第450話 スプリガンと交流会(1)

「ふぅ・・・・・・ああ、最高だぜ・・・・・・」

 10月中旬のとある日。時計が正午を過ぎる頃、影人は自分の部屋のイスに座りながら小説を読んでいた。窓の外に映る空模様こそ鼠色で小雨も降っているが、影人は気にならなかった。雨の日に読書。これもまた乙なものだ。

(今頃春野たちは沖縄か。まあさっき沖縄の天気予報調べたら晴れだったから大丈夫だろ)

 影人はミステリ小説をめくりながらそんな事を考えた。2年生は今日から修学旅行で沖縄に行っている。影人は去年も使った伝家の宝刀、仮病を使い修学旅行を休んだ。

 日奈美や穂乃影は去年だけでなく今年も影人が修学旅行を仮病で休むと言った時、もはや救えないモノを見るような目で影人を見つめてきた。結局、2人とも影人が意見を変えることはないと知っているので諦めた様子になっていたが。こうして、前髪野郎は家族の許可を得た元(正確には許可とは言わないが)、堂々とサボっていたのだった。

「そろそろ腹が減って来たな・・・・・・母さんが昼飯代置いててくれたし、外に食いに行くか」

 スマホで時間を確認すると、時刻は午後1時前になっていた。影人は栞を挟みテーブルに置くと、リビングに向かった。そして、リビングのテーブルの上に置かれていた1000円札を取ると、部屋に戻り外出の準備を整えた。

「行ってきます」

 今日は平日なので家には影人以外誰もいない。誰もいないが癖的に影人はそう言って家を出た。

「さて、どこに何を食いに行くか・・・・・・」

 傘を差しながら適当にその辺りを歩き回りながら、影人は昼食に対する考えを巡らせた。コンビニは少し味気ない。かと言って、雨なのであまり遠出をするのも面倒だ。

「・・・・・・決めた。『しえら』に行こう」

 あそこのランチは安くて美味い。何度か「しえら」でランチを食べた事がある影人はその事をよく知っていた。影人は喫茶店「しえら」を目的地として、濡れたアスファルトを踏みしめた。

「こんにちは」

 約20分後。影人は喫茶店「しえら」に辿り着いた。影人は傘を外の傘立てに入れ、入店した。

「・・・・・・いらっしゃい。適当な所に座って」

 影人が中に入ると、店主であるシエラが影人にそう言ってきた。影人は空いていたカウンター席に腰を下ろした。店内は影人の他には、老齢の男性が1人カウンターに、中年の女性が2人テーブル席に座っていた。

「何だお前か影人。ふん、相変わらず陰気な面構えだな」

「陰気で悪かったな。お前こそ相変わらず偉そうだなシス」

 影人がカウンターに座ると、カウンター内にいたシスが影人にそう言葉を掛けてきた。

「はっ、しかしすっかり馴染んだもんだな。くくっ、エプロン姿似合ってるぜ。バイト君」

 影人はニヤニヤと笑いながらシスの全身を見つめた。シスは白いシャツに紺のエプロンという、いかにも喫茶店のアルバイトが着るような格好をしていた。そして実際、シスは喫茶店「しえら」のアルバイトだった。

「どうやら死にたいようだな貴様は。よかろう、表に出ろ。貴様の亡骸を雨に晒してくれるわ・・・・・・!」

 シスは怒りからピクピクと顔を引き攣らせた。今にも影人に襲い掛からんとする雰囲気だ。

「・・・・・・シス。無駄口叩いてないで仕事して。まだ食器洗い終わってないでしょ」

「うるさいぞシエラ。俺様に指図を――」

「うるさいのはそっち。これ以上言わせないで」 

 シエラは不機嫌な様子でシスを睨みつけた。ここでシエラを怒らせては面倒な事になると悟ったのか、シスは「ちっ! 覚えていろよ・・・・・・!」と悪態をつくと、食器を洗い始めた。

「ん、ごめん。ウチのバイトがうるさくて。それで、注文は決まった?」

「はい。Bランチをお願いします」

 シエラが影人の前に水とおしぼりを置く。影人はメニューを確認すると、そう答えを返した。Bランチはパスタがメインで、ミニサラダと好きな飲み物がついてくる。このパスタはシエラの気分で変わるいわゆる日替わりだ。そして、メニューに書かれていた今日のパスタはカルボナーラだった。

