第448話 熱血、ドキドキ、体育祭(2)
「ケホッ、ケホッ、ちきしょうめ・・・・・・」
障害物競争を終えた影人は手洗い場で顔を洗っていた。障害物競争の飴食いが、粉だらけの中から手を使わずに飴を食べるというものだったので、競技者は全員顔と口の中が粉まみれになるのだ。影人は口の中に広がる粉の気持ち悪さと、飴の甘さ――味はグレープだった――を感じながら、水に濡れた顔を上げた。その際、前髪がべったりと顔に張り付いた。
「ちっ、タオル忘れたな・・・・・・めんどくせえ」
影人は顔に張り付いた前髪に不快感を抱きつつも、その場から去ろうとした。だが、そんな影人に声が掛けられる。
「お疲れ様! ナイスファイトだったよ帰城くん!」
「まあ、君にしては頑張ったんじゃない? 結果はビリだったけど、あんまり気にするなよ」
影人に声を掛けてきたのは陽華と暁理だった。影人は2人の方に顔を向けた。
「・・・・・・うるせえ。1位と3位が知ったような口を利くな」
「うわっ! 帰城くん前髪がワカメみたいになってるよ!? 大丈夫!?」
「うわぁ・・・・・・ヤバ、キモっ・・・・・・」
影人の顔を見た陽華は驚き、暁理はドン引きした様子でそう呟いた。本気を出して負けた悔しさ、実況役のせいで無駄に目立ってしまった事にイライラしていた影人は、2人のその反応に更にイライラした。
「ワカメでキモくて悪かったな」
影人はそれだけ言うと2人に背を向け歩き始めた。陽華と暁理はそんな影人の後をついてきた。
「・・・・・・何で着いてくるんだよ」
「え、だってせっかく帰城くんと一緒になれたし・・・・・・あ、そうだ。帰城くん、私のタオル使う? 濡れてるけど、まだ拭けはするはずだよ!」
「いらねえよ。汗くさいだろ」
「汗くさっ・・・・・・!?」
影人に一蹴された陽華がショックを受けた顔になる。そのやり取りを見ていた暁理は、ゴミクズを見るような目を影人に向けた。
「・・・・・・信じられない。女子に対してよくもそんなこと言えるよね。本当、人として終わってる。朝宮さんの使用後タオルなんて、本来だったら君みたいな前髪は使えないんだよ。少なくとも、他の男子だったら泣いて喜ぶか、奪い合いになるレベルなのに・・・・・・」
「んなもん知るか。というか、こいつのタオルにそこまでの価値はねえだろ。お前はウチの男子を何だと思ってやがるんだ・・・・・・」
暁理の言葉に影人は逆に呆れた。影人はそのまま人気の少ない場所まで歩くと、顔に張り付いた前髪を上げた。流石に前髪が顔に張り付いたままでは気持ちが悪かった。結果、普段は隠されている影人の素顔が露わになった。
「わっ・・・・・・」
「っ・・・・・・」
突然の影人の素顔に、陽華と暁理は目を見開いた。影人はそんな2人に逆に不審そうな目を向けた。
「・・・・・・なんだ。俺は見せ物じゃねえぞ。というか、お前ら俺の素顔なんざもう見慣れてるだろ。スプリガンの時と違うのは目の色だけだしな」
「い、いや、それとこれとは・・・・・・うわー、やっぱり帰城くん格好いい・・・・・・」
「うっ、僕とした事が影人を格好いいと思うなんて・・・・・・いや、でも水で濡れてるのはズルいし・・・・・・」
陽華と暁理は顔を赤くさせると、盗み見るように影人を見てきた。2人の言葉はかなり小さく、また急に2人が赤面した理由も分からなかった影人は「?」と首を傾げた。
「あ、いたいた。陽華、早川さん」
すると、明夜が現れた。明夜の横にはイズの姿もあった。
「珍しいですね。普段の帰城影人が前髪を上げているなんて」
「うわっ、本当だわ。うーん、やっぱり帰城くんって普通にアレよね・・・・・・暗いイケメンっていうか、一部の人たちには大人気な感じというか・・・・・・」
イズと明夜も影人を見てそれぞれの感想を漏らす。影人は新たに現れた2人を見て露骨に顔を顰めた。
「げっ・・・・・・何でお前らまで来てるんだよ。ふざけんな。これ以上面倒な奴らが増えてたまるか。じゃあな」
「陽華を労いに来たからです。あと、いきなり面倒な奴ら扱いは不快です。やめてください。殺しますよ」
