第468話 バレンタイン恋騒劇(1)
『――今日は待ちに待ったバレンタインデー! 本命チョコ、義理チョコ、友チョコ・・・・・・恋と感謝と友情が入り混じる、甘くもほろ苦いまさにチョコのような日です! 早速街行く皆様に今日の事を伺ってみましょう!』
2月14日水曜日、午前8時前。朝食を食べ終えた影人はボーっとテレビを見ていた。そして、冷えた緑茶をすする。
「・・・・・・ああ、そういや今日はバレンタインか」
影人は特に興味もない様子で言葉を漏らす。事実、影人はバレンタインに興味はなかった。影人は捻くれているので、バレンタインはチョコレート会社の陰謀だという見方をしていた。
「言っとくけど、今年も私からはあげないわよ。欲しいなら、自分で勝ち取りなさい」
「別にいらないよ。正直、チョコが欲しいなんて思った事ないし」
朝食を食べ終え、影人の対面でコーヒーを飲んでいた日奈美がそう言ってくる。影人は一瞬前髪の下の目を日奈美に向け、すぐにテレビに視線を戻した。
「はあー、冷めてるわねあんた。私の若い頃は、男子も女子もこの日は目をギラギラさせてたわよ。大学時代の影仁なんて、朝早くから大学の門の前でチョコをくれって女子たちに土下座してたし」
「何やってんだよ父さんは・・・・・・」
「流石に引く・・・・・・」
急に母親から父親の知られざるエピソードを聞かされた影人と、影人の隣に座っていた穂乃影がドン引きした顔になる。エピソードを語った日奈美も「まあ、あれは流石に私も引いたわ」と息子と娘に同意した。
「でも、それくらい熱があったってわけよ。あんたらもまだ若いんだから熱に浮かされてもいいのよ。穂乃影も本命チョコを誰かにあげる予定はないんでしょ?」
「・・・・・・別に私好きな人なんていないし」
日奈美の言葉を穂乃影が暗に肯定する。その際、穂乃影がチラリと影人を見た気がしたが、あまりに一瞬の事だったので見間違いだろう。少なくとも、影人はそう思った。
「勘違いはしないでね穂乃影。前に影人にも言ったけど、別に無理に恋をしろって事じゃないのよ。ただ、若い時の感性でしか感じられない事もあるってだけよ。だけど、ウチの可愛い可愛い穂乃影と釣り合う男はそうはいないでしょうね」
「だな。穂乃影は超美少女だ。いいか、穂乃影。もし今日野郎どもにしつこくチョコをくれってねだられたら俺を呼べ。そいつら全員半殺し・・・・・・説教してやるから。あと、チョコちょうだい。チ◯ルチョコでも、ブラ◯クサンダーでもいいから」
日奈美と影人は真面目な顔でそんな言葉を述べる。穂乃影は日奈美の言葉には少し恥ずかしそうな様子を見せたが、影人の言葉を聞いた瞬間キモい者を見る目を影人に向けた。
「・・・・・・さっきの自分の言葉覚えてるの? チョコなんていらないって言ってたけど」
「妹からのチョコは別物なんだよ。だから頼むぜ穂乃影。くれなかったら、俺は悲しみのあまり全裸で家の中をのたうちまわるかもしれん」
「キモっ・・・・・・」
「うーん、本当にキモいわ。どうしてこんな子になっちゃったのかしらね・・・・・・」
穂乃影と日奈美が前髪野郎に心の底からの言葉を送る。コーヒーを飲み終えた日奈美がテレビの時計を確認すると、もう仕事に行かなければならない時間になっていた。
「やばっ、じゃあ私そろそろ行くわね。あんた達も気をつけて学校に行きなさい。あと、影人。あんたは多分今年はチョコもらえるわよ。きっと、シェルディアちゃんとかソニアちゃんとかからね。だから元気出しなさい。じゃあね」
日奈美はそう言って家を出て行った。去り際のロマンティ◯ス、こほん。去り際の日奈美の言葉に影人は小さく首を傾げた。
「・・・・・・何で嬢ちゃんと金髪の名前が出てくるんだ?」
「・・・・・・はぁ」
影人の様子に穂乃影は呆れたように息を吐く。影人には穂乃影の反応もよく分からなかった。
「ふむ、そう言えば今日は愛の日だったか。これは吾も愛しいお前に、より深い愛を伝えなければね。うん。今日はチョコを作ろう」
