第455話 クリスマス前髪争奪戦(3)

(クソッ、どうなってやがるんだよ! マジで言ってるのか!? 何がどうしたらこのタイミングで・・・・・・!)

 ロゼと出会ってしまった影人は背中に冷や汗が流れるのを感じた。ロゼは影人を追う者の中では比較的危険度が低い部類だ。だが、それは出会わなければの話だ。

「取り敢えず、中に入ろうか。ここで話をするのも冷えるからね」

 ロゼは笑顔でファストフード店を指差した。今のところ、ロゼはいつもと変わらない。しかし、それが影人には逆に恐ろしかった。

「す、すみませんピュルセさん。俺はここにはトイレを借りに来ただけなので・・・・・・失礼させてもらいます!」

 影人はロゼに背を向けるとダッシュでこの場から去ろうとした。だが、その前にロゼが影人の右手首を掴んだ。

「まあまあ、いいじゃないか。トイレはここで借りればいい。温かい飲み物も私が奢ろう。付き合ってくれるね?」

「は、はい・・・・・・」

 ロゼにそう言われた影人は頷く事しか出来なかった。影人の返事を聞いたロゼは「よろしい。いい答えだ」と満足そうに頷いた。

「では、入ろうか」

 影人の答えに満足したためだろう。一瞬、影人の手首を掴むロゼの手の力が弱まった。影人はその一瞬を見逃さずにロゼの手を振り払うと、全力でロゼから逃走した。

「すいませんピュルセさん! やっぱり遠慮させていただきます!」

「あ、待つんだ帰城くん!」

 ロゼが影人に手を伸ばす。しかし、影人は人と人との間をさっさと縫うように躱して行き、やがてロゼの視界から消え去った。それは一瞬の出来事だった。

「逃げ足が早いね・・・・・・全く、困ったものだよ」

 取り残されたロゼはため息を吐いた。このまま影人を捕まえて、そのままデートに持っていく予定だったのだが、その算段は見事に崩れ去ってしまった。

「千載一遇のチャンスは逃したが・・・・・・諦めるのはまだ早い。さて、どうやって帰城くんを追うか・・・・・・ん?」

 ロゼが獲物を狙う狩人の目で思考していると、コートのポケットに入れていたスマホがバイブレーションした。一定でバイブレーションしているので誰かからの着信だろう。ロゼはスマホを取り出し、相手が誰なのかを確認した。

「ソニアくん・・・・・・?」

 スマホの画面にはソニア・テレフレアの名が表示されていた。











「はあ、はあ、はあ・・・・・・あ、危なかったぜ・・・・・・」

 ロゼから逃走した影人は小さな雑貨店の近くで息を切らしていた。

「まさか、あんな場所でピュルセさんと出会うとはな・・・・・・俺を待ち伏せてやがった金髪とは訳が違う。純粋に何て運してやがるんだ俺は・・・・・・ああ、ちくしょう。やっぱり俺は呪われてやがる」

 影人は自分の不運を呪った。しかし、このまま己の運のなさを嘆いていても仕方がない。結局、腹は減ったままだが、このままこの辺りにいるわけにもいかない。影人はどこか違う場所に移動しようと考えた。

「といってもどこに逃げる・・・・・・? すぐには思いつかねえな。というか、寒いし腹減った・・・・・・」

 なぜか急に惨めな思いになった影人は、取り敢えず暖を求めて近くの雑貨店に入った。

「流石に店内もクリスマス一色って感じだな」

 暖房のよく効いた雑貨店の店内を影人は適当に見渡した。店内はクリスマスグッズが多く、その中でも飾り付けのコーナーが人気のようだった。

「お、これいいな」

 何とはなく影人の目に止まったのは、小さなトナカイの置物だった。デフォルメされたまん丸な黒い目が何とも可愛らしい。影人はよく見ようと置物に手を伸ばした。しかし、影人は同じく手を伸ばしていた他の客の手に触れてしまった。

「あ、すいません」

「いや、こちらこそすまない」

 影人が手を引き謝罪の言葉を述べると、向こう――つまりは影人が触れてしまった人物――も謝罪の言葉を述べた。何となく聞き覚えのある声だなと思った影人はその人物に顔を向けた。そして、その人物も影人の顔を見た。

「「・・・・・・」」

 互いの顔を確認した影人と相手は次の瞬間、ピシリと固まった。そして、数秒間無言で互いを見つめ合った。

「なっ・・・・・・て、『提督』・・・・・・」

「っ、き、帰城影人・・・・・・」

 ようやく驚きから立ち直った影人とアイティレがそう言葉を漏らす。アイティレは可愛らしい赤い蝶の髪留めをつけており、もこもこの白い上着を着ていた。

「な、何でお前がここに・・・・・・」

「そ、それはこちらのセリフだ。なぜ、お前がここに・・・・・・いや、それよりもだ!」

 アイティレはカッとその赤い目を見開くと、影人の手を両手で握った。急に手を握られた影人は「っ!?」とその顔に恐怖の色を滲ませた。

「せっ、せっかく今日こうして出会えたのだ。ど、どうだろうか。今日は一緒に過ごすというのは? お前は断っていたが、私はどうしても諦めきれないのだ。一応、計画は練ってあるのだ。必ず楽しませると誓う。だから・・・・・・!」

