第472話 バレンタイン恋騒劇(5)

「ほほっ、よい心掛けじゃの。うむ。おのこはそれくらい欲張りでないとな。では、帰城影人。妾の菓子も勝ち取ってみせよ」

 影人の言葉を聞いた白麗が愉快そうに笑う。影人は顔を白麗の方に向けた。

「って事は次の対戦相手は白麗さんか。白麗さんとの勝負・・・・・・正直、嫌な予感しかしねえな。前みたなガチの実戦とかか?」

「妾も出来ればそうしたかったのじゃがの。ほれ、今日は愛の日なんじゃろ。じゃから、殺し愛をするのにピッタリじゃ」

「殺し愛って何ですか・・・・・・?」

「じゃが、妾はどうしてもここですいーつを食べたくての。殺し愛をする時間はないんじゃ。じゃからの帰城影人。お主に妾の菓子を受け取れる運があるか試してやろう」

 影人の質問を無視した白麗は、自身の懐に手を入れると何かを取り出した。それは、1枚のコインだった。

「今から妾がこの硬貨を弾く。お前は表か裏か予想せい。合っていればお主の勝ち、外れていれば妾の勝ちじゃ」

「っ、つまりコイントスか?」

「そうじゃ。さあ、帰城影人。始めるぞ。願わくば、運も実力の内という事を見せてくれ」

 白麗がコインを爪で弾く。コインはクルクルと綺麗に空中を舞った。そして、白麗は落下してきたコインを手の甲で受け止め、もう片方の手でコインを隠した。

「さあ、帰城影人。表か裏。どちらを選ぶ?」

「・・・・・・裏」

 白麗が微笑み影人にそう問う。影人は少しの間考えるような顔つきで、やがてそう言った。確証はない。ただの直感だった。

「裏か。ふむ、では確かめてみるかの」

 白麗が手を退ける。白麗が持っていたコインは裏側だった。

「おお、見事じゃ。不正をせず、正しく運を示したの。よかろう、受け取るがよい。と言っても、妾の菓子は手作りではなく出来合いの物じゃがな」

「いいや、全然ありがたいよ。ありがとう」

 白麗が影人に菓子を渡す。影人は白麗に感謝の言葉を述べた。

「ほほっ、そう言ってもらえると嬉しいの。殺し愛はまた後日にやろうのう、帰城影人」

「いや、それは遠慮しておきます・・・・・・」

 絶対にロクなものではない。影人は丁寧にその殺し愛なるものを断った。影人との勝負が終わった白麗は「お楽しみのすいーつじゃ!」とメニュー表に目を通し、シエラに片っ端からデザートを注文していた。

「つ、次は私だ」

 影人が前髪の恋しさから髪留めを外し、いつもの前髪形態に戻ると、アイティレが声を上げた。前髪野郎と化した前髪はアイティレの方に顔を向けた。

「お前か『提督』・・・・・・ん? お前、そのブレスレット・・・・・・」

 影人はアイティレの右手に水色のブレスレットが装着されている事に気がついた。アイティレは光導姫なので、ブレスレット=光導姫に変身するためのアイテムを想起させるが、アイティレの変身アイテムはブレスレットではなく、偽物の赤い宝石だ。アイティレが装着しているブレスレットは、去年の夏祭りの時の輪投げの景品で、影人がアイティレに贈った――正確にはいらないからアイティレにぶん投げた――物だった。

