第462話 兄と妹(2)

「スプ・・・・・・リガン? え、何で・・・・・・だって、今そこにいたのは・・・・・・それに穂乃影って、その声って・・・・・・」

 突然現れたスプリガン。そんなスプリガンを至近距離から見つめながら、穂乃影は混乱したようにそう言葉を漏らした。

「・・・・・・お前が混乱するのも分かる。でも、今はあいつをどうにかする方が先だ」

 影人は穂乃影にそう言うと、そっと穂乃影を離した。そして、スッとその金の瞳を竜の亡骸の如き怪物に向けた。

「さて・・・・・・悪いが、お前にはすぐにご退場願うぜ。妹と話さなきゃならない事があるんでな」

「・・・・・・!」

 影人の言葉に反応するように、怪物が体を回転させ、骨の尾で影人を攻撃してきた。尾による叩きつけを受ければ、今の影人とてそれなりのダメージは受けるだろう。

「・・・・・・その程度の攻撃で俺をどうにか出来るかよ」

 しかし、それは受ければの話だ。この程度の攻撃、スプリガンである影人ならばどうとでも出来る。影人は左足に『破壊』の闇を纏わせると、怪物の尾にカウンターの蹴りを浴びせた。『破壊』の闇は文字通り全てを破壊する力。結果、影人の蹴りを受けた怪物の尾に黒いヒビが広がっていき、怪物の尾は砕かれた。

「・・・・・・!?」

「・・・・・・妹の前だ。格好つけさせてもらうぜ」

 影人は闇色の双剣を創造した。そして双剣を携え地を蹴る。影人はまず怪物の足の骨に向かって双剣を振るった。双剣を創造する際、通常よりも多く力を使って創造したので、武器のスペックはかなり上がっている。双剣は黒く閃き、怪物の足の骨を切断した。結果、2本ある内の1本の足を失った怪物は、バランスを崩した。

「ふっ・・・・・・!」

 影人は怪物の体を踏み台に跳躍すると、怪物の背から生えている骨の両翼を切断した。そして、影人は続けて、持っていた双剣を怪物の頭部と胴体に向かって投擲した。2つの剣が怪物の頭部と胴体に突き刺さる。それを確認した影人はパチンと指を弾いた。すると次の瞬間、怪物に刺さっていた2つの剣が爆発した。

「・・・・・・!」

 怪物はしかし爆発を意に介する事はなく、半壊した顔を影人に向けると、再び顎門を開けた。そして、氷のブレスを吐く。影人は空中を蹴り、氷のブレスを回避する。

「・・・・・・芸はそれだけか?」

「・・・・・・!」

 怪物はその身から紫色のオーラを立ち昇らせた。すると、今まで影人が怪物に与えた損傷が完全に回復し、怪物の骨の色が黒色へと変化した。同時に、怪物から放たれる重圧が段違いに強まった。

「っ・・・・・・!?」

「へえ・・・・・・さしずめ第2形態ってところか。ちょっとは出来そうだなお前」

 怪物のプレッシャーを受けた穂乃影は気圧され、影人は特に変わらぬ様子でそう呟く。第2形態となった怪物は、その身に纏う紫のオーラを弾丸のように影人に向かって飛ばして来た。

「ノロい」

 影人は怪物が飛ばして来るオーラを避けながら怪物に接近した。

「・・・・・・!」

 怪物は影人が接近したのを確認すると、影人に骨の右手を向けた。すると次の瞬間、怪物の右手の先に灰色の魔法陣が展開され、影人の体がグッと重くなった。

(っ、これは・・・・・・重力操作か?)

 見れば影人が立っているコンクリートが凹み、ヒビ割れている。影人は思わず地面に片膝をついた。すると、怪物は再び紫色のオーラを弾丸のように、影人に向かって放って来た。影人は重力のせいで回避行動を取る事が出来ず、紫色のオーラをその身に浴びた。瞬間、影人の中に凄まじい怨念が渦巻いた。怨念は内から影人という存在を喰らい尽くそうとした。

「っ・・・・・・なるほどな。お前が身に纏ってるのは怨念か」

 影人は少し苦しそうな顔になりながら、怪物を見上げそう呟いた。怪物が影人に飛ばして来たのも怨念のエネルギーだ。そして、その怨念を対象の中に入れる事で、対象は怨念に支配され、やがて怨念に自我を喰らい尽くされる。そうやって敵を倒す。いわば、一種の精神攻撃だ。