「・・・・・・マジトーンで殺人宣言するなよ。お前が言ったらシャレにならねえんだから」
影人はイズに軽く抗議の声を上げると、周囲に顔を向けた。その様子は何かを警戒しているようだった。
「? どうしたの帰城くん」
「いや、お前らが来たって事は香乃宮の奴も来る可能性が高いだろ。あいつまで来たらいよいよ収拾がつけられねえ・・・・・・」
明夜がそう聞くと影人はそう答えた。いつもなら、こういう時は光司も参戦してくる確率が非常に高い。しかも、いま影人は素顔を晒しているので、余計に面倒になる事は確実である。
「香乃宮光司なら運営の仕事に精を出していますよ。競技以外の時間は基本的に運営に携わっているようなので、あなたに構う時間はないでしょうね」
「そうか・・・・・・それは朗報だな」
影人はホッと息を吐いた。光司に気を遣わないだけでも正直だいぶ楽だ。残暑の影響か、髪も随分と乾いてきた。影人は前髪を下ろした。
「あ・・・・・・も、もう下ろしちゃうの? その、もっと帰城くんの素顔見てたかったなーっていうか・・・・・・」
「そうね。私なんてまだ一瞬しか見てないわ。帰城くん、もう少し前髪を上げていてよ」
「ぼ、僕は別にどっちでもいいからね。でもまあ、前髪を上げてる君の方がいつもよりは多少マシというか・・・・・・」
「うるせえ。もう乾いたし、こっちの方が落ち着くんだよ」
陽華、明夜、暁理はいつもの前髪野郎に戻った影人を見て、ガッカリとした様子になった。影人はしかし、取り合わなかった。
「帰城さーん! お疲れ様です!」
「あ、いたいた! いやー残念だったね影人! でも、頑張ったよ! 良き良き!」
影人が前髪を下ろすと、また聞き覚えのある声が聞こえてきた。新たに現れたのは、影人のクラスメイトである海公と魅恋だった。
「っ、春野、霧園・・・・・・」
海公と魅恋の姿を見た影人は2人の名前を呟いた。海公は別にそうでもないのだが、2人が来た事によって更に面倒な事になりそうだと、影人は思った。
「っ、先輩方・・・・・・?」
「え!? な、何事!?」
陽華、明夜、イズ、暁理の姿を見た海公と魅恋が驚く。2人の事を知っている陽華と明夜は、こう言葉を返した。
「あ、春野くんに霧園さん! こんにちは!」
「こんにちは後輩ズ。そう言えば、2人は帰城くんのクラスメイトだったわね」
「そ、そうですけど・・・・・・え、もしかしてパイセン達って影人と知り合いなんですか?」
魅恋はどこか信じられないといった顔で陽華たちと影人の顔を交互に見比べた。その顔は「え、こんな有名で美少女な先輩たちと、前髪長すぎ陰キャが知り合いって流石に嘘だよね?」という感じだった。少なくとも、影人にはそう読み取れた。
「うん! そうだよ!」
「ええ。私たちと帰城くんの出会いは話せば長くなるわ。涙なしでは語れない、それこそ海千山千の・・・・・・」
「っ、おい月下・・・・・・先輩。あの、話を盛るのはやめてもらえませんかね」
まだ影人が留年生だと知らない魅恋がいる手前(恐らくはだが)、影人は本性を隠し、他人行儀に明夜にそう言った。
「え? ど、どうしたの帰城くん!? 明夜に向かって先輩なんて!? どこかおかしくなっちゃったの!?」
「う、うわぁ・・・・・・何だろうこの感覚。ものすごく気持ち悪い。僕、影人に先輩とか絶対言われたくないな・・・・・・」
「何となく事情は察しますが・・・・・・それでも、頗るゾッとしますね」
影人の明夜に対する敬語を聞いた陽華、暁理、イズはそれぞれそんな反応になった。
「話は変わるけど・・・・・・君たちは影人のクラスメイトって事でいいのかな。僕は早川暁理。よろしくね」
「私はイズ・フィズフェールと申します。以後、よろしくお願いします」
「あ、もちろん知ってます! 2年の霧園魅恋です! こちらこそよろしくお願いします!」
「同じく2年の春野海公です。帰城さんにはいつもお世話になっています」
自己紹介をしてきた暁理とイズに対して、魅恋と海公も自己紹介を行った。暁理はしばらくジッと魅恋と海公を見つめた。
「あ、あの僕たちの顔がどうかしましたか?」