「っ、君から貰った物だからな。せっかくなら着けていこうと思って・・・・・・ふ、普段は大切に家に飾っているのだ。だから、そこは安心してほしい」

「何を安心するんだ・・・・・・? いや、別にガンガン使ってくれよ。装飾品は使ってなんぼだろ。まあ何にせよ、気に入ってくれてるみたいでよかったぜ」

 前髪もほとんど人外だが、一応人間らしい感性は持っている。自分が譲渡した物が大切にされているのは多少は嬉しい。影人は軽く笑った。

「で、お前の勝負方法は何なんだ?」

「あ、ああ。私が君に提案する勝負は・・・・・・これだ」

 アイティレがスマホを操作し影人に画面を見せる。そこには男女が手を押し合う動画が映っていた。

「これって・・・・・・もしかして、手押し相撲か?」

「そうだ。調べていたところ、恋人たちのオススメのゲームとして・・・・・・コホンコホンッ! 中々面白そうだと感じた。何の準備もせず手頃でもあるからな」

「確かにな。分かりやすい。小学校の時によくやってたな。・・・・・・でも、いいのか? お前をバカにするわけじゃないが、これ多分俺の方が有利だぜ」

 アイティレは女性で影人は男性だ。単純に筋肉量やら膂力に差がある。そして、手押し相撲はそういった要因が大きく影響する。そういった点から影人はアイティレに確認を取ったのだった。

「心遣いに感謝する。確かに、君の指摘通りだ。この勝負方法は性別が大きく影響する。力の差は勝ち負けに直結する。・・・・・・しかし、力だけで勝ち負けが決まるわけではない。君も知っているだろうが、手押し相撲はバランスを崩した方が負けだ。私はテクニックで力の差を補うとするさ」

「・・・・・・はっ、そうだな。勝負はやってみないと分からない。最初から負けるつもりで勝負する奴はいないって断言は出来ねえが稀だ。よし、じゃあ早速やるか」

 アイティレと影人は互いに向き合った。先ほどのロゼの時よりかは互いの距離は離れていたが、それでも十分に近かった。

「っ・・・・・・」

 影人との距離が縮まりアイティレは緊張した顔になる。一方の影人は特に緊張した様子もなく、両手を前方に突き出した。

「じゃ、やるか」

「よ、よろしく頼む」

 アイティレも自身の両手を前方に突き出す。そして、2人は手押し相撲を始めた。

「悪いが手加減はなしだ。早速行くぜ!」

 影人はまずは様子見の意味も兼ねて、6割ほどの力でアイティレの両手を押した。アイティレは影人の張り手を受け大きくバランスを崩す。

「くっ・・・・・・」

「まだまだ行くぜ!」

 影人は今度は7割の力でアイティレの手を押した。アイティレの体が再び大きくぐらつく。一気に押し通す。影人は更に力を加え、8割の力で張り手を行った。

「舐めるなっ!」

 だが、アイティレは自分の手を引き影人の張り手を回避した。その結果、逆に攻撃をしていた影人のバランスが崩れる。

「おわっ!?」

 影人の体は反射的に足を動かし倒れるのを防ごうとしたが、影人は意志の力で無理矢理それを拒否した。影人は無様にバタバタと両手を振り必死にバランスを取ろうとする。結果、影人は何とか倒れずに済んだ。

「あ、危なかった・・・・・・」

「言ったはずだ。力だけで勝負が決まるわけではないと」

 息を吐く影人にアイティレがそう言葉を掛ける。影人は素直にアイティレの言葉に頷く。

「そうだな。ご忠告痛み入るぜ。そうだよな。手押し相撲はこの駆け引きが面白いんだ。久しぶりに思い出したぜ」

 小学校低学年の頃の記憶が蘇ってくる。あの頃の自分は零無と出会う前で、かつ年齢も幼く無邪気だった。積極的にクラスメイトと関わり色々な遊びをした。もちろん手押し相撲も。最初はみんな力任せに相手を押していたが、途中から今アイティレが行ったような絡め手を使う者たちも増えた。懐かしさと楽しさ、それに手押し相撲への熱意が影人の中から湧き上がってくる。影人は自然と強気な笑みを浮かべていた。

「負けたくねえ・・・・・・見せてやる。手押し相撲の横綱と呼ばれた俺の実力を!」

 変なスイッチが入ってしまった前髪野郎は、まるでスポーツ漫画の熱血主人公のように前髪の下の目に炎を灯し、張り手を行った。当然と言うべきか、前髪野郎が手押し相撲の横綱と呼ばれていた事はない。いつもの嘘の2つ名である。

