第466話 零と無(2)

「っ、これは・・・・・・」

 影人の全身から噴き出した、薄い水色と白色と透明色の混じったモヤのようなもの。それは濃密な零の力だった。零の力と実質的に同じ無の力を扱う零無には鋭敏にその事が感じられた。

「あら、どうやらここからが本当の戦いといったところかしら。ふふっ、いいわね。面白そう」

「・・・・・・この身に本能というものはありませんが、理解できます。あの力こそが、この魔機神の身を滅ぼす事の出来る力だと」

 シェルディアと零無も影人から噴き出す力に注目する。数秒後、影人の体から噴き出していた零の力が収まると、そこには姿が変化した影人が在った。

「・・・・・・さあ、ここからが本番だ」

 零の力を最大解放した影人の特徴的な変化点は主に2つ。まずはその髪色だろう。影人の髪色は全て零無と同じ無色に変化していた。次に影人の右の瞳。右目自体は駆動ドライブの『零天ゼロ』状態と変わらない、瞳に白い紋様が刻まれたものだ。

 しかし、今の影人の右目には、あの薄い水色と白色と透明色の混じったモヤのようなものが、炎のように揺らめいていた。

「・・・・・・なるほど。確かにそうらしいね。さっきとは比べ物にならないほどに力の純度が上がっている。素直に驚いたよ。吾の『無』の力とほとんど遜色がない。その力なら世界の理にも干渉できるだろう。正しく、お前は吾と同じステージに至った。だが・・・・・・」

 零無は最大解放した零の力とそれを扱う影人を認めつつも、含みのある笑みを浮かべた。

「無を扱う経験は断然に吾の方が上だ。そこには明確な差がある。今のお前と吾の状況を例えると、名刀を握っている素人と、同じく名刀を握っている達人といった感じだろうね。ここには大きな差があるよ。それに・・・・・・」

「ごちゃごちゃとうるせえよ」

 影人が零無の言葉を遮る。次の瞬間、影人は零無の超至近距離にいた。超スピードだとかそんなものではない。まるで、最新から影人はそこにいた。それくらいの印象であった。

「っ・・・・・・」

「ふっ・・・・・・!」

 軽く驚く零無に影人は先ほどと同じく蹴りを放つ。零無はこれまた先ほどと同じく、影人の蹴りが触れた瞬間に蹴りの威力を無くした。しかし、どういうわけか蹴りの威力は無くならず、零無の横腹に響いた。

「ぐっ!?」

 ベキリという嫌な音が零無の耳を打ち、零無は痛みと共に蹴り飛ばされ、地面を転がった。

「・・・・・・戦おうって言ったのはお前だぜ。言っとくが、俺はいざとなったら心を切り離せる。知り合いだろうが何だろうが、死ななきゃ攻撃できるぜ。まあ、お前の場合は心を切り離す必要もなく攻撃できるがな」

 零無を蹴り飛ばした影人は酷薄に笑った。こういった面に関して言えば、帰城影人は既に壊れているし、それが修復される事もない。そこに、帰城影人の恐ろしさがあるのだ。

 そして、影人は自分の家族の仲を引き裂いた零無を許したわけではない。普段は零無に対する怒りも恨みも表面には出さないが、影人の中からそれらが消えたわけではない。影人の奥底には未だに零無に対する昏い感情が燃えているのだ。

「は、はは・・・・・・嬉しい、ね。つまり、吾は特別・・・・・・というわけだ・・・・・・」

 影人に蹴り飛ばされた零無は苦しげにそう言うと、蹴りを受けた箇所に自身の手で触れた。そして、無の力でいま受けた損傷を無くした。完全に回復した零無は何事もなかったかのように立ち上がった。

「お前が吾に与えてくれた痛みをもう少し感じていたかったが・・・・・・一応、戦いだからね。さて、今のお前の一撃で分かった事がある。影人、お前全身に常に無の力を纏っているね。その無の力が吾の無の力を打ち消し、結果蹴りという物理的現象が吾に届いたいうわけだ」

 零無は自身が蹴りのダメージを受けた理由を、たった1度の攻撃で理解した。影人は零無の指摘が正しい事を示すかのように、小さく口角を上げる。

「ああ。その通りだ。今の俺の拳は無を使うお前に届く。お前の無は俺の零と相殺される。分かるか? 無の力しか扱えないお前は、今の俺からすれば一般人と大差ない。そして、俺は零の力以外にも色々と扱えるぜ。残りは少ないが、スプリガンとしての力、『終焉』。・・・・・・ぶっちゃけると、もう勝負はついてるが、もうしばらくはお前をボコらせてもらうか」

