第458話 クリスマス前髪争奪戦(6)
(ど、どういう事だ!? 何で香乃宮が・・・・・・!?)
影人は驚愕の感情を隠せなかった。本当に何が何だか分からない。なぜ光司がここにいるのだ。ソレイユですら影人の居場所は分からないはずなのに、光司はいったいどうやって影人の場所を捕捉したのか。驚愕と疑問、そして恐怖の入り混じった感情が影人の中に湧いてくる。影人の手は無意識に震えていた。
ちなみにイヴはチラリと光司に目を向けると、「へえ・・・・・・面白い事になって来たじゃねえか」と震える影人とは対照的にニヤリと笑っていた。
「? どうかしましたか? 何か凄く驚いていらっしゃるようですが・・・・・・もしかして、どこかでお会いした事がありましたかね?」
しかし、光司は不思議そうに首を傾げた。光司の言葉を聞いた影人は一瞬意味が分からなかったが、すぐに光司の言葉の意味を理解した。今の影人は幻影の力で見た目を変えている。そのため、光司は話しかけた人物が影人だと分からないのだ。
「い、いえ・・・・・・すみません。恐ろしくイケメンな方だなと思いまして。もちろんと言ったら変かもしれませんけど、初対面ですよ」
光司が気づいていないのならば好都合だ。影人は他人のフリをした。驚いた理由がちょっと無理やり感があるが、咄嗟に思いついたのはそれしかなかった。
「そんな事はありませんよ。でも、よかった。失礼にも、顔を忘れてしまったかと思いましたよ。ああ、自己紹介がまだでしたね。僕は香乃宮光司と言います。高校3年生の学生です。よろしくお願いします」
「そ、そうですか。俺・・・・・・いや僕は
知ってるよ。と心の中で呟きつつ、影人はぎこちない笑みを浮かべそう自己紹介をした。偽名と身分はこれまたとっさに思いついたものだった。
「影野さん、ですか。素敵なお名前ですね」
「そ、そうですかね。あはは・・・・・・」
いつもの爽やかなイケメンスマイルを向けてくる光司に影人は苦笑いを返した。
(ふぅ・・・・・・よし。取り敢えず、この様子だと香乃宮の奴は俺には気づいてないな。香乃宮の事だから、何か訳の分からん力を発揮して、俺の居場所を探知、そして俺の変装を見破ったのかと一瞬考えたが・・・・・・流石にそれはなかったな。あー、寿命が縮まった思いだぜ)
影人は心の中で安堵の息を吐いた。となると、光司はたまたま今日この店に来て、たまたま影人の隣に座ったという事になる。いったいどんな奇跡的な確率なのか。しかし、それを起こしてしまうのが香乃宮光司という男なのだろう。影人は改めて光司を末恐ろしいと感じた。
「ああ、そういえばお隣の女性は影野さんのお知り合いですか? 仲良くパイを食べられているので、そうかなと思って」
光司はコーヒーを飲みながら、今度はそんな事を聞いて来た。なぜ光司は初対面のはずの人間にこれだけ絡んで来るのか。光司はこれほどまでに、他人に対して(影人を除く)距離感が近い――もしくは距離感の調節が適切ではない――人間であったか。影人は辟易とした気持ちと少しの引っ掛かりを覚えながらも、「え、ええ」と頷いた。
「僕の・・・・・・妹です。実はパイが食べたいとせがまれて」
変装している自分とイヴの歳の差を考えて、影人はイヴを光司にそう紹介した。しかし、影人の紹介が気に入らなかったのか、不機嫌な顔でこう口を挟んできた。
「おい、ふざけんな。誰が妹だ。気色悪い嘘をつくな」
「ちょ、おま・・・・・・!? 空気読めよ・・・・・・!」
イヴの想定外の言葉に影人が焦る。影人はイヴの方に向き直りヒソヒソ声で、ここは合わせるように促したがイヴは「けっ」とそっぽを向き、残りのチョコパイを口に放り込んだ。
