第469話 バレンタイン恋騒劇(2)

「・・・・・・なんか、今日はやたらと殺気立ってる気がするな」

 昼休み。影人は周囲を軽く見渡した。授業と授業の休憩時間から感じていたが、クラスメイト達――男子も女子も――は凄く気を張っている様子だ。

「チョコ、チョコ、チョコ・・・・・・今年こそ、今年こそは母さん以外からチョコをもらうんだ・・・・・・!」

「神よ、俺の人生から何を持って行ってもいい。だから、だからどうか俺にチョコを・・・・・・」

「今年こそ香乃宮先輩に本命チョコを・・・・・・!」

 ぶつぶつとそんな声も聞こえて来る。バレンタインデーという事は分かっているが、そこまで真剣になれるものだろうか。影人は去年の事を思い出そうとしたが、去年の記憶は出てこなかった。その代わり、そういえばこの時期は自分は死んでいたという事に思い至った。通りで記憶がないはずである。

「みんなピリピリしてますね。まあ、今日は年に1度のバレンタインデーなので皆さんの気持ちも分かりますが」

「にしてもだろ。俺らの世代は草食やら絶滅やら何やら言われるが、案外みんな恋愛に興味あるんだな。まあ、若者らしいっちゃらしいか」

「帰城さんもその若者ですよ。何か帰城さんってたまに妙に冷めてるところありますよね。まあ、そこが帰城さんの格好いいところでもありますけど」

 影人の言葉に海公が苦笑する。そして、海公は鞄からラッピングされた可愛らしい袋を取り出した。

「帰城さん、そのよかったらどうぞ。クッキーです。帰城さんにはいつもお世話になっていますから、日頃の感謝を込めて作りました。お口に合えばいいんですけど」

 海公がビニール袋に入ったクッキーを影人の方に差し出す。まさか、海公からそんな事を言われると思っていなかった影人は軽く驚いた。

「マジか。いや、俺は嬉しいが・・・・・・いいのか。本当に貰っちまって」

「はい。帰城さんだから貰ってほしいんです。正確にはチョコじゃありませんけど、友チョコって感じです」

「っ・・・・・・」

 海公が少し照れたようにはにかむ。海公には悪いが、海公のビジュアルと相まってその破壊力は抜群だった。影人ですら思わず新たな扉を開きかけたほどだ。影人でなかったら、間違いなく心が持っていかれていただろう。

「・・・・・・春野、お前はアレだな。全く悪くないけど色々と罪深いな」

「え、どういう意味ですか?」

「いや、何でもない。しかし、友チョコか。初めて貰ったな。普通は女子と女子が渡し合ってるもんだし・・・・・・いや、今は多様性の時代か。男子から男子の友チョコもありだよな。ありがとうな春野。これ、早速食ってもいいか?」

「はい。どうぞ!」

 海公がパァッと嬉しそうに笑う。影人は海公の手からからクッキーの入った袋を取ると、ラッピングのリボンを解いた。そして、黒と白のチェック柄のクッキーを1枚手に取った。

「ん、美味い。春野、お前凄いな。才能あるよ。店で売ってるやつと全く遜色ない。いや、それ以上かも」

「い、いやそこまでじゃ・・・・・・でも、嬉しいです。帰城さんにそう言ってもらって」

 言葉通り、海公は嬉しそうだった。すると、すぐ近くからこんな声が聞こえてきた。

「あー、影人と海公っちがイチャついてる! ずるいぞー!」

 声の主は魅恋だった。魅恋は影人と海公の机に両手を置いた。

「霧園さん・・・・・・別に、イチャついてはないですよ」

「そ、そうですよ。僕はただ帰城さんにクッキーをお渡ししただけで・・・・・・」

「それがイチャついてるの! バレンタインにお菓子渡すって事はそういう事でしょ! ねえねえ、海公っち! 私にもクッキー頂戴!」

「え、いやもうクッキーは・・・・・・」

 魅恋が海公に向かって片手を突き出す。海公は困った様子でそう言葉を紡ごうとしたが、魅恋の言葉を聞いた女子たちが色めき立つ。

「え、春野くんのクッキー!? 私も食べたい!」

「私も私も!」

「春野くんどうか私にも慈悲を!」

 クラスの女子たちが海公の元に殺到する。海公は「え、ええ?」と突然の事態に困惑した。

「あ、それはそれとしてチョコあげるね!」

「春野くん、私の想い受け取ってね!」

「あ、ずるい! 春野くん私もあげるから!」

 あれよあれよという間に海公の机に様々なチョコが積み上がっていく。その度に、海公は男子たちから凄まじい羨望と嫉妬の混じった目を向けられた。海公はどうしていいか分からず、思わず隣の影人に助けを求めた。