『ご主人様ぁぁぁぁっ! 私も、私もご主人様のためにチョコを作ります!』
外と内からそんな声が響く。外から響いた声は幽霊状態の零無のもので、内から響いたのはナナシレの声だ。影人は朝だというのに疲れを感じた。
「いや、別にいいから。というか、お前らどうやってチョコを作るつもりだよ」
「?」
影人が思わずそう声を発する。影人のその言葉に、穂乃影は不可解な顔で影人を見つめた。影人は穂乃影の視線に気がつくと、「あ、悪い」と頭を掻いた。
「ちょっと幽霊と俺の中にいる奴がうるさくてな。なんか俺のためにチョコを作ろうとしてるらしい」
「幽霊・・・・・・は確か零無さんだっけ。中にいるのはイヴさん?」
穂乃影は影人を狂人とは
何なら、零無に限って言えば、穂乃影は少し前に実体化した零無と顔を合わせている。そして、零無から謝罪を受けた。無論、影人から全てを聞かされていた穂乃影は、家族を引き裂き、影人と影仁を苦しめた零無を許しはしなかったし、現在も許してはいない。だが、零無を1番許していないであろう影人が、零無を自分の側にいる事を許しているので、追放を促す言葉は吐かなかった。
「いや、イヴじゃない。イヴの奴が俺のためにチョコを作るなんざ、悲しいけどあり得ない。・・・・・・まあ、イヴからのチョコは欲しいけど」
「おい影人。なぜ吾のチョコはいらないと言って、あの神力の化身からのチョコは欲しいと言ったんだ? なぜだ? なぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだ」
『ご主人様! 私の、私のチョコも求めてください!』
影人の言葉の一部に反応した零無とナナシレがそう言ってきたが、影人は2人の言葉を無視した。
「・・・・・・じゃあ誰なの?」
「ナナシレっていう力の化身だ。半月から1ヶ月くらい前だったか。イズの奴の指摘で気づいた力でよ。話せば少し長くなるんだが・・・・・・」
影人はナナシレがどのような存在か、どのようにナナシレと出会ったのかを穂乃影に語った。
「異世界の災厄の集合体・・・・・・あなた、本当にどんどん人間を辞めていくね。ただでさえ見た目が人間じゃないのに」
「いや、人間ではあるだろ・・・・・・俺、前髪がちょっと長いだけだぞ」
「あなたが人間かどうかはどうでもいいけど、大丈夫なの。その、ナナシレって人・・・・・・は表現としておかしいけど、元は災厄なんでしょ。そんな危なそうな力を持ってて悪影響はないの?」
「なんだ心配してくれてるのか。いやー、嬉しいな。妹が俺を心配してくれてる。その事実だけで元気が出てくるぜ。へへっ、お兄ちゃん今なら何でも出来そうだ」
「・・・・・・じゃあ今すぐ死んで」
キショい笑みを浮かべる影人に、穂乃影は本気の怒りと軽蔑を込めた言葉を返す。穂乃影の心配をバカの前髪が茶化したからだ。影人は「すいませんでした・・・・・・」と穂乃影に謝罪した。
「でも、大丈夫だ。確かに災厄の集合体って聞くとかなりヤバそうだが、何か拍子抜けするくらいおかしな・・・・・・いや、面白い奴だからな。そうだ。1回会ってみるか。おい、ナナシレ。出てきて穂乃影に挨拶してくれ」
影人が己の内にいるナナシレにそう呼びかける。すると、影人のすぐ側にフッと肉体を伴ったナナシレが現れた。
「はい、ご主人様。穂乃影様、お初目にかかります。私は『全天』・『零天』のナナシレ。お兄様に仕える力でございます。以後、お見知りを置きを」
「ど、どうも・・・・・・」
ナナシレが穂乃影に向かってお辞儀をする。突然虚空から現れたナナシレに、穂乃影は驚きながらも自身もお辞儀を返した。
「穂乃影様、ご安心ください。私は心の底からご主人様を敬愛しております。ご主人様をどうこうしようなど出来るはずもありません。そもそも、万が一私がご主人様をどうにかしようと悪意を抱いたとしても、私如きがご主人様に敵うはずもありません」