「あの、ええと・・・・・・」
光司が何とも微妙な顔で影人を見つめてくる。それはそうだ。妹と紹介した相手が妹じゃないと言っているのだから。場合によっては、いや高確率で何か犯罪を疑われるだろう。実際、影人は周囲の客から不審な目線が向けられているのを感じた。
「い、いやこれはですね! 実はちょうど反抗期なんですようちの妹! だからこんな態度で・・・・・・! いや、本当すみません!」
このままではマズいと察した影人は必死に取り繕った。イヴは「あ? ふざけ――」と再び否定しようとしたが、その前に影人がイヴの口を塞ぐ。イヴは「むぐっ!?」と驚いた顔になった。
「あ、そうなんですか。難しいお年頃ですね。いえ、お気になさらないでください」
光司は影人の説明に納得した。周囲の客たちも納得したのか、影人から視線を外す。影人はよかったと胸を撫で下ろした。
「はぐっ、んぐっんぐっ・・・・・・! じゃ、じゃあ僕たちはこれで失礼しますね。さようなら」
このままここに居続けれるのはマズい。そう思った影人は残っていたパイを一気に口に放り込んで飲み込むと席を立った。そして、隣のイヴの手を握った。
「行くぞイヴ・・・・・・!」
「あ!? おい手を離せよ! 気持ち悪りぃ!」
イヴは思い切り嫌がったが影人は手を離さなかった。そして、空いているもう片方の手でゴミを乗せたトレーを持つと急いでその場から去ろうとした。
「ああ、影野さん。最後に1つだけ。実は、僕は今日という日をある人と過ごしたいと思っていたんです。ですが、残念ながらその人は待ち合わせの場所には来ませんでした」
「っ!?」
しかし、光司は突然そんな話を始めた。光司の話を聞いた影人の心臓がドキリと跳ねる。影人は思わず立ち止まってしまった。
「・・・・・・そ、そうですか。それは残念でしたね」
「いえ。きっと、彼には他の予定があったんだと思います。彼は人気者ですから。だから、僕は全く彼を恨んではいません」
影人はほんの少しだけ震えた声でそう言葉を返した。光司は優雅に首を横に振ると、コーヒーに口をつけた。
「でも・・・・・・例えば、もし彼が誰とも今日を過ごしていないのなら、僕は醜い感情を我慢できないかもしれません。無理やりにでも彼を誘って今日という日を一緒に楽しみたい。友達と一緒にクリスマスを過ごすのはきっととても楽しいでしょうから」
「っ・・・・・・!?」
光司の言葉は影人にとってものすごく意味深に聞こえた。まさか、光司は自分が帰城影人だと気づいているのか。いや、あり得ない。守護者ではあるが、ただの人間の光司に影人の気配を察知する術はないし、変装を見破る術もない。論理的に考えて、光司が影人に気付けるはずはないのだ。
「ところで、実に不思議なんですが・・・・・・あなたからはその彼と同じ匂いがするんですよ。僕は別に特別鼻がいいというわけではないんですが、彼の匂いだけは覚えているんです。あなたと彼の姿形は全く違うのに・・・・・・本当に不思議ですね」
「〜っ!?」
影人は声にならない悲鳴を上げた。恐怖からゾワリと全身が震えた。影人はそのままイヴの手を引き逃げるようにその場から去った。
「・・・・・・やっぱりね。君だと思っていたよ。いくら姿形を誤魔化しても、僕には分かる。匂い、反応、そして声・・・・・・例え変装していても、必ず元の痕跡はあるものだ。まあ、もしその痕跡が全くなかったとしても、僕は君の正体を見抜いてみせるけどね」
残された光司はよく分からない独り言を漏らすと、残っていたコーヒーを飲み干した。そして、光司は席から立ち上がった。
「さて、確信も得られた事だし僕も彼を追おうかな。今日は聖夜。奇跡が起こる日だ。僕は君と共に今日を過ごすという奇跡が起きる事を切に願うよ・・・・・・帰城くん」