「ふふっ、いいね。いいよ、影人。そういうお前もゾクゾクする」

 零無は一瞬どこか興奮した顔になった。しかし、すぐさまその顔色は変わった。零無の本来の在り方、すなわち超常存在としての超然とした表情に。

「お前の気持ちは分からなくもないし、今お前が言った事も間違ってはいない。有利不利の観点から言えば、間違いなくお前が有利で吾が不利だろう。それ程までに今のお前は破格だ。まさか、全身に常に無を纏うとはね。吾でもそれは難しい。下手をすれば、吾自身が無に飲まれかねないからね。無を常に纏うという事は、それ程までに離れ業なんだよ。無を操り、無を纏う今のお前はまさに一種の究極。それに加えて、他の力も併用できるというのだから、吾を以てしてももはや笑うしかない」

「何だ、敗北宣言か?」

「そう聞こえるだろうね。でも、違うよ。これはただの事実確認だ。影人、吾は既に究極に思えるお前の弱点を1つ見つけている。こういう言い方をするのは初めてだが・・・・・・吾の逆転劇をお前に見せよう」

「はっ・・・・・・面白え。なら、見せてみろよ!」

 影人は残り少ないスプリガンとしての力を使い、闇色の剣を創造した。そして、その剣に零の力を混ぜる。薄い水色と白色と透明色の混じった――さしずめ、零の色といったところか――モヤのような剣に纏われる。影人は闇と零が混じった剣を零無に向かって投擲した。その際、剣と零無の間にある距離を無くす。結果、剣は影人の手を離れた瞬間零無の胸元に突き刺さった。

「がっ・・・・・・」

「お前は不死だ。で、損傷も治せるとくればどんな攻撃も出来るよな・・・・・・!」

 影人は零の力を使わず、スプリガンの身体能力のみを使って零無に接近すると、零無に突き刺さっている剣の柄頭目掛けて、左腕で肘打ちを行った。影人の肘打ちに押された剣はより深く零無の体に突き刺さる。

「〜っ!?」

「ははっ、まだまだ!」

 痛みに顔を歪める零無に影人は残虐な笑みを返す。1度は影人の奥底に仕舞われていた、零無に対する憎悪と怒りといった昏い感情がいよいよ表面へと出てきたのだ。そして、その昏い感情は闇の力を増幅させるエネルギー。影人はそのまま、零無に殴打の嵐を浴びせた。

『うーん、中々複雑な気分だな。本体がボコボコに殴られているのは。まあでも、影人には吾をボコる権利はあるし・・・・・・それに、本体は吾であっても吾ではない。うん。やはり、応援すべきは本体ではなく愛しい影人だな。頑張れ影人。本体なんてぶっ飛ばせ!』

 影人の中からその光景を見ていた零無の分体は、影人には聞こえない声援を送った。分体といえども零無は零無。影人への愛は本体に決して遅れを取るものではないのである。

『いいですよご主人様! 優しさだけではなく内に秘めたその苛烈さ! ゾクゾクしてしまいます! さあさあさあ、私をバカにしたこの生意気な神をもっともっとボコボコにしてやりましょう!』

「誰かが殴られて笑うような下品な趣味はないのだけれど・・・・・・ふふっ、あの傲岸不遜を絵に描いたような零無が殴られているのは、どうしても笑ってしまうわね。いい気味だわ」

「あなたがそれを言いますか・・・・・・」

「戦いだと分かっていますが、私はどうしても零無さんが可哀想に感じてしまいますね・・・・・・」

 零無の分体と同じく影人の内にいるナナシレ、観戦者であるシェルディア、イズ、キトナがそんな感想を述べる。影人は内に響くナナシレの声に更に昏い感情を駆り立てられ、右腕に闇を纏わせた。闇と零が混じり合った拳が零無の顔面へと放たれる。その拳を受けた零無は大きく後方に吹き飛ばされた。

「ぶっ!?」

「ははははははっ!」

 影人は哄笑を上げ、零無を追撃せんと地を蹴る。溢れ出した昏い感情の心地よさに身を任せた影人は、闇と零を混ぜた黒い球体を創造すると、サッカーボールのようにそれを蹴った。蹴られた球は吹き飛ばされている零無の腹部に吸い込まれるように命中した。零無は「がっ・・・・・・」と声を漏らし、遥か彼方まで飛ばされる。

「まだまだまだまだ!」

 影人は『加速』の力を使い、吹き飛ばされている零無を一瞬で追い越した。そして、影人はタイミングを見計らい零無の背に昇拳を見舞う。ベキリと背骨の折れる音と共に零無は星舞う夜空へと打ち上がる。同時に、影人も地を蹴り零無よりも上空へと昇ると、くるりと空中で一回転し零無の肩に背部から踵落としを放った。零無は一瞬で地面に向かって逆行する事になり、地面に激突した。

「おいおい、どうした。逆転劇を見せてくれるんじゃなかったのか? ボロ雑巾みたいに転がってるが、もう終わりかよ?」

 地面に降り立った影人は無色の髪を揺らし、ぐちゃぐちゃになっている零無を見下した。零無は少しの間何の反応も示さなかった。やがて体の輪郭がぼやける。そうかと思うと、零無は何の損傷もない状態でその場に立っていた。無の力で1度肉体を消し、肉体を再構成したのだろう。新たに構成された肉体は先程の肉体とは別物だ。結果、損傷が綺麗さっぱりに消えたというカラクリだろう。