「は、はあ・・・・・・」
「それよりも穂乃影様。1つお伺いしたいのですが、私にチョコの作り方を教えてはいただけないでしょうか。日頃の、私のご主人様に対する溢れ出る思いを形にして感謝したいのです。ですから、どうか、どうかお願いいたします穂乃影様。私にチョコ作りの伝授を・・・・・・! 全ては愛しきご主人様のためなのです!」
「っ・・・・・・」
ナナシレが穂乃影に必死に懇願する。ナナシレの影人に対する「熱」の一端を垣間見た穂乃影は、ドン引きした様子になっていた。
「だからいらねえって。俺の妹を困らせるな。とまあ、こんな奴だからお前がしてくれたような心配事は起こらねえよ」
「う、うん。そうみたいだね・・・・・・」
穂乃影が変わらずドン引きした顔で頷く。穂乃影がナナシレから視線を外す。すると、穂乃影の目の端にテレビの画面が、そこに表示されている時間が映った。時刻はとっくに家を出る時間を過ぎていた。
「っ、しまった。もう出ないと・・・・・・!」
「あ、ヤベ。俺もだ。ナナシレ、俺の中に戻れ」
穂乃影と影人は慌てて支度を整えて家を出た。2人はマンションを出て途中までは同じ通学路を小走りで駆けた。
「じゃあな穂乃影。遅刻するかもって急ぎ過ぎるなよ。事故に遭いやすくなるからな。何なら学校まで送ってってやろうか? スプリガンの力を使えばすぐだぜ」
「いい。というか、そんな事でスプリガンになっちゃダメでしょ・・・・・・じゃあ、私は行くから。・・・・・・一応、あなたも気をつけてね」
分かれ道で穂乃影は影人にそう言うと、小走りで遠ざかって行った。穂乃影から心配の言葉を受けた影人の口元が思わず緩む。
「いいなぁ、ちょっとツンデレっぽいところがマジでいい。うん。やっぱり、俺の妹は世界一可愛いな」
『きっしょ・・・・・・マジであいつが不憫だぜ。こんなシスコン前髪ガチキモ野郎が兄貴なんだからな・・・・・・』
「ちっ、あの人間め。影人の妹だからって可愛がられやがって・・・・・・羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい・・・・・・」
『ご主人様の妹君に対する愛・・・・・・ああ、尊いです・・・・・・』
影人の呟きにイヴはドン引きし、零無は嫉妬し、ナナシレは感動した。それぞれの性格を表した三者三様の反応であった。
「うるせえせぞお前ら。ったく・・・・・・というか、俺もマジに急がないとヤバいな・・・・・・!」
影人は気をつけながらも、学校を目指してほとんど全力で走り始めた。
「はあ、はあ、はあ・・・・・・キ、キツい・・・・・・苦しい・・・・・・」
影人が大きく息を切らす。無理もない。スプリガンではない通常の前髪はモヤシ。その体力は同年代の者たちよりも遥かに劣る。痛み出した横腹を片手で押さえながら、影人は必死に学校を目指して走り続ける。
「はあ、はあ・・・・・・げほっ、げほっ・・・・・・よ、横腹がマジで痛てえ・・・・・・で、でも後少しだ・・・・・・!」
影人は道を曲がった。この道を真っ直ぐ行けば風洛高校だ。影人が一瞬立ち止まりスマホで時間を確認すると、時刻は午前8時28分。残り時間は後2分。それまでに風洛高校の門を潜らねば遅刻だ。
「マジで超超頑張れば行けるな・・・・・・よし、ラストスパートだ」
影人はスマホを仕舞い1度大きく深呼吸をすると全力で再び駆けた。影人が全身全霊で駆けていると、後方から2つの影が現れ影人の横に並んだ。
「ん? あ、帰城くん! 意外だね! こんな所で会うなんて!」
「珍しいわね。帰城くんが遅刻しそうになってるなんて。寝坊でもしたの?」
「っ、朝宮、月下・・・・・・」
影人の隣に並んだのは陽華と明夜だった。そう言えば、この時間帯は名物コンビによる風洛高校の朝の風物詩の時間だったか。
「う、うるせえ。はあ、はあ、話しかけるな・・・・・・た、体力が余計になくなる・・・・・・」
「だ、大丈夫帰城くん? 何か今にも倒れそうだけど・・・・・・」