光司はそう言うと自身も店から出た。
「マジで・・・・マジで何なんだよあいつは・・・・・・!」
全力でファストフード店から距離を取った影人は、未だに震えている自分の体をギュッと手で押さえた。今まで数々の修羅場を潜り、それなりの恐怖も経験してきた。そのため、影人は恐怖にはある程度の耐性がある。だが、今の体験はその耐性を貫通してくるものだった。さすがは香乃宮光司というべきか。本当に恐ろしい男である。
「くくっ、あの感じだと香乃宮光司の奴はお前が帰城影人だって気づいてるな。あいつも普通に見えてだいぶイカれてやがるぜ」
「笑い事じゃないぜイヴ! 香乃宮の奴は間違いなく俺を追って来る! ああ、って事は香乃宮の奴は最初から俺だと分かって隣に座ったのか・・・・・・? 何で姿形を変えてるのに俺だって分かったんだよ・・・・・・というか、何で居場所が・・・・・・分からねえ。分からねえ事だらけだ・・・・・・」
とにかく逃げなければ。影人は幻影の力で自分の姿を青年から20代くらいの女性へと変えた。ついでに匂いも、念のために声もスプリガンの力で変えた。
「・・・・・・女に変装するのは嫌だが背に腹は変えられねえ。これなら香乃宮の奴も流石に気づかない・・・・・・はずだ」
すっかり女性の声で影人がそう呟く。影人の姿を見て声を聞いたイヴは笑い声を上げた。
「ははははははっ! おいマジかよ! お前すっかり女じゃねえか! ぷくくくくっ! あはははははははは!」
「・・・・・・大爆笑をどうもありがとよ」
腹を抱えるイヴに影人は嫌味を返すと、通りを歩き始める。いま影人がいるのは最初に来た大通りだ。ソレイユ、レイゼロール、シェルディアといった強力な追跡者たちの追跡を振り切り、変装した影人は、逆にこの場所が安全だと考えたのだ。この付近で出会ったロゼ、アイティレ、暁理もまさか影人がまたこの場所に戻って来ているとは思わないだろう。万が一、また出会ってしまっても影人の変装を見破れるはずがない。あくまでも、なぜか影人の正体を見破った光司が特異なだけだ。
(どうする。ここから離れるべきか? 流石の香乃宮の奴も、例えば海外とかだと追って来れないだろ。いや、でも何があるか分からないから、出来ればこれ以上スプリガンの力は消費したくねえんだよな・・・・・・はぁー、もう何も考えたくねえ。何が聖夜だ。呪夜の間違いだろ・・・・・・)
街行く人々に混ざりながら、影人は今日何度かになる沈んだ気持ちになる。イヴはチョコパイを食べて満足したのか、人型を解除し影人の中に戻っていた。
「・・・・・・取り敢えず、もうしばらくはこの辺りにいるか。こうなったら、香乃宮の奴が本当に俺の居場所が分かるのか、変装を見破れるのか逆に試してやる」
影人は光司からの完全な逃走より、転移に使う力の消費量の重さを重視した。なに。もし、光司が影人に追いついて来たとしても、スプリガンの身体能力を使って逃げればいい。影人はそう考えると適当に大通りを散策し始めた。
「ねえ、お姉さん。こんな日に1人だなんて寂しくない? 俺と一瞬に遊ぼうよ」
すると、若い男が影人に話しかけて来た。髪を茶髪に染めた、いかにも女慣れしていそうな男だ。顔はそれなりに整っているが、光司やシスとは比べるまでもなかった。多少はモテそうといった感じだ。
「?」
最初、影人は男の言葉の意味が分からなかった。しかし、影人はすぐにいま自分が女性の姿をしているという事を思い出した。要は、影人はいま人生初めてのナンパを受けているのだ。
(おいおい、マジかよ・・・・・・見た目を美人に設定し過ぎたか?)