「ど、どうしましょう帰城さん。僕、こんなにチョコを貰うの初めてで・・・・・・」

 しかし、海公が隣の席を見た時には既に影人の姿はなかった。

「・・・・・・あ」

 海公は影人が逃げ出した事を悟った。誰にも気づかれずに華麗に消えた事は素直に凄い。凄いが、

「き、帰城さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!?」

 それは、影人が海公を見捨てた事を意味していた。次の瞬間、2年7組に海公の悲鳴が響いた。











「・・・・・・すまん。許せ春野」

 一方、海公を見捨てた前髪野郎は、海公のくれたクッキーをブレザーのポケットに忍ばせながら廊下を歩いていた。あの状況はどう考えても自分の力では海公を救えないと、影人は判断したのだった。

「しかし、マジで春野のクッキー美味かったな・・・・・・帰ったら母さんや穂乃影にも食わせてやろっと。というか、俺も何か返さなきゃな。ホワイトデーまでに何を返すか考えとかないとな」

 だが、今はそれよりも腹が減った。今日は学食の気分だったので弁当は持って来ていない。影人はそのまま食堂へと向かった。

「んん? 何か、いつも以上に混んでないか・・・・・・?」

 食堂には生徒たちが殺到していた。学食も購買もいつもの倍は混んでいる。流石にこの混み具合には何か理由があるはずだ。影人は何かヒントはないかと周囲を観察した。

「おばちゃん! バレンタイン限定チョコシチュー定食1つ!」

「俺も俺も!」

「私も!」

「お姉さん! バレンタイン限定全部盛りチョコカレー大盛りとバレンタイン限定チョコラーメン大盛りとライス大盛りお願いします! ほら、明夜とイズちゃんも早く頼まないと!」

「分かってるわよ陽華! 私はバレンタイン限定ホワイトチョコボナーラ定食でお願いします!」

「では、私も明夜と同じものを」

「ええいどけお前ら! 少数限定の購買のお姉さんのおまけチョコを貰うのは俺だ!」

「ふざけんな! 俺は去年母ちゃんからもチョコ貰えなかったんだぞ! そのせいで去年のチョコはゼロだ! 今年もチョコがゼロなんて嫌だ! 絶対に嫌だ! だから、俺はこのチョコを絶対に勝ち取る! この勝利くらい俺にくれよ!」

「お姉さんのチョコが欲しいのはあんたらだけじゃないわよ男子! 私だってお姉さんのチョコ欲しいのよ! レディファーストしろコラァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」

 影人の耳に自然とそんな声が入って来る。何なら聞き覚えのある声も。影人はなぜこれ程までに食堂エリアが混んでいるのか、その事情をある程度察した。

「・・・・・・なるほどな。学食は限定メニューが出てて、購買は何か買ったらおまけでチョコが貰えるのか。これもバレンタインデーの力ってわけだ。というか、俺が1年の時はこんな事やってなかったよな。1年の間に何があったんだよ・・・・・・」

 影人が呆れた様子でそう呟く。よくもまあ、これほど熱心になれるものだ。同じ10代とは思えない。自分の事を棚に上げながら、前髪野郎はそう思った。

「つーかダルいな。この様子だと昼飯が食えるのがいつになるか分からねえ。かと言って、春野のクッキーだけじゃ絶対に腹減るし・・・・・・」

 困ったように影人は手を組んだ。すると、後方から「「「「「きゃー!」」」」」という大音量の黄色い声が聞こえて来た。いったい何事だと、影人が後方を振り返る。

「香乃宮くん! これ私の気持ちです! どうか受け取ってください!

