第454話 クリスマス前髪争奪戦(2)

「・・・・・・」

 12月25日日曜日、午前8時過ぎ。休みの日だが影人は既に起床していた。眠気はなかった。それよりも、緊張が影人の中を満たしていた。

「・・・・・・こんなにヤバいクリスマスは初めてだぜ」

 ベッドに腰掛けながら影人がそう言葉を漏らす。なにせ、今日はソニア、暁理、ロゼ、アイティレ、ソレイユ、レイゼロール、シェルディア、光司からなぜか一緒に過ごそうと言われているからだ。ダブルブッキングならぬオクタプルブッキングである。数字に言い換えればエイトブッキング。奇しくも、影人の名前と同じであった。まあそんな事はどうでもいいのだが。

「どうする・・・・・・どうするべきだ。どうすれば全員から逃げられる・・・・・・」

 影人は本気で悩んでいた。結局、昨日影人がクリスマスを一緒に過ごそうと考えていた風洛アルファベットズには連絡を入れていない。色々と巻き込まれる可能性が高いからだ。友を危険には晒せない。影人はそう考えた。

 影人には今日という日を誰か1人と過ごすという選択肢はなかった。過ごせば他の者に見つかった時に地獄だ。そして、全員と過ごすという選択肢は論外で、影人は静かにクリスマスを終えたい。となれば、残る方法は1つ。逃亡しかない。シェルディアには逃げるなと言われたが、ここは腹を括って逃げる以外に道はない。

「・・・・・・1回敵戦力の分析をするか」

 影人は立ち上がり机に移動すると、ノートとペンを用意した。敵の情報を書き出して整理するためだ。

 まずは日奈美を通じて影人を誘って来たソニア。こいつは強敵である。日奈美とも仲が良いし、影人の家の場所も知っている。要危険人物だ。

 次に暁理。暁理は正直それほど怖くはない。影人の家の場所も知っているか怪しいし、突撃をかけられる心配も少ないからだ。ただし、暴走した暁理は中々に話が通じないし後日どんな目に遭うか分からないという点はあるが。やはり、暁理も要危険人物である。

 3人目はロゼ。ロゼは変人だが常識はある。メールでは珍しく強引だったが、影人の家の場所を知らないので、直接ここに来るという事はない。危険度は低い。

 4人目はアイティレ。アイティレは恐らく1番危険度が低い。押しも他の面々に比べれば弱い。当然、影人の家の場所も知らないだろうし、全然対処が可能だ。

「さて・・・・・・問題の奴らはここからだ」

 5人目はソレイユ。ソレイユは神力を通して影人とは見えない繋がりがある。その繋がりがあるため、影人はソレイユと相互間の念話が出来るし、ソレイユは影人の視界を共有できる。しかも、ソレイユは影人の気配を覚えているので、影人がどこにいるか常に分かる。これらの力は便利で、色々と影人を助けてくれたが、今回ばかりはこれらの力が最強の枷となる。要は影人は絶対にソレイユからは逃げられないのだ。そして、そこにソレイユの性格を加味すると、ソレイユは超がつく危険人物となる。

 6人目はレイゼロール。レイゼロールもソレイユと同じく影人の気配を覚えているため、逃げ場がないと考えるべきだろう。しかも、レイゼロールは地上での神力の行使が可能だ。つまり、何でもありで追って来る無敵の鬼のようなものである。更に更に、レイゼロールもソレイユと同じく中々アレな性格だ。危険レベルは間違いなく究極レベルだ。

 7人目はシェルディア。シェルディアもレイゼロールと同じスペックの究極レベルの危険人物だ。しかも、怒ったら1番怖い。本当に怖い。最恐の人物は間違いなくシェルディアだ。

「で、最後はこいつか・・・・・・」

 影人が8人目の名前をノートに記す。影人が記した名前は光司だった。影人の場所を常に探知できるソレイユ、レイゼロール、シェルディアに比べれば光司はまだマシに思える。しかし、1番何をして来るのか分からない不気味さを持っているのは、間違いなく光司だった。奴は香乃宮光司だ。本気を出せば、その高スペックを存分に活かし、影人がどこにいるのか特定する事など容易かもしれない。いや、間違いなく容易だろう。少なくとも、影人はそう確信していた。