影人は衝撃を受けしばらくの間固まった。あまりにも未知の経験が過ぎて、どう反応していいか分からないのだ。ナンパしてきた男は固まった影人を見て不思議そうに首を傾げた。
「どうしたのお姉さん? 大丈夫?」
「あ、あ・・・・・・ええ。その、初めてそんな事を言われたものだからちょっと戸惑っただけ」
男の声で現実に戻った影人は慣れない口調で、男にそう言葉を返した。流石に今の見た目で男の口調で話すのは変だろう。少なくとも、影人の理性はそう判断した。
「え、マジ? お姉さん、とびきりの美女なのに。世の男は見る目ないね。俺なら、お姉さんみたいな美女放っておかないのに」
「そ、そう・・・・・・口が上手いわね・・・・・・」
よくもまあシラフでそんな言葉が吐けるなと、内心でドン引きしながら影人は引き攣った笑みを浮かべる。キモっという言葉を言わなかっただけまだマシだろう。
「って事で遊ぼうよ。お姉さんに退屈はさせないからさ」
「・・・・・・悪いけど、私予定があるの。誘うなら他の子を誘って。じゃあね」
影人は当然の事ながら男の誘いを断った。そして、そのままその場から去ろうとした。
「えー、いいじゃん。遊ぼうよ。絶対楽しいから。ね?」
しかし、男は影人の行手を遮った。男のしつこさに影人の苛立ちが募る。
「っ、おい。お前いい加減に――」
影人は素の口調で男に文句を付けようとした。しかし、その前に、
「すみませんが、彼・・・・・・彼女は僕の大事な人なんです。お引き取り願えますか」
そんな声と共に1人の男が影人とナンパ男の間に割って入った。その男は光司だった。
「なっ・・・・・・」
「あ?」
影人が両目を大きく見開き、ナンパ男は光司を睨んだ。そして、光司は影人の手を掴んだ。
「行きましょう」
「おいおい、ちょっと待てよお兄さん。俺だって勇気を持ってお姉さんに声を掛けたんだぜ。男としてそう簡単に引き下がれるかよ」
光司は影人を連れてその場から去ろうとしたがナンパ男が待ったを掛ける。光司は厳しい目をナンパ男に向けた。
「・・・・・・言ったはずです。彼女は僕の大事な人だと。それに、彼女も迷惑している。いい歳なんですからそれくらい分かるでしょう」
「ああ、そりゃあな。でも、俺だって退けねえんだ。クリスマスを野郎1人で過ごすなんて
物分かりがいいのか悪いのかよく分からないナンパ男はしかし中々引き下がらない。影人はナンパ男のしつこさに逆に感心した。
「・・・・・・どうやら、口で言っても分からないみたいですね」
「・・・・・・ああ、みたいだな」
光司とナンパ男との空気が張り詰める。まさか殴り合いをするつもりかと影人は危惧した。いざとなったら止めなければと影人は思った。
「なら、どっちがお姉さんをエスコートするか勝負するしかねえな。ちょうどいい。そこに寂れたボーリング場がある。ボーリングで勝った方がお姉さんをエスコートする。それでどうだ?」
「いいですよ。ただし、負けた時の文句は受け付けませんから」
「それはこっちのセリフだ。お前、名前は?」
「香乃宮光司です」
「俺は
「ええ。行きましょう」
「え、ええー・・・・・・」
ナンパ男と光司はなぜか互いに納得しあった。そして、ナンパ男もとい松野の後に光司と光司に手を握られている影人が続いた。影人は予想外の展開に思わず戸惑いの声を漏らした。
――次回、聖夜の前髪争奪戦ファイナル。果たして、前髪の運命は如何に。お楽しみに・・・・・・しなくていい。
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