「香乃宮先輩私も! 先輩の事を想って作りました!」

「香乃宮くん! 本命です! 受け取って!」

「香乃宮くん!」

「香乃宮先輩!」

 食堂入り口に女子の大軍が見える。何人いるか正確には分からない。だが、最低でも50人はいるだろう。そして、そんな女子の大軍勢の中心にいるのは、風洛高校が誇る完璧イケメン香乃宮光司である。いつもは爽やかな笑顔を浮かべている光司も、今回ばかりは流石に苦笑していた。

「あ、あはは。皆さんの気持ちはありがたいんですけど・・・・・・その、あいにくと今は受け取っても入れるような物を持っていなくて」

「それなら大丈夫! こんな事もあろうかと特大の袋を用意しておいたから! 香乃宮くんの人気は風洛高校でいや、この地域でぶっちぎりナンバーワンだからね! 私が調べた結果によると、去年香乃宮くんが受け取ったチョコの数は軽く1000を超える! 他の学校や中学生、小学生からもチョコが届けられたと聞いたわ!」

「さすがは超完璧ハイパーイケメンの香乃宮先輩!」

「まさにイケメンの神!」

 光司はとある女子にサンタクロースが持っているような巨大な袋を手渡された。そして、女子たちはその袋に次々とチョコを入れて行った。光司は「え、ええと・・・・・・」と困った様子だったが、元来の優しさゆえか袋を持ち続けた。

「やっぱ凄いな香乃宮の奴・・・・・・」

「見る見る内に袋が膨れていくぞ・・・・・・どんだけモテるんだよ・・・・・・」

「でもまあ、香乃宮だしな・・・・・・」

「ああ。他の誰かがあんなにチョコを貰ってたら嫉妬で狂って殺っちまうかもだが、香乃宮だからな。あいつはあれくらいモテて当然だ。というか、モテなきゃおかしい」

「何なら俺も感謝の気持ちを込めてチョコあげたいぜ。この前落としたキーホルダーを一緒に探してくれたし」

「分かる。俺も腹減ってたら前にお菓子もらったし」

 その光景を見ていた男子生徒たちは羨望の眼差しを光司に向ける。普通なら、嫉妬や呪詛の類の言葉の1つでも出てきそうだが、そういった言葉が一切聞こえないのはひとえに光司の人徳によるものだろう。男子にも女子にもモテる。流石は光司である。

「・・・・・・何となくだが面倒な予感がするな。昼飯はクッキーで我慢するか」

 影人は人混みに紛れて食堂を出た。光司を筆頭とした知り合いに捕まるのは影人の望むところではない。影人はフラフラと廊下を歩き人気のない場所を目指した。










「むー」

 放課後。海公は分かりやすく膨れていた。原因は明白だ。昼休みに影人が海公を見捨てたからである。

「わ、悪かったって春野。俺がいたら余計にややこしくなると思ったんだ。俺が離れたのはお前のためを思ってだな・・・・・・」

「それは分かってます。でも、僕からしてみれば見捨てられた事に変わりはありません。帰城さんは薄情です」

 海公がプイと顔を背ける。今の言葉を聞くに、理屈では分かっているが、感情では納得できないという感じだろう。それにしても、本当に仕草がいちいち可愛らしい。海公が怒っているというのに、思わず微笑ましい気持ちになってくる。

「という事で、今日は失礼します。帰城さんは1人で帰ってくださいね」

 そんな影人の気持ちを知ってか知らずか、海公は鞄を持って教室から出て行った。

「あ、おい春野。・・・・・・はぁ、取り敢えず明日平謝りするしかねえな。どう考えても悪いのは俺だし」

 まあ、海公もそれほど本気では怒ってはいないだろうし、明日には許してくれるだろう。影人は帰り支度を整えると、教室から出ようとした。

「あ、影人。もう帰るん? だったら、はいこれ」

 そんな影人に魅恋が声を掛けてくる。魅恋は影人に向かって何かを投げて来た。影人は反射的にそれをキャッチした。見てみると、それは赤いパッケージが特徴の有名なチョコ菓子だった。