「・・・・・・分かっちゃいたが、どいつもこいつもヤバい奴らしかいねえな。その中でも特にヤバいのが、ソレイユ、レイゼロール、嬢ちゃん、香乃宮辺りか。マジでどうすりゃ逃げられるんだよ・・・・・・」

 敵の情報を整理した影人は絶望感から頭を抱えた。

「本気の本気で逃げるなら、スプリガンに変身して気配隠蔽の力を全開にしてどこかに隠れる・・・・・・いやダメだ。ソレイユの視覚同調がある。・・・・・・いや、だが視界から情報を取得できない場所に隠れてればワンチャンあるか? 後は・・・・・・あいつらが絶対に来れない場所・・・・・・真界に逃げ込むとかか。いや、でもシトュウさんがそんな理由で真界への門を開いてくれるわけねえよな」

 それに、真界に行けば零無と会うかもしれない。零無はこの世界と向こう側の世界の境界を安定させる作業を行っており、フェルフィズとの最終決戦から約半年経った今もまだこちらの世界に帰って来ていない。まあ、影人からすれば零無が予想以上に長く帰って来ていない現在の状況は、大歓迎以外の何者でもないのだが(何なら別に一生帰って来なくてもいい)。

 当たり前だが、影人は別に零無と会いたいわけではない。普通に考えて、24時間憑きまとって来るヤンデレ幽霊なんて帰って来てほしくない。そういうわけで、零無と会いたくない影人は、零無と会う可能性がある真界に行く事に対して気が進まなかった。

「もう考えるのも面倒くせえな・・・・・・取り敢えず、誰かが突撃して来ないうちに出るか」

 影人は洗面所に向かい顔を洗いリビングへと向かった。既に日奈美と穂乃影は起きて朝食を食べていたので、影人も一緒に朝食を摂った。

「で、影人。結局、今日はどうするの? もちろん、ソニアちゃんの誘いを受けるんでしょうね?」

「・・・・・・昨日も言っただろ。俺はあいつと今日を過ごすつもりはないよ。断りのメールも昨日入れたし。今日は適当に1人で出て来る」

 日奈美にそう聞かれた影人がそんな返答を述べる。日奈美は「はあー・・・・・・本当、あんたって子は・・・・・・」と心底救えないモノを見る目を影人に向けた。穂乃影も「バカな人・・・・・・」と軽蔑と哀れみの込もった目で影人を見つめた。

「俺はこれでいいんだよ。そういう母さんこそ、せっかくの休みの日のクリスマスをどう過ごすつもりなんだ? 特に予定ないなら、父さんを誘ってデートにでも行って来たら。父さん絶対暇だし、絶対喜ぶぜ」

「嫌よ。私はまだあいつを許してないの。あいつにクリスマスデートなんてご褒美まだまだ早すぎるわ。私は今日穂乃影と買い物に行くのよ。ね、穂乃影?」

「うん」

 日奈美に名を呼ばれた穂乃影がコクリと頷く。なるほど。母と娘でショッピングとは何とも平和なクリスマスだ。死ぬかも知れないクリスマスを過ごすかもしれない自分とは大違いだなと影人は思った。

「・・・・・・行くか」

 午前10時過ぎ。少し休憩を挟み外出の用意を整えた影人は、玄関で靴を履きしっかりと靴紐を結ぶと外に出た。

「・・・・・・よし、第1関門はクリアだな」

 マンション構内に出た影人はキョロキョロと辺りを見回すと、ホッと息を吐いた。隣人であるシェルディアや他の誰かが待ち伏せしているかもしれないという懸念はまず払拭できた。影人はそのまま無意識に忍び足になりながらマンションを出た。

「・・・・・・第2関門もクリアか」

 マンションを出た影人は前髪の下の目を周囲に向けた。今日の天気は曇り時々晴れといった感じで、冬の冷気宿す風が尋常ではなく冷たい。影人が寒さを感じながら周囲を見渡した感じ、見知った者の姿は見受けられなかった。影人は安心すると、歩き始めようとした。

