第460話 ヤンデレ幽霊の帰還

「――影人ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 年が明けた1月2日の昼過ぎ。影人が近くの寂れた神社に初詣に行った帰り道で、突然そんな声と共に女性が影人に突撃してきた。影人は避ける事が出来ず、その女性に抱きつかれた。

「うおっ!? なっ、零無!?」

「影人、影人、影人、影人、影人! 会いたかった! 会いたかったよ!」

 影人に抱きついて来た女性は零無だった。零無は感無量といった様子で、影人を強く強く抱きしめた。

「ああ、お前だ。お前の匂いだ。お前の体温だ。温かい。ずっとずっとこうしていたいな。はあ、影人・・・・・・」

 影人の首筋に零無の生温かい息が掛かる。影人はゾッと鳥肌が立った。

「気色悪い吐息を漏らすな! 離れろ! というか、お前帰って来たのかよ・・・・・・! あと、なんでお前当然のように俺に触れてるんだよ!? お前、力を全部シトュウさんに返してないのか!?」

 影人は無理やり零無を引き剥がした。そして、零無にそう疑問をぶつける。影人が零無と決着をつけて以来、零無はずっと幽霊としてこの世界に存在していた。無力な存在としてこの世界に存在する。それが、影人が零無に下した罰だった。

 だが、フェルフィズが影人たちが住むこの世界と、この世界に隣接するあちら側の世界の境界を壊した。シトュウは境界の崩壊を止めるため、一時的に零無に『空』の力の半分を譲渡した。

 フェルフィズとの最終決戦の結果、境界の崩壊は防がれた。しかし、あくまで崩壊が防がれただけだ。境界は不安定なままだった。零無はその境界を安定させるために、しばらくの間この地上世界から消えていたのだ。その零無が帰って来たという事は、境界が最低限安定したという事だろう。

 だがその場合、零無が肉体を得たままこの世界にいるという事は――それはまだ零無が『空』の力を持ったままである事を示している――おかしいのだ。零無は今でこそ危険度は多少低くなったが、危険な者である事に変わりはない。シトュウが零無に力を預けたまま地上に帰すのはあり得ない、とまでは言わないが極めて可能性が低い。影人は自然と緊張していた。

「――いいえ、確かに零無に譲渡していた『空』の力は全て返してもらいましたよ」

 すると、影人の後方からそんな声が響いて来た。

「っ、シトュウさん・・・・・・」

 影人が振り返ると、そこにはシトュウがいた。シトュウは紫色の着物のような服を着ており、を影人に向けていた。

「何だお前も来たのかシトュウ。せっかくの吾と影人の感動の再会に水を差しやがって・・・・・・」

「興奮したあなたが何をするか分かりませんからね。目付けの役は必要でしょう」

 ギロリと零無はシトュウを睨んだ。シトュウは平然とした様子で零無にそう言葉を返す。

「シトュウさん、今の言葉は本当か? 零無の『空』の力は返却済みっていう・・・・・・じゃあ、何で零無に実体があるんだ?」

「それは・・・・・・」

 影人の疑問を受けたシトュウが視線を零無に向ける。零無はドヤ顔で胸を張った。

「ふふん、もちろんお前には教えてあげるとも影人。吾の想いが起こした奇跡の物語をな」

「奇跡の物語・・・・・・?」

「・・・・・・場所を変えましょう。路上で話すには多少長い話になるでしょうから」

「あ、ああ」

 首を傾げた影人にシトュウはそう提案して来た。影人は取り敢えずシトュウの言葉に頷いた。影人たちはその場から移動した。










「ふむ。ここでいいでしょう」

 約10分後。影人たちは小さな広場にいた。そして、その広場にベンチを見つけたシトュウはそう言うと、ベンチに腰を下ろした。影人と零無もシトュウに続きベンチに座った。並びはシトュウ、影人、零無という順だった。