「飲み物は? いつも通りバナナジュース?」

「はい。それでお願いします」

「ん。ちょっと待ってて」

 影人の注文を受けたシエラは頷くと厨房の方へと歩いて行った。影人は注文したメニューが来るまでの間、適当にスマホを眺めながら時間を潰した。

「お待たせ。Bランチ」

 十数分後。影人の前にトレーに乗ったランチが置かれた。トレーにはカルボナーラとミニサラダ、そしてバナナジュースが乗っていた。

「ありがとうございます。いや、マジで美味そうですね。俺、シエラさんのカルボナーラはまだ食べた事ないので楽しみです」

「カルボナーラはそんなに自信のある料理じゃないけど・・・・・・君の期待に応えられるといいな」

 影人の言葉を受けたシエラが小さな笑みを浮かべる。影人は手を合わせると、フォークを手に取り、出来たてのパスタにフォークを入れくるくると巻き始めた。そして、それを口に入れた。

「美味ぇ・・・・・・」

 咀嚼しじっくりとカルボナーラを味わった影人は思わずそう言葉を漏らす。クリームソースのコク、ブラックペッパーのアクセント、チーズの風味、全てが渾然一体となっている。影人は厚切りベーコンをフォークで刺すと、それも口に運んだ。ベーコンの旨味と塩辛さが体に染み渡る。

(ああ、最高だ。修学旅行をサボって1人で優雅に孤◯のグルメ・・・・・・俺は今間違いなく生を堪能している・・・・・・)

 常人とは感覚が異なる前髪の化け物は幸福感に包まれていた。人間、ここまでおかしくなれるのだから恐ろしい。

「美味かった・・・・・・」

 パスタとサラダを食べ終わった影人は満足そうな様子で残っていたバナナジュースをストローで啜った。気づけば、影人以外の客は既に会計を済ませ出て行っていた。影人は店内に流れクラシック音楽を耳で楽しみながら至福の時間を過ごした。

「さて、そろそろお暇するか・・・・・・」

 影人はポケットからサイフを取り出そうとした。Bランチの価格は税込850円。パスタにサラダ、それに好きなドリンクも込みでこの価格は破格だ。以前、影人はシエラに本当にこの値段で店の経営は大丈夫なのかと聞いてみたが、シエラは「色々頑張ってるから大丈夫」と言っていた。影人たち客からすれば嬉しい限りだ。

「シエラさん、お勘定をお願いします」

「何だ。貴様もう帰るのか。せっかくだ。帰る前にコーヒーを頼んでいけ。特別にこの俺が注いでやる。俺様のコーヒーの感想を聞かせろ」

 影人がシエラにそう告げると、シスが口を挟んできた。シスはコーヒーにハマっており、影人がここに来ると、事あるごとに影人にコーヒーを勧めてくるのだ。

「悪いけど遠慮する。俺、コーヒーは苦手だしな。というか、前から言ってるだろ」

「貴様は変わらず愚かだな。コーヒーの美味さに気づかんとは。バカ舌にも程があるぞ」

「バカ舌で悪かったな」

 わざとらしく嘆くシスに少しの苛立ちを覚えながらも、影人はシエラに代金を渡した。シエラは影人から預かったお金をレジに入れると、「ん、おつり」と150円を影人に渡してくれた。