「――ねえ、どこに行く気なのかな影くん?」

 しかし、その瞬間に後方から手が伸び、ガシリ影人の肩を掴んだ。肩を掴まれたと同時に聞こえて来たその声に、影人はハッと前髪の下の両目を見開いた。影人の中が一瞬で恐怖と驚きに満たされる。影人が恐る恐る振り返ると、そこには影人が想像した通りの人物がいた。

「き、金髪・・・・・・」

 影人の肩を掴んだのはソニアだった。ソニアは白い帽子にメガネという変装姿で、ニコニコと笑っていた。ただし、その目は一切笑っていなかった。

「な、何でここに・・・・・・というか、どこにいやがったんだよ」

「そこの柱の裏だよ。私、朝の7時からずっとそこにいたから」

 ソニアは影人の肩を掴んでいる手とは反対の手で、マンションの柱を指差した。ソニアの言葉を聞いた影人はゾッとした。

「あ、朝の7時からずっとだと・・・・・・? 何だよそれ怖っ・・・・・・お前、不審者じゃん・・・・・・」

「き・み・に・だ・け・は・言・わ・れ・た・く・な・い・よ! ねえ、影くん。何で私がここにいるのか聞いたよね。それはね、こうやって逃げる君を絶対に逃がさないためだよ・・・・・・!」

 ソニアは怒りを滲ませた口調で影人にそう言葉をぶつけた。ソニアにそう言われた影人はギクリと顔色を変えた。

「っ、な、何の事だ。俺はちょっと散歩に行くだけだ」

「本当かなぁ? 本当に本当かなぁ? だったら、今日の私とのデートはもちろん付き合ってくれるって事だよね?」

「それは・・・・・・昨日メールで断っただろ。無理だ」

 ソニアの圧は凄まじかったが、影人は首を横に振った。瞬間、影人の肩を掴むソニアの手にギュッと力が加わった。

「影くん、それは私が聞きたい答えじゃないな」

「痛い痛い! お、おい金髪。今日のお前ちょっと変だぞ!? お前そんなキャラじゃなかっただろ!」

「それだけ私が今日に対して本気だって事だよ! 影くんは本当に分かってない! たまには私にちゃんと真正面から応えてよ!」

「意味が分からん! ええい、離せ! とにかく、俺はお前と今日という日は過ごさん!」

 影人はソニアの手を振り払うとソニアから逃走した。通常状態の影人はモヤシといえども一応は男だ。力は女性のソニアより上である。そのため、しっかり肩を握られていてもソニアの手を振り解く事は容易だった。

「あ! 待てウェイト! 今日は絶対逃がさないよ影くん!」

 逃げる影人をソニアは追い始めた。本気で逃げる影人に本気で追いかけるソニア。クリスマス、なんの変哲もない住宅街で唐突に鬼ごっこが始まった。

「はあ、はあ、はあ・・・・・・クソッ、しつこいぞ金髪! いい加減に諦めろ!」

 約10分後。影人は追って来るソニアに諦めの言葉を投げかけた。ソニアは現在影人と15メートルほど離れた場所にいる。すぐには捕えられない距離だが、捕まる可能性がない距離ではない。

「はあ、はあ・・・・・・言ったでしょ! 絶対に諦めないよ! 影くんこそいい加減に諦めて私とデートして!」

「だからしないって言ってんだろ!」

 ソニアと影人がそんなやり取りを交わす。クリスマスだというのに、住宅街で逃走劇を繰り広げている男女を見た人々は驚いたような、もしくは訝しげな顔を浮かべていた。

「はあ、はあ、はあ・・・・・・よ、よし取り敢えず金髪は撒いたな・・・・・・」

 更に約30分後。影人は大通り近くの小さな路地にいた。肩で息をしながら影人はそう呟く。危なかった。影人がこの辺りの路地の構造をよく知っていなければ、ソニアを振り切る事は出来なかった。影人の体力も限界だったので、このタイミングで撒けなければ、影人は間違いなく捕まっていた。