「はあ〜、影人、影人・・・・・・好き。大好き♡」

「だからくっつくな! 鬱陶しいんだよ! マジで離れろって!」

 コアラのように影人の左腕に抱きついて来る零無に、影人が抗議の声を上げる。零無はここに来る道中もずっと抱きついて来た。そのため、無駄に注目を集めてしまった。肉体を得ているという事は一般人も零無の姿を確認できるという事だ。零無の容姿は主にその凄絶なまでの美しさが原因で人目を引く。しかも、そんな尋常ならざる美女が抱きついている相手が、前髪に顔の上半分を支配されている見た目ザ・陰キャなのだから、余計に目立つというものだ。

「・・・・・・これがかつての『空』だというのだから嘆かわしいですね」

 シトュウは零無をこれ呼ばわりしながら呆れた様子でそう呟いた。普通なら、零無はシトュウのこれ呼ばわりに怒りを露わにするだろう。零無は影人以外には基本、天上天下唯我独尊的だ。当然、シトュウも例外ではない。しかし、今の零無は久しぶりの影人を堪能すること以外頭にないようで、シトュウの言葉には特に反応しなかった。

「くそっ、こいつマジで全然離れねえ・・・・・・何か力でも使ってんのか・・・・・・? はあー・・・・・・おい、零無。もうしばらくそのままでいいから、さっさと話をしろ。奇跡の物語ってのは何だ」

 影人は無理やり零無を引き剥がそうとしたが、零無は凄まじい力で影人に抱きつき、影人から離れなかった。零無を引っぺがす事を諦めた影人は、死んだ顔で零無にそう促した。

「うん。いいよ。そうだな、どこから話そうか・・・・・・」

 零無は蕩けるような声でそう言うと、話を始めた。

「吾は一刻も早くお前の元に戻るべく、直接境界に行き修復作業を行っていたんだ。『空の間』から修復作業をするのと、直接境界で修復作業をするのとでは作業効率が違うからね」

「ああ、それはいつかシトュウさんから聞いた」

「む、そうか。それはつまり、吾が境界に行って頑張っている間にシトュウと話をした、もといイチャついていたというわけだな。ふーん、そうかそうか。それは許せない。許せないなぁ・・・・・・」

「今の言葉をどう聞けばそんな解釈になるんだよ・・・・・・いいから話を続けろ」

 急にヤンデレの気配を発した零無に、影人は少しの恐怖心と面倒くささを感じた。影人にそう言われた零無は「分かったよ。でも、後で詳しく聞かせてくれよ」と少し不満そうな顔を浮かべた。

「吾が境界でずっと修復作業をしていると、ある時境界に大きな乱れのようなものが発生した。まあ、崩壊していないといっても境界は不安定だからね。薄い接着剤で割れた破片をくっつけているような状態だった。つまり、いつ何が起きてもおかしくはないんだよ。吾はその乱れを治めようとした。しかし、この乱れが思っていたよりも強くてね。吾でもギリギリ治める事は出来なかったんだ。結果、吾はその乱れに巻き込まれ、異なる場所へと飛ばされてしまった」

「異なる場所・・・・・・? というか、『空』の力を持ってたお前でもどうにか出来なかった境界の乱れって何なんだよ・・・・・・」

「境界で起こる乱れは、いわば世界の流れの乱れですからね。境界は異なる世界を隔てる場所であり、世界と世界の流れや情報がぶつかり合う場です。本来ならば境界がそのフィルターの役目を果たすのですが、彼の忌神のせいで境界は不安定になりましたからね。巨大な乱れが吹き荒れたのでしょう。そして、その乱れは『空』の半分の力があっても治める事は難しいのです」

 影人の呟きを聞いたシトュウがそう説明した。ちなみに零無は乱れを治める事は出来なかったが、それでも勢いはかなり削いだらしい。そのため、この世界とあちら側の世界に大した影響はなかったとシトュウは補足した。