「だらしないわね帰城くん。その調子じゃ間に合わないわよ。苦しいかもしれないけど、ほらもっとペース上げなきゃ。ほら、頑張って」
陽華は影人を心配し、明夜は影人に発破をかける。どうやら、陽華と明夜は影人と一緒に校門を越える予定のようだ。影人は陽華と明夜と一緒に遅刻するかしないかの登校チャレンジをするのは目立つので嫌だと言いたかったが、もはや話せる余裕もなかった。
「来たか! 朝宮、月下! いつもいつも、間に合うか間に合わないかの時間に来よって・・・・・・今日こそは通さんぞ! ・・・・・・ん? 左端の男子は誰だ? 見ない顔だな・・・・・・いや、あの前髪の長さは・・・・・・」
そうこうしている内に風洛高校の正門が見えてきた。正門前にはいつも通り、体育教師の上田勝雄が仁王立ちをしていた。勝雄はいつもはいない影人に気がつくと、何かを思い出そうと軽く唸った。
影人たちと門までの距離は残り約30メートルといったところ。そして、そのタイミングでキーンコーンカーンコーンとチャイムの音が鳴り響く。
「ええい、名前が思い出せんが時間だ! 閉門する! 今日の今日こそお前たちは終わりだ!」
勝雄が校門を閉め始める。影人たちと門までの距離はまだ20メートルはある。これは間に合わない。既に体力も限界を超えていた影人は、極限の疲労も合わさって半ば遅刻を覚悟した。
「終わりなんて!」
「そんなものは超えてなんぼよ!」
しかし、陽華と明夜は違った。2人は全く諦めた様子もなく逆に加速した。2人は影人を置き去りにどんどん門に近づいて行く。だが、門は既にほとんど閉まっており、抜けいる隙間はない。普通なら、その時点で詰みだ。
しかし、陽華と明夜はスピードに乗ったまま、門の手前でグッと大きく踏み込むと、そのままジャンプし門を飛び越えた。2人は飛び越えた先でハイタッチをする。すると、いつも通り校舎の窓からその光景を見ていた生徒たちから「いいぞー!」「よっ、流石は名物コンビ!」「うーん、今日も1日が始まるわね!」と歓声が上がった。
「くっ、またしても・・・・・・!」
「何で生身で門を飛び越えられるんだよ・・・・・・」
勝雄は悔しげに拳を握り、影人は訳が分からないといった様子で門の外から陽華と明夜を見つめた。そんな影人に気づいたのか、陽華と明夜が影人に向かって手を振ってくる。
「帰城くんごめんね! お先!」
「ふっ、まだまだ甘いわね。まあ、私たちの領域にはそう簡単に至れるものじゃないし仕方ないわ。じゃあね、帰城くん。また後でいい物上げるからめげないでね」
陽華と明夜はそう言うと校舎の方に向かって歩いて行った。
「いい物・・・・・・? 何のことだ・・・・・・?」
明夜の言葉の意味が分からなかった影人がその顔を疑問の色に染める。すると、ぽんと影人の肩に手が置かれた。
「えー、取り敢えず君は遅刻だ。学年とクラス、名前を言いなさい」
「あ、はい。すみません。ええと、2年7組の帰城影人です――」
影人は勝雄に自分の情報を伝えた。勝雄は影人の情報をポケットから取り出したメモ帳に、同じくポケットから取り出したペンでメモした。
「ああ、そうか。君は帰城くんだったな。まあ、そのなんだ。初回だから注意だけだが、次からは気をつけるんだぞ」
勝雄は影人の名前を聞いて、風洛高校で初めて宇宙人に攫われて留年した生徒だという事を思い出した。いや、風洛高校ではなくても、世界の高校でも間違いなく初めての留年理由だろう。勝雄はそんな生徒にどう接していいか分からず、微妙な顔を浮かべた。
「・・・・・・何か変な感じだったな。何だったんだ?」
勝雄が微妙な様子だった理由を知らない影人は、風洛高校の敷地内に入ると思わずそう呟いた。だが、結局分からないという結論に達すると教室を目指し歩き始めた。
――愛の日の
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