴らしかいないのか。時々本気で考えてしまいそうだ。

「そう言えば、3月14日はちょうどホワイトデーだったな。まあ穂乃影には何か返そうとは思ってたが・・・・・・ついでだ。卒業祝いがてら、あいつらにも何か返すか」

「は!? もちろん吾にも何か返してくれるよな影人!?」

『ご主人様ぁぁぁぁぁぁ! 私も何でもいいので何か欲しいですぅぅぅぅぅぅぅぅ!』

「ちょ、いきなり叫ぶなお前ら!? 分かってるよ! お前らにも何か返すから! だから落ち着け!」

 影人がそう呟いた瞬間、零無とナナシレが即座に声を上げる。影人は外と内から響いた大声に驚きながらも、2人にそう答えた。

「! そうかそうか! ふ、ふふっ。だよなあ。あいつらに何かを返して、吾に何かを返さないなんて事はないよな。影人が吾に何かをプレゼントしてくれる・・・・・・ああ、嬉しいな。嬉しい。嬉しい。嬉しい。嬉しい。今からその日が待ち遠しい。ふふっ、ふふふふふふふふふふふふふふふっ!」

『やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! ありがとうございます! ありがとうございます! ありがとうございますご主人様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』

 影人の答えを聞いた零無とナナシレは歓喜の声を上げた。いや、もはや狂喜だろうか。影人は疲れた様子でため息を吐く。

「はぁ・・・・・・元々借りは作りたくねえから、バレンタインに贈り物をした奴らには全員何か返すつもりだったんだよ。でも、全員分となると結構な量になるな・・・・・・」

 影人がホワイトデーの返しをしなければならない者の数は軽く10人は超えているし、その他にもA〜Fたちへの卒業祝いの品も拵えなければならない。そして、影人のお年玉貯金では品々を用意するのにも限界がある。

「・・・・・・仕方ない。ここはいっちょう、人生初のバイトってやつをしてみるか」

 考えた末、影人はそう呟いた。

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