「吾が飛ばされた場所は一言で言えば、『虚無の闇辺』と同じような場所だよ。世界と世界の狭間、その深層にある空間・・・・・・『虚無の闇辺』は世界から消えた全ての存在が辿り着く場所だが、吾が飛ばされた場所はそれよりも深い場所だった。ただただ静謐な真の暗闇。そこにあったのはそれだけだ」

「・・・・・・それがお前が実体を得た話とどう繋がるんだ?」

 影人が核心に迫る質問を投げかける。零無は至近距離から、その透明の瞳で影人の顔を見つめた。

「ふふっ、そう急くなよ。今からそれを話すところさ。吾が飛ばされた場所は、『虚無の闇辺』と同じように虚無の力が満ちていた。だが、その虚無は全てを無に還すような性質ではなかったんだ。ただそこにあるだけの『無』とでも言えばいいかな。より純度の高い『無』の力は、徒に全てを無に還すわけではないという事だね」

「? お、おう・・・・・・」

 正直、零無が何を言っているのか影人にはよく分からなかったが、突っ込んでも長くなるだけだと思った影人は、取り敢えず分かった風に頷いた。

「『無』の力と親和性がある吾にとって、その場所は居心地がよかった。吾はしばらくの間そこにいた。時間の概念がなかったから、実際にどれだけいたかは分からないがね。その結果、というべきかな。吾の中に力が宿った。純粋なる『無』の力が。この『無』の力は『空』の力を必要としない。今の吾はその純粋なる『無』の力で、肉体がないという事実を無くしたのさ。肉体がない事実が無いという事は、裏返って肉体があるという事だ。とまあ、吾が肉体を得た経緯はそんな感じだね」

 零無が説明を終える。説明を聞き終えた影人はしばらくの間、零無の話を消化した。

「・・・・・・つまり、何やかんやあって『空』の力とは違う力を手に入れたってわけか。で、その力で肉体を得たと」

「うん。平たく言えばそういう事だよ。もちろん、『無』の力はそれ以外にも応用が効く。そして、吾ほど上手く『無』の力を扱える者もいない。いやあ、いい拾い物をしたよ」

 零無が機嫌が良さそうに頷く。状況を理解した影人は軽く頭を抱え、シトュウにこう聞いた。

「・・・・・・シトュウさん。2つほど質問だ。まず1つ目だが、結局、境界は安定したのか?」

「一応、修復作業は終わりましたが、完全に安定したとは言えませんね。やはり、あと数年は流入者の問題があるでしょう。しかし、それ以外の問題は起こらないと考えます」

「そうなのか・・・・・・じゃあ2つ目。この状態の零無を野放しにしておいていいのか? 零無の存在が許されてたのは、あくまで何も出来ない無力な存在っていう理由が大きいと思うんだが。・・・・・・少なくとも、こいつに裁きを下した俺は結構というか、かなりヤバい状況だと思ってるんだけどよ」

 影人は前髪の下の目を自分の腕に引っ付いている零無に向けた。今は満面の笑みを浮かべ、借りて来た猫のようにおとなしいが、零無がいつまた厄介事を起こすか分からない。影人の懸念にシトュウは小さく頷いた。

「あなたの懸念は尤もです。あなたも言ったように、零無の存在が許されていたのはあくまで無力な存在だからです。それはもちろん、零無自身も理解している事でした。だから、私は零無から『空』の力を全て返却してもらい、十全なる『空』の力で零無が得た力を制限、または消滅させようとした。しかし・・・・・・」

 シトュウはそこで一旦言葉を区切ると、難しい顔になった。

「零無の得た力は制限する事も消滅させる事も出来ませんでした」

「『無』の力をどうこうするなど土台無理な話だよ。無を縛る事も消滅させる事も出来はしない。無とはそういうものだ。しかも、いま吾に宿っている『無』の力は『空』の力由来のものではない。純粋な無だ。だから、余計にね。それでも、もしかすれば、十全なる『空』の力ならばその『無』の力をどうにか出来るかと思ったが・・・・・・結果は今シトュウが言った通りだよ」