「影・・・・・・スプリガン!」

 未だに混乱している穂乃影は、影人の事をどう呼んでいいか分からず、心配そうな声でスプリガンの名を呼んだ。

「・・・・・・!」

 怪物はチャンスとばかりに影人にどんどんと怨念を送り込んで来る。その度に影人の中の怨念が強まる。影人の自我をどんどん喰らい尽くそうとする。普通の者は巨大な怨念のエネルギーに抗う事など出来るはずなどなく、怨念に自我を喰われるだろう。否、例え人外や強者であろうと、精神が普通である者、精神攻撃に耐性がない者も怨念に支配されるだろう。

「・・・・・・残念だったな。俺にこんな怨念ものは響かねえよ」

 しかし、不幸というべきか、怪物が怨念によって精神攻撃をした相手は普通の者ではない。精神が普通である者ではない。精神攻撃に耐性がない者でもない。よりにもよって、怪物は帰城影人という人間の最も強い部分に、最も捻じ曲がった部分に手を出したのだ。すなわち、帰城影人の心に。

「お前、運がないよ。本当、どうしようもなく運がない」

 影人は『破壊』の力を自身の右手に付与した。結果、影人の身に降りかかっていた重力が破壊される。影人は自分の中で暴れている怨念を意思の力で逆に喰らい尽くした。結果、影人の中の怪物の怨念は消滅した。

『――ふふっ、吾が出るまでもなかったな』

 影人の精神の奥深くから現実世界を見ていた黒い影――零無の分体が口元の白い穴をニイと三日月の形に変える。影人が零無の本体を裁いた後、既に零無の分体がいるこの区域の封印は完全に解かれている。そのため、分体は常に影人を通して現実世界の状況を把握していた。

『馬鹿だねえ。影人に精神攻撃なんて意味がないのに。影人の精神の強さは元より、影人の中には吾がいるんだぜ。怨念如きが、吾がいる影人の精神を侵せるはずがないだろう。さあ、その流入者に身の程を教えてやれ、影人』

 影人の内で零の分体がそう言葉を放つ。影人に分体の声は聞こえない。だが、奇しくも分体が内で放った言葉と同時に影人は反撃を開始した。

「目には目を。歯には歯を。竜・・・・・・かは分からねえが、竜には竜だ」

 影人はスッと右手を水平に伸ばした。すると、影人の体を中心に莫大な闇が吹き荒れた。闇はやがて竜の形に、いや正確には龍の形に変化した。加えて、影人はその龍に自身の影を纏わせた。

「怨念をぶつけて攻撃してくるって事は、お前にも精神はあるんだよな。だったら今度はお前に精神攻撃をしてやるぜ。喜べよ。俺が精神攻撃をするのは多分初めてだ」

 影人は変幻自在のスプリガンの力を使って龍に精神を攻撃する力を付与した。纏わせた影はその攻撃を強化するものだ。影人は酷薄な笑みを怪物に向けた。

「お前の内に俺の精神そのものをぶつけてやる。どっちの精神が強いか勝負と行こうぜ」

「・・・・・・!?」

 影人の笑みを見た怪物が無意識に一歩を引く。怪物の本能が最大限の警鐘を鳴らす。今すぐにこの場から逃げろと。怪物は骨の翼をはためかせ逃走しようとした。

「おい、白けさせるなよ」

 影人は周囲から闇色の鎖を呼び出し、飛び立とうとしている怪物を拘束した。鎖も普段より多量の力を込めて呼び出したので、影闇の鎖には及ばないが、かなりの拘束力がある。結果、怪物がこの場から逃げる事は叶わなかった。

「そらよ」

「!」

 影人は右手を怪物の方に向けた。すると、影人の動きに連動するように、龍が怪物に向かって襲いかかった。龍がガバリと顎門を開ける。奈落の闇を潜ませる口で、龍は怪物の喉元に喰らいついた。

「・・・・・・!?」

 途端、怪物の内に影人の精神が流れ込んで来る。影人の精神と、影人の内に潜む零無の分体は、瞬く間もなく怪物の精神を食らい尽くし蹂躙する。やがて、怪物は元の姿に戻り力無くその場に崩れ落ちた。