「いやいや、まだまださ」

「はっ、そうこなくちゃな」

 涼しい顔を浮かべる零無に対し、影人も小さく口角を上げた。

「で、実際問題どう逆転してくれるんだ。例え、無の力で世界の理を変えたとしても、変わった理は俺には効かない。まあ、無の力を経由した全てが俺には効かないがな」

「ふふっ、それは今からのお楽しみさ」

 零無がパンと軽く手を合わせる。すると、フッとその場から零無の姿が掻き消えた。影人はすぐに理解した。それが無の力を使った擬似的な瞬間移動だと。となれば、零無はどこかにいるはずだ。影人は周囲に視線を巡らせた。

「『無』の力よ。無限の剣がないという事実を無くせ」

 どこからかそんな声が響く。影人が声の聞こえた方向に顔を向ける。声が聞こえた方向は上からだった。

「『無』の力よ。剣が吾の意のままに操れぬという事実を無くせ」

 影人が顔を上空に向けると、綺羅星の輝きに反射するかのように無数の銀の光が見えた。それは夥しい数の剣の群れであった。零無が続けてそう言葉を唱えると、剣の群れは銀光の流星群となって影人に降り注いだ。ちなみに、零無が上空に浮いているのも無の力を使って、飛べないという事実を無くしているからだった。

「はっ、そんな物が効くかよ」

 しかし、影人は全く恐れる様子もなく飛び上がると、逆に剣の群れに突っ込んだ。零を纏う影人に触れた瞬間、剣は無へと還る。身に纏われた零の力は『終焉』と同じ、究極の盾でもあった。

「ああ、知っているとも」

 空を駆け肉薄してくる影人に対し零無がそう呟く。影人が零無に近づいた瞬間、再び零無の姿が掻き消える。今度はどこに消えたと影人が視線を動かす。

 すると、今度は地上の方から、

「『無』の力よ。吾がこの『世界』の権能を扱えないという事実を無くせ」

 そんな声が響いた。影人が視線を地上に向けた瞬間、影人の背部に向かって空に輝く無数の星が落ちた。しかし、零を纏う影人に星による攻撃は意味を持たなかった。先ほどの剣と同様、星は影人に触れた瞬間に消えたからだ。

「・・・・・・マジかよ。嬢ちゃんの『世界』の権能まで使えるのか。本当に何でもありだな、無だとか零とかは」

「ふむ。想像通りの光景だね。さて、あと残っているこの『世界』の権能は・・・・・・」

 知識として無または零の力がどれだけ常識知らずな力か知りながらも、影人は驚きの言葉を口にせずにはいられなかった。一方の零無は無の力でシェルディアの『世界』の権能についての知識を知らないという事実を無くし、次にどのような権能を使おうかと吟味していた。

「・・・・・・って事は俺にも出来るって事だよな。嬢ちゃん。悪いが俺も使わせてもらうぜ」

 影人は零の力を使い、自身もシェルディアの『世界』の権能を使用できるようにした。影人も意趣返しに零無に向かって星を降らせた。しかし、零無は先ほどからやっているように無の力で星の攻撃を無効化した。

「・・・・・・冗談のような光景ね。私の『世界』の力が誰かに使われているなんて。しかも、それも2人に。無、零・・・・・・どんな絵空事でも現実にしてしまう力といったところかしら。恐ろしい、といった言葉では言い表せないわね」

 『世界』の顕現者であるシェルディアがそんな感想を抱いている間にも、影人と零無の攻防は続いている。零無は死者を複数呼び出し影人に攻撃を仕掛けるが、影人は星を降らせて死者を攻撃した。

「やっぱり、俺の肉体による攻撃か零を混ぜた攻撃しか意味はないな・・・・・・」

 この攻防が無駄である事を悟った影人は、自身と零無の間の距離を無くした。

「皮肉だよな。強過ぎる力と強過ぎる力が行き着く先は・・・・・・結局、接近戦こいつだ!」

 影人が零無に向かって拳を放つ。例え、天地を揺るがし、世界の理を塗り替える戦いを行ったとしても、互いにダメージを与えられないなら意味はない。影人は『加速』した拳を振り抜き、零無の顔面を拳で穿った。

「だろうね。分かっていたよ」

 零無が超然とした笑みを浮かべる。しかし、次の瞬間には影人に殴られた零無の笑みは歪み――

「っ・・・・・・!?」

 ――はしなかった。影人の拳が零無の頬に触れた瞬間、零無の姿は溶けるように消え去った。

「――なにせ、吾も同じ事を考えていたからね」

 同時に、背後からそんな声が聞こえてきた。影人が振り返った瞬間、白い手が伸びて来た。その手が影人の体に触れる。

 そして、影人の体に手が触れた箇所を起点として、凄まじい無色の光が瞬いた。

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