 シトュウの言葉に零無がそうコメントする。影人は「マジかよ・・・・・・」と思わず天を仰いだ。

「・・・・・・おい零無。お前、自分からその力を放棄出来ないのか?」

「出来たらとっくにやっているよ。吾だって自分の立場は理解している。ただの無力な幽霊である方が色々と楽だからね。でも、『無』の力は吾と親和性が高すぎる。無理やりこの力を引き剥がす事は極めて難しいんだよ」

「厄介極まりねえな・・・・・・」

 零無の答えを聞いた影人は辟易とした様子でそう言葉を漏らした。そんな影人にシトュウはこう言葉をかける。

「『無』の力を持つ零無には一切の拘束は意味を持ちません。結局、今の状態のままとする他はない・・・・・・それが私を含めた真界の神々の結論です。ですが、監視役は必要です。そういうわけで、帰城影人。零無の監視を頼みます。ですが、監視と言っても、特にやる事はありません。今まで通りで大丈夫です」

「えー・・・・・・事情が変わったから真界で監視するとかはないのか?」

「零無は真界出禁です。私を含めた他の真界の神たちも『絶対に嫌だ』、『あんなおかしな神と同じ世界にいたくない』、『何だかんだ帰城影人に押し付けるのが1番安全』という意見ですから。そういうわけで、あなたに任せます」

「それただの厄介事の押し付けじゃねえか!」

 思わず影人がそうツッコミを入れる。影人は取り敢えず、まだ見ぬ真界の神々どもを恨んだ。もし会う事があれば、絶対に1発殴ってやる。

「なあなあ影人。せっかく夫婦めおとがまた一緒になったのだから、今日は存分にイチャイチャしような。いや、今日とは言わず永遠に。ああ、でもまたこうしてお前に触れられるなんてなぁ。やはり、好きな人に触れる事が出来るのはいい事だ。ふふっ、ふふふっ」

「もうマジで最悪だ・・・・・・」

 ラブラブオーラ全開で愛の言葉を囁いて来る零無。反対に、影人は絶望した言葉を漏らした。

「というわけで、その第一歩としてデートをしよう。どこに行こうか影人?」

「行かねえよ。そもそも、今は正月だ。俺は初詣した帰りなんだよ。家に帰ってゆっくりする」

 影人は即座に零無の提案を却下した。影人の言葉を聞いた零無は驚いた顔を浮かべた。

「正月? もう年が明けているというのかい? 嘘だろ・・・・・・つまり、吾がお前と別れてから既に半年以上経っているというのか!? そんな! 吾とそんなに離れてさぞ寂しかっただろう影人! ああ、可哀想に!」

「いや、めちゃくちゃ快適だったぞ」

「だが、神社への参拝はいただけないな! そこらの低級の神への信心など無駄だ! 吾がいるだろう吾が! お前が他の神へ祈りを捧げるなど許せん! その社を無くしてやる!」

「やめろバカヤンデレ! おいシトュウさん! やっぱりこいつに力があるのダメだって!」

 悲しんだかと思えば急に怒った零無は影人から離れると立ち上がった。明らかに神社へ行く気である。今度は逆に影人が零無に抱き付き、零無を止めた。

「・・・・・・とにかくそういう事です。後は頼みましたよ帰城影人」

 シトュウは影人の訴えを無視すると、真界への門を開きその中へと消えて行った。

「おいシトュウさん!? くそっ、見捨てやがった!」

「離せ影人! 吾はお前を誑かした社を無に還さねばならん!」

「社が俺を誑かすってなんだよ! ああ、もう勘弁してくれーー!」

 影人の悲鳴が青空へと吸い込まれていく。影人はしばらくの間、神社に向かおうとする零無を止め続けたのだった。


 ――こうして、約半年の期間を経て、影人のそばに零無が帰ってきたのだった。

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