「・・・・・・安心しろ。いつかは目を覚ます。まあ、そのいつかがいつかは分からねえがな」

 崩れ落ちた怪物を見つめた影人は、怪物に向かってそんな言葉を送った。すると、少しして怪物が光に包まれ始めた。流入者を元の世界に戻す、ソレイユの送還の光だ。そして、怪物は光に包まれ消えた。同時に空間の亀裂も修復された。亀裂を修復したのはラルバだろう。結果、周囲の風景は元通りのものに戻った。

「・・・・・・解除キャンセル

 影人がそう言葉を唱える。影人の体が黒く光り、影人の姿は元の姿に戻った。

「っ・・・・・・」

 その光景を見た穂乃影は大きく目を見開いた。改めて穂乃影を凄まじい衝撃が襲った。穂乃影にはその光景が、影人がスプリガンであるという光景が信じられなかった。

「・・・・・・お前も取り敢えず変身を解いたらどうだ、穂乃影。もう問題は片付いたからな」

「え、あ・・・・・・うん」

 穂乃影は反射的に頷くと、光導姫としての変身を解除した。穂乃影の姿も通常の姿に戻る。

『影人、やはりあなたでしたか。ありがとうございました。おかげで流入者は戻せました』

「気にするな。たまたま目の前に現れたから対処しただけだ」

 内に響いたソレイユの声に影人はそう返事をした。そして、影人は穂乃影の方に体を向けた。

「・・・・・・少し話すか。きっと、お前には俺に聞きたい事が山ほどあるだろうしな」











「・・・・・・」

「・・・・・・」

 数分後、影人と穂乃影は家の近くの小さな公園のベンチに座っていた。1月なので外にいると肌寒いが、今からする話は出来るだけ周囲に人がいない方がいい。そのため、影人はコンビニのイートインスペースや喫茶店ではなく、静かなこの場所を選んだのだった。

 ちなみに、零無はこの場にはいない。真面目な話をするからと、影人がしばらく離れるように言ったのだ。零無は少し不満そうだったが、流石に空気を読んでか大人しく引き下がった。

「・・・・・・さて、どこから話したもんかな」

 影人が少し悩んだ様子で言葉を漏らす。すると、穂乃影がおずおずといった様子で、こう聞いて来た。

「あの・・・・・・あなたは、いつから知ってたの? 私が光導姫だって。それに、あなたは・・・・・・あなたはやっぱり、スプリガン・・・・・・なんだよね?」

「・・・・・・ああ、そうだ。俺がスプリガンだ」

 未だに混乱しているのだろう。改めてそんな確認をしてきた穂乃影に、影人はゆっくりと頷いた。

「だよ・・・・・・ね。やっぱり、そうだよね・・・・・・だって、目の前でスプリガンに変身してたし・・・・・・」

 穂乃影はその事実を咀嚼し何とか消化しようとする。だが、影人がスプリガンだと認める言葉を聞き、確かな証拠も見たのに、穂乃影はまだ影人がスプリガンだと思えなかった。

「・・・・・・お前の気持ちは分かるよ。そう簡単には信じられないよな。俺もお前が光導姫だって知った時は信じられなかったよ」

 影人は穂乃影の気持ちに理解を示すと、こう言葉を続けた。 

「・・・・・・まずはさっきの質問、お前が光導姫だと俺が知ったのはいつか、から答えるか。そうだな。大体去年の夏頃だ。スプリガンとして暗躍する内に、お前のバイトに少し疑念を覚えてな。それで、悪いが1回お前の跡をつけた。そして・・・・・・って感じだ」

「去年の夏・・・・・・それって、確かスプリガンが、あなたが私の前に現れた頃・・・・・・だよね」

 穂乃影がスプリガンと初めて接触した時の事を思い出す。影人は穂乃影の言葉に頷いた。

「ああ。・・・・・・あの時は悪かったな穂乃影。お前を怖らがせて。お前がどうして光導姫なんて危険な仕事をしているのか・・・・・・どうしても知りたかったんだ」

「・・・・・・そうだったんだ」

 影人の言葉を聞いた穂乃影は納得の言葉を漏らした。そして、穂乃影は思い切った様子で影人の方に顔を向けた。

「・・・・・・教えて。今までの事を全部」

「・・・・・・分かった」

 ただ一言、穂乃影は影人にそう言葉を述べる。影人は頷くと、自分がスプリガンになった時から今日に至るまであった出来事を全て穂乃影に話した。言いたくはなかったが、もちろん零無の事も。