「っ、な、何だこの情熱は・・・・・・!? くっ・・・・・・!?」

 先ほどのロゼやソニアたちと同じく甘い空気を期待していたアイティレは、影人の熱意に驚きの声を漏らす。アイティレは影人から繰り出される張り手の猛攻を、影人の両手が自身の両手に触れた瞬間に後方に引くことで威力を殺し、何とか受け流す。

(私からすれば帰城影人に勝ってもらわなければ困る。そうでなければ菓子が渡せないからだ。だから、私は適当なところで負けるつもりだった)

 だが、本当にそれでいいのか。影人はアイティレとは違い、この勝負に本気で勝ちに来ている。影人の勝負に対する情熱には驚かされたが、アイティレからすればそれは嬉しい事だ。それだけ影人がアイティレの菓子を欲しがっているという事なのだから。まあ、事実はそうではなく、前髪がただ勝負に熱くなっているだけなのだが。その点でアイティレは勘違いをしていた。

(本気でぶつかって来る者に本気で応えないのは侮辱だ。ならば、私も本気で勝ちに行かなければならない。例え、帰城影人に菓子を渡せなくなったとしても)

 アイティレの顔が自然と真剣なものに変わる。幸か不幸か、アイティレは真面目だった。元々希薄だった甘い空気は完全に消え去り、今や影人とアイティレは真剣に手押し相撲をしていた。

「帰城影人、悪いが本気で行くぞ!」

「応よ! そうでなくっちゃな!」

 アイティレと影人は時には張り手をして正面から勝利を掴みに、時には手を引き、時にはフェイントを織り交ぜ相手の自滅を誘った。2人の真剣な戦いに、外野も盛り上がる。

「帰城くんもアイティレさんも頑張れー!」

「熱い、熱いわ! 何だか私も手押し相撲をしたくなってきたわ!」

「頑張ってくださいアイティレー! 前髪なんてぶっとばせー!」

「そうだ光導姫。そんな女たらしなど負かしてしまえ」

「面白そうだね。フェリート、後で俺たちもやろうよ」

「冗談でしょう。なぜ私があんな事を・・・・・・と言いたいところですが、まあたまには童心に返るのもいいでしょう」

「いいのう。青春じゃのう。よし、ワシらも後でやるぞ。レゼルニウス」

「ははっ、血気盛んですね。いいですよ。でも、おじいちゃんだからって手加減はしませんよ」

「ふふっ、何にでも真剣になれるのはいいことよね」

「影人さーん! 頑張ってお菓子を受け取ってあげてくださいねー!」

「あちゃー、2人ともあんなに熱くなっちゃって・・・・・・うん。でもこういうアプローチの仕方もありだね♪」

「だね。恋とはまさしく闘争だ」

 陽華、明夜、ソレイユ、レイゼロール、ゼノ、フェリート、ガザルネメラズ、レゼルニウス、シェルディア、キトナ、ソニア、ロゼがそんな感想を漏らす。白麗は注文したスイーツに夢中で、シトュウとイズは特に感想も漏らさずジッと勝負を見守っていた。

「はっ!」

「ふっ!」

 影人が張り手を行い、正面からアイティレを突き崩そうとする。だが、アイティレは手を引き影人の自滅を誘った。

「その手は桑名の焼き蛤だ!」

 しかし、影人はアイティレがそうするであろう事を読んでいた。影人も途中で張り手をやめる。そして、影人はフルパワーでもう1度張り手を行った。

(っ、勝負をかけてきたか・・・・・・!)