「ありがとうございます。ごちそうさまでした。じゃあな、シス。お前は接客の態度が変わらず終わってるからさっさと直せよ」

 影人はシスに嫌味を返し店を出ようとした。しかし、その時ちょうど店に新たにお客が入ってきた。

「――でも、まさかばったり陽華ちゃんたちに会う事になるなんてね。ふふっ、ちょっとした奇跡ね」

「はい! 私たちもまさか風音さんと『しえら』の前で会う事になるとは思ってませんでした!」

「今日がたまたま学校が終わるのが早い日でよかったわね。これは女子会をせよという天からの啓示だわ」

「・・・・・・そんな啓示があるのだろうか?」

「こういった明夜の言葉を真に受けるのは、あまりお勧めしませんよ。アイティレ・フィルガラルガ」

「うーん、僕もそこはイズちゃんに同意かな」

 入店して来たのは制服を来た女子の集団だった。歳の頃から考えるに高校生だろう。女子高生の数は全部で6人。その内、2人は残りの4人とは違う制服を着ていた。

「げっ・・・・・・」

 その女子高生の集団を見た影人は思わずそんな声を漏らした。控えめに言って最悪だ。ついさっきまであれだけ気分が良かったのに。影人は自分の気分が急降下するのを感じた。

「え、帰城くん!? な、何でここに!?」

「なっ、き、帰城影人・・・・・・!?」

「あ、帰城くん。こんにちは」

「あら、奇遇ね帰城くん。ん? でも、おかしいわね・・・・・・確か、2年生は今日から修学旅行だったはずだけど・・・・・・」

「っ、影人? 何で君がここに・・・・・・あ、君、まさか・・・・・・」

「帰城影人・・・・・・どうやら、あなたは修学旅行には行かなかったようですね」

 影人に気がついた女子高生たち――陽華、アイティレ、風音、明夜、暁理、イズがそれぞれの反応を示す。影人はそのまま「・・・・・・よう。じゃあな」と言って店から出て行こうとしたが、ガシッと暁理に腕を掴まれた。

「おお、神よ・・・・・・」

 瞬間、影人は天を仰いだ。












「え!? じゃあ帰城くん修学旅行サボっちゃったの!? 嘘でしょ!?」

 女子高生の集団に捕まった影人は、なぜ修学旅行中のはずの2年生の自分が「しえら」にいるのかといった理由を話した。いや、正確には無理やり話をさせられた。影人の話を聞いた陽華は信じられないといった様子で影人にそう言った。

「嘘じゃないから俺はここにいるんだよ。俺を舐めるな」

 影人がふんと鼻息を鳴らす。前髪野郎は愚かの極みを軽く超えるほどに愚かな何かなので、なぜかドヤ顔気味だった。

「いや、そこ絶対に自慢できるところじゃないから・・・・・・君は本当にいつも僕たちの予想の斜め斜め下を行くね。なんかもう軽蔑を通り越して逆に暖かい気持ちになるよ」

「修学旅行をサボる人初めて見たわ・・・・・・そういえば、帰城くん去年も修学旅行にはいなかったわよね。って事は去年もサボったのね・・・・・・」

「え、去年も・・・・・・!? あ、そうか。帰城くんって確か留年して・・・・・・凄いわね。2年連続で修学旅行をサボった人間なんて、私聞いた事ないわ・・・・・・」

「私よりもコミニュケーション能力が壊滅しているのは人間としてどうなのでしょうね」

「私も流石にどうかと思うぞ・・・・・・」

 影人の言葉を聞いた暁理、明夜、風音、イズ、アイティレが引いた顔になる。当たり前だ。堂々と修学旅行をサボりドヤ顔を浮かべている前髪野郎は、控えめに言ってどうかしている。

「ふん、別にいいだろ。俺は1人でこの辺りで修学旅行してるんだからよ。灯台下暗し。修めるべき学は近所にあるんだ。俺がいる理由は話したし、もういいだろ。じゃあ、俺は帰らせてもらうぜ」