「・・・・・・」

 影人が全てを話す頃には辺りはすっかり暗くなっていた。影人の話を聞き終えた穂乃影は、しばらくの間口をつぐんだ。その様子は、影人の話を何とか消化しようとしているようだった。

「・・・・・・あなたはずっとそんな大きなものを1人で抱えて来たの?」

 5分か10分くらい経った頃だろうか。穂乃影はポツリとそう言った。

「・・・・・・別に1人でって感覚はないんだけどな。今や俺がスプリガンだって知ってる奴は随分と増えた。それに、1人だったら俺は今ここにはいない。俺はいろんな奴に助けられて今ここにいるんだ」

「・・・・・・違う。そんな事を聞いてるんじゃない。あなたは・・・・・・あなたは、影兄は・・・・・・!」

 穂乃影はバッと両手で影人の肩を掴んだ。穂乃影はギュと影人の肩を掴みながら、その目に涙を滲ませた。

「何で、何で影兄がそんな目に遭わなきゃいけないの! おかしいよ。おかしいよ! ううっ、ううっ・・・・・・!」

「穂乃影・・・・・・」

 穂乃影は泣いていた。影人のために泣いていた。影人は震える穂乃影の体をそっと抱きしめた。

「ありがとな。ありがとな穂乃影。俺のために泣いてくれて。お前は本当に優しい子だな。俺はお前のその気持ちが何よりも嬉しいよ」

「ううっ、違う。違うもん・・・・・・! 誰があなたのためになんか・・・・・・ううっ」

「ははっ、そうか。そりゃ悪かったな」

 恥ずかしさからだろう。影人の言葉を否定する穂乃影に、影人は軽く笑った。成長してすっかり大人っぽくなったのに、こういうところはまだ子供っぽいなと影人は思った。

「なあ、穂乃影。お前にはまだまだ俺に言いたい事もあるだろう。聞きたい事もあるだろう。でも、俺もお前に言いたい事があるんだ」

「・・・・・・なに?」

 穂乃影が顔を上げ、涙で潤んだ瞳を影人に向ける。影人は優しい笑みを浮かべると、ずっと穂乃影に言いたかった言葉を放った。

「穂乃影、お前がどう思っていようと俺は、帰城影人はお前の兄だ。そして、帰城日奈美はお前の母で、帰城影仁はお前の父だ。血の繋がりはなくても、俺たちは間違いなくお前の家族だ」

「っ・・・・・・」

 その言葉は真っ直ぐに穂乃影の中へと突き刺さった。そして、突き刺さった箇所からじわりと何かが滲み出してくる。それは、暖かさや嬉しさや優しさが混じり合ったような心地のよいものだった。穂乃影の目から再び涙が溢れる。

 しかし、それは先ほど流した悲しみやどうしもようもなさから来る涙とは違う。嬉しさと感動から来る、いわば感涙だった。影人の言葉は、穂乃影が心の奥底でずっと望んでいた言葉だった。

「うん・・・・・・うん! 私は影兄の妹・・・・・・お母さんとお父さんの娘・・・・・・それで、それでいいんだね。私は家族でいいんだよね・・・・・・!」

「当たり前だ。母さんと父さんもそう言うに決まってるだろ」

 泣き笑う穂乃影に影人も笑い返す。影人は立ち上がると、穂乃影に右手を向けた。

「さて、じゃあそろそろ帰るか。俺たちの家に」

「うん・・・・・・」

 涙を拭った穂乃影は影人の手を取り立ち上がった。そして、影人と穂乃影は公園を出た。

「すっかり遅くなっちまったな。穂乃影、手寒いだろ。久しぶりに手を繋ごうぜ」

「え、それは嫌・・・・・・」

「え!? な、何でだよ? 今の流れなら手を繋ぐだろ! さっきの感動はどこに行った!?」

「え、そんなものはないけど・・・・・・」

「嘘だろおい!?」

 急にいつもと同じ冷めた様子に戻った穂乃影に、影人は信じられないといった顔でそうツッコんだ。

「・・・・・・ふふっ」

「・・・・・・はっ」

 穂乃影が小さく笑う。そんな穂乃影を見て影人も口角を上げる。兄と妹は隣に並びながら、自分たちが帰る家に向かって歩き始めた。

 そして、そんな2人を月が優しく照らした。

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