 アイティレには2つの選択肢があった。影人の張り手を正面から受け止めるか、避けるかだ。力で劣るアイティレは正面から影人の張り手を受け止めるべきではない、少なくともアイティレの理性はそう言っていた。

(だが、これは私にとってもチャンスだ。恐らく、帰城影人は私が正面から張り手を受け止めるとは考えていない。つまり、帰城影人のこの張り手は途中で弱まるか引っ込められる。これは搦手だ。帰城影人の真の狙いは、フェイントに引っかかった私を追撃する事。ならば逆に!)

 しかし、アイティレの勝負勘はここが好機であると告げていた。アイティレは自身もフルパワーで影人の両手に向かって張り手を突き出した。

「っ!?」

「残念だったな! 私の勝ちだ!」

 裏の裏を読んだアイティレの張り手に影人が驚愕する。アイティレの読み通り、影人の張り手は途中で急速に弱まった。今からでは手を引っ込められはしない。いくら影人が男といえども、弱まった影人の張り手とアイティレのフルパワーの張り手とでは、どちらの威力が高いかは明白だ。突き崩せる。アイティレは勝利を確信した。

「――いいや。俺の勝ちだ」

 だが、勝利宣言を行なったのは影人も同様だった。影人はアイティレの張り手が自分の手に触れる寸前で、スッと手を下にスライドさせた。結果、アイティレの渾身の張り手は虚しく空を切った。

「なっ・・・・・・」

 アイティレがその赤い瞳を大きく見開く。アイティレが裏の裏を読んだように、影人もまた裏の裏の裏を読んだのだ。加えて、初めて見せる手の下スライドという技術が、2人の勝敗を分けた。アイティレはバランスを失い、そのまま影人の方へと倒れる。影人はそんなアイティレを反射的に抱き止めた。

「よっと、大丈夫か?」

「あ、ああ」

 影人がそう聞くと、アイティレは顔を上げて頷いた。そして、そこで初めてアイティレは影人に抱き止められている事に気がついた。アイティレの顔は見る見ると赤くなった。

「わ、わわわわわわっ!」

「? どうしたんだよ。まあ、何にせよ勝負は俺の勝ちだな。でも、強かったぜ『提督』」

 慌てふためくアイティレと笑みを浮かべる影人。霧散していた甘い空気が再び漂い始める。アイティレは「しょ、しょうだな!」と噛み気味にそう言って影人から離れた。そして、影人に自分の菓子を渡した。

「で、では見事勝った君に菓子を進呈する! う、ううっ・・・・・・!」

 アイティレはそれだけ言うと元の席に戻って行った。アイティレはしばらくの間、赤面したまま亀のように固まっていた。

「熱い勝負でしたね! 影人、次は私です! 女神からのチョコが欲しければ死ぬ気で頑張ってみせない!」

「次はお前かソレイユ・・・・・・で、勝負方法は何だよ」

 面倒な予感を覚えつつも、影人は声を上げたソレイユにそう聞いた。ソレイユはドヤ顔で、どこからかとある物を取り出し、それを机の上に乗せた。それは、1つのヘルメットと2つのピコピコハンマーだった。影人はソレイユの勝負方法が何なのか、容易に想像がついた。

「私とあなたの勝負方法は、ずばり『叩いてかぶってジャンケンポン』です!」

「だろうな・・・・・・」

 予想通りの言葉に影人が軽く呆れる。あまりにもソレイユらしい勝負方法だ。

「言っておきますが、手加減なんてしませんからね。私はあなたの頭を全力でぶっ叩いて勝ちます!」

「はっ、抜かせ。お前の頭をぶっ叩たくのは俺だ」

 ソレイユと影人が向かい合って座る。2人の間に最初から甘い空気などなく、代わりに悪友と遊ぶようなノリがあった。

「早速行くぜ。ジャンケン・・・・・・!」

「ええ。ジャンケン・・・・・・!」

 影人とソレイユは互いに右手を引いた。そして、両者は互いの手を前方に突き出し――

 次の瞬間、2人はヘルメットとピコピコハンマー、それぞれの道具を持った。

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