「うん? ああ、ごめんね。2人とも凄く可愛いなって。うーん、これは色々とマズい気が・・・・・・でも、普通に考えればこんな前髪陰キャを好きになるはずは・・・・・・いや、だけど僕を含めての前例が多いいし・・・・・・」
「「?」」
暁理は後半ブツブツと何かを呟いていた。暁理の呟きが聞き取れなかった魅恋と海公は、不思議そうな顔色を浮かべた。
「やっぱりパイセン達と影人って知り合いなんだ・・・・・・影人って何者?」
「・・・・・・別に何者でもないですよ。ただの霧園さんや春野くんのクラスメイトです。それ以上でも以下でもない」
魅恋の問いかけに影人はそう答える。影人はそのままこう言葉を続けた。
「それで、俺に何か用ですか霧園さん。団体競技の時間はもう少し後だと記憶してますが」
「いや、別に用っていう用はないよ? ただ、頑張ったクラスメイトに励ましの言葉かけとかないとなって思っただけだし。取り敢えずお疲れ! 玉入れは頑張って勝とうぜ!」
魅恋は明るくサムズアップした。嫌味のない明るさだ。影人は思わず小さく笑ってしまった。
「ふっ・・・・・・ええ、そうですね。ついでに白組にも勝ちましょう。負けるよりかは勝つ方が気分がいいですからね」
影人は前髪の下の目を白組に属している陽華、明夜、イズに向けた。影人の言葉にはどこか挑発の色が含まれていた。
「おっ、言ったわね帰城くん。宣戦布告と受け取るわよ。こっちも負けるつもりは毛頭ないんだから」
「そうだよ! 勝つのは私たち白組なんだから!」
「この行事の勝利に意味はないように思いますが、あなたに負けるというのは癪に障りますね」
影人の言葉を聞いた明夜、陽華、イズが対抗心を燃やす。今度は白組の3人の言葉を聞いた、赤組の暁理、魅恋、海公がこう言った。
「僕もそこだけは影人に同意かな。悪いけど、勝つよ」
「パイセン達には悪いですけど、ウチら負ける気ないんで!」
「か、勝つのは僕たち赤組です!」
白組と赤組の間にバチバチと見えない火花が散る。互いの間に散る見えない火花は青春の火花であった。
「っ、あ、あれ? そういえば、帰城さんの姿が・・・・・・」
「え? あ、本当だ! 影人いないじゃん!」
海公はいつの間にか影人が消えている事に気がついた。魅恋も驚いた様子で周囲を見渡した。
「逃げたね・・・・・・」
「逃げたわね・・・・・・」
「逃げたなあいつ・・・・・・」
「逃げましたね」
一方、影人の事をよく知っている(イズだけはある程度といった感じだが)、陽華、明夜、暁理、イズは呆れたようにそう言葉を漏らした。
「・・・・・・俺の名前は影人。影のような人間だ。影の如く消えるのなんざワケはないのさ」
他方、上手い具合に逃げた前髪野郎はよくわからない事を言っていた。
(しかし危なかったな。あのままあそこにいたら今頃どんな面倒な事になってたのか想像できん。面倒事は基本は逃げるに限るぜ)
本当に人として終わっている前髪は先ほどのイベントを面倒事と切り捨てた。人間、成長する者もいれば成長しない者もいる。そして、前髪は間違いなく後者であった。
「さて、どうするか。さっきの体育館裏に戻ってもいいし、ソウルメイトの勇姿を見届けに行ってもいい。確か、昼休み前の騎馬戦にAとBとEが出場するって言ってたしな。・・・・・・よし、決めたぜ」
影人は少しの間考えを巡らせると、運動場の方に足を向けた。せっかくだ。ここは魂の友たちの戦いを観戦しよう。
「っ、帰城影人。探したぞ」
影人が運動場に戻り、観客席の近くを通りかかると声が掛けられた。影人が声の方向に顔を向けると、そこにはアイティレの姿があった。アイティレは白を基調とした可愛らしい私服姿だった。髪型もいつものストレートではなく、両サイドの髪を括ったツインテールだった。
「・・・・・・・・・・・・何やってるんだお前。いや、というか、その格好はどうしたんだ・・・・・・? イメチェンか・・・・・・?」
アイティレの姿を見た影人はたっぷり数秒間無言になると、戸惑った様子でアイティレにそう聞いた。
「い、いや陽華と明夜から体育祭があると聞いてだな。それで、たまたま今日私が通う学校が休みで、君が躍動する様を見たかったから・・・・・・い、いやそんな事が理由ではないぞ。そこは違う。断じて違うのだ」
