第485話 過ぎ行く日々(1)

「・・・・・・早いもんだな。もう春か」

 暖かで心地のいい風がサッと吹く。その風に長い前髪を揺らされた影人は、春の訪れを感じそう呟いた。

 今日の日付は2月28日。2月は今日で終わり明日から3月になる。桜が咲き始める頃であり、別れの季節だ。昼休み、風洛高校の校舎裏で弁当を食べながら影人は時の流れを感じずにはいられなかった。

(俺が蘇ってまだ正確に1年は経ってないが・・・・・・この1年は色々あったな・・・・・・)

 影人が2度目に蘇った日は4月12日。あの日から今日に至るまで本当に色々な事があった。零無との事、フェルフィズとの事、異世界に行った事、イズとの事。

「マジで濃かったな・・・・・・なんなら日常も濃かったし・・・・・・冷静に考えて、何で俺はクリスマスとかバレンタインに戦ったりしてたんだ・・・・・・?」

 今考えてみてもよく分からない。まあ、世の中には考えても分からない事はある。影人はクリスマスとバレンタインの記憶を振り払うと、卵焼きを口に放り込んだ。

「・・・・・・ごちそうさまでした」

 弁当を食べ終えた影人は両手を合わせた。スマホで現在の時間を見てみると、昼休み終了まであと20分ほどある。影人は現代人らしく、残りの時間をゲームで潰した。

「っと、もうこんな時間か。確か、次の授業は移動教室だったな・・・・・・そろそろ戻るか」

 スマホをズボンのポケットに突っ込んだ影人は空の弁当箱を持って立ち上がった。

「ねえ、そろそろ先輩たち卒業だけどプレゼント何にするか決めた?」

「いや、まだ。そろそろ本気で決めとかなきゃマズいよね」

「まあね。卒業式って確か3月14日だし。大体あと2週間くらいしかないからね。じゃあ、今日部活終わったらちょっと話さない? どっかで何かつまみながらさ」

「いいよ。せっかくだから、莉央と杏奈にも声かけよ」

「りょーかい。じゃ、2人には私から声かけとくね」

 影人が廊下を歩いていると、前方の女子生徒たちの会話が聞こえて来た。察するに卒業する部活の先輩に何か贈り物をするようだ。この変人ばかりの高校で後輩に慕われている者がいるとは。影人はほんの少しだけ感動した。

「卒業か・・・・・・」

 教室に戻り自分の席に座った影人は無意識にそう言葉を漏らした。さっきの女子生徒たちが言っていたように、もう後2週間ほどで今の3年生は卒業する。今の3年生、つまり陽華、明夜、イズ、暁理、光司、A、B、C、D、E、Fたちは、もう本当にあと少しでこの学校から去ってしまうのだ。

 その事については、別に影人は寂しさなど全く感じていない。A〜Fたちとは魂で繋がっているし、本当の意味での寂しさはない。陽華、明夜、イズ、暁理、光司たちに関しては、いない方が影人は快適な学校生活が送れるのでさっさと卒業してほしいとしか思っていない。強がりだとか捻くれているわけではなく、影人は本気でそう思っていた。こいつは本当にマジでガチモンの欠陥前髪である。

「・・・・・・本当だったら俺も今年で卒業だったんだよな」

 影人は頬杖を突きながら窓から晴れ渡った2月最後の空を見上げた。影人も留年していなければ今は3年生。卒業年度だった。だが、色々な要因が重なって影人は留年してしまった。全く以て不幸と言う他ない。

「帰城さん、そろそろ移動しないと。どうかしましたか?」

 隣の席の海公が教科書とプリント、筆箱を抱えながら影人に声を掛けてくる。影人はフッと空から視線を外した。

「・・・・・・いや、別に何でもない。次の音楽の授業が面倒くさいと思っただけだ」

「帰城さんがあんまりそういう事を言わない方がいいと思いますよ。次の音楽の授業は来月卒業する先輩方に贈る歌の練習なんですから。悲しいですよ」

 海公は少し複雑そうな顔で影人にそう言ってきた。海公が言った通り、次の移動教室の授業は音楽で、今の音楽の授業では卒業式に歌う歌の練習をしている。下級生が卒業生に歌を贈る。卒業式の定番中の定番だ。