 影人は席から立とうとした。しかし、そんな影人を呼び止めたのは意外にも風音だった。

「あ、もう少しだけ待ってくれない帰城くん。実は、帰城くんに話したい事があるの」

「あんたが俺に話・・・・・・?」

 風音に呼び止められた影人が訝しげな顔になる。影人は酷く嫌な予感を覚えた。

「ええ。話を聞いてくれるなら、デザートを奢るわ」

「あんたが俺を物で釣るか・・・・・・ますます嫌な予感がするな。だが、その提案は魅力的だな。デザートはまだ食ってなかったし。取り敢えず、話を聞くだけだぜ」

「ええ。それで構わないわ」

 風音が頷く。最終的にしっかりと物で釣られた影人はイスに座り直すと、シエラにガトーショコラを注文した。

「で、俺に話ってのは何だ『巫女』」

 水で喉を潤した影人が風音にそう聞く。風音は自分が注文したアイスティーをストローで啜ると、口を開いた。

「実は、今月末に大規模な光導姫と守護者の研修兼交流会を企画しているの。一応、学校の先生の許可はもらっているわ」

「え、そうなんですか!?」

「それは私たちも初耳ね・・・・・・」

「へえ、そんなのやるんだね」

 風音の言葉に陽華と明夜、暁理が驚いた様子になる。風音は「ごめんね。実は、みんなにもいずれ話すつもりだったんだけど」と少し申し訳なさそうな顔を浮かべた。

「大規模な光導姫と守護者の研修と交流会ね・・・・・・それって世界中から光導姫と守護者を集めるのか?」

「いえ、取り敢えず企画しているのは日本の光導姫と守護者だけよ。でも、今回の研修兼交流会が成功したら、いずれは世界規模でもやってみたいとは光導十姫として思うけど」

「そうだな。世界中の光導姫と守護者が交流するのは意義がある事だ。私も、同じく光導十姫として風音に賛成だ」

 影人の質問に風音が答え、アイティレは風音の言葉に同意した。

「ふーん・・・・・・でも、何でこの時期に交流会なんかやるんだ? 一応、デカい問題はもう過ぎ去っただろ」

 既に闇奴を生み出すレイゼロールの問題も、この世界に破滅的な混乱をもたらそうとしたフェルフィズの問題も解決している。現在の問題は、あちら側の世界、つまりは異世界からの流入者くらいだ。

「確かに、帰城くんの言う通り現在大きな問題はないわ。でも、だからこそこの時期に研修と交流会を行う事が大事だと思うの。また大きな問題が起こらないとも限らない。そんな時にいつでも対処できるようにするためには、平時からの積み重ねや経験が必要になる」

 風音は真剣な顔でそう言うと説明を続けた。

「それに、光導姫と守護者の対象が闇奴や闇人から【あちら側の者】に変わった事も、やはり1度議論、共有すべき問題だと思うの。これまでは色々と忙しかったりしてソレイユ様やラルバ様からの説明だけだったから。【あちら側の者】は全員が敵意を持って私たちに接してくるわけじゃない。いきなり知らない世界に迷い込んで不安や恐れを抱いている者たちも多い。戦って強制的に元の世界に戻す方法だけじゃなく、対話によって元の世界に返す方法も重要なの。光導姫と守護者の対象が闇奴・闇人時代の時は戦う事だけが対処法だったけど、今言ったみたいに現在はそうじゃない。その辺りの擦り合わせも、改めて皆で確認しておくべきだと私は思うわ」

「・・・・・・なるほどな」

 風音の説明は少し長かったが、言わんとしている事は理解できた。風音の言葉には確かな説得力があった。少なくとも、影人はそう思った。

「いいと思います! 私、絶対参加します風音さん!」

「ええ。願ってもない機会だわ」

「そうだね。確かに参加した方がよさそうだ。僕も多分だけど参加させてもらうよ」

 陽華、明夜、暁理が参加の意思を示す。アイティレは既に風音から話を聞き参加するつもりだったので、特に反応はなかった。

「ありがとう。もちろん、みんなの参加は大歓迎よ」

 風音が3人に感謝の言葉を述べる。話を聞いていた影人は風音に向かってこう言った。

「あんたの話は分かったが、その話は俺に関係なくないか? 俺はスプリガンだ。光導姫でも守護者でもないぜ。いやまあ、影の守護者っちゃ守護者だが・・・・・・俺が特異な存在な事に変わりはないだろ」

 ここにいる者たちや他の数少ない者たちが例外なだけで、多くの光導姫や守護者にとって未だにスプリガンは謎に満ちた人物だ。闇奴・闇人時代と変わった事といえば、実は味方だったという事くらいしか普通の光導姫や守護者は知らないのではないだろうか。

「そうね。確かに帰城くん、いえスプリガンは光導姫と守護者にとって特異な存在よ。一時は光導姫と守護者にとって敵でもあった。今は、スプリガンが敵ではないと光導姫や守護者たちは知っているけど・・・・・・それでも、まだ多くの光導姫や守護者はスプリガンに不審感を抱いているでしょうね」

「・・・・・・だろうな」

 影人は当たり前といった様子で風音の言葉に頷いた。

「でも、帰城くんのスプリガンとしての経験は凄く価値があるものだと思うの。その経験はきっと、光導姫や守護者にとっても生かされるものになるはず。だから帰城くん。これはお願いなんだけど・・・・・・」

 風音はそこで1度言葉を区切ると、影人の顔を真っ直ぐ見つめこう言った。


「帰城くんもスプリガンとして、交流会に参加してくれないかしら?」

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