「? よく分かんねえな。何でそんなあたふたしてるのかも分かんねえし・・・・・・」
赤面しながらわたわたと手を振るアイティレ。影人はそんなアイティレを見て不思議そうに首を傾げた。
「彼女をコーディネートしたのは私だよ。数日前に今日来ていく格好についての相談を受けてね」
アイティレと影人が話をしていると、同じく観客席にいたロゼが現れた。
「ピュルセさん・・・・・・」
「どうだい、普段のアイティレくんとは随分と違うだろう? アイティレくんといえばクールな印象だが、今回はその真逆の可愛いコーディネートをしてみたのだよ。元々の素材の良さとギャップも相まって、とびきりのコーデが出来たと思うのだが・・・・・・どうだろう?」
「どうだろうって・・・・・・そりゃ、普通に可愛いと思いますよ」
ロゼにそう聞かれた影人が答えを返す。アイティレは元々尋常ではない美人だが、今は尋常ではない美少女という感じだ。美しさと可愛らしさ、どちらも際立っている。ツインテールという少し幼い印象を受ける髪型もグッと来る感じだ。
「か、可愛っ・・・・・・そ、そうか。う、うむ。そう言ってもらえると、こんな格好をした甲斐もあったな・・・・・・ふふふふっ」
影人の感想を聞いたアイティレはカアッと更に顔を赤くさせると、ニヤけを堪えるような顔になった。そんなアイティレの姿を初めて見た影人は「???」と訝しげな顔を浮かべた。
「す、すまない。少しだけ場を離れる。こ、このままではおかしな顔になってしまいそうだからな・・・・・・」
アイティレはそう言うと、タタっとどこかへ走って行った。
「・・・・・・『提督』の奴、どうしたんですか。何かいつもとは様子が違うように思えましたけど」
「ははっ、君がそれを言うのかい」
「?」
「ふむ、どうやら君の勘の良さはそっち方面には働かないようだね。中々に罪深いというか何というか」
訳がわからないといった顔を浮かべる影人を見たロゼは、何かを察したようにそう言った。
「まあいいさ。しかし、やるねえ帰城くん。まさかあのアイティレくんまで手籠にするとは思わなかったよ。アイティレくん、君のために今日はサンドイッチまで作って来たんだぜ。かなりの入れ込み具合だよ。いったい、彼女に何をしたんだい?」
「手籠って・・・・・・何を勘違いしてるのか知りませんが、別に何もしてないですよ。強いて言えば、ずっと目を覚まさなかったあいつの母親をスプリガンの力で目覚めさせたくらいです」
影人は面倒くさいと思いつつもロゼにそう言葉を返した。影人の言葉を聞いたロゼは「ほう、なるほどなるほど・・・・・・」と頷いた。
「ずっと解決出来なかった問題を解決してくれた事に対する感謝、そこから生じる帰城くんに対するヒロイックな思い・・・・・・更には過去に敵対視していたというスパイスも加わり、一気に感情がある方面へと向いた・・・・・・そんな所かな。いやー、君は見た目からは想像も出来ないほどのレディキラーだね」
「はい???」
「しかし、また強力なライバルが増えてしまった。これは、本当に私もうかうかしていられないな。いや、いっそ皆で囲うべきか・・・・・・むむっ、急に芸術に対するインスピレーションが! すまない帰城くん! 私はこのインスピレーションを忘れない内に一描きしてくる! さらばだ!」
ロゼは急にそう言うと、ダッシュでどこかに向かって走って行った。
「あ、ピュルセさん! ったく、相変わらずの変人ぶりだなあの人は・・・・・・」
影人は呆れた様子で軽く息を吐いた。ロゼは基本的な常識はあるのだが、それを補って余りある特異さを有している。影人は改めてその事を実感した。
『はーい! 次は体育祭午前の部、最終競技です! 競技種目は騎馬戦! 皆さん、ぜひぜひ応援と歓声のほどをよろしくお願いします!』
「・・・・・・取り敢えず、騎馬戦見るか」
アナウンスを聞いた影人はそう呟くと、騎馬戦を観戦すべく適当な場所へと移動した。
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