「だからだよ。留年生おれだからこそ余計にそう言えるんだ」

 影人は机の引き出しから音楽の教科書とプリントを取り出し、筆箱と一緒にそれらを持ち立ち上がった。海公が言った、影人があまりそういう事を言わない方がいいというのは、影人が留年生だからだ。留年していなければ、影人は卒業生と同じ3年生。つまりは同級生だ。同級生を祝福するための歌の練習を面倒だと言うのは如何なものか。影人が敢えてそんな事を言う必要はないのではないか。真面目で優しい海公らしい言葉だ。これも、海公なりの気遣いだろう。気遣いとは、ただ優しい言葉を相手に投げかける事だけではない。しかし、影人は海公の気遣いを分かった上でかぶりを振った。

「え、どうしてですか?」

 教室の外を出た影人を海公が追う。海公は不思議そうな顔で影人にそう尋ねた。影人はもったいぶった様子もなく海公に答えを教えた。

「簡単だ。俺はあいつらに忖度する理由がない。元は同級生だしな。面倒い事は面倒いって言える。まあ、同級生関係なく言う時は言うがな。後、単純に一部の奴らを除いて祝福したくねえからだ。俺を置いてさっさと卒業していく奴らを何が悲しくて祝福しなきゃならんのだ。逆に呪ってやりたい気分だぜ。俺みたく全員留年すりゃあいい」

 前髪の答えはあまりにも酷く個人的で救いようがないクズの一方的な言い分であった。もはやさすがとしか言いようがない。これぞ前髪野郎。人外のゴミである。

「・・・・・・」

 人の汚い悪意をまざまざと見せつけられた海公は一瞬ドン引きしたような顔を浮かべた。だが、やがて何かに気づいたような顔になると、クスリと笑った。

「ふふっ、帰城さんの魅力は数えきれないくらいありますけど、その内の1つはきっと人間臭さですよね。帰城さんの今の言葉はきっと本心なんでしょうけど、きっとそれだけじゃない」

「? どういう意味だ?」

 今度は影人が不思議そうな顔を浮かべる番だった。海公はそんな影人にこう返答した。

「無意識かもしれませんが、帰城さんは少し寂しいんだと思います。先輩たちが、帰城さんの同級生だった方たちが卒業していく事が」

「いや、それはないぞ春野。強がりだとか認めたくないとかじゃない。マジでだ」

 影人は海公の指摘を真顔で強く否定した。だが、海公はどこか穏やかな顔で影人に質問した。

「じゃあ、何で帰城さんはさっき自分を置いてなんて言ったんですか? 本当に寂しさを感じてない人間はそんな表現はしないと思いますけど」

「っ、それは・・・・・・適当に、考えて話してなかったからだ」

「でも、心は言葉の端々に表れるものですよね。考えて話してなかったら尚更。だから、僕は言ったんです。無意識かもしれないって」

「・・・・・・」

 海公のその言葉に影人は反論出来なかった。海公の言葉は間違っていないと思ってしまったからだ。

「・・・・・・でも、あいつらが、俺の知り合いの卒業後の行き先はほとんどが近くの大学だぜ。ここから全然遠くない。街を歩いてりゃ顔を合わせる事もしょっちゅうだろう。つまり、今とほとんど変わらない。だから・・・・・・寂しさなんて、やっぱりないはずだぜ」

 影人はそれでも無意識に自分が寂しいなんて事を認めたくなくて。理屈を捏ねて影人はそう言葉を絞り出した。影人は自覚していなかった。その言葉が暗に寂しいという事実を認めているという事を。

「寂しさって物理的でもあるんですよ。というか、多くの場合はそうです。毎日この場所にいた人たちがいなくなる。それが知り合いや元同級生の方たちなら尚更です。だから、寂しいって思うのは当たり前の事で何にも恥ずかしくないんですよ」

「・・・・・・そう、なのかもな」

 結局、また言葉が出て来なかった影人は海公にそう言葉を返すしかなかった。











「寂しい、か・・・・・・」

 放課後。学校を出た影人は帰路に着くわけでもなく、何となく道を歩いていた。海公は用事があるからと先に帰ったので、影人は今1人だ。だからだろうか、影人は昼間に海公に言われた言葉を思い出した。

(・・・・・・俺は本当はそう思ってるのか? あいつらが卒業して寂しいって。俺の日常の中からあいつらがいなくなる事が・・・・・・いや、完全にいなくなるわけじゃない。正確には薄れる、か。俺の日常という名のキャンバスからあいつらっていう色が薄れる。そっちの方がしっくり来るな)