 アイティレがズイッと影人に顔を近づけて来る。急にアイティレの推定顔面偏差値80オーバーの顔が近づいてきたので、影人は思わずドキリとしてしまった。

「い、いやその・・・・・・本当に悪いが・・・・・・」

「あと、私の事を『提督』と呼ぶのはやめてほしい! ほ、ほら事情を知らない者が聞けば不審に思うだろう。い、いいか? これは合理的な理由だ。私は合理的な理由から今から提案する! 私の事は、出来ればアイティレと名前で呼んで――」

「すまん俺には無理だッ!」

 影人は渾身の力でアイティレの手を振り払った。そして、脱兎の如く店から逃げ出した。

「あ、待て帰城影人!」

 アイティレはすぐさま影人を追いかけ店を出た。しかし、既に影人の姿はクリスマスの街の雑踏の中に消えていた。

「くっ、ダメだ。どこにいったか分からない・・・・・・」

 影人を見失ったアイティレは残念そうな顔を浮かべた。全力で逃げるほど自分と今日を過ごすのが嫌だったのか。アイティレがショックを隠せないでいると、鞄の中から着信音が聞こえてきた。アイティレはこんな時に誰だと思いながら、電話をかけてきた相手を確認した。

「っ、『芸術家』・・・・・・?」

 アイティレに電話を掛けてきたのはロゼだった。アイティレは不思議に思いながらも電話に出た。











「はあ、はあ、はあ・・・・・・おえっ、だ、だめだ。もう走れねえ・・・・・・」

 アイティレから逃げ切った影人は、地面に手と膝をつきながら大きく息を切らしていた。疲れからプルプルと体を震えさせている前髪はその姿勢と相まって、生まれたての子鹿のようだった。道行く人々は、そんな前髪に奇異の視線を送っていた。

(何でピュルセさんから逃げた先で『提督』と出会うんだよ。意味が分からん。どんな天文学的確率だ・・・・・・)

 影人は体力の回復も兼ねてしばらくの間地面に手と膝をつきつづけながら、己の不運を呪いに呪った。

「クソッ、なんかもう逆に運がいい気がするぜ。宝くじでも買おうかな・・・・・・」

 ようやく最低限の体力が回復した影人がヨロヨロと立ち上がる。影人はロゼやアイティレが追ってきていないか注意を払いながら、宝くじ売り場、ではなく大通りから1本外れた小道に足を踏み入れた。

「木の葉を森の中にイン作戦は失敗か・・・・・・もういっそ普通に静かな場所に隠れるか・・・・・・」

 影人は小道を抜けた。相変わらず寒いし腹は減ったままだ。しかし、飯を食べようと思えばまた鬼(今日影人を追っている者たち)に会うかもしれないし、暖を取ろうとしてもまた鬼に会うかもしれない。今日の影人の運勢なら十分にあり得る。影人は泣く泣く空腹感と寒さに耐えた。

「静かな場所、静かな場所・・・・・・さて、どこに――」

 影人が小道の角を曲がる。小道の先は大通りほど賑やかではないが、まだ人通りの多い通りだった。影人は下げていた顔を上げ正面に目線を向けた。すると、視界内に見覚えのある顔が飛び込んできた。

「・・・・・・・・・・・・おい、嘘だろ」

 その人物を見た影人は魂の消え入りそうな声でそう言葉を漏らした。影人は今見ている光景が現実かどうか疑った。

「・・・・・・ん?」

 すると、向こうも影人に気がついたのか、影人に目線を合わせた。その人物は影人と同年代の女性だった。服装は薄緑の羽織物にスカート、足には黒いタイツを履いていた。

「「・・・・・・」」

 影人とその女性は少しの間互いを見つめ合った。影人はフッと口元を緩め、穏やかな顔を浮かべた。女性も影人と同じように口元を緩める。次の瞬間、影人は回れ右をして全力で駆け出し、女性も全力で影人を追い始めた。

「ふざけんなぁぁぁぁぁぁ! 俺の人生を設計した奴マジで絶対に許さねえーーー!」

「待てこら影人ぉぉぉぉぉぉぉ!」

 影人は悲鳴を上げ、影人を追いかける女性――暁理は鬼の形相でそう叫んだ。街行く人々は「何だ痴話喧嘩か?」的な目を影人と暁理に向けていた。

「はあ、はあ・・・・・・ゲホッ、ゲホッ! ヤ、ヤバい・・・・・・た、体力が・・・・・・」

 今日は何度も全力ダッシュをしているためだろう。もう体力が限界だった。影人はチラリと首を後方に向けた。暁理は変わらず鬼の形相で影人を追って来ている。あの様子だと、暁理はまだまだ体力がありそうだ。このままでは捕まるのも時間の問題だろう。

(危険度がかなり高い暁理に捕まるのだけはマズい! 何をされるかわかったもんじゃねえ! どっかに隠れてやり過ごさないと・・・・・・!)