「っ、これは・・・・・・」

「キットカ◯ト。クラスの男子たち全員に配ろうって感じのやつ。見ての通り義理チョコだけど、ハッピーバレンタイン!」

 魅恋がニカっと笑う。ここで断るのも逆に面倒だ。影人は魅恋に感謝の言葉を述べた。

「ありがとうございます。いただきます」

「うい! ホワイトデーは3倍返しでよろ!」

「努力します」

 魅恋に軽く頭を下げた影人は昇降口で靴を履き替え外に出た。

「義理チョコね・・・・・・いったいどこの誰が最初にそんな事を言い出したんだろうな」

 魅恋から貰った菓子の封を切り口に放り込む。サクサクとした食感とチョコの甘さが口の中に広がる。慣れ親しんだ味だが美味い。今日は朝食を除いて甘い物しか食べてないが、まあたまにはそんな日もあるだろう。

「3倍返しか。キットカ◯ト1個の値段って何円だ? それの3倍・・・・・・面倒くさいしブラックサ◯ダーでいいか」

 異性との関わり方が頭パッパラパー廻◯奇譚の前髪野郎は、ホワイトデーの魅恋へのお返しに黒い稲妻がトレードマークのお菓子を思い浮かべる。そして、影人は風洛高校の正門を出た。

「あ、出て来た。おーい、帰城くん!」

 正門を出た所で影人は呼び止められた。影人が声の方向に顔を向ける。すると、そこには4人の少女たちがいた。その内の1人、朝宮陽華が影人に向かって手を振っている。

「・・・・・・」

 影人は陽華たちを無視し、そのまま帰ろうとした。だが、陽華たちは影人の行手を遮るように立ち塞がる。

「帰城くん! お願いだから無視はやめて!」

「バレンタインに女子に呼び止められても無視するなんて、本当ブレないわね」

「人としてなっていませんね。ああ、すみません。あなたは人ではありませんでしたね」

「本当、君は終わってるな。これで何回目かなそう思うのは。いい加減学んだら?」

 陽華、明夜、イズ、暁理が影人にそう言ってくる。影人は大きくため息を吐いた。

「はぁ・・・・・・あのな、この面子に待ち伏せされてたら面倒事は確定なんだよ。そして、俺は面倒事はごめんだ。という事でどけ」

「悪いけど、それは出来ないわ。私たち、あなたをように頼まれているから」

「連れて来るように言われた? どこに? 誰にだ?」

「それは行ってみてからのお楽しみ。それに朝言ったでしょ。いい物をあげるって。着いてきてくれたらそれをプレゼントするわよ」

 明夜がパチリとウインクする。見た目だけはクール系美少女の明夜のウインクはそれなりに破壊力があったが、しかし前髪野郎には効力がなかった。

「・・・・・・断る。怪しい話には乗らないようにするのが俺のスタンス――」

「ごちゃごちゃうるさい! いいから君は僕たちに着いて来い! じゃないとここである事ない事言いふらすよ! 例えば、君が実は女たらしだとか、香乃宮くんと付き合ってるとか!」

「着いてこないようであれば実力行使も認められています。アオンゼウの器は機能が制限されていますが、それでも普通の人間をどうこうする事は訳ありません。無理やり連れて行かれるか、諦めて着いて来るか。私としては後者を勧めますがどうしますか?」

「おいちょっと待て! 女たらし云々も文句を言いたいが、後半お前何て言った暁理!? 名誉毀損なんてレベルじゃねえぞ!? というか、それ普通に香乃宮に対してもあまりにも失礼だろ!? あとイズ! お前もサラッと恐ろしい事を言うんじゃねえよ!?」

 影人が悲鳴を上げる。何て恐ろしい脅し文句だ。影人は同性愛者ではないし、恐らく光司も違うだろう。影人は光司のためにも、自分のためにも脅しに屈した。

「分かった、分かったよ! どこへなりとも連れてけ!」

「最初からそう言えばいいものを。では、行きますよ」

 イズがそう言い、陽華、明夜、暁理たちと共に歩き始める。影人は渋々4人の後に続いた。

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