 後半は少し思考がズレた気もするが、己に問いかけた事は変わらない。今の3年生たち、特に陽華、明夜、イズ、暁理、光司、A、B、C、D、E、Fといった者たちが卒業していく事に自分は寂寥を感じているのか。

(・・・・・・少なくとも、俺は全くそんな事は感じてないつもりだ。俺は孤高で孤独な一匹狼。それが帰城影人って人間だ)

 そう。それだけは間違いない。別に、影人は無理やり己を型に当て嵌めているわけでも、自己暗示をしているわけではない。ただ、それが自然な自分だと分かっているのだ。我々はここに前髪野郎が真性の厨二病患者であるという事実を見るのであるが、前髪は本物のアレな奴なので当然そんな事には気が付かない。

『だが、あの女男に言われた事が気になってるからお前はぐちぐち悩んでんだろ。くくっ、1回認めてみろよ。格好をつけてるが、実は僕ちゃんは寂しいよー、置いてかないでよーってよ』

「・・・・・・ふざけんな。そんな事を言うくらいならもう1回死んだ方がマシだ」

 明確に自分をバカにしてきたイヴに、影人はどこか不貞腐れたように声を漏らす。すると、イヴとは違う声が影人の中に響いた。

『お1人を好んでいたご主人様の中に生じた一抹の寂しさ。その寂しさの要因は、ご主人様のかつての同級生たち・・・・・・ううっ、エモエモでございますね。感動でございます』

「どこがだよ・・・・・・」

 声の主はナナシレであった。ナナシレはなぜか涙ぐんだ様な声だったので、影人は呆れと困惑が混じったようにそう呟いた。

「影人〜!」

 ぶらぶらと変わらずに影人が当てもなく心の赴くままに歩いてると、聞き覚えのある声が影人の耳を打った。見ずとも分かる。影人に声を掛けてきたのは零無であった。

「今日はどうしたんだい? いつもの帰り道にお前の反応がなかったから、お前の反応を追って来たが・・・・・・どこか寄る所でもあるのかい?」

「・・・・・・別に。ただ、ふらつきたい気分だっただけだ」

 零無の問いかけに影人はそう答える。零無は「ふむ?」と一瞬何か違和感を感じたかの様に顎に手を当てたが、やがて顎から手を離した。

「そうか。まあ、そういう日もあるだろう。ではお散歩デートと行こう」

「ふざけろよ。誰がお前とデートなんかするか」

 ニコニコと笑う零無に否定の言葉を返しながら影人は放課後の街を歩く。当然ながら零無も霊体状態で影人に続く。

「・・・・・・」

 あてもなく歩いている内に影人は河川敷へと辿り着いた。影人は何とはなしに堤防の下に降りるとベンチに腰を下ろした。

「川原で愛する者と共にベンチに座る・・・・・・うん。これもいい。吾は幸せだよ影人」

「お前は逆に幸せじゃない時があるのかよ・・・・・・」

 うっとりとした顔を浮かべる零無に影人は呆れた顔になる。自惚れるわけではないが、幽霊となって影人に憑き始めた頃から零無は常に幸せそうだ。お気楽な奴。色々と考え込んでいる影人は、どこか八つ当たり気味にそう思った。

「――ん? もしかして帰城くん?」

 影人が零無と共にぼーっと川を見つめていると、背後から声が掛けられた。

「っ、響斬さん?」

 影人が振り返ると、そこにはジャージ姿の、ボサボサの黒髪に糸目が特徴の青年がいた。いや、正確には青年の見た目をしていると言った方が正しいか。響斬はレイゼロールの眷属である闇人。又の名を『十闇』第7の闇『剣鬼』の響斬という。影人は響斬が人ならざる者だと知っていた。

「やあ、奇遇だね。どうしたんだい。1人で川なんて見つめてさ」

 響斬は気さくな様子で影人に軽く手を振ってきた。響斬は影人の父親である影仁を居候させてくれている。影人も日奈美から影仁の様子を見てくるようにと言われ、週に1回くらいのペースで響斬宅を訪れるので、響斬とはすっかり顔馴染みだった。