 影人は最後の力を振り絞り、走る速度を上げた。結果、一時的に暁理との距離が開く。影人が道角を曲がる。すると、影人の視界に細い道が飛び込んできた。この辺りの裏路地は探検不足で正直よく知らないが、暁理を撒くにはあそこに入るしかない。影人は細道に飛び込んだ。影人が細道を道なりに進む。しかし、

「なっ・・・・・・」

 そこは行き止まりだった。しかも、隠れられるような場所も見当たらない。影人がその顔を絶望の色に染める。

「影人! こっちに逃げたな!? 絶対逃さないよ! 諦めて僕とデートしろ!」

 そうこうしている内に暁理の声が聞こえ、足音が近付いて来た。暁理がここに来るのも時間の問題だ。

(どうするどうする帰城影人!? どうすればこの危機を乗り越えられる!?)

 影人は本気で思考した。スプリガンの時に危機に陥った時と同じように。何か、何かあるはずだ。ここからでも助かる方法が。諦めるな。不可能な事なんてない。それは、過去の自分が証明して来た事だ。

「過去の自分・・・・・・そうか!」

 影人は自分のズボンのポケットに目を向けた。そして、そこに入っている物を取り出した。

「影人ぉッ!」

 そして、遂に暁理が行き止まりの場所に現れた。

 しかし、

「あ、あれ・・・・・・?」

 そこに影人の姿はなかった。

「嘘、いない・・・・・・? で、でもこの道に分岐はなかったし・・・・・・どこかに隠れた? いやでも隠れられる場所なんて・・・・・・」

 暁理は首を傾げた。不思議だ。そう。例えるなら、まるでポットパイの中にスープが入っていないような気分だ。しかし、実際スープ、もとい影人の姿はない。

「ここじゃなくて他の所に逃げたのかな・・・・・・でも、角を曲がった時には影人の姿がなかったから、この道以外に逃げたとは考えられないんだよな・・・・・・もし、他の道に逃げたとしたら、他の道は全部見晴らしがよかったから、角を曲がった時に影人の姿が見えるはずだし・・・・・・うーん、ダメだ。論理的に考えても分からない。でも、取り敢えずここにはいないし・・・・・・他の所を探すか」

 暁理は喉に魚の小骨が刺さったような違和感を抱きながらも、行き止まりの小道から去った。暁理が去ってしばらくすると、突然スゥとある男が現れた。その登場の仕方は、まるで今まで透明になっていた人物がその力を解除したように見えた。

「・・・・・・行ったか。やれやれだぜ」

 現れたその男――スプリガンに変身した影人は安堵の息を吐いた。

(今日ほどスプリガンの力があってよかったと思った日はないな・・・・・・スプリガンの力がなかったら間違いなく詰んでたぜ・・・・・・)

 影人はスプリガンに変身し透明化の力を使用し、暁理をやり過ごしたのだ。暁理もまさか影人が透明人間になって息を殺していたとは思うまい。

「しかし・・・・・・スプリガンに変身して逃げる手段をド忘れしてたなんて・・・・・・俺どんだけ焦ってたんだよ」

 普段は冷静沈着なクールキャラなのに、何とも情けない話だ。前髪野郎の的外れでイカれた自己分析に体の震えが止まらない。

「あいつから逃げるためだけにスプリガンに変身したのは癪だが・・・・・・まあ世の中には仕方がない時もある。取り敢えず、まずはこの辺りから離れるか」

 影人は壁を蹴り建物の屋上に登った。そして、クリスマスの街を見下ろす。バカと煙はなんとやらである。

「ったく、街はこんなに平和だっていうのに・・・・・・何で俺だけがこんな波乱のクリスマスを送らなくちゃならないんだよ・・・・・・」

 聖夜は皆が祝福される日ではないのか。影人がそう言葉を漏らすと、

「――あら、それはあなたが逃げるからじゃないかしら」

 背後からそんな声が聞こえてきた。

「っ!?」

 影人がバッと振り返る。聞こえて来た声はいま最も影人が聞きたくなかった声だった。

 先ほどまでは影人以外に誰もいなかった建物の屋上、影人よりも更に高い場所に1人の少女が佇んでいた。見覚えのあるブロンドのツインテールに豪奢なゴシック服。西洋人形のように精緻な美しさを誇るその少女は影人を見下ろしていた。

「ねえ、影人?」

「・・・・・・ここで君が来るかよ。嬢ちゃん」

 影人の名を呼んだ少女――シェルディアに影人は緊張した顔でそう言葉を返す。聖夜に影人を追う次なる鬼は、最も危険度の高い鬼の内の1人だった。

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