「ふぅ・・・・・・だいぶ体力が戻って来たな。さて、これからどうするか」

 影人はスマホを取り出すと現在の時刻を確認した。現在の時刻は午前11時を少し回ったところ。大体1時間ほどソニアと逃走劇を繰り広げていた感じだ。

「今日が終わるまで後13時間か・・・・・・それまで逃げ切れる気がしねえな。だが、逃げないと地獄だし・・・・・・気合い入れるしかねえよな」

 影人はスマホを鞄の中に仕舞うと、パンっと両頬を手で叩いた。今まで気合いでどうにかしてきた。ならば、今回も気合いで乗り切れるはずだ。

「取り敢えず、ここまで来たら1回大通りに行くか。木の葉を隠すなら何とやらだ」

 影人はソニアに警戒しながらも大通りを目指した。

「・・・・・・流石はクリスマスだな。凄い人の数だ」

 影人が大通りに出ると明らかにいつもより人の数が多かった。歩道は人でぎゅうぎゅうで、店は軒並みクリスマスの飾り付けがなされている。ザ・クリスマスムードといった感じだ。

「しかし・・・・・・明らかにカップルの数が多いな。皆さんお熱いこって・・・・・・全く、ああはなりたくないぜ」

 自然と視界に恋人たちの姿が入って来るため、影人はうんざりとした顔を浮かべた。よくもまああれだけ人前でイチャイチャと出来るものだ。恥はないのだろうか。

「俺は孤高の逃亡者。聖夜を1人で歩く者になってみせるぜ・・・・・・」  

 改めて今日を1人で過ごすという決意を固めた真性バカ前髪は適当に通りを散策した。本屋で少し時間を潰した影人は腹の減りを感じた。

「ん、もう12時か。金髪も撒いてからしばらく時間も経ったし、昼飯くらい食っても大丈夫だろ」

 本屋の時計で時間を確認した影人は本屋を出た。ちなみに、なぜスマホで時間を確認しなかったのかというと、スマホの電源を切っているからだ。ソニアを撒いた後、ソニアが引っ切りなしに電話を掛けてきたので、うんざりとした影人はスマホの電源を落としていた。

「寒い・・・・・・こんな寒い日にはラーメンが食いたくなるな。よし、昼飯はラーメンにしよう」

 影人はそう決めると大通りにあるラーメン屋に向かって歩き始めた。クリスマスに野郎1人でラーメン。このシチュエーションもいい。いかにも孤独者のクリスマスだ。

「――いやー寒い! 寒い日はやっぱりラーメンだよね!」

「クリスマスに女子がラーメンってどうなのよ。まあ別にいいけど」

「ラーメンは汁物ですからね。2人とも、汁が服に飛ばないように気をつけてください」

 影人がラーメン屋まであと少しといった距離まで来ると、そんな声が聞こえた。声はラーメン屋の前から聞こえ、そこには3人の女性の姿があった。1人はいかにも活発そうな少女、もう1人は見た目がクールな少女、そして最後の1人はプラチナホワイトの髪色が特徴の人形のように精緻な造形の少女だった。

「・・・・・・」

 その3人の少女をよく知っていた影人は、無言でスッと回れ右をした。自分は何も見なかった。影人は己にそう言い聞かせた。

「クソッ、何であいつらが・・・・・・いや、大丈夫だ落ち着け。あいつらにはバレてないし、あいつらは鬼じゃない。・・・・・・よし、取り敢えず昼飯はハンバーガーに変更だ」

 影人は某有名ファストフード店に向かった。少しすると、ファストフード店が影人の視界内に映った。影人が空腹感から歩を速める。店前に到着した影人が店内に入ろうとした時だった。

「っ!?」

「――ん?」

 影人は店前である人物と出会した。その人物を見た影人はあまりの驚きから固まった。そして、その人物も影人に気がついた。

 その人物はロングヘアーで、水色に一部分が白色という髪の色が特徴の女性だった。目の色は薄い青の美女だ。大人っぽい紺色のコートにジーパンという服装は、その女性の美しさをよりシャープなものにしていた。

「おやおや・・・・・・少し休憩をして君と会う方法を考えようと思っていたのだが・・・・・・まさか、こんな所で君と出会えるとはね。うん。これは一種の運命だと言わざるを得ないね」

 その女性は影人に気がつくと、ニコニコとした顔で影人にそう言った。影人は震える声で彼女の名を呟いた。

「ピュ、ピュルセさん・・・・・・」

 ロゼ・ピュルセ。彼女もソニアと同じく今日影人を追う者の1人だった。


 ――クリスマス、帰城影人に安らぐ時間など訪れはしない。

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