「なんだ闇人か。ちっ、吾と影人との川原デートを邪魔しやがって」

 響斬の姿を見た零無は露骨に嫌そうな顔で舌打ちをする。だが、今の零無は幽霊状態で響斬に波長も合わせていないので、響斬に零無の声は聞こえなかった。

「あ、その・・・・・・別に理由はなくて。ただ、ふらついてる内に気づいたらここにいて川を眺めてたって感じです。響斬さんは何でここに?」

「習慣、じゃないけどぼかぁたまにここで川を見ながら一杯やるんだ。隣、いいかい?」

「どうぞ」

 響斬はジャージのポケットからワンカップの酒を取り出した。そして、響斬は影人の横に腰を下ろした。影人の隣には零無が座っていたが、今の零無は霊体なので肉体がない。結果、響斬は零無に干渉せずに普通に座る事が出来た。その代わり、響斬と重なった零無は不機嫌極まりない様子で「ちっ!」とベンチから離れ、呪い殺すような目で響斬をジッと睨みつけた。全く以て恐ろしい限りだ。もしも響斬が今の零無を見たら震え上がるだろう。

「ぷはっ。うん。やっぱりいいな。酒の美味さと川の流れは昔から変わらない」

 蓋を取り酒を飲んだ響斬がそんな感想を漏らす。そう言えば、見た目からは想像できないが響斬は平安時代から生きている人物だ。影人は響斬の言葉に説得力を感じた。

「間違ってたら申し訳ないけど・・・・・・何か悩んでいるのかい?」

「っ・・・・・・何でですか?」

 響斬は薄らと目を開け影人にチラリと視線を投げた。突然、響斬にそんな事を聞かれた影人は軽く驚きながらもそう聞き返す。

「これは僕の経験なんだけど、ジッと川を眺めてる奴ってのは大体悩みを抱えているもんだから。でも、その反応を見る限り当たってたみたいだね」

 響斬は酒を傾け一口あおった。そして、こう言葉を続けた。

「だけど、君が悩むなんて珍しいな。君は僕が見て来た中でも最強のメンタルを持ってる人間の1人なのに」

「何ですか最強のメンタルって。俺は別に普通の高校生ですよ。いま自分が悩んでる・・・・・・かどうかは自分でも分かってませんが、人間なんですから人並みに色々思ったり考えたりはしますよ」

 不本意というほどではないが、影人は軽く抗議するように響斬にそう言葉を返す。影人の言葉を聞いた響斬は「確かに」と頷いた。

「そうだったね。色々と特別な力を持ってるから勘違いしそうになるけど、君はただの人間だ。ごめん」

「いえ・・・・・・でも、そうですか。響斬さんの目には俺は悩んでいるように見えるんですね」

 響斬の謝罪を受けた影人は呟くように言葉を述べる。そんな影人に響斬は一拍置いてこう尋ねる。

「違うのかい?」

「・・・・・・さっきも言いましたが分からないって感覚です。自分が悩んでいるのかも俺には分からない」

 影人は正直に響斬に自分の状況を吐露した。響斬はゆっくりと影人の言葉に共感するように頷いた。

「そっか・・・・・・分かるよ。そういう時ってあるよね。僕もそういう感覚はしょっちゅうあった。いや、今もあるよ」

「・・・・・・響斬さんはそういう時はどうするんですか?」

「大体2つかな。1つ目は酒をしこたま呑む。それで忘れる。でも、この方法はあんまりお勧めしないよ。二日酔いで死にそうになるからね」

「それはそうですね・・・・・・というか、闇人に二日酔いとかあるんですか」

「それがあるんだよね。なぜか。まあでも、人間時代よりは全然マシだけどね」

「そうですか・・・・・・それで、もう1つの方法は?」

 影人が響斬に尋ねる。響斬はもったいぶった様子もなく口を開いた。

「そっちは実用的だぜ。僕もよくやるし、何ならここでも出来る。もう1つの方法は――」

「――瞑想だ」

 響斬がその方法を述べる前にどこからかそんな言葉が響いた。男の声だ。声は後方から聞こえたような気がした。影人と響斬、ついでに零無が振り返る。

 影人たちが振り返った先、堤防の上に1人の男の姿があった。黒色の道士服を纏い、長い髪は三つ編みに纏められている。影人と響斬は驚いた様子でその男の名を呼んだ。

「冥・・・・・・」

「冥くん・・・・・・」

 堤防の上にいた男は響斬と同じ闇人、『十闇』第6の闇、『狂拳』の冥だった。

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